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バイブル✝タイム シェア21「神の思いを自ら実現する」2019/4/23

カテゴリー:活動記録

「祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。」(マルコ11:24)

今回の福音書では「枯れたいちじくの木の教訓」が扱われました。

かの哲学者バートランド・ラッセルはこの場面で、「賢明さの点でも、徳の点でも、歴史に知られている他の人々ほどキリストが高くあったと思う気はわたしにはしないのであります」とイエスを酷評しています。いちじくが実をつけていなかった腹いせに、イエスはいちじくの木を呪って枯らせたと彼は思ったからです。

でも、葉ばかり立派な「いちじく」を見て、イエスは弟子たちを教え諭すチャンスにしたのではないでしょうか。つまり、彼は、見てくれは立派でも、愛を実践しない当時の宗教指導者らを「枯れるいちじく」にたとえようとなさったのです。

その思いは弟子には伝わらなかったようで、ペトロは木が枯れている事実だけに驚きます。それでイエスはペトロに合わせて話題を変え、「神を信じなさい。はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。」(22-23)と語ります。

しかし、このイエスの言葉はいちじくの木が枯れたことだけを基にした説教なのでしょうか。イエスにしては内容が少々陳腐な感じがします。

実は、このいちじくの木の話の間に、あの「神殿から商人を追い出す」いわゆる「宮清め」の話が挿入されているのです。今回はここに注目しました。

商人を神殿から追い出すというのは死を覚悟するくらいの「荒業」でした。事実、イエスの十字架刑はこれによって決定的になったとさえ言えるのです。それを決行する前にイエスは、おそらく、神に相当祈ったに違いありません。「父よ、果たして、そんな大それたことが私にできるのですか?」。でも、イエスの祈りは、いつしか自信へと導かれます。「きっとやれる!」。

24節の「だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。」というイエスの言葉は、実は、人が自分自身で行動しようとする場面に向けての励ましの言葉だったのです。

今回与えられた新しい解釈から、私は祈りには、自分自身の行動を実現に導く力があることを知りました。

私はこれからも福音書を学び、神に祈り続けます。そして自身の不完全さを完全へと少しでも近づけられる人間になりたいと願います。(Y)

 

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