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大学礼拝「子供たちを来させなさい」2019/9/17

カテゴリー:大学礼拝

【マタイによる福音書19:13-15】
19:13 そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。
19:14 しかし、イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」
19:15 そして、子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた。

毎朝8時40分~50分の10分間、「キッチンはらぺこ」で朝の礼拝をしています。その礼拝の中で聖歌を歌い、主の祈りを唱え、そして次の祈りを時々することがあります。

「子供たちを愛する私たち」
主よ、今朝も柳城に集えることを感謝します。
柳城はフレーベルの思想を大切に、保育を価値あるものとして120年もの道を歩んで来ました。
あなたのご計画に驚くばかりです。
創設者マーガレット・ヤング宣教師の思いが、いつまでも私たちと共にありますように。
イエス・キリストは言われます。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」と。
フレーベルはこの言葉から、子どもの生命(いのち)の偉大さを、子どもに自由な成長が保証されることを学んでいます。
子どもたちを教え、かわいがる対象としてだけではなく、愛し、敬意を払う対象にできるように、主よ、どうか私たちを成長させてください。
フレーベルは語りかけます。「子どもたちから、学ぼうではないか。」と。
主よ、この謙虚さ、誠実さ、信仰心を私たちにも与えてください。
私たちを高いレベルに導いてください。
この祈り、主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン

子どもたちと長い時間を一緒に過ごしたことがある人ならだれでも、子どもたちが素晴らしい天使のような存在ではないことをよく知ってます。走り回って物をひっくり返したり、壊したり、親の会話の邪魔をしたり、面倒で厄介な質問をしてきたりします。イエスの時代も同じだったでしょう。多分いろんな性格や気質の子どもたちがいっぱいいて、中にはやんちゃな子もいれば、内気な子、好奇心いっぱいの子、わがままな子もいたことでしょう。実に多種多様な子どもたちでしたが、イエスに惹きつけられたのです。そんな子どもたちをすべてイエスは喜んで受け入れられました。子どもが最も弱く、小さな存在とされていた当時の文化の中で、イエスはご自分が子どもたちを祝福できるよう、子どもたちがそばに来ることを歓迎なさいました。

イエスは私たちに対しても同じまなざしで見ておられます。私たちがすべてを持っていなくても、完璧なふるまいをしなくても気になさいません。そんなことを期待しておられるのではなく、いつも私たちのそばにおいでになりたいのです。イエスは私たちが人々から歓迎され、大事にされ、仲間にしてもらいたいという願望を持っていることをご存じです。イエスにとっての理想像(私たちが勝手に考えた)など問題になさいません。ただ、私たちがイエスのもとに来ることだけを望んでおられるのです。

イエスのもとに連れてこられた多種多様な子どもたちに、深い愛情と忍耐力を示され、子どもたち全体と、個々の子どもたちとのやり取りを通して、イエスはあふれるばかりの愛と喜びを与えられました。

私たちに対しても、イエスは子どもたちに対すると同様に手を差し伸べてくださいます。イエスは私たちの良いところと悪いところすべてをご存じの上で、そのままの私たちを受け入れてくださり、良いところはさらに伸ばしてくださるのです。イエスを信じてイエスのもとに行く時、子どもたちのようにイエスに近づけるようになれることを、保育者を目指す私たちも覚えたいものです。(チャプレン大西 修)


ポーチュラカの実

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