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創立122周年記念礼拝 2020/11/2

カテゴリー:礼拝

今年度の式典の模様をお届けします。

今回は新型コロナウイルスの感染が心配される中での開催となりましたが、主の尊いお恵みより無事に日程を終えることができました。感謝です。

例年と大きく異なったのが学生さんの参加を宗教委員だけに限定したことです。
体育館における三密を緩和するにはやむを得ない措置だったと思います。

ただ、式典後に行わる墓地礼拝の方は、その三密が発生する恐れがあったため大事を取って中止としました。
(後日、有志を募って出向く手はずは整えました。)

■学校法人 柳城学院  創立122周年 記念礼拝 (午前9時30分~ 体育館)

〇前 奏(一同黙祷)伴奏:長井 典子講師
 

〇聖 歌  第367番「イエスきみはいとうるわし」【創立者愛唱聖歌】
 

〇詩 編  第23編
 

〇創立122周年記念の祈り

〇聖 書  ガラテヤの信徒への手紙 第5章1節、13~14節
この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。

〇式 辞    理事長・学長:菊地伸二
 

創立記念礼拝には、毎年同じことを繰り返して行うという面と、その年だけの固有の意味合いを込めて行うという、両方の面があります。

今年だけの固有な意味合いとしては、122周年記念礼拝は、柳城学院の歩みの中で、新たに名古屋柳城女子大学という四年制大学が開学し、誕生したということが挙げられます。また、新型コロナウイルスの感染拡大の中で、今年度の学年暦の進行には特段の配慮をしているということもその特徴として挙げられるかもしれません。現にこの記念礼拝も、例年とは少し形を変えて、全教職員と学生の代表者で行うといういわば規模を縮小して開催していますし、午後の墓地礼拝を行わなかったことも、近年にはなかったのではないでしょうか。

他方で、記念礼拝には、毎年同じことを繰り返すという側面があります。それは、一年に一度、本学院の出発点、原点を見つめ直し、新しい時代の中で、学院の存在理由やその向かうべき方向性を皆さんと分かち合い、確認しあうという意味合いがあります。

また、記念式典あるいは記念という言葉には、単にむかしのことを思い出すという意味から、そのことを記憶に刻むという意味、さらには今日において、その出発点の精神を再現するという意味までさまざまあります。

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 創設者マーガレット・ヤング先生の精神のうちには、今日において、単に思い出したり、記憶に刻みこむだけでは足りない、新たに再現すべきことがらが含まれているように思います。

マーガレット・ヤング先生は、柳城保姆養成所の初代校長ですが、ちょうど今から100年くらい前にあたる1919年の、ある卒業生の幼稚園教師資格証明書は、日本語と英語で記されていて、ヤング先生の肩書は、日本語では、「私立柳城幼稚園保姆養成所長」と記されております。その表現からは、この学校は柳城幼稚園の先生になるための養成所であるということを強く伝わってきます。また英語では、Ryujo Kindergarten supervisorと記されており、そこからは、柳城幼稚園という一つの全体があって、その全体を見渡す役割を担っていたのがヤング先生であったように読み取ることができます。英語と日本語のニュアンスの違いはもちろんありますが、いずれにしても、ヤング先生の軸足はかなり柳城幼稚園の方に置かれていたといってもよいかもしれません。

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 わたしたちは、ときどき、人生の歩みを階段にたとえることがあります。今日、教育制度の階段では、幼稚園あるいは保育園はその最初のステップとみなされています。そして小学校、中学校、高校、大学へとステップをあがっていくのがわたしたちの歩みであります。

けれども、一方で、高校から大学・短大へと一段あがっていき、さらに、その上に、幼稚園というステージがあるという見方もできるのではないでしょうか。とくに、この学院に属するわたしたちには、そのために、2年ないしは4年間をかけて、幼稚園・保育園・こども園というステージにあがっていくという姿勢が求められているように思います。現行の教育制度に即した表現をするならば、このいわば、「下にあがっていく」もしくは「上にくだっていく」とでもいうような精神的態度が求められているようにも思います。これは、ヤング先生が好んで用いた「愛をもって仕える」という精神にもつながるものでありますし、この4月に誕生した名古屋柳城女子大学の特色あるプログラムである「こどもを学び、こどもに学び、ともに学ぶ」という姿勢のうちにも、十分に認められるものであると考えます。

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 この後、西原先生から「キリスト教大学に求められるグローバル化」というテーマの講演をいただきます。どのような内容であるかはまったく知りませんが、この学院が、120年以上前にカナダの一人の宣教師によって、きょうのテーマを考えるための最初の種をまかれていることを覚えながら、私の式辞を終えたいと思います。

〇特別講演 「キリスト教大学に求められる<グローバル化>とは」
日本聖公会中部教区 第10代主教 アシジのフランシス 西原廉太
 

【講演の中で印象的だった部分のみをご紹介します(文責:加藤)】

西原先生は、NHKの連続テレビ小説『エール』のキリスト教考証を担当された経験をもとに、様々なエピソードを披露されました。

その中でも、ヒロインの母親役を演じる薬師丸ひろ子さんが無伴奏で讃美歌「うるわしの白百合」を歌うシーンについてのお話が特に印象的でした。空襲で焼け野原となった瓦礫の山の中で、哀しみながら歌うその姿は、世間に大きな反響を呼んだそうです。

この場面、元々の台本では「戦争の、こんちくしょう! こんちくしょう!」と唸りながら地面を叩くシーンであったのが、薬師丸さんの提案でこのように変更になったとのことです。

その理由について、玉川大学出身の彼女は在学中に「うるわしの白百合」を何度も歌った経験が、そのような提案に結びついたのでは、というのが西原先生のご意見でした。

また、先生がこの話題をご自身のFacebookに挙げたところ、「痴呆を煩う母親がテレビを見ながら突然歌い出した」という感動的なコメントが返ってきたそうです。

さらに、『プレジデント・オンライン』版に同内容で掲載された記事が10月23日12:40の時点でのランキングで「1時間」1位、「週間」も1位、「会員」も1位、「いいね」が2位となっていたそうです。

これらの事実などを挙げた後、先生はキリスト教主義大学へエールを送ります。

というのも、近年、ミッション系の大学には「キリスト教色を出し過ぎると学生募集に不利になるのでは?」とか「大学礼拝に意味があるのか?」といった迷いを持つ所が多いからです。

でも先生は、大学でのキリスト教活動は「種蒔き」であるとハッキリと述べられました。

つまり、在学中に洗礼を受けさせるといった結果を求めるのではなくて、卒業後に何かのきっかけでキリスト教のコンテンツ(種)を思い出す(芽吹く)ということが大切だということです(確かに、バリバリと宗教活動を大学で行って信徒を増やそうとすれば、学生募集に悪影響を与えるに違いありません)。

それは正に、学生時代に歌った讃美歌を卒業後も覚えていた薬師丸ひろ子さんのお陰で、非常に多くの人がメディアを通してキリスト教の世界に触れることになったという今回の事例が示す通りです。

先生はキリスト教のメッセージとは単純で、それは、負けた人へのエール、絶望にある人への希望だと言われました。戦争の哀しみの中で讃美歌を歌う薬師丸さんのシーンと、それは見事に重なるお話でした。

〇聖 歌  第417番「あなたの平和の」

〇平和の挨拶

〇主の祈り
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。 アーメン 

〇諸 祈 祷

名古屋柳城女子大学・名古屋柳城短期大学のための祈り
附属幼稚園のための祈り
創立者及びこれまでの仕え人たちのための祈り
本学院に関わるすべての逝去者のための祈り

〇感謝の祈り

〇祝 祷

〇校 歌

〇後 奏(一同黙祷)

【礼拝終了後、永年勤続者表彰式が行われました】

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