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16:30から1号館玄関ロビーにて、恒例の点灯式を行いました。

命の象徴であるツリーに「灯」を入れることで、クリスマスの意味を再確認しながら、イエス・キリストの誕生の恵みに対して感謝の祈りをささげました。

このツリー以外にも、学内では、クリスマス展がすでに開催されているし、クリスマスリースやアドベントカレンダー、折り紙クリスマスツリーなども飾られていて、ムードはすでにクリスマスを迎える準備に入っています。

さて、大西チャプレンからは、このツリーが、創世記に登場する「命の木」につながっているとのお話がありました。

場所はエデンの園。その中央に生える「命の木」と「善悪の知識の木」は特別な樹木です。「善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。(創世記2:17)」という神の命令に違反したアダムとエバに対して、神は「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。(同3:22)」と判断して二人を園から追放します。

「永遠の命」はイエスが語る大切なテーマの一つです。なかなか実感できない言葉ですが、死が間近に迫る時には、かなり真剣に意識できるかもしれません。そんな時になって慌てないよう、日頃からイエスの言葉に耳を傾けておきたいですね。(加藤)

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3:16)

16:30から1号館事務室前で厳かに行われました。

裏番組で就職オリエンテーションが行われていたためか、参加人数は少なめでしたが、ロウソクの灯とツリーのイルミネーションとがとてもキレイで、人数のことなど、どうでもよしって感じ(^_^;) 

式中、クリスマスツリーに関して、大西チャプレンがステキなお話しをしてくださいました。

①ドイツでの話。
伝説によると、幼児を巨木のための生け贄(え)にしていた人々に向かって、キリスト教のある宣教師が「神は生け贄など必要としない。むしろ、神が私たちのために救い主である御子をくださったのだ。」というようなことを語ったのがツリーの起源だという。


・クリスマスツリーに用いる木は常緑樹。つまり「いつも緑色」だから「永遠の命」を表す。
・ロウソク(LED電球)は世を照らす光、イエス・キリストへの「信仰」の表現。
・てっぺんの星はベツレヘムの星、つまり、人々を幼子イエスの居場所に導いた「希望」の星
・赤いリンゴ(オーナメントボール)の赤色はイエス・キリストが十字架で流した血、つまり「」を表す。

お祈りの後はコーヒータイム。喜びを分かち合いました。
いつもながらの柳城らしい和やかで楽しい点灯式。
イエスも喜んでくれたでしょうね(^o^)/

【ルカによる福音書】
5:33 人々はイエスに言った。「ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています。」
5:34 そこで、イエスは言われた。「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食させることがあなたがたにできようか。

「その1」の続き

【有志学生さんの感想】

ピアノを人前で弾くことはあまりないから緊張しましたが、今回はこのような企画に参加できてとてもいい体験ができました。中高生のときとはまた違い、より静かな空間の中でお祈りができてよかったです。普段礼拝に来ない人も多いし、この日も学生が少なかったのはとても残念だけれど、久しぶりにシスターにもお会いできたし嬉しかったです。(N)

私は朗読係を担当しました。緊張しましたが、来てくださった皆さんと同じ時を過ごせて嬉しかったです。お越しくださった皆様、開催に協力いただいた学校やマタイ教会の皆様、この集いに一緒に取り組んだ皆様、本当に有難うございました。(H)

祈りの集いに御誘い頂けたこと感謝します😌 誘われなければ出会わなかった方達もいます。私の歌声を評価してくださり、ありがとうございました。とても嬉しかったです。そして楽しかったです! この集いで感じたこと、みんなと過ごしたことを忘れません😂(T)

みなさんとともに祈りの思いを分かち合うができました。上から見たキャンドルの美しさと清らかな空気を忘れることはないでしょう。賛美する喜びを知った日となりました。ありがとうございました。(Y)

クリスマスツリー点灯式の記念企画を2年前から行ってきましたが、今年はテゼの楽曲を用いた「黙想と祈りの集い  ~テゼの歌とともに」にチャレンジしました。保育科2年の学生さん4名による有志企画です。

きっかけは八事聖霊修道院の「賛美の集い」にセンタースタッフ1人が2年程前からプライベートで参加していたことでした。この清くて静寂な集いを柳城でも実現させたいという気持ちが高ぶり、ずっとアイディアを温めてきたのです。それで、今年のXmasミニコンサートが残念にも開催不可能になったことが逆にチャンスとなり、本企画を実現させようとの動きに繋がったというわけです。

幸いにも本学で洗礼/堅信の恵みに預かった学生さんの協力が得られ、話が一気に現実味を帯びてきました。これが今年の7月頃のことです。この学生さんにとっては洗礼を受けたことへの証にもなるということで、彼女は積極的に仲間を募ってくれました。そして10/3に4名からなる準備チームが結成され、特設LINEも立ち上がったのでした。

有志4名は総指揮&BGM、独唱、伴奏、朗読の4パートに分かれ、個人がそれぞれの練習に入りました。なお、シナリオはセンタースタッフが担当しました。全体リハーサルを4回行い12/7の本番に備えました。その間、キャンドル作りやBGMの選曲、チャペルの雰囲気作りなど細々とした作業も続きましたが、伴奏楽器の選択に一番苦労しました。チャペルのオルガンでは音が大き過ぎたからです。結局、キーボードに頼ることにしました。テゼの集いでは、ギターを使うのが一般的ですが、今回は聖霊修道院に準じました。まあ、人間の声がメインですので、伴奏は手軽な方が企画としては長続きしそうですね。

今回は日本聖公会中部教区の名古屋聖マタイ教会と教区センターのご協力も得られました。特に教区センターのスタッフの方には集いのお手伝いと宣伝をしていただきました。感謝です。

なお、開催当日、八事聖霊修道院から8名のシスターさんにご出席いただいたおかげで、集いが一層清らかなものになりました。終了後に設けたティーパーティーにも参加していただき、準備チームリーダーの手作りアップルパイも飛び出して、何だかすべてが満たされた感じがしました。

さて、今回の集いのテーマは「イエス・キリスト降誕の意味」です。キーワードは「わたしの息子なら敬ってくれるだろう(マルコ12:6)」。「ぶどう園と農夫のたとえ」(マルコによる福音書12:1-9)を用いて、神が私たちの成長に期待をかけてくださっていることが強調されました。信徒/未信徒の区別なく、イエス・キリストを人として見つめ、その教えのヒューマニズム的要素を学ぶことがどれほど重要か。有志学生メンバーは全員、主から与えられた力を十二分に発揮して、このメッセージを見事に参加者へ届けてくれました。

闇の中に美しく輝くキャンドルと清らかに響くテゼの歌。この雰囲気の中で流れる黙想と祈りの時間は、それを繰り返すことで人を人格的に整えてくれるはずです。柳城短大の重要イベントに成長するよう願ってやみません。主に栄光 (加藤)

★「その2 スタッフさんの感想」はこちら

「ぶどう園と農夫」のたとえ(マルコによる福音書12:1-9)

12:1 イエスは、たとえで彼らに話し始められた。「ある人がぶどう園を作り、垣を巡らし、搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。
12:2 収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を受け取るために、僕を農夫たちのところへ送った。
12:3 だが、農夫たちは、この僕を捕まえて袋だたきにし、何も持たせないで帰した。
12:4 そこでまた、他の僕を送ったが、農夫たちはその頭を殴り、侮辱した。
12:5 更に、もう一人を送ったが、今度は殺した。そのほかに多くの僕を送ったが、ある者は殴られ、ある者は殺された。
12:6 まだ一人、愛する息子がいた。『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後に息子を送った。
12:7 農夫たちは話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』
12:8 そして、息子を捕まえて殺し、ぶどう園の外にほうり出してしまった。
12:9 さて、このぶどう園の主人は、どうするだろうか。戻って来て農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。

Xmasツリーの点灯式は、今年も静かに行われました。

最近のスマホは実に写真の出来がよくて、私の様な素人でもこんな感じに撮れてしまいます。もちろん、肉眼でこんなふうには決して見えません。

ネット上で写真が飛び交う時代です。メラビアンの法則は誤解されて流布されているそうですが、それでも、視覚に訴える情報には確かに説得力があります。

イエス・キリストは偽善を嫌いました。見た目よりも心を大切にされた方です。

クリスマスのこの時期、彼の誕生を祝うとともに、彼のお人柄を心静かに思い起こす日々を過ごしたいものです。(加藤)

律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。
このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている。【マタイによる福音書23:27-28】

記念企画の方もご覧ください

 


昨年に引き続き、Ontoh(オントー)の皆さんをお招きできました。

チャペルでの出演がたいへん楽しみだったようで、その気持ちが演奏と響き合い、聴衆側へも十分に伝わったような感じがしました。開演時間が5時限後だったため、教員の皆さんが、暗くて寒い中、帰宅しようとする学生さんをチャペルに誘導すべく必死で声かけをして下さいました。結局、大入りとはいきませんでしたが、暖かいチャペルの中で皆の温かい気持ちが一つになったようです。

曲目はクリスマスソングを中心に様々なジャンルの曲が組み合わされ、さらに曲間に入る若々しいウンチクトークが結構為になって、ヤングな演奏家をお招きする狙い通りの展開になったと思います。極めつけはアンコール曲が中島みゆきの『糸』であったこと。「縦の糸はあなた  横の糸は私  逢うべき糸に  出逢えることを  人は仕合わせと呼びます」と結ばれるこの曲に込められたOntohの皆さんの思いはいかばかりか。その気持ちをそっちのけに、「糸」を十字架の「木」に読み替えて、思いつきのクリスマスメッセージをしてしまい、少々反省しています。

神は、その愛を、太陽の光のごとく、すべての人に降り注ぎ、私たちを招いておられます。それに気づくか気づかないかが運命の分かれ道。神の道に入るのに苦行/修行みたいなものは必要ないと思います。今日のコンサートのように、チャペルに集った全員を楽しい気分でさせてくれたのも神のお恵みです。感謝しつつ、このような楽しいミニ企画がたくさん私たちに与えられ、神の愛の光が名古屋柳城短期大学の隅々にまで照らされることを祈りたいと思います。(加藤)

イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」
【ヨハネによる福音書8:12】

名古屋柳城短期大学のクリスマスシーズン到来を告げる恒例の行事が行われました。

点灯式は毎年と同じパターンでしたが、忙しいスケジュールの合間を縫って駆けつけてくれる学生さんが本当に素敵でした。今年は、式の後にコーヒータイムが設けられて、ホッと一息。参加者が一つになってクリスマスの温かみを共有できたような気がします。

本学には、大きなツリーやまばゆいばかりのイルミネーションもありません。それに代わる何かが与えられることを祈りつつ、神の御心に適う範囲で名古屋柳城短期大学らしいミッションが展開していけたらと思います。(加藤)

イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」イエスは言われた。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」

【マルコによる福音書13:1-2】

Xmasツリーの点灯式の後、18:20からチャペルでXmasミニコンサートを開きました。

本学の同窓会のご協力を得て、他大学から5名の演奏者をお招きできました。皆さん、音楽の専門教育を受けておられる方ばかりで、そのみごとな演奏に、本学の音楽担当教員も絶賛されていました。ステージの出で立ちも優雅でしたし、仮面やXmas衣装の小道具がスパイス的に効いていました(掲載した写真の出来栄えが悪くてすみません)。

演奏後の感想を出演者に尋ねたところ、一つはチャペルの雰囲気、もう一つは聴衆の大多数である本学の学生さんがアットホームであった点を挙げながら「本当に心地よかった」というお返事をいただきました。

主催者側からは、次の聖句によるXmasメッセージをエンディングに付け加えさせていただきました。この箇所はたいへん重要で、聖書の中心であると考える人も多い所です。

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネによる福音書3:16)

わたしたちが信じる/信じないに関わらず、神は全ての人々を愛しておられます。その徴として神はイエス・キリストをこの世に送って下さいました。空気みたいな存在である(つまり、生きるに不可欠な割には意識されにくい)この愛に気付くことができるような、そんな本当のクリスマスを迎えたいものですね。

今宵のコンサートも、まさしく神の愛によるプレゼントでした。感謝です。(加藤)

 

 

16:45から玄関ホールにてXmasツリーの点灯式を行いました。

祈りと聖歌が神に捧げられました。用いられた聖書は「ヨハネによる福音書」の1章1節からです。

1:1 初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。
1:2 この言は、初めに神と共にあった。
1:3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
1:4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
1:5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
1:6 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。
1:7 彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。
1:8 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。
1:9 その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。

最初の1節は、ご存知の方も多いのではないでしょうか。この「言」はギリシャ語の「ロゴス」を訳したもので「宇宙の摂理」といった内容です。著者のヨハネは、このロゴスを「神」、「命」、「光」、「イエス・キリスト」といった言葉に置き換えながらイエス・キリストのご生涯とその存在意味を私たちに伝えようと一生懸命でした。目に見えない世界の話を伝えるのですから、文章が詩的になって分かりにくくなるのは仕方がないことでしょうね。

クリスマスシーズン中、あちこちで見かけるロウソクやLEDのイルミネーションは、混沌とした世間の暗闇をさまよう私たちを真実へと導く、イエス・キリストからの道しるべの象徴です。その光を灯す意味を、今一度心に留めた今日の点灯式でした。主に感謝です。(加藤)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。
(ルカ1:30-32)

保育科の1・2年生の実習が終わって12月に入りました。学生たちが戻ってきたキャンパスはいつもの活気を取り戻しただけでなく、クリスマス・アドベントを迎えて、ふだんとは違った特別な雰囲気が漂うようになりました。

12月2日の日没時に、正面玄関のホールで、田中誠チャプレンの司式のもと、学生と教職員が集ってクリスマス・ツリーの点灯式が行われました。わずかに残った夕日の残照をたよりに聖歌を歌い、いよいよ次第に夕闇が濃くなっていく中で、手にしたろうそくに火を灯すと同時に、ツリーに灯りが点きました。ろうそくの火とツリーの灯りの中で聖歌を歌いながら、一年じゅうでもっとも夜が長く闇が濃くなるこの時期に、闇の中で光が灯り、いのちと希望の輝きが私たちの心に復活するクリスマスの奇跡を感じました。

ツリー点灯式から、柳城短大のアドベントが始まります。手づくりのオーナメント(ツリー飾り)で飾られたクリスマス・ツリーが来校される人を出迎え、学内の至る所に手作りのリースや各国の降誕人形が飾られます。思いがけないところに貼られているアドベントカレンダーを見つけて、毎朝、一番に来た人がその日の窓を開けるという楽しみもあります。図書館ではクリスマス絵本の展示も始まりました。

チャペルでは、アドベントクランツのろうそくが灯り、常緑樹の緑と手づくりのリースが飾られて、主の降誕を静かに待ち望んでいます。そして、毎年恒例となった、柳城短大のクリスマス展がチャペルの礼拝堂で展示されています。キャンドルタワー、サンタクロースの煙出し人形やマトリョーシカ、クリスマス記念の珍しい外国の切手、そして、クリブと呼ばれる各国の降誕人形など、クリスマスを祝う手作りの木の玩具がたくさん展示されています。

チャペルでのクリスマス展は、来年1月6日まで開催されます。見学をご希望の方は、キリスト教センターまでご一報ください。(村田)

 

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