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マルコ通読25(マルコによる福音書11:12~26)2018/10/11

カテゴリー:活動記録

今日はマルコ通読二十五回が行われました。

今回心に響いた御言葉は…
それから、一行はエルサレムに来た。イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。また、境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。 そして、人々に教えて言われた。「こう書いてあるではないか。『わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった。」祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、イエスをどのようにして殺そうかと謀った。群衆が皆その教えに打たれていたので、彼らはイエスを恐れたからである。(マルコ11:15~18)

今回の記事は「宮清め」と言われる有名な場面です。エルサレムに入られたイエスは激しく憤られました。それは神に祈りを捧げる神殿という「祈りの家」が、宗教指導者が民から金を搾取するための不誠実な「強盗の巣」となっていたからです。

イエスはその不誠実な人間たちに向けて決然と、神殿が本来どうあるべきなのか、宮清めのお姿によって真理をお伝えになられました。

私は今回、イエスが語られた「祈りの家」がイザヤ書56:7、「強盗の巣」はエレミヤ書7:11に記載されていることも知りました。そのようにイエスは常に聖書に基づいて神の真理をお伝えになり、神のご計画の道を歩まれていたのです。

反面、私はイエスの時代同様、現代でも、自身を中心に考え他人を動かす権力者には、神の真理は奥深く身を焦がす痛烈な怒りと痛みとなるのではないかと考えました。

イエスの宮清めに歓喜したであろう民の姿を見た宗教指導者たちは、イエスを殺す計画を心に固めることになります。

そうなることを承知で、神に祈りを捧げ「宮清め」を実行なさったイエス…。

次回もそのイエスの歩まれた道を、知識だけでなしに、心に深く刻んで学んでいきたいと思います。


腹話術ショー

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