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バイブル✝タイム ルカ通読8【2:39-52】2019/12/3

カテゴリー:活動記録

「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」(2:49)

今回は12歳のイエスが登場します。

イエスは成人式(当時のユダヤ男子は13歳)を翌年に控え、過越祭のため両親とともにエルサレムに上られました。その帰り道、イエスとはぐれてしまった両親は慌ててエルサレムに戻ります。

そして、「三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられる(2:46)」少年イエスを見つけたのです。

その時マリアは「お父さんもわたしも心配して捜していたのです(2:48)。」とイエスを叱りました。

ところが彼は、「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか(2:49)。」と逆に問われたのです。

両親とイエスの姿はとても対照的です。実際、両親はイエスの言葉も姿も理解出来なかったのです。

加えて記事では、共に神殿で討論していた律法学者らがイエスの知性や理解に驚いている様子も表されています。(2:47)

私は今回、12歳のイエスが既に自分の使命を理解していたことを知りました。キーワードは「自分の父の家」です。彼は父(神)との個人的なつながりを意識できる段階に達していたのです。「家」と訳されている言葉は単なる指示代名詞ですので、「家」以外にも「役割」みたいな感じで訳される場合もあるそうです。

さて、マリアはこの出来事を心に納めました(=しっかりと記憶した)。私たちも、この日、過越祭に拝した少年イエスこそ、私たち人類の贖罪のため神様から与えられた小羊(捧げもの)だったことを忘れてならないと思います。

これから約20年後、律法学者や権力者たちに「神を冒涜した」という罪で十字架に処されたイエス・キリスト。

今回の聖書箇所は、生涯にわたる「神の子」イエスの生き様をあらわす重要な記事であると私は思いました。

次回も記事の場面をイメージしつつ、自分なりのイエス・キリスト像を求めて学んでいきたいと思います。(Y)


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