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晴天の恵みの中、今年も無事に創立記念行事を終えることができました。主に感謝です。以下、式の模様を簡単にお伝えします。

■学校法人 柳城学院  創立120周年 記念礼拝 (午前9時30分~ 短大体育館)

●開始前
座席に配布された「創立120周年記念文集 思い出2」を手にする学生さんたち

前奏と司式者団入場
 

聖歌 第367番「イスきみはいとうるわし」【創設者愛唱歌】

詩編 第23編

創立120周年記念の祈り

●聖書 ガラテヤの信徒への手紙 第5章1節、13~14節

聖歌 第498番「主われを愛す」

●平和の挨拶

主の祈り

●諸祈祷
・名古屋柳城短期大学のための祈り
・附属幼稚園のための祈り
・創立者及びこれまでの仕え人たちのための祈り
本学院に関わるすべての逝去者のための祈り

●式辞 理事長  ペテロ 渋澤 一郎 主教

120周年の節目あたり、私たちは先達が作り上げた歴史を振り返るとともに、これからは自分たちで歴史を作り上げていくという意識を持つ必要があります。それは、特別な人に任せればよいというものではなく、一人ひとりに課せられた役割なのです。

聖書には「わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか(へブル12:1)」と記されています。多くの証人、すなわち、誠実に務めを果たされた諸先輩方に囲まれて私たちの今があります。それを受け継ぎ、与えられた場所で誠実に働くことで柳城の未来が切り開かれます。「愛をもって仕えよ」という建学の精神を大切にしながら、これからも忍耐強く歩むことを決意しつつ、120周年をお祝いしましょう。

式辞 学長  長縄 年延

1898年に、たった一人の生徒が在籍する保母養成所からスタートした柳城学院が、今年で120年目を迎えました。男尊女卑の習慣が残り、子どもなどに手などかけておれない時代でした。創設者のヤング先生は相当に苦労されたと思います。戦時中は空襲で焼け出されもしました。そういう苦難の歴史が創立百周年記念文集「思い出」で知ることができますが、今回は120周年記念として「思い出2」を発行しました。学生の皆さんには、ぜひ読んで、柳城の伝統を学んでいただきたい。

柳城の多くの卒業生たちが、愛をもって仕える心で日本の幼児教育界に大きく貢献してきました。それが柳城の歴史を作ってきました。しかし、少子高齢化の時代を迎え、18歳人口がピーク時の半分以下にまで減るという事態です。その影響が本学にも押し寄せ、定員を充足することがたいへん困難になってきました。4年制大学の併設等の策を講じて、これからの保育に要求される国際化とか発達障がい対応といった専門的で質の高い教育を目指していかなければなりません。

「子どもに学ぶ」気持ちを忘れずに、初心に帰りつつ、これからも励んでまいります。今後ともご協力をよろしくお願いいたします。

●聖歌 第417番「あなたの平和の」

●永年勤続者表彰
 

●感謝の祈り

祝福

校歌

●後奏と司式者団退場

●来賓紹介

■第2部 創立120周年記念  特別講演
「人生の海に錨をおろして ~神の呼びかけが聴こえますか~」
日本聖公会首座主教(兼 北海道教区主教) ナタナエル 植松 誠 師父
 

「120周年を迎えられたこと、柳城学院の宗教母体である日本聖公会を代表してお祝い申し上げます。私の父が本学院8代目の理事長であったことに不思議な導きと畏れを感じています。」という言葉で始まった一時間余りの本講演。その膨大な情報量のゆえに、講演テーマに沿った一貫性を見いだせない自分の無能さが悲しくなりますが、以下、頑張って要点だけをかいつまんでお知らせします。

柳城学院創設者のマーガレット・ヤング先生がカナダ聖公会の宣教師として、自分の生涯をかけるという決断をしたことに、私はある種の羨望を感じる。それは驚きと羨ましさと言ってもいい。これと同じ感情を、私は12年前にタンザニアのザンジバル島にあるイギリス宣教師らの墓の前で感じた。この地上の楽園は、かつては悪名高い奴隷交易の拠点であったが、宣教師らの死をも恐れない努力によって奴隷解放が果たされたのだ。奴隷の地下牢跡の上には、現在、英国国教会の教会が建っている。

また、ロンドンでの会議に出席した際、私は、主教の出で立ちで十字架を首から下げていたにもかかわれず、「あんた、クリスチャンかね?」と、ある男に尋ねられたことがある。「もちろん! クリスチャンだ。主教だぞ。教会にも通っているし、聖書を読んで祈りもささげている!」と答えることもできたかもしれない。でも、振り返ると、あの質問の意味は「あんたは、キリスト教の福音を伝えるために命を懸けているか?」ということであったのだろう。あの男は天使だったかもしれない。

大阪釜ヶ崎にある労働者支援施設「ふるさとの家」に物資を届けに訪れた時のこと。食事の支度で忙しい中、奥から出てきた方は、あの有名な旧約聖書学者、本田哲郎神父だった。彼自身も日雇い労働に携わり、労働者からキリストの福音を学んでいるという。同じカトリックの森一弘神父は、「本当の権威とは、真実/誠実な人生の歩みからもたらされた知恵」だと語る。イエスが五千人に食べ物を与えた奇跡において、全員が草の上に座ったのは、群衆がイエスに権威を感じたからであろう。小さき者の側にいつも立つ、そのような権威が柳城の保育には備わっているに違いない。

家の引っ越し直前になって、うちの子どもがチューリップを庭に植えたいと言って聞かなかった。植えたところで無駄になることは目に見えているので、止めるよう説得したのだが、よくよく理由を聞いてみると「次に住む人がびっくりして喜ぶから!」というものだった。

また、妻が子どもの頃の話だが、幼稚園の月謝袋を親に渡さずに道路の植え込みに隠したことがあったという。子ども心に家が貧しいことを察して、その月謝袋を母親に見せると悲しむに違いないと思ったそうだ。当然、母親には怒られたが、訳を話さず無言を通した。そのうちに園の先生から「何か考えることがあって、したのね?」と言われて、やっと口を開いたという。

さらに、これもうちの娘の話だが、小さい頃から物事がスローな性格で、それが元でいじめに遭い、人間関係のもつれもあって、そのうちに物を食べなくなってしまった。ストーブの前でただ座る娘に私たちは絶望した。しかし、そのうちに妻が開き直った。「ハチミツだけをなめる娘だが、それでも神に生かされている。それを喜ぼう!」と。妻は、娘と一緒にいることが嬉しいというメッセージを送り続けた。そして娘は徐々に回復し、6年前に嫁いでいった。

私たちは子どもの心を理解し受け入れることを通して、神が背後で私たちの全てを理解し無条件に愛してくださる存在であることを子どもに知らしめる必要がある。それがキリスト教保育の本質であり、柳城学院創設者ヤング先生の願いであったであろう。

■学校法人 柳城学院  創立者記念墓地礼拝
(午後1時~ 日本聖公会中部教区 共同墓地【八事霊園内】)

●送迎バスを使って目的地へ向かいました。

●礼拝
お話しでは、マーガレット・ヤング先生のご生涯が詳しく語られました。
 

 

●献花
 

(加藤)

晴天の恵みの中、今年も無事に創立記念行事を終えることができました。主に感謝です。以下、式の模様を簡単にお知らせします。

■学校法人 柳城学院  創立119周年 記念礼拝 (午前9時30分~ 短大体育館)

 

 

 

 

 

前奏:司式者団が入場します。

 

 

 

 

 

聖歌:367番「イスきみはいとうるわし」【創立者愛唱歌】
●詩編:第23編
創立119周年記念の祈り
聖書:ガラテヤの信徒への手紙 第5章1節、13~14節
この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。

 

 

 

 

 

 

聖歌:498番「主われを愛す」
●平和の挨拶

 

 

 

 

 

主の祈り
●諸祈祷
名古屋柳城短期大学のための祈り:全能の神よ、わたしたちはただ主の賜物によってまことの知恵を得ることができます。どうか、み名によって建てられた名古屋柳城短期大学に恵みを下し、教える者と学ぶ者を祝福して、共に知識を深め、主の真理を悟り、愛をもって互いに仕え、謙遜な心で唯一の神を仰ぐことができるようにしてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

附属幼稚園のための祈り:天の父よ、あなたのみ名によって建てられた幼稚園、ことに名古屋柳城短期大学の附属幼稚園である柳城幼稚園、豊田幼稚園、三好丘聖マーガレット幼稚園を覚えて祈ります。どうか、子どもたちと教職員を祝福し、豊かな出会いと交わりを通して、ともに光の子として歩むことができるようにしてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

創立者及びこれまでの仕え人たちのための祈り
本学院に関わるすべての逝去者のための祈り

式辞:理事長 ペテロ 渋澤 一郎 主教

マーガレット・ヤング先生が1898年に自宅で保母養成を始めてから119年を迎えました。今年もこうして記念礼拝を行なえること、あらためて神様に感謝したいと思います。柳城学院も変革期を迎えています。新たな気持ちでスタートしましょう。

今日11/1は聖公会の教会歴で「諸聖徒日」に当たります。色々な聖人らを覚える日ですが、ヤング先生ほか、柳城に関わったすべての人々を覚える日としてもふさわしいのではないでしょうか。

本日の講師である西原廉太司祭は、教会を「鳥の巣」に例えておられます。小枝やビニールなどの様々な物が組み合わさって作られている巣ですが、これが意外に頑丈です。柳城も同じですね。建学の精神である「愛をもって仕えよ」という気持ちで互いに心で強く結ばれて、鳥の巣のように丈夫な柳城を作っていきたいものです。

 

 

 

 

 

 

式辞:学長 長縄 年延

すばらしい天気になりました。今日を祝ってくれているようです。

来年の120周年記念に向けてキャンパス整備工事が始まりました。正門にあった桜とメタセコイヤが切られてすっきりはしましたが寂しさも残ります。1期工事として来年3月までに学食とラーニングコモンズを有する棟が完成し、それに伴ってキッズルームは3号館へ移設されます。続く2期工事では、来年度、1、2号館をつなぐ棟が完成することでロッカー室が広くなりピアノ個人練習室も増えます。学生満足度調査を踏まえたベストな案ではないかと思っています。工事によって学生の皆さんにもご迷惑をおかけしますが、将来の柳城のためにご協力をよろしくお願いします。

40名から始まり100、150、200と定員を増やしてきた本学ですが、卒業生の総数は7961名で、保母養成校の時代の318名を加えると更に増えます。この大変な数の皆さんが地域の子育てや保育に貢献されてきました。それと共に、これらの方々のお陰もあって本学の就職率は100%を維持しております。

少子化の影響で入学者の確保が難しい時代になりました。それでも1人ひとりが神からいただいた命です。大切に育ててまいります。

建学の精神を胸に、これからも愛と奉仕の業に歩んでいって欲しいと思います。

 

 

 

 

 

 

聖歌:417番「あなたの平和の」
●永年勤続者表彰

 

 

 

 

 

 

●感謝の祈り:天の父よ、み子イエス・キリストは幼子を祝福し、神の国はこのような者の国であると教えてくださいました。どうかみ名によって建てられた柳城学院に恵みを下し、ここに集うわたしたちが主のみ旨に従って、心もからだも健やかに成長し、信仰の道を学び、主に仕えてみ栄を現すことができるようにしてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

●祝福
●校歌
●後奏:司式者団が退場します。

 

 

 

 

 

●来賓紹介
●名古屋柳城短期大学 特別給付奨学金 2年次奨励奨学生表彰

 

 

 

 

 


■第2部 創立119周年記念  特別講演

「創立120周年を迎えるにあたって」-聖公会の中での柳城学院の存在-
学校法人立教学院 副院長 アシジのフランシス 西原 廉太 司祭

本講演の要旨は「597年から続く聖公会の輝かしい歴史の時間と空間の中で、名古屋柳城短期大学は他の聖公会関係学校と共存にしているので、皆さんには、この事実を胸に、誇りを持って歩んでいって欲しい」というものでした。歴史に裏打ちされた権威なるものが、かなり強調されていたように感じました。保育/介護という美しい「草の根的世界」で頑張ろうとする柳城生の心にどれほど響いたでしょうか。

講演で語られた膨大な情報のすべてをここでは紹介できませんが、要点だけをかいつまんでお知らせしておきましょう。

・アメリカのウィリアムズ宣教師が日本への宣教を開始した1859年を日本聖公会の元年としている。彼は立教学院の創始者であり、日本聖公会の初代主教でもある。

・イギリスのバチェラー宣教師は、1877年に北海道(函館)伝道を始めたことを契機にアイヌ民族と深く関わることになる。歌集『若きウタリに』の著者であり聖公会の伝道者でもあったバチェラー八重子は彼の養女である。また、聖公会のクリスチャンでユーカラの伝承者であった金成(かんなり)マツは彼の設立した学校に入学している。『アイヌ神謡集』を著した知里幸恵(ちりゆきえ)はマツの妹の娘である。知里も聖公会のクリスチャン。

・講師が管理牧師を勤める岡谷聖バルナバ教会は、カナダ聖公会から派遣された司祭によって建てられた。当時、製糸業で過酷な労働を強いられていた工女さんらは、この教会で癒され救われていた。

・597年、教皇グレゴリウス1世から派遣されたオーガスティンが、英国カンタベリーに修道院を建てたのが聖公会のそもそものルーツである。カンタベリー大聖堂は全世界聖公会の総本山で、そこの主教座は権威のシンボル的存在。その権威は椅子から座る者へとインストールされるとみなされている。現カンタベリー大主教は第105代ジャズティン・ウエルビー。

・トレント、ヤング、ボーマン、ホーキンスと続くカナダ聖公会の女性宣教師の活動で今日の柳城があるといえる。彼女らの当時の記録や手紙などから、日本人へそそがれた彼女らの愛の深さや、資金を調達しながら学校運営に励んだ姿がうかがい知れる。

 

 

 

 

 

 

■学校法人 柳城学院  創立者記念墓地礼拝
(午後1時~ 日本聖公会中部教区 共同墓地(八事霊園内))

 

 

 

 

 

●聖語:イエスは言われた。「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとえ死んでも生きる。また生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない」(ヨハネ  11:25-26)
●聖歌 第181番「主 生きたまえば」(ヤング先生埋葬時に使われた聖歌)
●詩編 第139編
●聖書  ヨハネによる福音書 第14章1~6節
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。

●お話し:チャプレン大西 修 主教
(抜粋)今年もまた諸聖徒日を迎え、こうして柳城に関わりを持つ皆さんと共に墓地礼拝を守ることができ、大変嬉しく思います。イエスをキリストと信じ、イエスに従い、その生涯を全うした数多くのキリスト者を覚え、その生きざまに目を向けることにより、今を生きるわたしたちの信仰がもう一度見つめ直され、問い直される時にいたしましょう。

今日、わたしたちがこうして生かされているのは、イエスに信頼し、彼を一心に見つめて走り続けていったおびただしい信仰の証人の群れに囲まれているからにほかなりません。彼らによってイエスを信じる信仰が、今このようにしてわたしたちに伝えられていることを実感する時、深い感謝の念が内から湧き上ってくるのを覚えます。

柳城119年間の歴史の中に、信仰の先達による物心両面にわたる大きな信仰の遺産を受け継いでいます。その上に現在のわたしたちが立っています。

昨今、わたしたちの周囲を見回す時、残念ながら明るい話題が少ないです。しかし、いつの時代でも人が人として真剣に生きていこうとする時、必ず数多くの難問に遭遇し、そこで呻吟します。今がまさにそのような時代なのです。だからこそ、わたしたちの使命は「世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:20)と約束されたイエスを一心に見つめながら、「おびただしい証人の群れに囲まれ、」「神の栄光にあずかる希望」(ローマ5:3)を与えられている者として前進していくことなのです。

 

 

 

 

 

 

●主の祈り
●諸祈祷
●祝福
●聖歌 第495番「イスよ わが神よ」
●献花

 

 

 

 

 

(加藤)

今年も無事に創立記念行事を終えることができました。主に感謝です。
●9時30分からは記念礼拝が体育館で行われ、渋澤一郎 理事長からは次のようなメッセージがありました。

 

 

 

 

 

 

創設者であるマーガレット・ヤング先生から今日に至るまで、実に多くの先人達が、この柳城学院のために貢献をされています。本日はキリスト教会の暦で諸聖徒日、つまり、すべての聖人を覚える日でありまして、いうなれば日本のお盆に相当するような日ですが、この創立記念礼拝においても、私たち一堂、柳城の先人たちを思い返すのであります。

「こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。」(ヘブル人への手紙12:1 口語訳聖書)と聖書に記されている通り、私たちは先人たちに雲のように囲まれているのです。そのような状況の中で、私たちは自分の走るべき道を忍耐をもって進もうとしています。

今日の式典の意味を、単なる思い出だけにとどめることなく、愛をもって仕える者として、それぞれの働きを積み重ねていく決意を新たにする機会にしたいものです。」

●続いて、長縄年延 学長からは次のメッセージです。

 

 

 

 

 

 

「1898年(明治31年)は戦争の時代であり男尊女卑の時代でした。創設者マーガレット・ヤング先生は名古屋市白壁の地において、この年に保姆養成所を、翌年には柳城幼稚園を開いたのです。彼女はフレーベルのキンダーガルテンを幼児教育の理想とし、大人が子どもに学びながら共に成長する環境を求めました。「フレーベルにとってキンダーガルテンは、子どもの手に取り戻されたパラダイス(荘司泰弘1999)」であったと、本学院100年史には紹介されています。

この100年史の別冊として出された『思い出』には、戦時中の生々しい記録が記されています。ピアノ試験中に空襲サイレンが鳴ったとか、焼けた校舎の壁に合格者名簿が張り出されたたとか…。名古屋市内はアメリカ軍の爆撃機によって焼野原にされ、附属幼稚園も灰になったのです。それでも、白壁にある柳城幼稚園は今もヤング先生の意思を引き継いでいるのです。

さて、1953年(昭和28年)に名古屋柳城短期大学はスタートしています。当時は4人部屋の全寮制で、一日が、祈りで始まり祈りで終わる、修道院のような環境だったといいます。初代学長ホーキンス先生はキャンパス内に住まいを構えていたこともあって、学生たちをお茶に招待していました。当時の思い出を「人生の宝物」だと記す卒業生もいます。今年の3月までの卒業生総数は7,810名で、これに保姆養成所を巣立った318名を加えれば、実に8,000名を超える卒業生数になります。さらに、附属幼稚園の卒園生を含めれば、その裾野はもっと広がるわけで、神の愛と諸先輩方のご苦労とご努力にあらためて感謝をしなければなりません。

少子高齢化が進む中、本学の役割はますます大切になってきています。これからも愛と奉仕の業に励みたいと思います。」

●10時40分からは、記念行事の第2部として音楽会「遊べる音楽」を開催しました。

本学院評議員の諸岡研史さん率いるダブルリード・アンサンブル(オーボエ2、イングリッシュホルン1、ファゴット1)による演奏会&トークショーです。演奏や楽器の紹介の後、メインイベントの一つ、モーツァルトの『音楽サイコロ遊び』が披露されました。楽譜が書かれたサイコロを振って、出た目(楽譜)の順に演奏をすると音楽が成り立ってしまうという、何とも不思議な現象でした。二つ目はバロック・ダンスの実演です。講師の手足の動きに合わせて会場全体で体験できました。背筋をピンと伸ばして優雅に舞うことを体験したステージ上の学生さんは「フクラハギが張った」と感想を漏らしていました。このダンス、良い運動になるようです。

●昼からは墓地礼拝に向かいました。チャプレンの礼拝説教は次の通りです。

 

 

 

 

 

 

「ここに眠るマーガレット・ヤング先生はカナダの宣教師でしたので、本来は布教活動が目的で来日をされています。彼女の前後10年くらいの間に約20名の宣教師が日本を訪れていますが、当時はイギリスやアメリカから大量の宣教師が各地に派遣された時代です。特にアフリカに多くが渡りました。あの有名なリビングストンもその一人で、彼に触発されて、多くの青年が宣教活動に燃えたのです。

さて、ヤング先生は来日後、女性や子どもに対する教育の貧弱な状況を見て幼児教育の道に進むとともに、「母の会」を立ち上げて、母親のための勉強会にも精を出すことになります。当時の子どもは手間がかかって役に立たない存在だと見られていました。つまり「半人前」で、大人になって仕事ができるようになって、やっと「一人前」というわけです。そこには、子どもはその年齢に応じて発達を遂げて成長するなどという考えは微塵もありません。

日本の各地にあるキリスト教系の幼稚園や保育園は、たいていは歴史が古く、その地域の社会環境を改善するために貢献してきました。柳城学院118年の歴史の中でも、多くの方がそのような貢献をされています。ここに集う私たちは、祈りを通して、そういった先人達からもらったバトンを次の世代に渡していきたいものです。」

●大いなる神の憐れみを願いつつ、119周年に向けて、神のご計画が私たちによって実現されますように。(加藤)
「 空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。」【マタイによる福音書6:26】

柳城学院の創立117周年記念礼拝が行われました。柳城の創立記念日は11月1日ですが、主日礼拝が行われる日曜日に当たるため、今年度の記念礼拝は10月31日(土)となり、2部構成で午前中いっぱいかけて行われました。

第1部では、田中誠チャプレンの司式の下、創立記念礼拝が執り行われました。

渋澤一郎理事長、新海英行学長の式辞の後、永年勤続者表彰が行われ、第1部の最後には、2年次前期の成績上位者に贈られる特別給付奨学金の表彰が行われました。成績優秀者をたたえる拍手と歓声があがる中、9名の学生が一人ずつ新海学長から表彰状と奨学金を授与されました。

第2部では、立教女学院理事長・立教女学院短期大学学長である若林一美先生が「種まく人として」と題して講話を行ってくださいました。若林先生は、わが子を亡くした親たちが集う「ちいさな風の会」を主催しており、そうした親たちのグリーフ・ケアも行っています。若林先生が人間を理解するために、ジャーナリストとして末期のがん患者、不治の病の方々などと関わってきた経験、「ちいさな風の会」に集う親たちの言葉を交えてお話されました。講演を通じて、悲しみに寄り添うことのむずかしさと重要性、そして私たちを支える見えないものの大切さについて考える機会をいただきました。会場の学生は皆、先生のお話に熱心に耳を傾けていました。

同日の午後からは、名古屋市の八事霊園にある日本聖公会中部教区の共同墓地に向かい、柳城の創設者マーガレット・ヤング先生をはじめとする柳城学院の関係者の前で、お祈りを捧げ、献花を行いました。晴天のもと、田中誠チャプレンの司式で、理事・教職員と学生宗教委員とサーバー学生が参列しました。(村田)

イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。」(ヨハネによる福音書11:25)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

記念礼拝の第2部で、本学の元チャプレンである相澤晃司祭をお招きして、お話を伺いました。

『神様の恵みに生かされたチャプレン時代』というテーマが先ず印象的でした。キリスト教主義学校として「神様の恵み」という発想は決して忘れてはならないと感じます。具体例として、本学の定員増が認可された時や附属幼稚園の誘致を受けた際の経緯が紹介されました。このような歴史を語り継ぐ意志の強さが、学校の実力を示すバロメーターなのかもしれません。

当時の学生さんらと思い出話には心が和みました。「マーガレット会」を中心に学生さんらと親身にお付き合いされた様子も印象的でした。「彼氏がいない」と相談に来る学生へ返答は「未来の彼氏に対して神のお守りをお願いしなさい」でした! 感動です。

チャプレンとしてだけではなく教員としても事務員としても活躍された相澤司祭は柳城を心から愛しておられたのだと、お話を伺って私は強く感じました。「教員、職員、学生の皆さん。1人でいいから、朝、教会の前を通る時にチャペルでお祈りをしてください」という司祭の言葉が心に残ります。(加藤)

彼らに(イエスは)言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』」
(ルカ19:46)


司式団が入場して、礼拝がスタートします。

 

渋澤理事長(左)と新海学長(右)の式辞です。

 


永年勤続者を表彰をします。

 


本学の成績優秀者を表彰し、特別給付奨学金を支給します。

 

「創設者マーガレット・ヤングの生涯とその働き」について振り返りました。

 


上のスライド上映を担当した専攻科保育専攻1年の学生さんです。お疲れ様。

 


式典の後、名古屋市の八事霊園で墓地礼拝を行います。

 


尾上先生から故人の紹介がありました。

 


最後に、1人1人が献花をしてお祈りを捧げます。

 

 

1855年  カナダ・オンタリオ州で、6人兄弟姉妹の3女として誕生。
安政2

1890年  オンタリオ州のキンダーガルテン¹の教師となる。
明治23   (1:フレーベルの幼児教育理論に基づいた幼稚園)

1895年  教師を辞め、カナダ聖公会宣教師として来日。
明治28

1898年  保母養成所を自宅にて開設。ただ一人の生徒(杉浦いね)とのスタートを
明治31   切る。

1899年  柳城幼稚園(名古屋市東区白壁町)を園児8名で開園する。
明治32

1903年  柳城幼稚園に「母の会」を立ち上げ、母親教育に力を入れる。
明治36

1922年  養子の清水正高と共にカナダへ帰国する。
大正11

1936年  日本永住を目的に来日。
昭和11

1939年  妹の病気見舞いのため一度帰国するも、この年、再び来日。
昭和14

1940年  名古屋にて逝去(3月29日 84歳)。聖ヨハネ教会にて葬送式(4月1日 
昭和15   85歳の誕生日)。

♥詳しくは『マーガレット・ヤング先生物語』でご覧ください。


創設者 マーガレット・M・ヤング(Margaret Majora Young)

 


ヤングの故郷ヴィエンナ(カナダ)

 


ヤングが担当した幼稚園クラス(通称『ミス・ヤングのキンダーガルテン』)

 


来日(1895年)当初の軽井沢にて  ヤング(前右)

 


1907年の幼稚園卒園写真 ヤング(最後列左端) 杉浦いね(最後列中央)

 


カナダ宣教師団 1908年(有馬温泉)  ヤング(後列左より4人目)

 


保母養成所の学生とスタッフ(1912年)  ヤング(中央列右より2人目)

 


園庭にて「はとの遊戯」  ヤング(左端 白)

 


1919年の保母養成所卒業証明書(当時は英語・日本語2枚綴りであった)

 


校長室のヤング

 


ヤング送別会(1922年)

 


1937年 ヤング(中央) 清水正高(後列右端)

 


聖ヨハネ教会(名古屋)にて葬儀(1940年)

 


八事霊園(名古屋)にあるヤングの墓
次の聖句の一部が刻まれている
イエスは言われた。
「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。」

( ヨハネによる福音書 11章 25節)

 

 

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