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大学礼拝 2017/9/6「喜ぶこと、祈ること、感謝すること」

カテゴリー:大学礼拝

【テサロニケの信徒への手紙一 5:16-18】
5:16 いつも喜んでいなさい。
5:17 絶えず祈りなさい。
5:18 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです

今読みました聖書は、みんなに親しまれている聖書の言葉が載っているところで、教会の日曜学校の生徒や、付属の幼稚園、保育園の子どもたちもこの聖句が大好きです。

テサロニケの信徒への手紙1は新約聖書の中で最初に、パウロによって紀元50年ごろに書かれました。イエスは十字架の死を遂げ、三日目におよみがえりになり、40日間にわたって弟子たちに現れ、再びこの地上に来られること(再臨)を約束された後、天に昇られました。パウロをはじめイエスを信じる人々は、再び来ると約束なさったイエス・キリストを熱い思いで待ち望んでいました。パウロはテサロニケの信徒たちに、イエス・キリストがいつおいでになってもいいように準備するため、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」という言葉を書き送りました。 この言葉は復活されたイエスをキリスト(救い主)と信じる信仰に立ち、神の愛と希望に裏打ちされたもので、喜びと祈りと感謝が一つになって、今を生きる人々に力を与えています。

さて第1の「いつも喜んでいなさい。」の聖句で思い出すのは、わたしが園長をしていた幼稚園でのことです。園児のOちゃんがN先生に「先生、わたしのお母さんは毎日お仕事でお出かけなの。先生は毎日遊んでばかりで、お仕事しないの?」と語りかけていました。それに対してN先生はちょっぴり複雑な表情でした。わたしはN先生に言いました。「毎日遊んでばかりで、お仕事しないの?」って言われたことは、素晴らしいことだよ。もし反対に「毎日、お仕事ばかりしていて遊ばないの?」って言われたなら、それは保育者として失格かもしれないよ」と。子どもと一緒になって遊ぶ保育者の姿の中に、いつも喜んで保育者として過ごしている日々を垣間見る思いがしました。

第2は「絶えず祈りなさい。」です。祈りは神様との対話です。わたしの心の思いを神様に語り掛け、時には訴え、ぶつけます。そして神様からの返事を待ちます。神様からの返事は、わたしの思いどおりであるとは限りません。むしろ思いとは別の、あるいは反対のものであるかもしれません。しかしその返事をじっくりと時間をかけて思いめぐらすとき、必ずそこに何かが見えてきます。

祈りに課題があると、その祈りはさらに大きく広がっていきます。例えばあなたが思いを寄せている人と仲良くなりたいと願って祈るとき、その祈りはその人のことだけではなく、自ずからその人の両親、兄弟姉妹、友人のことへと広がっていきます。他の人のために祈るとき心が豊かになり、祈ることが喜びとなり、また他の人にも喜びを与えます。そしてこのわたしが祈られていることを知ったとき、喜びは倍増します。

さて第3は「どんなことにも感謝しなさい。」という聖句です。感謝・ありがとうはわたしたちの生活の土台になるものです。しかし、それをなかなか素直に言葉と態度に表わすことができません。Thank youはThink youからきていると聞いたことがあります。「あなたのことを考えること、思うこと」すなわち「神様のことを考えること、思うこと」が感謝の土台にあるのです。天地万物をお造りになった神様に思いを寄せ、感謝すること、ことに神様はわたしたち人間一人一人にかけがえのない尊い命を与えてくださっていることを覚えましょう。次に衣食住が与えられていること(ただし、富める人間の貪欲な罪のため、世界中の多くの国の人々の必要を満たすことができません。日本でも現在、衣食住にこと欠いている人々がいることを忘れてはなりません。)、わたしたちは多くの人々との緊密な交わりの中にあって生かされていることも心に留めたいものです。現代ほど、物の豊かな時代はこれまでになかったと言われています。確かに欲しいものは、少し余分にお金さえ出せば手に入る時代です。簡単に思いが叶うなら、心も満たされているかと言えば、そうでもありません。物の豊かさと心の豊かさは比例しないようです。ひょっとしたら、物の豊かさが心の豊かさを奪い取っているのではないかとさえ感じます。本当の感謝は有り難い(ありがたい)ところに見られるのかもしれません。それはわたしたちの目には見えにくくされ、隠され、見過ごしにされている人々や、弱く、小さくされた人々の中に見られるのではないかと思います。

わたしたちがやりたくない、したくない仕事を担っている人々、その人々のご苦労によってわたしたちがどれは多くの恩恵を受けているか、そのことに気づき、どれほど感謝しているでしょうか、そんな自分自身の態度をふり返ってみたいものです。

「どんなことにも感謝しなさい」、そんなこと無理、無理と思っているわたしたち。でも感謝できないと思える事柄に、素直に感謝の思いを抱いて「ありがとう」と言ってみると、自分が今ここに生かされている意味、そして意外と自分にも優しい心が与えられていることに気づかされるに違いありません。(チャプレン大西 修 主教)

ポーチュラカ

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