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大学礼拝「見よ、極めて良かった」2022/4/13

カテゴリー:大学礼拝

【旧約聖書 創世記1章26~31節】
1:26 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
1:27 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。
1:28 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
1:29 神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。
1:30 地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」そのようになった。
1:31 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。

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 今日の聖書は、旧約聖書の一番初めの書物である、創世記から選ばせていただきました。と言っても、旧約聖書って、何? と、思っている方もいらっしゃるでしょう。旧約聖書の旧約は、「旧い契約」という意味の言葉です。キリスト教には、「新しい契約」を記した「新約聖書」があるので、神さまとの最初の約束を旧い契約、旧約と呼んでいます。
しかし、ユダヤ教やイスラム教では、旧約聖書での神さまとの約束は、決して旧いものではありませんので、「旧約」とは呼ばれませんし、あまりにもキリスト教中心の呼び方ですから、最近は旧約聖書ではなく「ヘブライ語聖書」と呼ぶようになってきています。

さて、今日は旧約聖書創世記の朗読、神さまがこの世界を造られ、わたしたち人間も造られたという「天地創造」のお話しを聴きました。
日本には、この創世記のお話しを歴史的な事実だと受けとめている人は少ないのですが、アメリカでは、たとえばアーカンソー州という州では、現在でも公立高校でこの「天地創造」の物語を、歴史的な事実として自然科学の時間に教えることが許されています。
自然科学で進化論を教えられてきた、わたしたちにとってはビックリするような状況がアメリカにはありますが、では、この創世記の神さまがこの世界を造ったというお話しは、おとぎ話のような、もっといえば単なる作り話なのでしょうか?
もちろん、この「天地創造」の物語は、起こった出来事を、正確に記録しているという意味では、歴史的事実ではありません。しかし、おとぎ話のような、作り話なのかといわれれば、それは違います。
聖書のお話しは、すべてが歴史的な事実ではないかもしれませんが、この聖書を記した人たちが、その人生をどう生きたのか、その人生の出来事で何か感じ、何がこの世の中の確かなものであると確信したのかという、その人たちの真実の告白の記述なのです。
この聖書を記述した人たちが、困難な中にあっても、神さまの確かな導きを信じて、その恵みに希望を与えられて、神さまを讃美した信仰の叫びなのです。

では、聖書の内容に聴いてみましょう。
26節で「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」という神さまの言葉が記されています。すごい言葉です。みなさん、そう思いませんか?
なぜなら、この聖書の時代、神さまの形、神さまの像、イメージに造られたのは、王さまだけだったのです。王さまは、神さまの形につくられているからこそ、人々に命令をすることが出来ました。
しかし、聖書はすべての人がみな等しく神の形につくられた、素晴らしい存在であると語っているのです。
社会の中で、その存在を否定され、貶められている、わたしたちの人間性を回復し、わたしたちの存在そのものが、かけがえのない尊いものなのだと聖書は語るのです。
聖書は、わたしたち人間社会が持っている、階級制度を批判し、人間の間には、尊いものと卑しいもの、身分の高いものと低いもの、支配するものと支配されるもの、力を持つものと力を奪われているものというような、分け隔てがあってはいけないのだと語るのです。
31節で、「身よ、それは極めて良かった」と言われているその内容は、互いに愛し合うことが出来ずに、奪い合い、傷つけあって、人生を謳歌できずに生きているわたしたちに、わたしたちが本来与えられている、神の似姿を回復し、互いに愛し合い、支え合い、分かち合う世界を回復するようにという励ましの言葉なのです。

今日わたしたちは、極めて良い存在として、生命を与えてくださり、その生命を光り輝かせて生きるようにと祈ってくださっている神さまの招きに、応えて歩みを始めて行きましょう。
(チャプレン 後藤 香織)


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