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大学礼拝「今だからできること」2022/7/13

カテゴリー:大学礼拝

【「コヘレトの言葉」3.1~8】
3:1 何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
3:2 生まれる時、死ぬ時/植える時、植えたものを抜く時
3:3 殺す時、癒す時/破壊する時、建てる時
3:4 泣く時、笑う時/嘆く時、踊る時
3:5 石を放つ時、石を集める時/抱擁の時、抱擁を遠ざける時
3:6 求める時、失う時/保つ時、放つ時
3:7 裂く時、縫う時/黙する時、語る時
3:8 愛する時、憎む時/戦いの時、平和の時。

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一昨年にコロナの感染が日本中でまん延し始めてから、これまで大学では、皆さん一人一人をコロナ感染からどのように守っていくかということに、重きを置きながら歩み続けてきた。今もコロナ感染の第七波が押し寄せていると言われているが、今後は、そのような中にありながらも、皆さんの学業を、皆さんの学生生活を、より積極的に、より前向きに進めていく、そんな「とき」がきていることを強く感じている。

今日読まれた聖書の箇所では、人生には、また、世の中のさまざまなものや出来事には、それぞれの「とき」というものがあって、しかも、それがとても相応しい仕方で定められているということが語られている。コロナのことを例にとっても、それにひたすら耐える「とき」、がまんしながら少しずつ新たな準備をする「とき」、用心しながらも前に向かって動き出す「とき」、そのようなさまざまな「とき」があるように思われる。

保育・幼児教育への道を歩み始めている皆さんにとっても、学生時代の今というこの「とき」だからできること、今だからこそしておいたほうがよいこともあるのではないだろうか。

さて、わたしがこの大学と関わりをもつようになったのは、もう今から30年ほど前のことである。個人的なことを言うと、それはちょうどわたしの長女が誕生してまだ三ヶ月くらいのころであった。キリスト教の授業を担当するということで、この大学と新たに関わることになったが、わたし自身はそれまで幼児教育の勉強はほとんどしたことがなかったが、ちょうど子育てをする時期と重なったということもあり、自分なりにいろいろと保育のことを学んだように思う。すてきな絵本や童話、またすてきな言葉ともいろいろと出会ったのもそのころであったと思う。そしてそのような作品のなかのひとつに、ロバート・フルガムというアメリカ人の書いたエッセイがある。タイトルは、『人生で大切なことはすべて幼稚園の砂場で学んだ』というもので、今日はそれをぜひ皆さんに紹介したいと思っている。


人間、どう生きるか、どのようにふるまい、どんな気持ちで日々を送ればいいか、本当に知っていなくてはならないことを、わたしは全部残らず幼稚園で教わった。人生の知恵は大学院という山のてっぺんにあるのでなく、幼稚園の砂場に埋まっていたのである。

 わたしはそこで何を学んだだろうか

 何でもみんなと分け合うこと
ずるをしないこと
人をぶたないこと
使ったものはかならずもとのところに戻すこと
ちらかしたら自分で片づけをすること
人のものに手を出さないこと
誰かを傷つけたら、ごめんなさい、と言うこと
食事の前には手を洗うこと
トイレに行ったらちゃんと水を流すこと
(焼きたてのクッキーと冷たいミルクは体にいい)
釣り合いの取れた生活をすること―毎日、少し勉強し、少し考え、少し絵を描き、歌い、踊り、遊び、そして少し働くこと
毎日かならず昼寝をすること
おもてに出るときは車に気をつけ、手をつないで、はなればなれにならないようにすること
不思議だな、と思う気持ちを大切にすること

 

大学院を出てから、まだそんなに時間も経っていないころだったので、この文章と出会ったときは、まさしく大学院という山のてっぺんから転げ落ちるような気分でもあった。
自分が長らく当たり前だと思っていた、たくさんのこと、それがどこに由来するものであるかをほとんど考えていなかったようなことが、じつは、幼稚園に由来するものであることが、とても簡潔に見事に表現されていると思った。幼児教育に関わるというのは、人間の根幹に関わる何かとてもスゴイことであると感じた瞬間でもあったし、この柳城に入学し、そして卒業していく学生たちは、これほど大切なことを伝えることに関わっている、とても尊い存在であると感じた瞬間でもあった。(とてもこの文が気に入って、会議で、昼寝の時間を取り入れませんか、と提案したことがありましたが、即、否決されました。)

幼稚園や保育園の時代の先生にあこがれたのがきっかけで、保育者を目指したということを入学試験の面接でよく耳にすることがあるが、わたしは、皆さんにも、是非とも、あこがれの対象となるような存在になってほしいと思っている。
あこがれるという言葉は、あくがるという言葉が語源となっているようで、その意味するところは、心が身体から離れる、心がさまよい歩くということに由来しているらしい。
何かに夢中になっているとき、人の心は身体から離れたようになる。絵本に集中しているとき、子どもの心は、その場を離れて、絵本の世界へと旅をしている。
そんなあこがれのポケットをたくさんもった保育者になってほしいと思っている。
そのためには、保育者を目指す皆さん自身が、たくさんのあこがれの体験をしてほしい!と願ってもいる。

フルガムさんが、「不思議だな、と思う気持ちを大切にすること」と語っているように、
不思議なことに心を踊らせてほしいし、美しいものに心を魅せられてほしい。ワクワク、ドキドキするようなことをたくさん経験してほしい。学生である今のうちに、と思っている。そして、そのような体験の積み重ねこそが、卒業後の、幼稚園や保育園やこども園でのこどもとの出会いを生き生きとしたものにすると思って歩んでいただきたい。

また、幼いときにしか身につけることのできない大切なことはどのようなことかを、ときどきは考えることもしてほしいし、そのようなことを考える習慣を持つことは、きっと皆さんの今の生活をも豊かにしてくれると思っている。

今、きっと目の前に試験やレポートもあるが、その少し先には夏休みを控えているので、今日はついこんなことを伝えたくなり、お話をさせていただいた。 (学長 菊地伸二)

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