*
個別記事ページ

バイブル✝タイム シェア5「人生の立ち位置」2019/4/16

カテゴリー:活動記録

「医者を必要としているのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マルコ2:17)

今回はイエスが徴税人レビを招かれた記事を通して、イエスが私たちに問われる人生の「立ち位置」について考え学びました。

当時のイスラエルでは、「徴税人」と呼ばれるイスラエル人がローマの請負人として自国の民から税金を取り立てていました。彼らは民の嫌われ者だったにもかかわらず、レビたちは仕事を続けていました。それだけ、今で言うところの「おいしい職業」だったのでしょうか。

一方、ファリサイ派の律法学者らは、自分たちの作った律法が守れない庶民を罪人呼ばわりしていました。彼らの律法は、こと細かな規則で出来上がっており、庶民にとって生活上どうしても守ることが出来ない無理難題ばかりでした。

そんな庶民をバカにしていたファリサイ派の人々は、愚かにも自分たちは「正しい」と思い込んでいる人間たちだったのです。

イエスはいつどんな時にも、弱い立場の人間の味方です。レビは嫌われ罪人扱いを受けていた、いわば光が当たらない側の人間です。そんな孤独なレビにも手を差し伸べられるイエスは、彼ら罪人にも光をお与えになられたのです。イエスが私たちに示された「人生の立ち位置」とはこういうことです。

私は、このイエスの「光」に憧れを持ちます。嫌われ者に「わたしに従いなさい」と仰ったのです。レビはどんなにか嬉しかったことでしょう。

イエスが行った愛の実践が、果たして自分にできるのか、私には全く自信はありません。しかし、だからこそ、イエスのなされた愛を常に理解し少しでも近づきたいと、福音書を読んで学び続けたいと願います。その努力の過程にクリスチャンとしての自覚を感じたいのです。

終わりに、今回教えていただいた、あるクリスチャンの言葉をお伝えします。

「ある人々は教会やチャペルの鐘の音が聞こえる範囲内に住みたいと願う、わたしは地獄の庭のなかで救済所を開きたい。」

主に感謝。(Y)

このページの先頭へ