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大学礼拝 2016/12/14

カテゴリー:大学礼拝

【コリントの信徒への手紙一3:6-7】

わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。
ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。

本日の聖書個所から、人の成長について考えてみます。

実習先でも気づくことでしょうが、子どもの行動は年齢相応に変化するものです。幼稚園に入ったばかりの子は、親元を離れて生活するという初体験にとまどう毎日でしょうが、年中さんになると、園生活に慣れてきて、自分勝手な面が出始めます。でも、それが年長さんになると、お兄さんお姉さんと呼ばれ、小学校に向けての心の準備も重なって、緊張感を持って生活できるようになります。中学校でも同じで、入学したての頃は、教科別に教員が変わるという学習環境に新鮮味を感じますが、2年生にもなると、いわゆる反抗期を迎えて、心が不安定になることもあります。でも、それが3年生なると、先輩と呼ばれるようになり、高校受験を控えることから、だんだんと落ち着いてくるものです。

このように人は、ある程度の決まった段階を踏んで成長するものですが、ときどき、ある特定の段階を飛び越えてしまうことがあります。いわゆる「幼児返り」の原因もそこにあると言われています。

私が中高一貫校の教員をしていた時の話ですが、職員室によく遊びに来る女子生徒がいて、それがいつの間にか、ある女性教員の膝の上に毎日座りに来るようになったのです。これが職員会でも話題になったのですが、養護教諭の方が「これは子どもの時に、親の膝の上で遊んだ経験がなかったために起こる幼児返りで、そのうち、しなくなりますよ」とアドバイスしたために、その女性教員は安心したうえ、女子生徒も一ヶ月もしないうちに、その行動を止めたのです。

また、荒れた中学校の話ですが、廊下を自転車で走り回るような中学生が、ある時、三輪車を見つけて、それを大変楽しそうに乗り回していたということです。これも「幼児返り」の事例かもしれません。

いわゆる「お受験」などという環境で育つ子どもも多い今の時代、親に甘えて育つ時期を経験できなかった子もたくさんいるでしょう。豊かな幼児体験を経験させることが親の大切な務めです。保育の仕事を目指す多くの皆さんには、親と話し合えて指導もできるような人になって欲しいと思います。(チャプレン)

ポインセチア

●次回の礼拝:クリスマス礼拝 12/21(水)16:30- (体育館)

 

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