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大学礼拝「病人を癒す」2023/9/6

カテゴリー:大学礼拝

【マルコによる福音書 1章29~34節】
1:29 すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。
1:30 シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。
1:31 イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。
1:32 夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。
1:33 町中の人が、戸口に集まった。
1:34 イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。

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 イエスの時代は、病気は悪魔の力によると考えられていました。悪魔に支配されているから病気になるのだ、ということです。言い換えれば、神から見放されているから、あるいは、神に呪われているから病気になるのだ、というわけです。こうしたことを背景としていますので、イエスが病人を癒したというのは、イエスが医学的な意味で、治療したということとは、少し違います。イエスが癒す際には、イエスが悪霊を追い払ったと表現されたりしますが、それは、イエスによって、その人が悪魔的なものから解放された、ということを意味します。それは別の表現を用いれば、その人が、神との交わり、そして人々との交わりを回復した、ということです。

イエスの一行がシモン・ペテロとアンデレの家に行くと、ペテロの姑が熱を出して寝ていました。当時の常識では、結婚した女性は、自分の夫の家で暮らします。しかし、彼女は、自分の夫ではなく、娘の夫の家にいたわけです。これはすなわち、彼女の面倒を本来見てくれるはずの家族がいない、ということになります。彼女にとって、ペテロの家は本来自分がいるべき場所ではないところと考えていました。しかし、他に頼りにできるところもなく、肩身の狭い思いをしながらも、そこに身を寄せていました。
そんな彼女のいる家に、イエスがやってきます。するとイエスは、他でもなく彼女のところに真っ先に近づきます。そして手を差し伸べて、彼女を癒やされました。イエスとの出会いを通じて、孤独の中にあった彼女は、人々との関係性、そして見放されていたと思い込んでいた神との関係性を回復していきました。

現代の社会では、神と人、人と人との関係を断ち切るような力が、私たちを取り囲んでいるように思います。私たちは競争を強いられ、孤立し、大きなストレスを抱えながら日常を送っています。そして、そんな中で社会から脱落していく人に対しては「自己責任」、その人が悪いのだ、と言って、切って捨てるのが、現代の社会の厳しい現実です。これは、イエス時代、重い病にかかると、悪魔に支配されたのだから仕方がない、その人が悪い、と切って捨てていたことに似ているようにも思います。

そうした中で、イエスは、切って捨てられていた人々の間に入っていき、人々の関係を回復していきました。私たちも、その働きに連なり、隣人との人間的なつながりの回復を求めていきたいと思います。
(チャプレン 相原太郎)


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