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大学礼拝「コロナ禍のなかで」2021/7/13

カテゴリー:大学礼拝

【創世記 1章26~28節】
1:26 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
1:27 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。
1:28 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」 

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マスクを着用するようになってから約1年半が経過しました。今日は、コロナ禍について少し振り返ってみたいと思います。

人類はこれまで経験したことのない新型コロナウイルスの前に、恐れと不安を抱きました。恐れと不安の対象である新型コロナウイルスとは一体何ものなのか、そしてそれはどこで発生し、どのように伝わってきたのだろうか、そのような中で、ウイルスそのものへの解明だけでなく、ウイルスの原因の究明やその責任の追及も始まりました。
マスク着用の有効性が指摘され始めると、たちまち市場のマスクは品薄状態になりました。一箱何千円のマスクを買うようになりました。皆がマスクを着用するようになると、マスクの着用の仕方も問題になりました。あの人は鼻出しマスク、あの人は顎マスク、あの人はマスクをしていない……マスクの素材についても問題になりました。
コロナの大きな要因として空気感染が指摘され始めると、手洗いの励行、三密を避けること、そして何よりもステイホームが奨励され、冷凍食品を始め、多くの食料品が店から消え始めました。いわゆるおうち時間が始まりました。お取り寄せもブームとなりました。デリバリーの人や宅急便の人が忙しくなりました。ステイホームの時間が増えてくると、昼夜を問わず、外を出歩く人に対する視線も厳しくなりました。私たちはこうして家で我慢しているのに…
もちろん、家に留まりたくても留まることのできない人びとの存在を忘れていたわけではありません。生活を支えるエッセンシャルワーカーと言われている人たちのことです。医師・看護師などの医療従事者、運送・配送に携わるドライバーの方々、保健所に勤める保健師の方々、生活相談や介護・福祉等の分野で働く方々、スーパー等の食料品店で働く店員の方々等々、そして私たちに一番なじみのある保育者たちの存在もそうです。
そうこうしているうちに、新型コロナウイルスに対するワクチンの開発が世界中で驚くほどのスピードで進み、今ではこの日本でもワクチン接種が始まりました。コロナの新たな変異株も生じてきていますが、それでもコロナ感染を防止する方向へと動いていることはたしかです。

コロナと共に生活したきた皆さんは、今私が話したようなことを、鮮明な記憶とともに、非常に身近に感じているのではないかと思います。ところで、皆さんは、十年後のあるいは二十年後の社会に対して、今起こっているコロナ禍についてどのように伝えていこうと考えているでしょうか。
テレビの映像や写真は、すべての人が当たり前のようにマスクを着用している姿を映し出すかもしれません。けれども、どの人もマスクを着けて外見は似たように見えるかもしれませんが、そのマスクの下で、一人一人は不安と不便を感じながらも、それぞれに自らの将来への夢や希望を抱いて日々の生活を送っていたこと、そのような姿をこそ伝えたいと考えるのではないでしょうか。

今日朗読したのは、「創世記」1章26~28節ですが、ここには何が描かれているでしょうか。神さまはこの世界を六日間かけて創造します。すでに太陽や月や星が造られ、空や海や陸に多くの生き物が誕生し、そして最後に人間が六日目に誕生します。この最後に登場した人間に対して、神さまは命じます。これまで造られた生き物を支配するように、と。支配すると言うと、とても厳しい言葉のように響くかもしれませんが、神さまは、それぞれの生き物がますます増えていき、いっしょに生きていくことができるような世界を、わたしたち人間に託しているのです。それが今日の聖書の場面です。
ちなみに、ここに言われていることは、たとえば、今日、あちこちで耳にするようになってきたSDGs(持続可能な開発目標)の精神、何一つとして取り残されることのない世界を目指そうという精神にも通ずるものがあります。

さて改めて、この聖書の言葉は、コロナ禍のなかにある、私たち一人一人にも投げかけられている言葉であります。
私たちは、コロナ禍の中で、ともすると、ひとのことよりも自分のことを優先してしまっていることを経験してきました。また、自分はこんなにしているのに、という思いで、ついつい相手を見てしまっていることも経験してきました。また、コロナ感染に歯止めをかけているかどうかということで善し悪しを決めてしまうという、いわば身についた習慣のために、時として、この人は善い人、この人は善くない人、と他人をついつい裁いてしまうことも経験してきました。たしかに、人間にはさまざまな弱さがあります。そしてその弱さゆえに、人を遠ざけてしまったり、裁いてしまったりすることもしてしまうのですが、それでも、私たちは、次の世代に対して、今のコロナ禍のなかで、さまざまな人びとといっしょに生きようとしていたことを、将来への夢を持ちながら生活している自分たちの姿とともに、伝えていけるようになりたいものです。

この聖書の箇所は、単に、人間のことだけでなく、すべての生き物を含めた、とても広大なことが描かれています。神さまは、人間が、すべての生き物といっしょに生きている有様を、先ほど朗読した聖書の箇所の少し後で次のように述べています。「神さまはお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて善かった」と。

ワクチンの接種により、少しずつ、新たな兆しが見え始めてきていると言えますが、しかしながら、コロナ禍のなかで、どうしても相手に対する非難や裁きが出てくることも少なくありません。ただ、そのような困難のなかにあっても、少しでも多くの人びとといっしょに乗り越えていくことこそが、次の世代に伝えていくべき大切なことであり、極めて善いことだということを、このコロナ禍のなかで、いのちを落とした方々のことを祈りつつ、皆さんと共有することができれば嬉しく思います。  (学長  菊地 伸二)


ツマグロヒョウモン

 

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