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大学礼拝「立ち上がって、行きなさい。」2021/10/28

カテゴリー:大学礼拝

【ルカによる福音書 17章11~19節」
17:11 イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。
17:12 ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、
17:13 声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。
17:14 イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。
17:15 その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。
17:16 そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。
17:17 そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。
17:18 この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」
17:19 それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

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 イエスの一行がサマリアの間を通って入ったある村には、特別に汚れているとされていた重い皮膚病を患った10人の人たちが共同生活を送っていました。その10人の中には、ユダヤ人とサマリア人が含まれていました。当時の社会では、サマリア人はユダヤ社会から差別を受け、ユダヤ人とサマリア人が一緒に暮らすことは通常ではありえませんでした。しかし重い皮膚病を患っているこの10人は、それぞれユダヤ人の社会、また、サマリア人の社会から追放されて自分の町に住むことができなくなったからか、追い出された者同士が身を寄り添って住むことになったようです。イエスは、そんな行き場を失った人達の暮らす村に立ち寄りました。
イエスは10人に「祭司に体を見せなさい」と言います。そこで彼らはその言葉に信頼して祭司のもとに向かいます。するとその途中で体は既に清くなっていました。しかし、当時のユダヤ社会では、重い皮膚病が治り、元の社会に戻るためには、ユダヤ教の祭司に見せて、その回復を証明してもらう必要がありました。だからこそ、道の途中で清くなったとしても、ユダヤ人は祭司に見せに行く必要がありました。しかし、サマリア人にはそれが許されていません。サマリア人はユダヤ社会から排除されており、ユダヤ教の祭司に見せたところでユダヤの共同体に戻ることができませんでした。
一方、サマリア人を除く他のユダヤ人9人は祭司のもとに喜んで向かったに違いありません。そして、祭司に自分たちの体が清くなったことを誇らしげに見せ、そして祭司に、もうあなたたちは重い皮膚病を患った人ではない、もう罪人ではない、あなたたちはユダヤ社会の正しい一員であると、認めてもらったことでありましょう。そして、彼らは喜び勇んで自分のもといたユダヤ人の共同体に帰っていったことでしょう。しかし、それは何を意味するのでしょうか。それは、すなわち、自分たちはもう重い病を負った罪人ではなく、サマリア人とは異なり、正しいユダヤ人として生きることができるのだということです。つまり彼らは、せっかく病気から回復したのに、ユダヤ社会の古い枠組みにしばられたままで、病者に対する偏見、外国人に対する差別感情は、もとのままであったということです。

他方、サマリア人ですが、清くなったのに祭司にもユダヤ社会の一員として認めてもらえず、トボトボと残念そうにイエスのもとに帰ってきたでしょうか。そんなことはありませんでした。彼は明るく自信に満ちた姿で帰ってきました。祭司に認めてもらう以上の、すなわち、ユダヤ社会に入れてもらう以上の喜びを感じているようです。というのも、彼は、イエスとの出会いを通じて、これまでの戒律に縛られた古いユダヤ社会の枠組みから解き放たれ、自分がもはやユダヤ教の祭司によって認めてもらう必要もないのだ、自分は自分のままで神に祝福され、ありのまま生きていていいのだ、ということに気付かされたからでした。

イエスはサマリア人に言います。「立ち上がって、行きなさい。」あなたは、もう大丈夫だと。なぜならば、あなたの信仰があなたを救ったからだと。神はあなたの存在をそのまま祝福される。あなたはそのことを既に理解している。だから安心して行きないと、告げられるのです。

今日、イエスは私たちにも同じように呼びかけておられます。「立ち上がって、行きなさい」と。あなたの存在を神はそのまま祝福しておられる。だから大丈夫だ、安心して行きなさいと。すべての人々に神が働いておられることに信頼し、感謝しつつ歩んでまいりたいと思います。
(チャプレン 相原太郎)


1号館南

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