*
個別記事ページ

大学礼拝「命のパン」2021/9/23

カテゴリー:大学礼拝

【ヨハネによる福音書6章26~35節】
6:26 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。
6:27 朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」
6:28 そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、
6:29 イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」
6:30 そこで、彼らは言った。「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか。
6:31 わたしたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べました。『天からのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。」
6:32 すると、イエスは言われた。「はっきり言っておく。モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。
6:33 神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」
6:34 そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、
6:35 イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。

✝ ✝ ✝

「私が命のパンである。」イエスが、こう話す前、5000人もの貧しい人々がイエスのところに集まっていました。そこでイエスは、わずかのパンと魚を彼らと分かち合いました。すると、そこにいた全ての人たちのお腹は満たされました。イエスが奇跡を起こしたということで、この時、イエスの人気は頂点に達しました。そして、人々はこのイエスこそ自分たちの支配者にふさわしいと考え、来るべきユダヤの王として祭り上げようとしました。当時、イスラエル地方はローマ帝国によって支配されていましたので、人々は、イエスがローマの圧政から解放してくれる王となるのではと期待しました。
しかし、イエスはそのような王になるつもりはありません。人々の求めに気がついたイエスは山に逃れます。しかしそれでもなお人々はイエスを追いかけ、探し出して見つけます。パンと魚で自分たちを満たしてくれた、あのイエスを自分たちの王にしようと求めて追いかけてきたわけです。

そのような人々に対してイエスが話した内容が、今日の聖書の言葉です。

イエスは、自分を探している人たちに対し、パンを食べて満腹したから自分を探しているのだろうと語ります。パンは確かに生存に必要不可欠なものであり、イエスはもちろんそれ自体を否定しているわけではありません。単にパンなどよりも大事なものがあると言っているわけでもありません。食べるパンが本当に必要であったからこそ、イエスは5000人とパンを分かち合いました。しかし、お腹を満たした民衆たちはイエスが王として君臨することを追い求めます。もっとパンをということです。
そんな民衆たちにイエスは語りかけます。私こそが命のパンなのだと。私自身の命が人々の間で共有されること。それによって、「誰一人、失わないで、終わりの日に復活させること」、それこそが父なる神のみ心なのだと話します。
 イエスは、人々を一人も失わないため、王として支配することは積極的な意味でしませんでした。むしろ、最も低い立場に立ち、貧しい人たちに徹底して寄り添い、彼自身が貧しさの中でその人生を送り、そして、その激しい愛の行為ゆえに十字架にかけられました。イエスは、自分自身の命を文字通り割き、人々に分け与えられたわけです。
イエス自身が分かち合われるパンであるということは、その命を、自分だけの個別的なもの、パーソナルなものとせず、人々と分かち合い、共有し、提供し、投げ出すということです。そのことによって、私たちは一人も失われることなく、誰一人飢え渇く者はなく、永遠の命へと至らせられる、ということです。

イエスは、今日、ここに集められた私たちに対しても、「私こそ命のパンだ、私は自らを差し出す、だからもはや誰一人失うことはない」と語られます。
様々な不安や痛みを抱える私たちですが、イエスが、「誰一人失うことはない」と私たちを力づけ勇気づけ、その命を私たちに分け与えられ、そのようにして私たちは支えられ生かされていることを覚えたいと思います。
そして、イエス自身が、その生涯を、私たちに、とりわけ貧しい人、飢えている人に分け与えられたように、私たちも自らの生活を自分だけのものとして抱え込むのではなく、人々と分かち合っていきたいと思います。  (チャプレン 相原太郎)


オオスカシバの幼虫

このページの先頭へ