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立教大学チャペルとの交流  2019.3.11

カテゴリー:活動記録

―3.11東日本大震災を覚えての祈りをともにして―

 

東京にある立教大学に日帰りで行ってきました 名付けて「立教CV」(*^^)v

CVとは、campus visitの略で、文字通り立教大学の中を見学してきました。これは、今後立教大学の学生と交流していきたいというはじめの一歩なのです!!!

今回、立教大学に行ったメンバーは、名古屋柳城短期大学専攻科保育専攻の新2年生3名と、この春新たに専攻科に入学する新1年生1名、引率教職員2名の合わせて6名です。

なぜ、私たちが立教大学に行ったのかというと・・・

名古屋柳城短期大学と立教大学はなんとっ 同じ日本聖公会に連なる学校だったのです!!

(出発前、名古屋駅でパチリッ

 

どんなところなのか、どんな出会いがあるのか、ドキドキとワクワクで胸がいっぱいです(*’▽’)

立教大学に到着し、お昼ご飯を食べて、礼拝に参加しました。この日は、奇しくも8年前、東北に大きな爪痕を残した東日本大震災の起こった日でした。礼拝では「東日本大震災 8周年記念の祈り―同じ時 想いを一つに 皆で祈りをー」を、すべての逝去者、困難のうちにある方々を覚えて祈りました。私は、被災地に行ったことがありませんし、所縁があるわけでもありません。大学でのボランティア活動で被災地に毎月お茶菓子を送っていますが、正直なところ気持ちが徐々に薄れていっていたのは事実で・・・。しかし、8年がたった今でも行方がわからない方、つらい生活を強いられている方、悲しみの癒えない方が多くいます。チャプレンの勧話を通して、また、東京といういつもと違う場所にいること、そして何より礼拝の中で心に余裕をもてたことで、いかに自分が未熟だったのか改めて考えるきっかけになりました。実際に被災地に行くことで、ニュースを通してでは見えないものが見えてくるのではないか、そこから微力ながらも支えになれたらと思いました。

(立教大学池袋キャンパスの立教学院諸聖徒礼拝堂にて)

わたしたちの名古屋柳城短期大学と教会を介してつながりをもつこの立教大学を訪問して、さまざまなことを考えるきっかけを神様が下さったのは、何か意味があるからなのではないかと思います。そこで私は、いつか立教大学の学生と名古屋柳城短期大学の学生とが被災地の方々と交流できたらないいなぁと密かに想いをはせています(。-`ω-).。o○

(立教学院諸聖徒礼拝堂での祈りのあとで)

礼拝では、祈りのほかに、柳城の礼拝にはないものがありました。

それは・・・パイプオルガンとハンドベルの生演奏です♪♪ 素敵な音色で癒し効果は抜群です 柳城でも・・・なんてこちらもまた夢が広がります💖

 

それでは、またいい報告ができますよう、神様のお導きがありますように・・・☆彡

(保育専攻 市川満理奈)

(立教学院諸聖徒礼拝堂のオルガン)

 

※  ※  ※

 

この日の立教大学チャペルでの礼拝では、次の聖句が朗読されました。

【マルコによる福音書10:46-52】
一行はエリコに来た。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出られると、ティマイの子で、バルティマイと言う盲人が道端に座って物乞いをしていた。ナザレのイエスだと聞くと、「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください」と叫び始めた。多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、私を憐れんでください」と叫び続けた。イエスは立ち止まって、「あの人を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を読んでいった。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、また見えるようになることです」と言った。イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人はすぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。

目の見えない人に丁寧に「何をしてほしいのか」と尋ねるイエスの姿勢に、自分がよいと思ったことを一方的に行うのではなく相手がしてほしいことを丁寧に行おうとするということが大事だ、という支援の一番大切なあり方を改めて学ぶことができました。

(村田)

 

(立教学院諸聖徒礼拝堂の聖書台)

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