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クリスマスツリー点灯式 2022/12/7

カテゴリー:ツリー点灯式

【ヨハネによる福音書 第1章1節~9節】
1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
1:2 この言は、初めに神と共にあった。
1:3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
1:4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
1:5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
1:6 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。
1:7 彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。
1:8 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。
1:9 その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。

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初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に成ったものは、命であった。この命は人の光であった。光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった。(ヨハネによる福音書1章1−5節)

今、この社会は物事が本当に早く進んでいるように思います。情報は文字通り、光の速さで私たちの周りを飛び交っています。私たちは、スマホやネットを使って、物事を早く終わらせるはずでした。ところが、私たちは前よりもずっと忙しくなっているように感じます。頭の中は、いつも「時間がない」、「忙しい」の言葉でいっぱいです。忙しくなると、失ってしまうものは何でしょうか。

失うものの中でもとりわけ大きいのは、周りの人との関わり合いです。忙しい、後で。時間がない、また今度。それは、もちろん保育の現場でも起きていることです。柳城の建学の精神は「愛によって仕える」です。しかし、忙しさの中で私たちはそこからどんどん離れているような気がします。

現代の私たちがイメージする「光」とは、速さであり、効率性かもしれません。しかし、今から、2000年前、この世界に、もう一つの光がもたらされました。それがイエス・キリストです。イエスは、悲しんでいる人を慰め、病気の人を癒し、飢えている人を満たし、貧しい人に希望をもたらす、光となっていきました。イエスによってもたらされた光は、決して速いものではありませんでした。イエスは、速さや力で世界を一気に変えることはありませんでした。むしろ、出会った人と、ゆっくりと関わっていきました。

今日、この点灯式で灯される光は、小さく、遅く、ゆっくりしたものかもしれません。でも、そのような光こそ、私たちが忘れている、人と人との関わりを思い出させてくれます。今日そのような光を灯し、私たちも、この社会の闇をゆっくりと照らし続ける光となれるよう、祈りたいと思います。 (チャプレン 相原太郎)

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