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大学礼拝「空の鳥をよく見なさい」2023/11/22

カテゴリー:大学礼拝

【マタイによる福音書 第6章25~34節】
6:26 空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。
6:27 あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。
6:28 なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。
6:29 しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
6:30 今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。
6:31 だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。
6:32 それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。
6:33 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
6:34 だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

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 今日の箇所で、イエス様は言います。

空の鳥をよく見なさいと。種を蒔くこともしない。刈り取ることもしない。倉を作って収めることもしない。しかし、天の父、すなわち、神様は、鳥を養ってくださっているではないか、と。だから、何を食べようか、何を着ようかなどと、思い悩む必要はない、と言われます。神様がいつも私たちを養ってくださる、守っていてくださる、だから、思い悩む必要はない、ということです。
この箇所は、何を食べようか、何を着ようかなどと、贅沢なことは考えず、与えられたもの、すでに持っている物で、質素に暮らそう、というような、いわゆる清貧のススメ、という教訓として受け止められることも多い箇所です。しかしながら、この箇所は、一般的な教訓ということとは、異なる次元の意味を持っています。
ここでイエスが語っている相手とは、そもそも、そのような贅沢とは無縁の人たち、そもそも質素に暮らさざるを得ない、貧しい人たちでした。どんな人達がイエスの話を聞いているかというと、少し前の箇所に、次のように書かれています。
「人々がイエスのところへ、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊にとりつかれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れてきたので、これらの人々を癒やされた。こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から、大勢の群衆が来て、イエスに従った。」
つまり、イエスの周りで話を聞いていた人たちとは、様々な病気や苦しみに悩む人たち、社会の中心から排除されてしまった人たち、貧しい人たちでした。彼ら彼女たちは、祝福された人生、恵まれた人生とは、縁遠い人たちでした。そして、自分のことを、神様の恵み、神様の祝福から見放された者だと思っていました。そんな彼らに語ったのが、今日の言葉でした。そんなわけですので、その人たちを前にして、もっと質素に生きようと語った、とは考えられません。彼らは、すでに十分すぎるほど、質素に生きています。おそらく着る物だって、そんなに持っていなかったでありましょう。

では、イエスがここで大事にしたいこととは、なんだったのでありましょうか。
空の鳥は、働かなくても生きている。それはどういうことか。それは、すなわち、働く人も、そして、働かない人、あるいは働けない人も、生きていていいのだ、ということです。
全ての人は、そもそも、神様によって造られ、神様によって、生きることが許されています。鳥がそうであるように、あるいは、野の花がそうであるように、働いても、働かなくても、何の条件もなしに、きちんと生活することができる、食べることができる、着ることができる、住むことができる、そのようにあるべきなのだ、ということです。
もちろん実際には、誰かが食べ物を収穫しなければなりません。しかし、自分の手で収穫しなければ食べてはならないということでもありません。例えば、こどもたちや高齢者がそうです。働かなくても、働けなくても、食べていかれるようにしなくてはなりません。それぞれの理由はどうあれ、全ての人は、仕事をしようがしまいが、生きていていいはずです。私達は働いていないことを理由に、この人は生きる資格がない、死んでも良い、などと言ってはならない、はずです。
種も蒔かず、働くこともなく、そんな鳥や花たちに対して、神様は、食べ物を与えない、雨を降らせない、などということがあろうか。同じように、あなたがたも、さまざまな理由で、社会から置き去りにされているかもしれないが、しかし、神様の目から見て、生きる資格がない、生きる意味がない、などと言うことは、ありえない、神様は全ての人を大切にされる、全ての人間は生きていてよいものとして神様によって造られたのだ。このようにイエス様は述べ、彼ら彼女たちを勇気づけたのでありました。

現代に生きる私たちも、イエス様が語られた言葉を、今、ここで聞いています。空の鳥を見よ、野の花を見よ、あなたも、生きていていいのだ、神様から大切にされているのだ、誰からも、生きる資格がない、生きる意味がないなどと言われてはならないのだと、イエス様は語りかけます。働かざるものであろうが、あなたは大切なのだ、ということです。

空の鳥を見るとき、野の花を見るとき、それらが神様によって生かされていることを思い起こし、私たちも、神様によって、無条件に、生きることが赦されているのだ、ということを思い巡らしながら、過ごしたいと思います。(チャプレン 相原太郎)


フェイジョアの実

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