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大学礼拝「相手を大切にする基礎」2020/6/18

カテゴリー:大学礼拝

【マタイによる福音書22:37-40】

22:37 イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
22:38 これが最も重要な第一の掟である。
22:39 第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』
22:40 律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」

 

「隣人を自分のように愛しなさい。」

いわゆる隣人愛です。隣人愛というと、自分を犠牲にして他の人のために働く、というように聞こえる人もいるかもしれません。自分のことは放っておいても、他の人のため、子どもたちのため、あるいは学生のために頑張る。素晴らしいことのように思えますが、少し注意が必要です。

「隣人を自分のように愛しなさい。」

「自分のように愛しなさい」です。隣人を自分よりも愛しなさい、ではありません。自分を愛するのと同じように、隣人を愛しなさい、と語られています。隣人を愛する、その前提に、自分を愛する、ということがあるわけです。

愛する、という言葉は、大切にするという言葉に置き換えることもできます。自分を大切にするように隣人を大切にする、ということです。

たとえば、幼稚園の先生たちが、子どもたちのことを大切だと思って、連日連夜、自分の身を削って、健康を損ないながら、次の日の準備をしているとしたら、どうでしょう。自分の身を削る、ということは、一見美しいことのようにも思えます。私自身もそういうところがありますが、そうしたことが自分自身の喜びであると感じることもあるかもしれません。しかし一方で、実は、自分を大切にしていない、ということにもなりかねません。自分を大切にする、というのは、考えてみますと、案外簡単なことではないかもしれません。

イエスは、隣人だけでなく、もちろん自分だけでもなく、隣人も、そして自分も大切にしなさい、と言っておられます。そしてそこには、神が、すべての人を愛しておられる、という大前提があります。神は、すべての人を大切にしておられる。それはもちろん、ここにいるお一人お一人もそこに含まれます。したがって、皆さまが、自分を大切にしない、どうでもよい、と思うことを、神は決してよしとされないわけです。

ですので、隣人を大切にする、その基礎として、ぜひ自分自身を、神から与えられた、かけがえのないものとして慈しんでいただきたい、と思うのです。

「隣人を自分のように愛しなさい。」

隣人も自分も大切にする、そのことを思いながら、今日も柳城での学び、働きの時を過ごしていただければと思います。(チャプレン 相原 太郎)


イトバハルシャギク

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