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大学礼拝「神の国ってどんなとこ?」2022/6/29

カテゴリー:大学礼拝

【新約聖書 マルコによる福音書4章30~32節】
4:30 更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。
4:31 それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、
4:32 蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」

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今日のお話のタイトルは、「神の国ってどんなとこ?」としました。
そもそも神の国って聞いても、皆さんには、ちんぷんかんぷんかも知れませんね?
宗教は、歴史的に、権力者とぐるになると、死んだ後の世界、天国に素晴らし世界が待っているから、今は辛いかも知れないけど、頑張って耐え忍べば、死んだ後には、報われるんだよといって人々を、言いくるめるような働き方をして来たことは歴史を振り返ると分かります。
ですから、天国、神の国について考えを廻らせるときに大切なのは、来世に望を託すのではなく、いまわたしたちの生きているこの世界をどう良くして行くことが出来るのかが、問われていることをまず、頭に置いてお話しに聞いて参りましょう。

「からし種」は、アブラナ科のカラシナ(芥子菜)の種子で、その名からもわかるとおり、辛子、マスタードの原料として有名です。しかしガリラヤ湖周辺に生えていたカラシナは、大して美しい花が咲くわけでも、良い香りがするわけでもない、当時はいわゆる雑草と呼ばれる類のものとして扱われていました。たしかにその種は 0.5mm 程度と小さいのですが、実際のカラシナの木は成長してもそれほど大きくはならず、せいぜい 150 ㎝程度にしかなりません。

文脈を無視してこの「からし種のたとえ」だけを読むと、神の国が確実に成長して大きく広がっていく話のように読めます。事実、教会ではそのように読まれてきた聖書個所です。
しかし当時「からし種」は、「小ささ」を強調するために比喩として用いられたようです。さらに旧約聖書では神さまの聖なる秩序を守るために、違う種類の種を混ぜて植えることが禁じられています。境界線を軽々と越えて、他の作物の畑に侵入してくるやっかかいものの「からし種」は、神さまの聖なる秩序を犯す、「汚れた」植物という否定的なイメージで見られ、ユダヤ教のミシュナーと呼ばれる、口伝えの法律集の中で、植える場所が細かく制限されていました。
また同じ「からし種」を使った譬話がマタイによる福音書の13章にもありますが、こちらのお話しでは「からし種」は、神の国が拡がっていくことを邪魔する、悪魔の働きの象徴として語られているのです。
ですから、初めは小さくても神の国がとても大きく拡がって行くという希望を語ろうとするなら、むしろ「からし種」を比喩にしない方がよいのです。
この話を聞いていた人たちは、神の国が「からし種」のような、本当に小さくて厄介者で、不浄なものだという話を聞いて、とても違和感を憶え、困惑をしたはずです。
32節では「蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくな」ると記され、大きくなることが強調されますが、最初に言いましたように、からし種は背が低く、木のように幹がある訳ではありません。大きくなったとしても、せいぜい藪を造るぐらいです。

では、どうしてイエスさまは、神の国をイメージの良くない「からし種」に譬えられたのでしょう。もういちど、「からし種」について確認しましょう。畑の端っこに育つ「からし種」は、大きくなってもそのへんの藪にしか過ぎないのです。決して大きくな貼らないのです。大きいことは良いことだというイメージが一般的にあるのでしょうか? 聖書には、大きな鳥から小さな鳥までが、宿ることの出来る大きな木として、ヒマラヤスギが登場しています。でも、この大きな木は人間の傲慢さを表す象徴として、聖書では否定的に描かれているのです。ですから、そんな大きくならなくて良いのではという、イエスさまの問いかけが「からし種」に込められているのではないでしょか?

さらに、からし種は小さな種なのに、どんな条件が悪い土地でも、岩地でもたくましく根を張り、境界線を越えて拡がり皆から嫌われます。その根っこはあちこちにはびこり、簡単には取り除くことが出来ないのです。そんな嫌われ者のからし種がつくり出す、大して大きくもない藪ですが、小さな鳥たち、小さな生き物たちの隠れ家、住処としては絶好の場所です。ご馳走と外敵から身を隠すことの出来る素敵な場所です。

イエスさまは、この話を聞くわたしたちにも問い掛けます。「あなたたちは誰といっしょに、どんな風に生きて行こうとしているの? 本当にあなたが求めている歩みは、皆が幸せになれる道なの?」と。わたしたちに刷り込まれている、「強く美しく」がイエスさまからチャレンジを受けているのでしょう。イエスさまのお話に耳を傾けながら、キャンパスでの生活を送り、わたしたちが本当にホッとする幸せな時間や場所がどこなのか、もういちど思い巡らしてみたいと思います。   (チャプレン 後藤香織)

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