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終業礼拝 2018/3/16

カテゴリー:大学礼拝

「受けるよりは与える方が幸いである。」(使徒言行録20:35)

イエス・キリストの言葉として、パウロがエフェソの教会を去る時、伝えた言葉です。イエスさまを模範とする生き方がこの言葉に示されています。

人が人として生きていく上で、受けること(もらうこと)と与えること(あげること)はだれもが体験するとても重要なことです。この体験なしには人は生きていけません。

イエスさまは与えることがどんなに人を生かし、人に喜びを与えるものであるかを、弟子たちと寝食を共にする中で、お教えになりました

しかし、正直なところ、わたしたちは「与えるより受ける方が幸いである」と思っています。だって、あげるよりも、もらう方が得だし、嬉しいし、いいに決まっているからです。それに反して、イエスさまは人が人として生きていく上で、受けるよりは与える方が、本来的な生き方であると言われ、ご自分の命を与えること(十字架におかかりになり死ぬこと)を通して、与えることがどのような意味を持つのかをお示しになりました。

イエスさまはわたしたちに想像できないほどの、大きく、広く、深い愛をお与えくださいました。それが十字架の上で愛する全人類のために死なれたことだったのです。

肉体的にも精神的にも未成熟な乳幼児の時、老齢期を迎え、気力や体力が衰え、援助が必要となる時、また肉体的、精神的なハンディキャップを負って生きる時、さらに経済的に苦しく困難な日々を過ごしている時などは、ある意味で受けることが多く、与えることが少ないと言えるでしょう。

乳幼児はお乳を飲ませてもらい、ご飯を食べさせてもらい、おむつを交換してもらい、お風呂に入れてもらい、抱っこしてもらい、遊んでもらい、寝かせてもらいます。母親、父親からあふれるばかりの愛を注がれて育った乳幼児は、受ける喜びを心身で体得します。

その受けた喜びは、与えることを喜びとする人に成長していく力となります。外見的には弱く、力なく、受けることが多いと思われている人々(乳幼児、お年寄り、ご病人、ハンディキャップを負っている人々など)から、実に多くの目に見えるもの、見えないものを受けていることを忘れてはなりません。

神さまは知らないうちに、どのような人にも与える力をお与えになっています。

4月には2年生へと進級するわたしたちです。喜んで与える人へと成長できるように祈り求めていきましょう。(チャプレン 主教 大西修)

 

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