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大学礼拝&AHI巡回報告会 2016/10/12

カテゴリー:大学礼拝

【コリントの信徒への手紙一 12:20-27】
だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。
目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。
それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。

わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。
見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。
それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。
一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。


AHI(アジア保健研修所)
と本学キリスト教センターとの共同企画という形で、合同礼拝&AHI巡回報告会が開催されました。本学では、昨年に引き続き2回目の報告会(1回目はこちら)となりますが、今回は、フィリピンでは少数派であるムスリム(イスラム教徒)の女性であるエメリン・バヒン・ジャラル(以下エミー)さんをお招きし、合同礼拝では、AHIの中島隆宏さんにメッセージを、続く報告会では、エミーさんに「最果ての島で健康を守る―フィリピン・スールー諸島での取り組み」と題するお話をしていただきました。

中島さんは、いわばエミーさんの報告の導入役と自らを位置づけながら、彼女が、フィリピンの中でも政情が安定せず、住民の生活や健康が脅かされる少数派のイスラム教徒の住んでいる地区で、病院院長兼保健局長という立場から、住民の健康を守るために取り組んでいることを紹介するとともに、AHIが、エミーさんの活動を支援することの意味を、「もっとも大切と思われていない兄弟の友人、隣人となること」「アジアと日本、また、ムスリムとクリスチャンとの和解・対話」のうちに求め、「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」(一コリ12.26)という聖書の言葉にあるように、誰かを犠牲にした平和ではなく、いっしょに喜べる平和を、健康づくりを通して行いたいと話されました。

エミーさん(中島さんが通訳を務める)は、フィリピンの最南端にあるスールー諸島の離島であるパゴタランで病院長兼保健局長を務める中で、とくに、力を入れて取り組んでこられたことを、スライドを使ってわかりやすく説明してくださいました。たとえば、妊娠のことも、母親だけでなく父親にも理解を求めて家族の問題として捉えてもらうこと、保健に関わる諸問題も、ひとつの家族だけでなく地域全体のものとするために、その地域の長やキャプテンに働きかけること、また、次世代を担う子どもたちに早期から保健に関わる知識を伝えていくこと、さらに、ラジオや劇を通してそれを浸透させていくこと等々、その活動は実に広範にわたるものでした。社会を変えるためには、一人ひとりが変わっていくことが大切だからです。このような弛まない活動を続けてこられたのは、貧しい人びとの喜びにまさるものはないから、とも語るエミーさん、キリスト教の礼拝を守るわたしたちには、ひとに仕え、神に仕えることを神様は喜んでくださる、とあたたかく語ってくださいました。(菊地)

 

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