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2017/10/25 大学礼拝「安心しなさい」

カテゴリー:大学礼拝

【マルコによる福音書6.45-51】
6:45 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸のベトサイダへ先に行かせ、その間に御自分は群衆を解散させられた。
6:46 群衆と別れてから、祈るために山へ行かれた。
6:47 夕方になると、舟は湖の真ん中に出ていたが、イエスだけは陸地におられた。
6:48 ところが、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた。
6:49 弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。
6:50 皆はイエスを見ておびえたのである。しかし、イエスはすぐ彼らと話し始めて、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。
6:51 イエスが舟に乗り込まれると、風は静まり、弟子たちは心の中で非常に驚いた。

今日の聖書箇所は、有名な、そして不思議なお話です。

イエスの弟子たちが、夜、湖の真ん中で、手漕ぎ船に乗ったまま、嵐に襲われて激しい逆風の中で進めなくなってしまった。夜が明ける頃、イエスが水の上を歩いて近寄っていかれ、弟子たちの船に乗られると激しい嵐が収まった、というお話です。

そのときイエスは、幽霊が来たと思って怖がって叫んでいる弟子たちに「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と語りかけます。夜の湖で、しかも激しい逆風で進めなくなってもう沈むかもしれないという大ピンチの中で、いよいよ最期のときか、向こうから来るのはお化けか幽霊か、と思ったら、救いの主だったわけです。今日読んだ『マルコによる福音書』の記述はこれで終わっていますが、同じ記述がある『マタイによる福音書』では、そのあとでペトロが同じように水面を歩こうとして沈みかけて「信仰の薄い者よ」と言われてしまうという場面もあります。

激しい逆風は、私たちが生きていく中でも吹き荒れることがあります。なるべく避けたいことですが、真っ暗な湖の真ん中で、どちらが岸なのか方向もわからなくなって、吹き荒れる逆風に沈みそうになる、といった場面に似た状況が人生の中で訪れることがあるかもしれません。本当にそうなってしまったとき、それでも沈まないで何とか進んでいくために、誰かの助けが必要となるようなときがあるかもしれません。

ピンチのとき、今にも沈みそうなときに、あなたに手をさしのべてくれそうな人たちが、きっとまわりにいます。そんなとき、その人たちの心の言葉をよく聞いてください。中には、甘く優しい言葉で近寄ってくるけれども、あなたを助けるよりも自分の利益を求めてあなたを利用したり、あなたを陥れたりする人もいるかもしれません。一方で、怖そうな顔であなたに厳しい言葉を投げかけながら、ほんとうにあなたのことを助けたり励ましたりしてくれる人もいるかもしれません。

私にとって、大学時代からずっとお世話になってきた先生が、まさにそのような人でした。卒業論文の下書きを「こんなのでは全然ダメだ」と突っ返され、大学院を出ても仕事先が見つからないでいたら「大学で教えていないのか? それじゃダメだ」と怒り、それでも、ご自身の非常勤講師の職を譲ってくださった方です。そして、これ以上は続けられない、もうダメだ、と思ったときに、「投げ出さないで研究をしなさい」と叱って、やがて今の職場に呼んでくださいました。ほんとうに厳しくて怖い方でしたが、私を生かしてくださった方です。私にとって、一番怖い人が、一番、助けてくれた人でした。

沈みそうになり、折れそうになっている人の傍らに歩み寄って、その人を助けてくれる存在は、必ずあります。でも、それがいつも優しく親切な表情で近寄ってくるとはかぎらないので、気づかないこともあるでしょう。ですから、沈みそうなときには、よく耳を澄ませてください。あなたを叱ったり怒ったりしているように聞こえる声が、ほんとうは「安心しなさい。私だ。もう大丈夫だ」と手を差し伸べてくれる人の声だということが、あるのです。ウィリアム・ジェイムズは人生を一本の鎖にたとえて、こう言っています。

「一本の鎖は、その鎖のいちばん弱い環ほどにも強くはない。そして、人生とは要するに一本の鎖なのだ。」(『宗教的経験の諸相』第六・七講「病める魂」)

一番弱っているとき、それでも何とか砕けないで自分自身を明日につないでいくようなぎりぎりの弱さが、その人のほんとうの強さです。そして、そういう強さは、その人の中からではなく、外から来ていることが多いように思います。あなたの人生の鎖の中で、ある輪が今にも砕けそうになったとき、必ず、あなたの人生という一本の鎖のなかの、そのもっとも弱い環をめがけて、嵐の中を歩いて助けにきてくれる存在があります。でも、それはときには怖そうな外見で、きつい言葉で、語りかけてくるかもしれません。ですから、心の耳でしっかり聞いてください。厳しい表情や怖そうな外見の裏側で「安心しなさい。私だ」と語りかけてくるようなそんな存在がきっといます。(村田)

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