*
個別記事ページ

大学礼拝「種を蒔く人のたとえ」2019/10/1

カテゴリー:大学礼拝

【マルコによる福音書4:1-9】
◆「種を蒔く人」のたとえ
4:1 イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。おびただしい群衆が、そばに集まって来た。そこで、イエスは舟に乗って腰を下ろし、湖の上におられたが、群衆は皆、湖畔にいた。
4:2 イエスはたとえでいろいろと教えられ、その中で次のように言われた。
4:3 「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。
4:4 蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。
4:5 ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。
4:6 しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
4:7 ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。
4:8 また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」
4:9 そして、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。

イエスさまのこのたとえ話が「たねくんとよいはたけ」という紙芝居になっています。今からその紙芝居をしますので、皆さんは幼児(園児)になったつもりで見てください。

・・・・・・・・・・・

さて、皆さんは今、見終わってどんな感想を持ちましたか。

皆さんは種を蒔くことを一度や二度は経験していますね。草花の種や野菜の種にしても、麦や稲の種にしても、種を蒔く人が先ず最初に良い種を選別し、それを蒔きます。最初から発芽しないような悪い種は蒔きません。このたとえ話の中で、種を蒔く人とは神さま(イエスさま)を指しています。そして、種は神さま(イエスさま)のみ言葉、みこころを表わしています。神さまは素晴らしい種(み言葉、みこころ)をこの地上にお播きになり、人々がそれによって豊かな実りを得られるようにと望んでおられるのです。

この紙芝居では、蒔かれた土地(道端、石地、茨の中、良く耕された良い地)に視点が当てられています。いろいろな土地として、私たち人間の心の在り方が示されています。

固い道端のようでとりつく島もないような心、ゴロゴロしていて渇いた石のような心、やせこけて成長が不足している心、その場の状況を見て、しっかりそれを受け入れることのできる心を持っている人々のことです。

それと共に、種を蒔く人(神さま、イエスさま)の生き方に視点が当てられています。種を蒔く人はどんな土地(人間)であっても、同じ素晴らしい種(み言葉、御心)を蒔きます。必ず豊かな収穫があることを信じ、希望をもって種を蒔きます。種を蒔く人の良い種は必ず実ることが約束されているからです。私たちひとりひとりは、皆同じ人間でありながら、違う人格、性格、個性をもって生きています。人間の目で見れば、あまり好ましいとは思われない人であっても、神さまは平等に、溢れるような愛をその人に注いでくださるのです。長い目で見ると、神さまのみ言葉はどんな人であっても、そのみ言葉を受け入れるならば、必ず素晴らしい恵みが与えられることを伝えています。

「一粒の麦は、地において死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハネによる福音書12:24)と言われたイエスさまのみ言葉は、死んでしまったと思われた種が、本当は生きていることを語っています。「もうだめだ、何の希望がない」と思っている私たちに、「そうではないよ、あなたたちの中でわたしは生きているよ」とイエスさまは語りかけておられるのです。種を蒔く人のたとえは、どんな人でもみ言葉を受け入れる人には、神さまは豊かな恵みを与えてくださることを語っています。


学食北側のヘデラ

このページの先頭へ