*
個別記事ページ

マルコ通読30(マルコによる福音書12:38〜43)2018/11/24

カテゴリー:活動記録

今回、心に響いた御言葉は…
イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」(マルコによる福音書12:43〜44)

イエスは賽銭箱の前に座り、人々がお金を入れているのを見ておられました。その賽銭箱はラッパ状で、お金を入れるたびに大きな響きが回廊に轟き、それが裕福さをあらわす一つのステイタスとなっていました。

次々に身なりの良い人々が沢山のお金を投げ入れる中、イエスは1人のやもめの姿に目を止められたのです。

やもめが捧げたお金は、当時のユダヤの最小通貨であった1レプトン銀貨2枚。1日の労働賃金分と言われる1デナリオンの64分の1というわずかな額でした。

やもめを食いものしていた律法学者とは対照的なその姿は、世間では「少数で弱い立場」そのものです。しかし彼女には世間の人々が持つことが出来ないものを持っていました。それは、ただひたすらに神を頼りに生きる彼女の信仰の厚さです。そこにイエスは目を止められ、彼女の神への献身、献げる感謝の思いを感じたのです。

1人のやもめは痛いまでに神への献身をあらわしました。

見せかけの祈り、身なり、行動をしていた律法学者たちはイエスの御言葉をどうように聞いたでしょう。

いつもイエスは「見かけ」ではなく「心」を問題にされます。そこには信仰と愛に繋がる献身の思いが頂点にあるのです。そのイエスを、神を、ただひとつ拠り所として生きる。それは失ったものを知っている人間が得られる賜物だと私は思います。イエスはその弱い立場の人間の思いを知っておられます。

次回も学びは続きます。
これからも与えていただけることに感謝し、続けていきます!


ワイルドフラワー

このページの先頭へ