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大学礼拝「向こう岸に渡ろう」2021/7/15

カテゴリー:大学礼拝

【マルコによる福音書 4章35-41節】
4:35 その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。
4:36  そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。
4:37  激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。
4:38 しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。
4:39  イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。  
4:40 イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」
4:41 弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。 

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 この物語を譬え話として捉えると、次のようになります。物語には、「船」、「向こう岸」、「嵐」が登場します。「船」とは教会、キリスト教に連なる私たちのことを表します。「向こう岸」とは、異教の地、異国の土地、外国のことを意味します。「嵐」は困難を表しています。とすると、この物語はどういうことかというと、私たちが、自分たちが慣れ親しんだ場所を離れ、新たな場所、異国の地、外国などへと向かう際に、さまざまな嵐、困難が襲いかかるであろうということ、しかしながら、イエスが共にいることによって、その困難を乗り越えることができる、というものです。

今日の福音の冒頭で、イエスは「向こう岸に渡ろう」と述べます。向こう岸とはどういう土地でありましょう。イエスがこのように発言した時、イエスと弟子たちは、ガリラヤ湖のほとりにいました。そして、その反対側というのは外国人の土地のことでありました。当時、ユダヤ人にとって、外国人と接触するということは、今と違って、社会的にも宗教的に極めて強い抵抗感がありました。しかしイエスは、そうしたユダヤ人の常識や慣習を打ち破り、接触してはならないとされていた外国の人々と、親しく交わりを持とうとしました。

もちろん弟子たちにとっては簡単なことではありませんでした。ユダヤ教の枠の中で、ユダヤ人とだけ接して、その世界の中に生きていれば楽です。そうした中で、イエスと行動を共にする、ということは、例えば、病気の人や貧しい人、外国人など、ユダヤ教の枠組みによって、排除された人々、隅に追いやられた人々と交流する、ということになります。それはすなわち、ユダヤの社会をいわば敵に回すということです。あるいは、ユダヤ社会から自分たちもつまみ出される、ということです。人々から不審な目で見られることもあったことでしょう。自分たち自身の慣れ親しんだ価値観を壊さなければなりませんので、楽なことではなかったでありましょう。それでも、弟子たちは、イエスに導かれて船を出し、向こう岸に向かいました。

ところが嵐にあって、船は転覆しかけます。このことは明らかに弟子たちの動揺、心の揺れの現れです。向こう岸に向かう、と言うことは、つまり古い生き方を捨てる、ということでもあります。ですので、弟子たちは大きな不安に陥っているわけです。

その時、寝ていたイエスは、起こされます。
「イエスが起き上がって」と書かれていいますが、この起き上がるとは、復活を意味する言葉です。つまり、弟子たちは不安に陥ったが、しかしそれを救うべく、イエスは神によって復活させられた、と捉えることができます。
イエスは弟子たちに言います。
「なぜ怖がるのか。」
復活のイエスは弟子たちに、怖がる必要などないのだ語りかけます。そのようにして、弟子たちの不安は消え去り、向こう岸、新たな地へと、向かっていくのでありました。

私たちも人生の中で様々な不安と困難があります。皆様にとって、人生の嵐とは、どのような時でしょうか。大学に入学したとき、就職活動をする時などは、人生の大きな転換期ですが、本当にこれでいいのだろうかと思う時があるかもしれません。これまで自分が当たり前だと思ってきたことが崩れていく中で、自分がどこに向かえばいいのか、また、他の人との関係をどう築いていったらいいのか、わからなくなってしまうこともあるかもしれません。
あるいはまた、この日本の地で、キリストが教えられた愛をもって仕える、ということを大切にしていく、ということは、決して楽なことでもありません。面倒だと思うこともあるかもしれません。人から不思議な目で見られるかもしれません。

しかしながら、そんな時に、復活のイエス、十字架の死から起こされたキリストが、私たちの間におられ、「なぜ怖がるのか」と呼びかけられます。大丈夫、安心して歩みなさいと言われます。そのようにして、私たちを、新たな地、新しい命に生きる道へと、神が招いてくださっていることを覚えたいと思います。   (チャプレン 相原太郎)


ハーブの乾燥

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