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大学礼拝 2017/8/2「キリストの平和」

カテゴリー:大学礼拝

【コロサイの信徒への手紙3:12-17】
3:12 あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
3:13 互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。
3:14 これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。
3:15 また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。
3:16 キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。
3:17 そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。

今年も8月を迎えました。8月は平和を願う熱い祈りと思いと行動の月として過ごしていきたいものです。

第2次世界大戦後72年が経過しました。1945(昭和20)年8月6日には広島、9日には長崎に原爆が投下され、そして8月15日には敗戦の日を迎えました。今ではこの戦争を知らない人々が大半を占めるようになりました。このような現実の中で、戦争は世界をどのように変えてしまうものか、戦跡を訪ね、戦争がもたらす悲惨な現実の一端を見、数少ない体験者の方からお話をお聞きし、戦争を追体験することは大変意義あることだと思います。そして、平和がいかに大切であるか、真の平和とは何かを考える時が持てたらいいなと思います。

機会があれば、沖縄、広島、長崎などを是非訪ねて行ってほしいと思います。

長野市の松代というところを知っていますか。真田幸村の兄信之が最初藩主となった松代藩の城下町です。有名な佐久間象山、松井須磨子(新劇女優、カチューシャの唄 1919没38歳)、草川 信(ゆりかごの歌、夕焼け小焼け、緑のそよ風、どこかで春が、などの作曲者)の出身地でもあります。

この松代の町にワゴン車が楽に通れるような地下壕が三ケ所、硬い岩盤を縫って碁盤の目状に総延長13キロにわたって掘られています。1944(昭和19)年11月11日、午前11時に開始されたこの工事は9ケ月間、延べ300万人とも言われる人々(その中には朝鮮半島から強制連行されてきた約7,000人の人々も含まれます)によって進められ、たくさんの犠牲者を出しました。 敗色の濃くなった日本軍はこの地下壕に、大本営と天皇の御座所を東京の皇居から移す計画を立てていましたが、8月15日の敗戦を迎え、工事は計画半ばで終結し、皇居を移すことはありませんでした。松代の地下壕は「松代大本営の保存をすすめる会」によって保存運動が推進され、現在、見学することもできます。長野へ行った折には是非立ち寄って見学してきてください。戦争がもたらす過酷な状況を垣間見ることができます。戦争は戦地で戦う人たちだけではなく、一般の人々にも銃後の戦いと言われる厳しい深刻な状況をもたらすことが手に取るようにわかります。

今日でもなお続いている中東の戦争などは、平和からはほど遠いものがあります。現実に戦争によって心身に被害を受け、苦しんでいる人々、弱い立場にいる老人、子ども、障害を持っている人々、婦人たちの窮状は大変深刻です。

パウロはローマの獄中から書いたコロサイの教会の信徒への手紙の中で、「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。」と言っています。また主イエスは「平和を実現する人々は、幸いである」(マタイ5:9)と言っておられます。

主イエスやパウロが語る「平和」とは一体どのようなものなのでしょうか。

聖書では「平和」を静かで、平穏で、落ち着いた変わらない状態、あるいは、じっと待っていればやがてやって来るものとしてとらえてはいません。「平和」は既に出来上がっているものではなく、実現するもの、作り出すもの、動的なものとしてとらえられています。

ギリシャ語で「平和」を「エイレイネー」と言います。神学校の時に勉強したギリシャ語は大半忘れてしまいましたが、不思議に今も覚えている単語の一つが「エイレイネー」(平和)です。なーんでか?と言いますと、「エイレイネー」を「えーれーねー」、(豪いねー、大変だねー)とこじつけて覚えていたからです。平和を実現することは、エイレイネー、大変だねー、しんどいことだねーと覚えたわけです。

パウロはキリストの平和を実現するために、ローマで獄中生活を送りました。獄中の日々は本当に大変だったと想像しますが、彼は喜びをもって獄中から教会へ手紙を書いています。それは彼の心をキリストの平和が支配していたからに他なりません。キリストの平和はわたしたちを新しい第一歩へと導いてくれます。

復活された主イエスは、弟子たちのいる家の中にその姿を現され、「あなたがたに平和があるように!」と言われました(ヨハネ20:19)。この平和は「キリストの平和」です。家の戸に鍵をかけ、中にいた弟子たちを外へ連れ出し、勇気をもって新たな行動へと導いていく力が「キリストの平和」です。

カトリックの塩田 泉神父が作詞作曲された聖歌、「キリストの平和がわたしたちの心の、すみずみにまで行き渡りますように」を後で歌います。この聖歌を歌うたびに、アッシジの聖フランシスの祈りの一節「主よ、あなたの平和を人々にもたらす器として、わたしをお使いください。」を思い出します。キリストの平和を人々にもたらす器として、働いてきた多くの人々(シュヴァイツアー博士、マルチン・ルーサー・キング牧師、シスター・マザーテレサなど)は、苦難や困難の多い、厳しく険しい道(人生)を、喜びのうちに選び取っていきました。キリストの平和は忍耐をもって勝ち取るもの、臆病で自信のないわたしに勇気を与え、困難だと思われる道へとわたしを押し出して行きます。神によって与えられている尊い人々の命を奪おうとする悪の力に対して、勝利を信じ、勇気をもって立ち向かっていくことこそ、平和を実現する初めの一歩です。

この夏休み、どんな小さなことでもいいです、平和を実現するための働きを考え、実行してみましょう。(チャプレン大西 修 主教)

★本日は聖歌伴奏に管楽器が初参加です!
フルート(2)・クラリネット(1)(以上、保育科1年生の皆さん)・ホルン(1)(奏楽担当の柴田先生)の四重奏。やんわりとした雰囲気がチャペルいっぱいに漂いました。礼拝参加者も新鮮な気分でお祈りできたことでしょう。このチャレンジ、大切に大切にしていきたいです(^o^)/

 

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