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今年度初の聖歌隊ブログです。

私達聖歌隊は、毎週月曜日の昼休みに、チャペル1階の「マタイホール」という部屋で練習をしています。メンバーは1年生3名、専攻科1名の計4名です。少ない人数ですが、和気あいあいとした雰囲気が自慢です。

去る6月22日(水)の礼拝では、早速練習の成果をということで、聖歌482番「いつくしみ深き」のアルトパートを歌いました。他の学生や教職員がソプラノを歌う中で、聖歌隊のアルトが重なって厚みのある音になりました。終了後、メンバーが録音していた演奏を皆で聴いて、「うわー!」という声が上がりました。「音が外れているところがあるね。」「もっと練習しよう。」という反省も聞かれました。

この写真は、昼休みの練習風景です。これからも地道に練習を続けていきたいと思います。(柴田)

「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」
(マタイによる福音書18:20)

【ヘブライ人への手紙 12:11】
およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。

明日は七夕です。この七夕に関連させるつもりで本日の聖書を選びましたが、七夕と鍛練とにどういう関係があるかというと、7/7に機織りや書道などの芸事の上達を願う中国の祭が、短冊に願い事を書く習慣に変化して今に伝わったというのです。つまり、願い事を書く前提として、「鍛錬します」という決意表明が短冊には込められているということです。「ケイコとマナブ」という名の雑誌がありましたが、稽古と学習に関係する脳の部位は違っているそうで、それで、勉強が不得意でもピアノの練習は大好きというようなことが起こるということです。

さて、幼稚園や保育園ではたいていは七夕のお祭りをします。小さな笹を持って家に帰る園児を見かけるのも今の時期の風物詩の一つです。織姫星と彦星が天の川を挟んで美しく輝く時でもありますが、私は沖縄県の宮古島とフィリピンで、闇の部分よりも星の方が多くの面積を占める様な美しい夜空を見たことがあります。

新潟の上越にある某スーパーでは、その地域の幼稚園や保育園ごとに竹が用意され、それに園児が飾りをするというイベントが行われていました。そして、七夕祭、お盆の夏祭り、花火大会という流れが毎年繰り返されるのです。子どもたちはこれらの習慣を通して色々なことを学んでいきます。保育の職業を目指す多くの皆さんも、将来のために、こういった行事を大切にして欲しいと思います。(チャプレン)

織姫星(中央上部)と彦星(右下部)

【コリントの信徒への手紙一 3:6-7】
わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。

うっとうしい梅雨の天気が続いていますが、田んぼの稲の苗がすくすくと成長している様を見ると心地良い気分になれるものです。本日の聖書の言葉がぴったりです。いつの間にか大きくなっていく稲。人が苗を植え、神がそれを育ててくださるのです。

さて、本学に入学した皆さんもこの3ヶ月余りで色々と成長したことと思います。年を取ってからの成長に較べると、若い皆さんの成長は大きいものです。子どもに至ってはもっとです。子どもが幼稚園や保育園に入ると、生活環境が「家」から「外」へと激変するので、それだけでも成長のきっかけになります。入園以前は、家の中で、周りが自分中心に動いていたような状態が、たくさんの友達がいるために自分の思い通りにならないような状況に変化するのですから、子どもにとっては大変です。そのうち、外遊びが増えてくると状況はもっと複雑になっていきます。ちなみに、滑り台、ブランコ、ジャングルジムの中で、子どもはどの順に遊べるようになるかというと、答えは、滑り台、ジャングルジム、ブランコです。動くものを思い通りに使いこなすことが難しいわけです。それでも、年上に教えてもらったりしながらブランコに乗れるようになっていきます。何かができるとその次の段階に進みたくなるという好奇心が子どもには旺盛です。大人は疲労などが原因で、いつも好奇心を保っていられるわけではありません。

皆さんに、新しいことへの挑戦をし続けて欲しいという思いから、今日はこのような話をしてみました。(チャプレン)

ドクダミ

【マタイによる福音書5:9】
平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。

今日は、明日6/23の沖縄戦終結の日のお話がしたくて、本日の聖句をこのように選びました。

第二次世界大戦に関わる重要な日としては、他に8/15の終戦の日、8/6の広島原爆投下の日、8/9の長崎原爆投下の日が重要です。沖縄戦終結の日はこれら3つに較べるとやや知名度が低いかもしれませんが、しかし、日本国内の地上戦によって、軍人だけでなく多数の民間人が犠牲になったという点で、この沖縄戦は、日本人全員が決して忘れてはならない日です。忘れないことで、「戦争は起こさない」という気持ちと、武力に頼らずに交渉力で解決するという意識を持ち続けることができるからです。

先の東日本大震災でも同じことが言えます。福島の原発事故が原因で避難生活を余儀なくされている人は今も何万人もいます。これなども忘れ去られていく傾向にありますが、原発は本当に必要なのかということを考え続ける意味では、本当に残念なことです。

こういった大切な記憶を失っては、将来にわたり良い判断はできないと思います。

さて、平和とは何でしょうか。難しい問題かもしれませんが、ここに持って来た絵本『へいわってすてきだね』に一つの答えがあります。これは、2013年、沖縄県平和祈念資料館が募集した「平和のメッセージ」への応募作品の中で、小学校低学年の詩の部門最優秀賞に輝いた、当時小学校一年生の安里有生(あさとゆうき)くんの詩を絵本にしたものです。

へいわってなにかな
ぼくはかんがえたよ
おともだちとなかよくし
かぞくがげんき
えがおであそぶ
ねこがわらう
おなかがいっぱい。
やぎがのんびりあるいてる。

〈『へいわってすてきだね』(詩/安里 有生 画/長谷川 義史 出版社/ブロンズ新社)より抜粋〉

この詩のすばらしいのは、人の間に戦争がないというだけではなしに、すべての生き物が楽しそうに暮らすことを含めた状態を平和と捉えている点だと思います。このように物事を広く考えることも大切です。

来月7/10は、18歳にまで引き下げられた選挙権が初めて適用される日です。皆さんもぜひ選挙に参加して、平和を考えるきっかけにしてみてください。(チャプレン)

カシワバアジサイと体育館

6/1の同窓会企画の第2弾です。前回は保育科2年生の実習期間中であったため、今回はその2年生を対象に企画されました。

前半では、楽器の詳しい説明を聞きながら音楽を楽しむことができました。前回のオンド・マルトノに加え今回はテルミンが登場です。オンド・マルトノには鍵盤や弦が備わっていましたが、テルミンには2本のアンテナだけしかついていません。それに向かって指揮者が指揮棒なしに指揮をするような格好で手を動かすと電子音が出るという仕掛けで、映画『のだめカンタービレ』にも登場したそうです(ちなみに、私は映画『FRANK‐フランク‐』で初めてこの楽器を知りました)。演奏者の方が楽器を解説している間に、ウチの教員と学生が操作を体験して会場は大いに盛り上がりました。音楽会終了後にも大勢が体験することができました。まさに魔法の楽器という感じでしたね。なお、ヴァイオリンの詳しい解説もありましたので、全体にバランスのとれた内容だったと思います。

音楽会後半は、あの有名な『ごんぎつね』をプロの俳優さんが生演奏をバックに朗読するという、まことに贅沢なひと時でした。メリハリのある美しい朗読に会場は完全に魅了された感じでした。前回の声楽にも言えそうですが、「人間の声」の奥深さに、ひょっとすると楽器も敵わないのでは、と思えるほどです。

同窓会の皆さんにあらためて感謝です。このような文化企画が本学から周辺地域へと発信されていくようになるとステキですね。(加藤)

イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。
そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。
(マタイによる福音書3:16-17)

【プログラム】

●楽器は不思議?

1.ヴァイオリン*愛の挨拶(エルガー)
2.オンド・マルトノ*満月(原田 節)
3.テルミン*星に願いを(ハーライン)
4.リベルタンゴ(ピアソラ)

●朗読の醍醐味~ごんぎつね~

音楽朗読「ごんぎつね」(坪内浩文作曲)

(アンコール)情熱大陸(葉加瀬太郎)

【出演者】

〈フロー♪アンサンブル〉
末吉康治さん(朗読)
横田真規子さん(ヴァイオリン)
坪内浩文さん(オンド・マルトノ)
市橋あゆみさん(ピアノ)

【マタイによる福音書22:35-40】
そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。
「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」
イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
これが最も重要な第一の掟である。
第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』
律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」

本学の礼拝式文には、終わりの方に「折々の祈り」が設けられています。以前より、東日本大震災被災者のための祈りを中心にして皆さんと共に唱え続けていますが、大勢で一緒に祈るということに、実は大きな意味があります。つまり、個人的な希望や悩みについて祈って、それが適えられそうにない時にでも、他の人が一緒に祈ってくれたなら、何かしら癒しのようなものが与えられる、といったようなことがあるからです。

本日の福音書に「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして」と強調されている通りです。学生の皆さんは授業に追われているせいで、普段は「学ぶ/考える」ことに頭を使いがちでしょうが、「思う/願う」ほうにも時間を使いたいものです。そこには「神に祈る」ことも含まれますが、その神には、神ご自身の思いがあります。神はこの世のすべてを作って良しとされました。ですので、この世にあるすべてのものを大切にすることは神の思いに適う行為であり、これがすなわち「隣人を愛しなさい」というイエスの言葉につながるわけです。

神の思いに適う人になるためにも、「隣人を愛する」ことに励みたいものです。(チャプレン)

マリーゴールド

昨年に引き続き、今年もAJUの皆さんのお話を聞く機会が、合同礼拝の後に奨励奨学生表彰式を挟んで与えられました。主に感謝です。

内容は昨年と重なる部分もあったので、こちらの記事もご覧ください。

AJUは現在120名ほどの職員で運営され、そのうちの25%が障がいを持った方々だそうです。「楽しくなければ福祉じゃない!」を合言葉に、障がい者自身が自己選択と自己決定できるための支援活動を25年以上にわたり続けておられます。AJUサマリアハウスの活動はその典型的な例で、今回の講演会でも詳しく取り上げられ、今年からここに入居された方のお話も聞くことができました。

「障がい者の下宿屋」とも呼ばれるサマリアハウスですが、ここは、将来、自立した生活を目指す障がい者が、その準備期間として最長4年間、自立生活を経験する場所です。ここを巣立った皆さんはすでに100名を超えているそうです。

ここで言う障がい者の「自立」という意味ですが、もちろん、介助者の支援なしでは自立生活は成り立たちません。AJUでは「自分ひとりでやれなくても、自分の意思で介助者に頼んでやれたら、それは自分がやったこと」という考え方のもと、支援する側ではなくて支援を受ける側を徹底的に配慮する姿勢を貫いておられるようです。他にも「重度障がいのある人は、あたり前の経験をしてきていない、経験する機会を奪われてきた」、「今まで失ってきた自信やプライド、権利を取り戻し、一人の社会人としてアイデンティティーを確立し、地域生活を目指す」、「障がいはその人に原因があるのではなく、社会が障がいを生み出している」といった考え方にも、その姿勢が鮮明に反映されています。

ゆるぎない基本姿勢があるからこそのAJU。本学もこれを大いに参考にしながら、地域に根差した短大としてAJUさんと共に歩んでいけたら幸いです。(下の地図はAJUさんのウェブページから拝借して、本学の位置を入れ込んだものです。)

イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。

ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、
近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
(ルカによる福音書10:30-34)

昨年度の観劇会に引き続き、同窓会(のぞみの会)企画が礼拝後にもたれました。

今年度の企画は「フローアンサンブル」の5人の皆さんによる音楽会で、演題は「音楽の時間 ~音楽・歴史の旅~」です。中世から現代にいたる音楽の歴史を、演奏と解説を交えて1時間ほどにまとめたものでした。楽曲自体の美しさ/楽しさに加え、音階の説明とか「オンド・マルトノ」という不思議な楽器の披露もあって、それはそれは中身の濃い時間でした。演奏者の方々の表情も豊かで、語りにユーモアがあふれていました。

まさに「音」に「楽」しんだ1時間。

保育現場に就職する多くの学生さんたちには、今回の演奏者の皆さんたちが良いお手本になったと感じました。歌とかピアノの技術は、楽しく活かしてこその技術なのかもしれません。

同窓会の皆さんによる企画によって、本学の文化的風土がより一層豊かになりつつあります。(加藤)

イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。(ヨハネによる福音書 6:35)

【曲目】

アヴェ マリア(シャルル・グノー)
聖ヨハネ讃歌(グイード・ダレッツォ)
庭の千草(アイルランド民謡)
みかんの花咲く丘(海沼實)
落葉松(小林秀雄)
オペラ「蝶々夫人」から「ある晴れた日に」(ジャコモ・プッチーニ)
ラ・ダンツァ(ジョアキーノ・ロッシーニ)
月に憑かれたピエロ(アーノルド・シェーンベルク)
ミュージカル「オペラ座の怪人」から(アンドルー・ロイド・ウェバー)
ミュージカル「ウエストサイド物語」から「トゥナイト」(レナード・バーンスタイン)
〈アンコール〉
タイム トウ セイ グッバイ(フランチェスコ・サルトーリ)

【出演者】

〈フロー♪アンサンブル〉
本田美香さん(ソプラノ)
笠木厚憲さん(テノール)
横田真規子さん(ヴァイオリン)
坪内浩文さん(オンド・マルトノ)
市橋あゆみさん(ピアノ)


【マタイによる福音書22:35-40】
そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。
「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」
イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
これが最も重要な第一の掟である。
第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』
律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」

イエスの時代、イスラエルの人々は500以上の律法に縛られる生活をしていたといいます。この律法とは、具体的には旧約聖書のレビ記とか申命記に記されているものですが、今日の福音書に登場する律法の専門家は、現代の法律家同様に、その律法の運用に詳しい人たちでした。その一人がイエスに向かって、最も重要な律法は何かと問いかけたのです。

イエスは「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」と答えます。神を愛することこそが最も重要であるのは誰にでも分かる話ですが、ただ愛するのではなく、イエスは「心」と「精神」と「思い」という、似たような三つの言葉を使って念を押しています。つまりイエスは心の奥の深いところを問題にしているということです。建前ではなく、自分の心の全てをかけて神を愛し、そして祈る。そうすれば祈りは聞き入れられるということでしょう。

続いてイエスは「隣人を自分のように愛しなさい」とも答えます。隣人というと一般的には身近な人々ということになりますが、神がこの世界を作って、そこに人間を住まわせてくれたことを考えると、隣人とは、もっと広い意味で、人以外の動物や植物などを含めた自然界全体をさしていると思われます。たとえば、原発事故で放射能が人に害を及ぼしたような場合、被害は動物や植物、土、水などにも及んでいることに気遣うことが大切になります。

人間だけの都合を優先しないよう、神に向かって心を込めて祈ってみてください。(チャプレン)

ヒペリカム・ヒデコートと1号館

【ルカによる福音書 11:1-4】
イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。
そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、/御名が崇められますように。御国が来ますように。わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。わたしたちの罪を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」

本日は、毎回の礼拝で唱えている「主の祈り」についてお話します。イエスが弟子らに教えた祈りは、聖書では、これ一つしか記されていません。

(主の祈り)
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン

先ず、天の見えないところにいる神に向かって、イエスは「父よ」と語りかけます。イエスにとっては父ですが、他の人にとっては母かもしれませんから、神に父母の区別はありません。また「わたしたちの父」とありますから、この祈りは皆で一緒に唱えることが前提とされています。続く「み名が聖とされますように」には、神のお名前が皆に共通して受けとめられことの必要性が示されます。そして「み国が来ますように」と「みこころが行われますように」には、神のお考え通りの良い世の中になって欲しいとの願いが込められています。

以上までが、世の中全体についての祈りですが、後半はどちらかというと個人的な祈りになります。先ず、「食べ物を与えてください」と率直ですが、今から2,000年前のイエスの時代は、今とは比べ様もないほど貧困であったことを想像しなくてはなりません。次はキリスト教の中心課題である「罪」について、「ゆるしてください、わたしたちも人をゆるします」と祈られます。そして、「誘惑」に負けて悪い考えを持つことがないようにとの願いの後、最後に、この世は全て神の所有物であることが「国と力と栄光」という言葉で確認されて、主の祈りが終わります。「アーメン」は「心から願います」との念押しです。

これらのことを心に留めながら、「主の祈り」を唱えてみて下さい。(チャプレン)

ツツジと1号館

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