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大学礼拝 2017/5/10

カテゴリー:大学礼拝

【ヨハネによる福音書10章11-16節】
10:11 わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。
10:12 羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――
10:13 彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。
10:14 わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。
10:15 それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。

10:16 わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。

聖書には「羊」や「羊飼い」という言葉がたくさん登場します。日本では見られませんが、イエスが生きたパレスチナでは羊は遊牧されていました。今でもそうですし、私も実際に見たことがあります。主に羊毛を取るための遊牧ですが、やせている土地での大切な生活手段なのです。

羊飼いの役目は羊を草地や水源に導くことでした。羊はもともとが不器用な動物でして、集団でないと行動できないため羊飼いの強力なリードを必要とします。面白いことに、羊飼いは羊に名前をつけていて、夜になると「点呼」を取ります。そのくらいに羊飼いは一匹一匹を大切に扱ったということです。ですので、今日の聖書にあるイエスの「わたしは良い羊飼いである」という言葉を聞いた当時の人々はすぐにピンと来たことでしょう。イエスは私たち一人ひとりに心を配ってくださる方だと。私たちは集団でうまく行動できている時でも、実は一人ひとりが不安だったり孤独だったりすることもありますね。そんな羊のように不器用な人間の性格をイエスは良くご存知でした。

皆さんは柳城に入学した時には多少なりとも不安を感じたことでしょうね。今はどうですか。私は皆さん全員に「柳城に入って良かった」と心底思って欲しいです。そうなるためにも自分の中心に心棒を持ってください。大勢の中にあっても自分を見失わずに周りから認められるよう、自分自身を鍛えて欲しいのです。この礼拝でもそうです。将来、人の前でお話をするような仕事に就こうとする皆さんにとっては良い勉強になるでしょう。たとえば「自分の話を聞いて欲しい」という思いを相手にどう伝えたらいいのでしょうか。イエスは「聞く耳のある者は聞きなさい(マルコ4:9)」とたびたび語ります。イエスは無理やり人にものを押し付けようとはなさいません。それが彼流の、人を一人ひとり大切にする方法なのです。

イエスの事をもっともっと知って、自分のために役立ていって下さい。(チャプレン大西 修 主教)

ノースポールと折り紙チューリップ

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