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大学礼拝 2016/1/6

カテゴリー:大学礼拝

【ヨハネによる福音書14:27】
わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。

明けましておめでとうございます。

大晦日から除夜の鐘を聞き、年明けには初詣に行く多くの日本人は、おもしろいことに、この時期、仏教と神道の風習を分け隔てなく守っていることになります。教会では1月1日を「主イエス命名の日」と定めて、イエスが生まれてから8日目に名前が与えられたことを記念します。一方、本日1月6日は「顕現日(けんげんび)」と呼ばれていて、キリストの降誕劇に登場した、あの東方の三博士がイエスを拝みに来たできごとを記念します。この三博士、一説ではアジア人、アフリカ人、ヨーロッパ人の三人を表すそうで、これによって、ユダヤ人以外の人々にもキリストとしてのイエスが現れた、つまり、すべての人々に救いがもたらされたことを象徴しようというわけです。

さて、イエスは、その教えの中で、世界が平和であるよう、隣人と共に生きることを私たちに強く求めました。

今の世の中を見渡すと、平和とは程多い現実が広がっています。それから逃れようとする大勢の避難民がヨーロッパに救いを求めているニュースが昨年から報じられていますが、もともとヨーロッパの国々では外国人が人口比で5から6パーセントを占めているそうです。日本はどうかというと、現在200万人程度だそうで、人口比でいうと2パーセントくらいです。数字の大きさに関わらず、外国人を受け入れている地域では、どのようにしたら互いに隣人として共に暮らせられるかという課題が生じます。その成功事例が、あるテレビで報道されていましたが、ゴミの分別とかの生活習慣を外国人へいかに伝えるか、色々と工夫しているようです。

私も以前、幼稚園に勤務していた時に、外国人の子どもを受け入れたことがあります。日本語を話せない子どもだったのですが、幼稚園では体を動かしながら学ぶことが多いので、教えるのに困るようなことは少なかったです。これが、小学校になると、座学が増える関係で、日本語の話せない子どもには色々と困難が伴うようです。柳城短大の皆さんも、将来、保育現場で外国人の子どもに接することがあるかもしれません。

これらの話から、隣人と共に平和に暮らす意味を心に留めていただきたいと思っています。

シュロチク

 

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