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大学礼拝 2017/4/26

カテゴリー:大学礼拝

【マルコによる福音書1:40-42】
1:40 さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。
1:41 イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、1:42 たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。

本日の聖書にある「重い皮膚病」ですが、昔の聖書では「らい病」と訳されていました。「らい病」は差別的だということで、今は「ハンセン病」と呼ばれています。ただし、「重い皮膚病」イコール「ハンセン病」だとは単純には言えないようです。

さて、本学の創始者マーガレット・ヤング先生が活躍されていた時代、ハンナ・リデルという名の女性が聖公会の宣教師としてイギリスから日本に渡ってきました。彼女は東京で1年間勉強した後、今の熊本大学で英語の教師になりました。ある日、桜咲く本妙寺の参道を歩いていると、大勢のハンセン病患者が物乞いをしながら座っているのを目にしました。当時の日本にはハンセン病患者が3万人以上いたと言われていますので、リデルが見た光景は、イエスの時代のそれと似ていて、誰もが身を引いてしまい、よけて通りたくなるような、そんな状況だったと思います。ハンセン病は本来、感染力が大変弱い病気なので触っただけでうつるということはなかったのですが、2,000年も前の当時としてはたいへん恐れられていて、患者に触ることは身が汚れることだとも言われていたのです。でもイエスは違っていました。彼は「治してください」と寄りすがる患者を深く憐れました。ここで使われている「憐れむ」という言葉は「はらわたが引き裂かれる」という意味を含むギリシア語ですので、「イエスは心の底から助けたい気持ちになった」と解釈することができます。そして、その通りに、イエスは患者に手を差し伸べて体に触れたのです。「抱きしめた」と訳している聖書もあるくらいです。

さて、リデルはこのイエスに倣い、ハンセン病患者を救うために宣教師の仕事を辞めて病院を作ることを決意します。約5年後に回春病院という形で彼女の希望はかない、以降、約40年に渡りハンセン病患者を救う活動にリデルは身を捧げたのです。

こんな話をすると、皆さんは「すごいなあ」と思うかもしれませんが、それだけでなしに、私にも何かできないかなあと思うことが大切ではないでしょうか。

現在、日本には13の国立のハンセン病療養所があり、そこで約2,000人の方が生活をされています。実際に患者である方はほとんどいませんが、高齢化が進んでいますし、今なお差別に苦しんでいる人もいます。幸せを望み、そして天国に行きたいと願っている方ばかりです。ぜひ、心に留めておいてください。(チャプレン大西 修 主教)

2年目を迎えたペチュニア(満開に、感謝!)

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