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カテゴリー:礼拝 の記事一覧

12月18日(火)に行なわれた礼拝の模様をお届けします。

●前奏:扶瀬ゼミ学生によるハンドベル演奏「牧人ひつじを」

 

●点火の祈り
「義の太陽であるキリストが皆さんを照らし、行く道の闇を取り除いてくださいますように。」

 
 

●聖歌  第69番「もろびとこぞりて」

●ページェント:柴田ゼミ学生、「キリスト教保育」受講生

1 受胎告知
2 ベツレヘムへの旅
3 野の羊飼いと天使
4 み子の誕生と羊飼いの礼拝
5 占星術の博士たちの礼拝

 
 
 
 
 
 

●福音書【ヨハネによる福音書 1:1-5、14】
1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
1:2 この言は、初めに神と共にあった。
1:3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
1:4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
1:5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
1:14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

 

●クリスマスメッセージ:チャプレン 主教 大西 修
こちらでご覧ください】

●ハンドベルによる演奏:扶瀬ゼミ学生
「いのちの奇跡」
フルート:中西 美月 マリンバ:広瀬 美月 編曲:扶瀬 絵梨奈

 

●聖歌 第76番「かいばおけの干し草に」

●奉献の祈り

●聖歌 第91番「荒野のはてに」

●聖歌「おほしがひかる」

 

●主の祈り(起立のまま)
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧(かて)を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン

●諸祈祷(起立のまま)

・名古屋柳城短期大学のための祈り
・東日本大震災と熊本地震を受けて―祈りをともに
・アッシジの聖フランシスの祈り
あなたの平和を人々にもたらす道具として、
わたしをお使いください。
憎(にく)しみのあるところに愛を、
不当な扱いのあるところにはゆるしを、
分裂のあるところには一致を、
疑惑のあるところには信仰を、
誤っているところには真理を、
絶望のあるところには希望を、
暗闇(くらやみ)には光を、
悲しみのあるところには喜びを、
もっていくことができますように。
慰(なぐさ)められることを求めるよりは慰めることを、
理解されることよりは理解することを、
愛されることよりは愛することを、
求める心をお与えください。
私たちは自分に死ぬことによって自分を見いだし、
自分自身に死ぬことによって
永遠のいのちをいただくのですから。

●祝祷

●特別活動奨励奨学生・課外活動団体の表彰式(一同着席)

●聖歌 第81番「神には栄え」

●後奏

 

✝ ✝ ✝

福音書を読めば分かる通り、イエス・キリストは約3年間の宣教活動を通して、人類にまことの愛を教えてくださいました。だから、クリスマスはその愛を一年で一番熱心にチャレンジする日ではないでしょうか。たとえイエスを知らなくても、この日に何らかの愛が実践できれば、クリスマスの意味は理解できていることになります。

その意味で、礼拝案内でも紹介した次の言葉は、たいへん参考になるでしょう。

『クリスマスがやってくるといつも思うんですが、神の名と起源に畏敬の念をいただくことは置いといても、クリスマスはクリスマスなりにいいものだと思うんですよ。親切になり、許しあえ、慈悲ぶかく、楽しいときでしょう。』

今年も11月の初旬から町のあちこちにイルミネーションが輝き始め、年の瀬の1大イベントとしてのクリスマスを迎えようとしています。

神のみ子である救い主イエスさまが全人類の救いのために、人間の姿をとってこの世にお生まれになった御降誕(クリスマス)の出来事を、心からの感謝と喜びをもってお祝いし、また再び来られる救い主イエスさまを、祈りのうちに待ち望む備えの時として、降臨節(アドベント12月1日から24日まで)を過ごしています。

そんな中でふと考えることがあります。クリスマスって一体何なの、一体どこにあるのだろうかと。心の目をしっかり見開いて、静まって見つめないとクリスマスが見えてこないのではないかと思います。ひょっとしたらキリスト教の精神を掲げているわたしたちの学院においても、クリスマスを祝う意味が薄らぎつつあるのではないか、そんな不信仰ともいえる思いが脳裏をかすめるのです。自己満足に陥り、自分だけのしあわせを追い求め、今年もクリスマスを当たり前のことのように迎えようとしている、そんな生き方でいいのかと、今わたしたちに問われているのではないでしょうか。

東日本大震災からやがて9年を迎えようとしている今この時にもなお、寒さの中で多くの不安を抱きつつ、厳しい生活を余儀なくされているたくさんの被災された人々に思いを馳せる時、そのような人々の中にこそ、本当のクリスマスが目に見えないけれども確かにやって来ているのではないかと思うのです。なぜなら人間には想像も出来ないような方法・手段をもって、人類の歴史に働きかけてこられる神が、インマヌエル(神は我々と共におられる)と呼ばれるイエスさまをキリスト(救い主)としてこの世にお遣わしになったからです。

なぜ、イエスさまは臭気漂う、薄暗く、むさ苦しい家畜小屋にお生まれになったのでしょうか。イエスさまは、路上に過ごす人々や、避難所や仮設住宅で生活する人々、孤独な人、痛み、苦しみ、数々の悩みや病いの中にある人々、愛に飢え渇いている人々、家庭内暴力に脅えている子供や婦人たちと共におられ、一緒に歩まれるお方だからです。

飼い葉おけに寝かされている乳飲み子の姿の中に、神がどれほど深く人類を愛しておられるかを窺い知ることができます。神が人となられてこの世に来られ、人には見えにくい影の部分に愛をもって入ってこられ、人と同じ生き方をなさるためにおいでになったのです。

ルカによる福音書では、最初に、救い主誕生の知らせが野宿して羊の番をしていた羊飼いに伝えられました。これは、大変意味深いことです。

その当時、羊飼いは貧しく、卑しい身分の者とされていました。ローマ帝国の圧政下にあって、苦悩の中にあえぐ人々を象徴するような存在でした。救い主誕生の知らせは身分の高い王侯貴族などにではなく、低い身分に追いやられ、差別され、弱い立場にある人々に伝えられ、その人々のために救い主が来られたことを教えているのです。

マタイによる福音書には、闇を照らす光として来られたイエスさまをキリスト(救い主)と信じ、東方の国から遠路はるばるベツレヘムにやって来た占星術の学者たちの話があります。

ところで、クリスマスの話は夜(闇)と深い関わりがあります。イエスさまが夜半に生まれたかどうかは定かではありませんが、イエスさまの到来が闇との関わりの中で受けとめられていることは確かです。ヨハネによる福音書はイエスさまを人間を照らす光とし、「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」と記しています。

闇の中に生きる人間にとって、イエスさまこそ光であり、人類の闇を照らす光そのものなのです。闇とは人々の心の闇、人生の悲哀、貧しさ、病気、孤独、罪のしがらみ、不正な社会における差別の現実などを指します。イエスさまが来られたのは、そのような闇の現実に光を当て、白日のもとにさらすことによって、闇を退け、闇から人々を解放するためでした。

その光であるイエスさまにお会いするため、羊飼いたちは家畜小屋へと急ぎ、占星術の学者たちは遠路はるばる旅をしたのです。そのためには苦しみと忍耐に立ち向かう大決断を必要としました。

今夕はキャンドル・サービス(ろうそくの火による礼拝、サービスとは礼拝の意味です)が行われています。闇を照らす光としてこの世においでになったイエスさまを、わたしたちのうちに感謝と喜びをもってお迎えする礼拝です。

本当の喜びを味わうためには、必ず、苦しみと忍耐が伴います。

皆さんが教育実習、保育実習で本当の喜びを味わいたいならば、きっと苦しみと忍耐が必要になるに違いありません。それを避けることはできません。

本当のクリスマスを迎えるわたしたちに最も必要なことは、マザー・テレサの次の言葉に要約されます。

イエスさまが、わたしを愛してくださったように、
互いに愛し合いなさい。
イエスさまは、わたしたちのために、命をささげてくださいました。
それは、ちいさなことではありません。
ですから、わたしたちも、自分にとっていちばん大切なものを
差し出さなければなりません。

みなさん、クリスマスおめでとうございます!

(チャプレン主教 大西 修)

 

12月19日(水)に行なわれた礼拝の模様をお届けします。

●前奏
「牧人ひつじを」…扶瀬ゼミ学生によるハンドベル演奏

点火の祈り
「大いなる光を造られた主が、豊かな憐れみによってわたしたちの心の闇を照らし、喜びに目覚めさせてくださいますように。光の源である主の輝きによって、救いの光が世の隅々にまでゆきわたりますように。義の太陽であるキリストが皆さんを照らし、行く道の闇を取り除いてくださいますように。」

●聖歌…第69番「もろびとこぞりて」
→司式者団が入場し、中央通路のロウソクが点火されます。

 

 

●ページェント…「キリスト教保育」受講生、有志学生
1 受胎告知
2 ベツレヘムへの旅
3 野の羊飼いと天使
4 み子の誕生と羊飼いの礼拝
5 占星術の博士たちの礼拝

→恒例のイエス・キリスト降誕劇。本日の礼拝の意味が伝えられる大切な時間です。

 

 

 

 

福音書…ヨハネによる福音書 1:1-5、14
1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
1:2 この言は、初めに神と共にあった。
1:3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
1:4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
1:5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
1:14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

●クリスマスメッセージ…チャプレン 主教 大西 修 →こちらでご覧ください。

●手話コーラス…介護福祉専攻学生
「大丈夫」「スマイル」

 

●ハンドベル演奏…扶瀬ゼミ学生によるハンドベル演奏
「The Christmas Song」編曲:扶瀬 絵梨奈   
フルート独奏:小林 千織

 

●演奏…保育専攻学生
「Ave Verum Corpus」 (W.A. モーツァルト)
聖歌 第476番「暗闇行くときには」

 

聖歌…第76番「かいばおけの干し草に」
●奉献の祈り

●聖歌…第91番「荒野のはてに」
●聖歌…「おほしがひかる」
→聖歌の間にロウソクの火がすべて灯されます。

 

 

主の祈り(主イエス・キリストが教えてくださった祈り)

天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧(かて)を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン

●諸祈祷
・名古屋柳城短期大学のための祈り
・東日本大震災と熊本地震を受けて―祈りをともに
・アッシジの聖フランシスの祈り

主よ、
あなたの平和を人々にもたらす道具として、
わたしをお使いください。
憎しみのあるところに愛を、
不当な扱いのあるところにはゆるしを、
分裂のあるところには一致を、
疑惑のあるところには信仰を、
誤っているところには真理を、
絶望のあるところには希望を、
暗闇には光を、
悲しみのあるところには喜びを、
もっていくことができますように。
慰められることを求めるよりは慰めることを、
理解されることよりは理解することを、
愛されることよりは愛することを、
求める心をお与えください。
私たちは自分に死ぬことによって自分を見いだし、
自分自身に死ぬことによって
永遠のいのちをいただくのですから。

祝祷
●聖歌…第81番「神には栄え」
→聖歌の間に司式者団が退場します。

 

後奏

弱き人々には癒しと励ましを与え、高ぶる者らには神の真理を伝えるために、イエス・キリストはこの世に生まれてくださいました。彼がもたらした福音は、今の世にあっても「闇に輝く光」です。礼拝中のロウソクの灯に込められた意味を、すべての柳城生と私たちスタッフ全員が心で感じ取って子どもたちや要介護者の方々にも伝えていけるよう、切に祈りたいと思います。(加藤)

イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」【ヨハネによる福音書8:12】

柳城キャンパスニュースもご覧ください】

少し早いですけれど、皆さんクリスマスおめでとうございます。

皆さんと共にこうしてクリスマスをお迎えできますことをとても嬉しく思います。

クリスマスは大きな喜びの嬉しい知らせ、良い知らせ、Goodnews(福音)が伝えられる時です。子供たちだけでなく、多くの人々にとって昨今のクリスマスは、11月初旬から巷に流れるクリスマスソングに始まり、クリスマスツリー、目を見張るばかりの華やかなイルミネーション、サンタクロースの到来、クリスマスセール、プレゼント、ケーキ、ディナーショー等々がその主役を務めているようです。本来これらのものは、クリスマスが大きな喜びの嬉しい知らせ、良い知らせであることを知った人々が、その喜びを表すために始めたものだったのでしょう。

さて、クリスマスは神さまの御子であるイエスさまが肉体をとって、人間としてこの世にお生まれになったことをお祝いする時です。では、なぜイエスさまはこの世においでくださったのでしょうか? なぜ薄暗く、じめじめした、糞尿の臭気漂う家畜小屋にお生まれになったのでしょうか? まさにその出来事の中に神さまの深く、計り知れない御計画が隠されているのです。

それは神さまの愛の働きであり、人間の思いをはるかに超えた想定外のことでした。人間が神さまになりたいという願望はあっても、神さまになることはできません。そこで神さまが人間となってこの世に来てくださり、人々に寄り添い、その思いを理解して助けてくださったのです。神さまは、そのような貧乏くじを引くことをイエスさまを通してなさいました。

イエスさまは貧しい人、苦しみ悩む人、病気の人、社会の中で弱い立場にある人と共に歩まれるお方です。徹底的にご自分を低くなさること(フィリピ2:6-11)によって、神さまの愛とは何であるかを人々にお示しになりました。イエスさまがこの世においでくださったのは、罪と悪とにがんじ絡めになっている人々と共に歩んでくださることを通して、人々をその悲惨な状況から解放してくださるためだったのです。

イエスさまは自らが傷つけられ、あざけられ、鞭うたれ、十字架につけられ、殺されることによって、神さまがどんなに深く、激しく、わたしたちを愛してくださっているかをお示しになりました。自らの死をさえ惜しまずに、他の人々を生かそうとする愛こそ、神さまの愛であり、わたしたちを本当の悔い改めへと誘う愛なのです。

クリスマスの出来事は他の人々を傷つけ、その痛みに気づくことに鈍感なわたしたちに、神さまが家畜小屋のイエスさまを通して、砕かれた心を持ち、悔い改めによる真実の愛に生きるよう呼び掛けておられます。自分には寛大でありながら、他の人に対しては、なかなか寛大な思いを持てないばかりでなく、多くの欠け(欠点)を持つわたしたちが、神さまの絶大な愛と赦しを信じることによって、はじめて、他の人を受け入れ、赦していくことが出来るように変えられていきます。

その意味で、クリスマスの出来事を、イエスさまがこの世に来られた家畜小屋でのお姿の中に見ることができます。ひょっとしたら見落としてしまいそうな、あるいは無視してしまいそうな人々のところに、そしてわたしたち一人ひとりの醜い、人に見せたくないそんなところに、イエスさまはそっと来られ、優しく寄り添って励まし支えてくださるのです。

ですから、クリスマスは、かけがえのない感謝と喜びにあふれた出来事としてわたしたちに迫ってくるのです。

今年のクリスマスが真実なクリスマスとして、あらゆる国々、人種、立場、性別、年齢の差などを越えてお祝いできますように、ご一緒に祈り求めていきましょう。(チャプレン 大西 修)

12月20日(水)に行なわれた礼拝の模様をお届けします。

●前奏
「牧人ひつじを」…扶瀬ゼミ学生によるハンドベル演奏

 

 

 

 

 

点火の祈り
「大いなる光を造られた主が、豊かな憐れみによってわたしたちの心の闇を照らし、喜びに目覚めさせてくださいますように。光の源である主の輝きによって、救いの光が世の隅々にまでゆきわたりますように。義の太陽であるキリストが皆さんを照らし、行く道の闇を取り除いてくださいますように。」

 

 

 

 

 

 

●聖歌…第69番「もろびとこぞりて」
→司式者団が入場し、中央通路のロウソクが点火されます。

 

 

 

 

 

 

●ページェント…「キリスト教保育」受講生、有志学生
1 受胎告知
2 ベツレヘムへの旅
3 野の羊飼いと天使
4 み子の誕生と羊飼いの礼拝
5 占星術の博士たちの礼拝

→恒例のイエス・キリスト降誕劇。本日の礼拝の意味が伝えられる大切な時間です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

福音書…ヨハネによる福音書 1:1-5、14
●クリスマスメッセージ…チャプレン 主教 大西 修 →こちらでご覧ください。

●手話コーラス…介護福祉専攻学生、有志学生
「YUME 日和」「Smile」

 

 

 

 

 

 

●ハンドベル演奏…扶瀬ゼミ学生によるハンドベル演奏
「いのちの奇跡」 編曲:扶瀬 絵梨奈

 

 

 

 

 

●演奏…保育専攻学生  伴奏: 内山 尚美
「Ave Verum Corpus」 (W.A. モーツァルト)
「Hail Holy Queen 」映画「天使にラブ・ソングを」から(Traditional)

 

 

 

 

 

聖歌…第76番「かいばおけの干し草に」
●奉献の祈り
●聖歌…第91番「荒野のはてに」
●聖歌…「おほしがひかる」
→聖歌の間にロウソクの火がすべて灯されます。

 

 

 

 

 

主の祈り(主イエス・キリストが教えてくださった祈り)

天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧(かて)を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン

 

 

 

 

 

●諸祈祷
・名古屋柳城短期大学のための祈り
・東日本大震災と熊本地震を受けて―祈りをともに
・アッシジの聖フランシスの祈り

主よ、
あなたの平和を人々にもたらす道具として、
わたしをお使いください。
憎しみのあるところに愛を、
不当な扱いのあるところにはゆるしを、
分裂のあるところには一致を、
疑惑のあるところには信仰を、
誤っているところには真理を、
絶望のあるところには希望を、
暗闇には光を、
悲しみのあるところには喜びを、
もっていくことができますように。
慰められることを求めるよりは慰めることを、
理解されることよりは理解することを、
愛されることよりは愛することを、
求める心をお与えください。
私たちは自分に死ぬことによって自分を見いだし、
自分自身に死ぬことによって
永遠のいのちをいただくのですから。

 

 

 

 

 

 

祝祷
●聖歌…第81番「神には栄え」
→聖歌の間に司式者団が退場します。

 

 

 

 

 

後奏

この後、今年のクリスマスプレゼントが紹介されて、礼拝は無事終了となります。

 

 

 

 

 

 

いくつかの出し物に彩られた、すてきなクリスマス礼拝だったと思います。イエス・キリストご誕生の意味がすべての参加者の心に届く、そんな礼拝を求めて、柳城短大のチャレンジはこれからも続くことでしょう。(加藤)

「このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている。」(マタイによる福音書23:28)

【入試広報課ブログもご覧ください】

【ヨハネによる福音書 1:1-5、14】

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

 

 

 

 

 

 

クリスマス~受けた愛に答える時

「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)

今年もクリスマスを迎えようとしています。柳城では早目の今日、お祝いしていますですが。

わたしの記憶に残っているだけでも、これまで60回を越えるクリスマスを経験してきました。それら一つ一つを思い出すことはできませんが、同じクリスマスは一度もなかったことだけは確かです。毎年毎年、違う思いをもってこの日を迎えてきました。

ことのほか、この日が待ち遠しくて、楽しくて、嬉しくて仕方がなかったのは小学生の時までだったでしょうか。サンタクロースからのプレゼントを、宝物のように大切にして過ごした日々がそれでした。

中学、高校時代は教会で日曜学校(教会学校)のお手伝いをしたり、新米の教師をしたりする中で、自分よりも小さな子たちにいっぱい楽しんでもらいたいという熱い思いに満たされ、クリスマスの喜びを共に分かち合うことの素晴らしさを学びました。

大学時代には教会から外に出て、現実の世界に目を向け、歳末の町でキャロルを歌い、クリスマスの案内を道行く人々に手渡したり、救世軍の慈善鍋に倣って募金活動をしたりしました。また、少年刑務所に行って、入所している人たちと一緒にクリスマスソングを歌うひと時を送ったこともありました。

神学校に学び、卒業後は教会の牧師として、また時には教会付属の幼稚園・保育園の園長として各地で迎えたクリスマスは、都市化し、世俗化し、人間関係が希薄化する中で、教会と関わりのある諸施設、学校、幼稚園、保育園でクリスマスをお祝いする意味、意義はどこにあるのだろうかと絶えず自問しつつ過ごす時でもありました。

よくクリスマスを「苦しみます」と言ったりしますが、自分でそのことを体験することも多くありました。満面の笑みを浮かべて登園して来る園児たちの姿を思い浮かべながら、園児たちにどんな喜びがあげられるだろうか?と思案しながら、夜遅くまで一人一人のプレゼントに名前とメッセージを書いて、包装したこと、夜明け前の園庭に出て、1m以上降り積もった雪かきをし、汗びっしょりになって通園路の確保に腐心したこと、野宿を余儀なくされている人々の越冬炊き出しのお手伝いや、夜回りに行ったこと、洪水、地震による多くの被災者の支援活動を進めていくため、オープンスペースを教会や保育園に開設したことなど、考えてみればこのような「苦しみます」と思える事柄と、クリスマスの出来事・主イエスの御降誕の情景が重なり合うとき、不思議に「苦しみます」と思える事柄がいつの間にか喜びへと変えられていく経験を何度もしました。神様はいついかなる時にも、どこにおいても一緒にいてくだり、見守り、支えてくださるお方です。

主イエスの御降誕は飼い葉桶の中に眠る幼子が、厳しい貧困の現実の只中で、ひたむきに生きる羊飼いたちに生きる喜びを与えました。この世界から全く孤立し、顧みられなかったような羊飼いたちが、天使の呼び掛ける歌声に答えることを通して生きる意味を見出したのです。

神によってこの世に遣わされた幼子は、貧しく、小さく、か弱い姿で、わたしたちに呼びかけてこられます。「あなたは愛されている。神から、そしてわたしから。あなたは与えられた大切な命を惜しみなく用いなさい。あなたの命はかけがえのない命、何ものにも代えがたい命なのだから」と。その声に耳を傾け、その声を聴き取り、それに答える人に、クリスマスの喜び、救い主キリストの到来の喜びが現実のものになるのです。

皆さん、クリスマスおめでとうございます。(チャプレン 大西 修 主教)

12月21日に行われた礼拝の模様を、式次第の順にお届けします。
(インフルエンザ流行の心配があったため、当日は、礼拝参加者全員にマスク着用を呼びかけています)

●前奏
保育専攻1年生(野々垣先生クラス)によるハンドベル演奏
「きよしこの夜」 編曲:野々垣 文成(本学特任教授)
演奏者が少なかったので、一人が複数のパートをかけもちしたそうです。でも、テキパキとしたその身のこなしぶりは、見ていて気持ちが良かったです。

 

 

 

 

 

 

●点火の祈り
●聖歌 第69番「もろびとこぞりて」
点火の祈りの後、聖歌が歌われる間に司式者団が入場します。そして、通路に並べられたロウソクにサーバーが火を入れていきます。

●ページェント (イエス・キリスト降誕劇)
「キリスト教保育」受講生、有志学生
演技と聖歌隊の音とが見事に融合した内容だったと思います。毎年のことですが練習時間に限りがあったため、参加者には集中力が養われたことでしょう。本番直前まで工夫を絶やさなかった学生さん、愛をもって指導された柴田智世先生にそれぞれ感謝です。

●福音書 「ヨハネによる福音書 1:1-5、14」
●クリスマスメッセージ (一同着席)
チャプレン 司祭 田中 誠
内容はこちらでご覧ください。

●手話コーラス
介護福祉専攻科学生
「スマイル」 「にじいろ」
柔らかな 手さばきと豊な表情。手話の醍醐味みたいなものが伝わってきました。「一糸乱れぬ」という感じではなかったですが、そんなのは、手話には必要のない要素ですね。

●ハンドベル演奏
扶瀬ゼミ学生
「いのちの奇跡」 編曲:扶瀬 絵梨奈(本学助教)
直前練習の時のことです。満足のいく演奏ができなかった時、指導担当の扶瀬先生が「仲間を信頼して」とアドバイスされていました。たとえ誰かが音を外しても、決して動じずに仲間を信頼して演奏を続ける。このような貴重な経験が学生さんを成長させるのでしょうね。

●聖歌 第76番「かいばおけの干し草に」
●奉献の祈り
聖歌の間に、事前に集められた献金がステージに運ばれます。献金の報告はこちらです。

●聖歌 第91番「荒野のはてに」
●聖歌 「おほしがひかる」
これら聖歌の間に、各自の手持ちローソクに火が回されて、 闇に輝く柔らかな光が会場を美しく包み込みました。準備の苦労が報われる瞬間です。

 

 

 

 

 

 

●主の祈り
●諸祈祷
・名古屋柳城短期大学のための祈り
・東日本大震災と熊本地震を受けて~祈りをともに~
・アッシジの聖フランシスの祈り

 

 

 

 

 

 

●祝祷
●聖歌 第81番「神には栄え」
●後奏

聖歌の間に司式者団が退場し、その後、後奏の音を聞きながら黙想をします。
こうして、晴れ晴れとした気分の中、クリスマスプレゼントが配られて礼拝が終了となります。
今年もクリスマス礼拝を皆で分かち合える機会が与えられました。反省点も含めて、すべてを益に導いてくださる主に感謝します。(加藤)

 

 

【ヨハネによる福音書 1:1-5、14】

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

今、私たちは、福音書からクリスマスの意味を学び、降誕劇からクリスマスの出来事を振り返ることができました。

そのイエスの誕生から今日までの2000年間で、社会は大きく進歩しました。人間の探究心は、目に見えない宇宙の果てやミクロの世界にまで及び、高度に発達した通信網によって情報を瞬時に得られるようになりました。それなのに、このような社会が人間の悩み/苦しみを解放/解決してくれているかというと、そうとは言えないようです。むしろ、地球全体として捉える時、さすがに、大昔のような身分差別制度はなくなったにせよ、貧富の格差が、それに取って代るほどの規模で拡大しています。毎日、どこかで戦争も続いています。2000年前と較べて、本当の意味で、私たちは進歩しているのでしょうか。

皆さんも日頃から色々な悩み/苦しみを抱えていることと思います。それが生きている証かもしれませんが、ただ、それらを解決する努力が不足しているのではないでしょうか。多忙な日々に追われて、考え方が短絡的になり、物事を我慢強く考え抜こうとするのではなしに、手っ取り早く決めてしまおうとする傾向にあるようです。

先日も、いわゆるカジノ法案の強行採決の一件が話題になっていました。この法案の大きな狙いは経済の活性化でしょうが、儲かる人より損をする人の方が多いがカジノでして、ある人は、人の不幸を踏み台にして小さな幸福を得るのがカジノだと語っています。もっとしっかり議論して欲しいと思いますが、特に、先の東日本大震災の際の放射能汚染の影響で今なお避難生活を余儀なくされている方々のことを思うと、カジノ云々で議論し合っている場合なのか、と感じてしまいます。その放射能汚染問題をよそにして、日本の原発も、結局、再稼働が始まってしまいました。生きている間には自宅に戻れない福島の人々はもちろんですが、「避難」できないまま、現地で生き続けている動植物のことも考える必要があります。

都合の悪い放射能汚染には目をつむる一方で、利益に結びつくカジノの件はドンドンと話を進めるということでしょうか。キリスト教カトリック司教団は「私たち人間だけのことではなく、動植物との共存を認識しなさい」とのメッセージを発して、万物が神によって造られたことを心に留めるように促しています。

さて、クリスマスは、イエスが普通の人として生まれたことを記念するものです。イエスは私たちと同じ悩み/苦しみを経験した方なのです。だからこそ、信仰心でイエスを迎え入れた時に、彼を自分の助け主だと、身近に感じられるわけです。今日の福音書には「光と闇」とが語られていますが、「闇」が私たちの悩み/苦しみだとすると、「光」とは、イエスが側にいてくれて何か解決の道があるのではと希望が感じられるような安心感だと言えます。

今日の福音書と降誕劇を心に留めることで、すばらしいクリスマスを迎えて欲しいと思います。(チャプレン)

キリストの降誕劇を「ページェント」と呼んでいます。今年も授業科目「キリスト教保育」受講学生22名と、聖歌隊(聖歌隊サークルと有志の皆さんによる)18名、合計40名によるページェントが行われました。なぜキリスト教がクリスマスを祝うのか、その意義を学ぶために、本学で恒例となっています。

これらの本格的な練習が始まったのは、12月初旬だったため、学生たちは本番までのわずか2週間で形にしなくてはなりませんでした。当初は、台本を片手に学生たちは台詞を読むのに精一杯でした。役作りや動きもぎこちなく、科目担当者の私は「これで大丈夫かな?」という不安もぬぐえませんでした。しかし、本番3~4日前のラストスパートで、学生たちはみるみると上達し、劇、聖歌隊ともに目を見張るほどの成長を遂げていきました。これは昼休みや放課後も、遅くまで練習を重ねてきた成果だったと思います。

学内では、様々な行事において「柳城生は本番に強い」と語られています。今年の学生たちは本番だけでなく、練習の過程においても真摯に取り組んでいた皆さんを誇りに思い、心より感謝しています。(智世)

「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。」(ヨハネによる福音書15:7)

 


2015年のクリスマス礼拝が、12月16日、本学の体育館で行われました。

全体の流れは昨年同様でしたが、毎年、あらたな気持ちで式に臨むべく、名古屋柳城短期大学の宗教委員会(キリスト教センターと同メンバーで構成される組織)が企画運営にそうとうの時間をかけました。そして、全教職員や関係する学生さんの協力のもと、礼拝を滞りなく主に捧げることができたと思います。質素な中にも手作り感にあふれた本学らしい内容だったと、担当の一人として、ホンのちょっとだけ自負させて下さい。

さて、この礼拝の中で行われる毎年恒例の演奏が、ここで紹介するものです。

ハンドベルクワイアは浅倉ゼミに所属する保育科2年生の皆さんで、一方の手話コーラスは、介護福祉専攻科に所属する皆さんで、それぞれ編成されています。どちらも、うまく統一の取れた演奏で、しなやかさの中にも力強さが感じられたと思います。大勢の前で演奏するのは、けっこうプレッシャーになるかとは思いますが、多くの学生さんが、こういうチャンスを積極的に活用して、自分自身を向上させるという意識を養って欲しいですね。

素晴らしい演奏を主に捧げて、クリスマス礼拝に深みを増してくれた皆さんに、心から拍手を送りたいです。(加藤)

イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。」(ヨハネによる福音書4:21)

 

 

 

 

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