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大学礼拝 2016/5/18

カテゴリー:大学礼拝

【ルカによる福音書 11:1-4】
イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。
そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、/御名が崇められますように。御国が来ますように。わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。わたしたちの罪を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」

本日は、毎回の礼拝で唱えている「主の祈り」についてお話します。イエスが弟子らに教えた祈りは、聖書では、これ一つしか記されていません。

(主の祈り)
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン

先ず、天の見えないところにいる神に向かって、イエスは「父よ」と語りかけます。イエスにとっては父ですが、他の人にとっては母かもしれませんから、神に父母の区別はありません。また「わたしたちの父」とありますから、この祈りは皆で一緒に唱えることが前提とされています。続く「み名が聖とされますように」には、神のお名前が皆に共通して受けとめられことの必要性が示されます。そして「み国が来ますように」と「みこころが行われますように」には、神のお考え通りの良い世の中になって欲しいとの願いが込められています。

以上までが、世の中全体についての祈りですが、後半はどちらかというと個人的な祈りになります。先ず、「食べ物を与えてください」と率直ですが、今から2,000年前のイエスの時代は、今とは比べ様もないほど貧困であったことを想像しなくてはなりません。次はキリスト教の中心課題である「罪」について、「ゆるしてください、わたしたちも人をゆるします」と祈られます。そして、「誘惑」に負けて悪い考えを持つことがないようにとの願いの後、最後に、この世は全て神の所有物であることが「国と力と栄光」という言葉で確認されて、主の祈りが終わります。「アーメン」は「心から願います」との念押しです。

これらのことを心に留めながら、「主の祈り」を唱えてみて下さい。(チャプレン)

ツツジと1号館

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