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2017/9/27 大学礼拝「バラバラの祝福」

カテゴリー:大学礼拝

【創世記11章1~9節】
11:1 世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。
11:2 東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。
11:3 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。
11:4 彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。
11:5 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、
11:6 言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。
11:7 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」
11:8 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。
11:9 こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。

今日はセクシャル・マイノリティ(性的少数者)についてお話しようと思います。

2015年にアメリカ全州で、同性結婚が異性結婚と同等の権利を持つことが認められました。日本でも、2016年までに、東京都の渋谷区と世田谷区、三重県伊賀市、兵庫県宝塚市、沖縄県那覇市で、同性結婚の権利を一部認める「パートナーシップ宣誓制度」が開始されています。最近では、今年8月22日に愛知県の豊明市が「LGBT(※)ともに生きる宣言」をしました。

日本が同性結婚に関心を持った背景としては、2020年の東京オリンピック誘致も絡んでいます。2014年に国際オリンピック委員会が性差別の禁止をオリンピック憲章に盛り込んだため、LGBTを差別する国は誘致ができなくなったのです。

私も性的少数者の一人です。元は男として生活していたのですが、途中から女にかわりました。世の中、人と違うと生きにくいものです。たとえば、選挙に行くと、私は「あなた男じゃないの?」と聞かれることがあります。確かに戸籍上は男なのですが。杉原千畝が生まれた岐阜県加茂郡八百津町は、つい最近、住民らの要望に応え印鑑登録証明書から性別欄をなくしました。

さて、今日の聖書は「バベルの搭」で有名な個所です。

シンアルの地に住み着いた人々は、自分たちの町を有名にするために、力を合わせて高い塔を建てようとしました。協力し合うことは良いことですが、それがあまりに行き過ぎて、仕事が画一化して一人ひとりの多様性が失われることもあるわけです。そうなると仕事ははかどりますが、人間のおごり高ぶりに火がついて「神などいらない」という思いが生まれます。

従来、聖書のこの箇所は神の祝福が与えられないケースとして解釈されてきましたが、私はむしろ、人々がバラバラにされることに神の愛の祝福を感じるのです。人々が多様になると、まとまるのに苦労しますが、それは私たちにとって必要な過程なのです。

皆さんも社会に出ると様々な人々に出会いますね。考え方の違う人同士が互いに認め合うこと。そこに楽しみを見出して欲しいものです。保育の仕事でもそうです。多様な子どもに出会うはずです。中にはLGBTの子もいるかもしれません。私も子どもの頃、女の子の服が着たかったのに「変なこと言わない!」と怒られたこともありました。こんな私の様な子どもがいたら、今日のLGBTの話を思い出して、その子と一緒に考えてあげてください。(後藤 香織 司祭:名古屋聖マルコ教会牧師、柳城幼稚園チャプレン)

(※)同性愛者のレズビアン(L)、ゲイ(G)両性愛者のバイセクシュアル(B)、心と体の性が一致しないトランスジェンダー(T)といった性的少数者の総称

 

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