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カテゴリー:礼拝記録 の記事一覧

今日は学生さんらと一緒にXmasツリーの飾り付けをしました。

他大学さんの豪華な電飾系の物に比べると、何ともささやかなツリーではありますが、本学にとっては宝物。けっこう高価なオーナメント(装飾品)を丁寧に飾り付けました。

キリスト教の暦によると、11/30に一番近い日曜日(今年は11/29)からアドベント(降臨節)の約4週間がスタートします。この間、クリスチャンは自らの信仰のあり方を問いつつ、イエス・キリストの誕生に思いをはせながら、その喜びに浸るのです。ノンクリスチャンの方も普通にクリスマスを待ち焦がれる昨今ですが、その喜びの源は、実は神のお恵みにあるといえましょう。そのお恵みは空気のような存在なので、ハートの「メガネ」を使わないと見えません。

全ての人々に平等に与えられている神からのお恵みに、一人でも多くの方が気づくような、そんな2015年のクリスマスにしたいですね。(加藤)

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。(ヨハネによる福音書3:16)

柳城学院の創立117周年記念礼拝が行われました。柳城の創立記念日は11月1日ですが、主日礼拝が行われる日曜日に当たるため、今年度の記念礼拝は10月31日(土)となり、2部構成で午前中いっぱいかけて行われました。

第1部では、田中誠チャプレンの司式の下、創立記念礼拝が執り行われました。

渋澤一郎理事長、新海英行学長の式辞の後、永年勤続者表彰が行われ、第1部の最後には、2年次前期の成績上位者に贈られる特別給付奨学金の表彰が行われました。成績優秀者をたたえる拍手と歓声があがる中、9名の学生が一人ずつ新海学長から表彰状と奨学金を授与されました。

第2部では、立教女学院理事長・立教女学院短期大学学長である若林一美先生が「種まく人として」と題して講話を行ってくださいました。若林先生は、わが子を亡くした親たちが集う「ちいさな風の会」を主催しており、そうした親たちのグリーフ・ケアも行っています。若林先生が人間を理解するために、ジャーナリストとして末期のがん患者、不治の病の方々などと関わってきた経験、「ちいさな風の会」に集う親たちの言葉を交えてお話されました。講演を通じて、悲しみに寄り添うことのむずかしさと重要性、そして私たちを支える見えないものの大切さについて考える機会をいただきました。会場の学生は皆、先生のお話に熱心に耳を傾けていました。

同日の午後からは、名古屋市の八事霊園にある日本聖公会中部教区の共同墓地に向かい、柳城の創設者マーガレット・ヤング先生をはじめとする柳城学院の関係者の前で、お祈りを捧げ、献花を行いました。晴天のもと、田中誠チャプレンの司式で、理事・教職員と学生宗教委員とサーバー学生が参列しました。(村田)

イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。」(ヨハネによる福音書11:25)

 

本日の大学礼拝の奨励(礼拝中のお話の時間)は、日本国際ギデオン協会の近藤さんにお願いをしました。

国際ギデオン協会は、全世界で聖書を無料配布することを主な働きとする団体です。ホテルなどで机の引出に「ギデオン協会」と記されたエンジ色の聖書を見かけた方や、学校の正門などで文庫サイズの聖書をもらったという方も多いのではないでしょうか。(ホームページはこちらで)

今日のお話では、聖書の素晴らしさが熱く語られました。二つほどご紹介しましょう。

その1:コンゴで出会ったタクシーの運転手さんが、バックミラーに聖書をぶら下げていたので「お守り代わりかな」と思ってたずねたところ、「お客さんに怒鳴られたりバカにされることもあるが、そんな時、この聖書を読むと心が落ち着くんだ」という答えが返ってきた。

その2:マーク・トウェインは「人生には大切な日が二つある、一つは誕生日、もう一つは生きる意味を知った日だ」と語ったが、聖書は、その生きる意味を知る上での最適の書物である。

近藤さんはご自身の幼稚園時代を振り返り、「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。(コヘレトの言葉12:1)」という聖書の言葉を導かれました。人生を豊かにしてくれる聖書。世界でダントツ一位のこのベストセラーを、一生に一度くらいは通読するのも決して時間の無駄にはならないでしょう。

名古屋柳城短期大学に集う学生さんや私たち教職員全員が、聖書が記すイエス・キリストのお心に触れて大きく成長できるようにと祈りたい、そんな気持ちにさせてくれた今回のすばらしい奨励でした。主に感謝です。(加藤)

 

 

 

 

大学礼拝の特別企画として、現在AHI(アジア保健研修所)に留学中のズバイダ・シャミム・デワンさんのお話を聞く機会に恵まれました。
(AHIについてはこちら

デワンさんは、パキスタン出身の女性で、現在、NGO「世界的健康への取り組み(global healing initiative)」の代表も務めています。その活動を中心に、スライドを使いながら、通訳の方のわかりやすい日本語を通して、そのメッセージは私たちに伝えられました。

パキスタンは自然豊かな国ですが、地震や洪水などの天災もあります。また、複数の民族から成り立っていて、貧しい人びとも多く、さまざまな政治、経済、社会問題を抱えています。人口のわずか2%にすぎないクリスチャンは、ほとんどがイスラム教徒の社会の中では、冷遇されることも少なくありません。保健をめぐる問題、女性に対する暴力の問題などが重なりあう中で、「パキスタンでクリスチャンとして生きる」という講演のタイトルは、一人のパキスタンのクリスチャン女性の話という意味合いをはるかに超えて、とても重い課題を私たちに投げかけてきます。

そのような中にあって、「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイによる福音書5:9)という聖書の言葉に動かされながら、いろいろな次元での「平和の実現」のために生き続けるデワンさんの生き方には、大いに心を動かされるとともに、実にたくさんのことを教えられました。

今回の講演を受けて、学生たちは授業で振り返る機会を持つことになっていますが、多くのメッセージが込められた話の中から、少しでも大切なことを吸収するとともに、これまでの自分の生き方を省みながら、明日からの生き方につなげてほしいと切に願っております。(菊地)

 

大学礼拝の後に、特別企画として第5回東日本大震災復興支援ボランティア活動報告会を開催しました。

柳城キリスト教センターが発足した2011年は、東日本大震災の年として記憶されています。キリスト教センターの最初の活動は、被災地の復興支援ボランティアの活動でした。そのときから毎年、学生と教職員が被災者との交流と復興支援の活動を続けています。

この報告会では、8月17日から20日までの4日間の活動が、参加した学生たちによって語られました。被災地の現状、仮設住宅で暮らす方々との交流や現地の幼稚園・保育園での保育参加の様子、そして、現地の方々からうかがった、いまだ過ぎ去らない震災という出来事の重さ・・・

学生たちは、自分たちが被災地で見て、聞いて、感じて、考えたことを、何週間もかけて言葉にしました。地震と津波の被害を受けた被災地を案内されて黙祷した「被災地巡礼」で見た光景に、学生たちはそこで家族を亡くした方たちの言葉を重ね合わせました。原発事故による避難者のほとんど報道されない現実の重さにじかに触れて、この現実を伝えなければ、という強い思いが生まれたと語りました。

仮設住宅で暮らす高齢者たちとレクリエーションやミニコンサートを通じて語り合った「茶話会」、そして保育科の学生たちの真骨頂がいかんなく発揮された仮設住宅の子ども達との「遊ぼう会」や「夏祭り」、「花火大会」では、仮設住宅で暮らす方たちとの笑顔があふれる交流がスライドに映し出されました。現地の幼稚園や保育園では、保育参加を通じて交流を深めるとともに、園の先生方から、子ども達の命を守るという保育者の責任の重さを学んだことが語られました。

そして、被災地からいただいたひまわりの種を育てて、短大の校門前の花壇に見事な花を咲かせた山本聡子先生と山本ゼミの学生たちの被災地との交流活動が最後に報告されました。被災地と名古屋で離れてはいても、時間をかけて心のつながりが育てられたことを喜び感謝する言葉が語られました。

いずれの報告も、会場静寂の中、準備に時間をかけただけあって、その丁寧な語りが聞く人の心に様々なメッセージを届けたような感じがしました(手前みそですが)。

報告会のスライドが終わって、最後に、ボランティアの学生たちは、この活動が短大の仲間たちや先生方、職員の方々、資金援助をしてくださったメリット基金、現地の「被災者支援センターしんち・がん小屋」のスタッフの方々、地元のたくさんの方々の協力と理解と支援にささえられてきたことを感謝して、深くお礼をしました。惜しみない拍手の中で、被災地支援の体験を通して生まれた絆と強い思いが、会場の全員に分かち合われたことを実感しました。(村田)

わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。
(ヨハネによる福音書10:16)

 

大学礼拝の特別企画として、「NPO法人 愛実(あみ)の会」による人形劇を開催しました。

「NPO法人 愛実の会」は重度の障がいをもつ方も安心して地域生活を送れるよう他の団体と協力しサポートしている団体です。(ウェブサイトはこちらこちら

5名の方が車いすで参加されていましたが、重度の障がいを持つ方が「お仕事」として人形劇を開催する団体は、日本では「愛実の会」だけだそうです!

劇の題名は「ポンタとたっくん」で、友情をテーマに学生へ投げかけてくれました。特徴的だったのはボードビルといって言葉のない人形劇であったことです。言葉がなければ相手に伝えたいことが伝わりづらいかと思われがちですが,学生1人ひとりの心には、ストーリーやアピールしたいことがしっかりと心に刻まれている様子が伺えました。これらのことから,言葉がなくとも演じ方や効果音によって人に伝えたいことが届くことを、学生は改めて身にしみたと思います。

教育・福祉の世界に就職を希望している学生にとって、とても有意義な時間であるとともに、子どもたちや高齢者、障がい者と向き合う上で、言葉だけがコミュニケーションではなく、心をこめた様々な方法を用いることにより、相手と協調しあえる、そんなことを考えさせられる会になりました。これからもこのような会を継続的に行っていきたいと思います。(水落)

イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。『この民は口先ではわたしを敬うが、/その心はわたしから遠く離れている。
(マルコによる福音書7:6)

 

大学礼拝の特別企画として、本学の介護福祉専攻科主催による講演会を開催しました。

社会福祉法人「AJU自立の家」の本部は、本学から歩いて数分のところにあります。この地域では車椅子の方を見かけることがたいへん多いのですが、それはもちろんAJUの活動が目指すノーマライゼーション(障がいのある人も、障がいの無い人と同様の生活ができる社会作り)活動がさかんである証拠でして、その意味で、本学はまことに環境の良い場所に立地していると言えましょう。ちなみにAJUとは「愛の実行運動(AI NO JIKKO UNDO)」を意味しているそうで、「愛をもって仕えなさい」を建学の精神とする本学には、とても刺激的です。(AJU自立の家についてはこちらクリック)

講演会では、先ず、自らが車椅子の生活者であるAJUスタッフの方から、多岐にわたる活動の紹介があり、「自立」への強い信念のようなものがすべての活動のベースにあることが良く分かりました。その次に、活動事例としてマイライフ岩倉の「障がいを持つ子どもたちへ遊び場提供」について楽しく紹介してもらいました。ここでの基本方針は、「①社会性を身につけてもらう ②ありのままを受け入れる ③本人に考えてもらう声がけ」の3点だそうです。これって、本学の教育の大きな柱である幼児教育に対しても適応できる内容ではないでしょうか。

また、車椅子の生活でありながら一人暮らしをなさっている方の貴重な体験談をうかがうことができました。「自由に生きたい」という彼女の熱い思いが会場に響き渡ります。私には計り知れない世界でしたが、それでも、彼女に何か大きく近づけた感じがします。これからも道行く車椅子の方に積極的に挨拶をしてみようと思いました。

イエス・キリストが徹底的に弱者の側に立った人であることは、聖書を読めばよく分かります。その愛の精神が、神の働きによりAJU自立の家と名古屋柳城短期大学を通して、この地域から周辺へと広がっていくことを願いたい、そんな思いを抱かせてくれた講演会でした。感謝です。(加藤)

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」
【マタイによる福音書11:28 (本年度年間聖句)】

 

本学の附属幼稚園の1つ、豊田幼稚園の年長組の園児さんらが本学に遊びに来てくれました。遊びといっても、サマースクールというキチンとした園行事です。

短大の施設を探検し、ウチの学生さんらと交流。そしてお弁当の後、13時からチャペルで礼拝です。その園の礼拝に学生さんや教職員も合流させていただいたというのが、今日の合同礼拝でした。

幼稚園で普段行っている礼拝はシンプルで分かり易く、学生さんにとっても魅力的だったと思います。特に、子ども用の聖歌はかわいらしくて短大でも取り入れたいくらいでした。3曲目の「スマイル」という聖歌は学生さんも一緒に歌うという設定でしたが、園児さんらの歌声に完全に圧倒された感じでしたね。また、本学の田中チャプレンの聖話は、創世記の天地創造からの話題で、神様はすべての生き物をつくられて満足なさったという有名なお話しです。虫の話で子どもたちは盛り上がっていました。

多くの世代の人々がチャペルに集い祈りをささげる。こんな風景が未来の社会を切り開く原動力となる、などと書いたら大げさでしょうか。子どものように、素直な心で将来を見つめたいです。(加藤)

イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。
しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。
はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」
そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。
(マルコによる福音書 10:13-16)

 

 

 

大学礼拝の特別企画として、礼拝後に講演会を開きました。

松本普(まつもと ひろし)さんは「日本聖公会 だいじに・東北 被災者支援センターしんち」の専従スタッフとして、東日本大震災の被災地支援に最初から関わってこられ、現在は、今年6月に開設された日本聖公会の支援拠点「支援センターしんち・がん小屋」に常駐して、福島県新地町を拠点に被災者支援を続けておられます。本学の震災復興支援ボランティア活動の強力なコーディネーターでもある方です。被災地の現状を語っていただくには最適な方をお招きできました。

講演の前半では、記録ビデオ(日本聖公会「いっしょに歩こう!プロジェクト」製作)で過去を振り返りました。津波の恐ろしさや被災者の方々の苦悩を忘れないためには、時々はこのような映像を見ることも大切でしょう。

後半は松本さんの熱い語りです。飾りのない「現代の語り部」が発する真実に、場内が緊張感に包まれます。仮設住宅入居者数の推移を示すデータが映し出されましたが、それは、震災は今なお続いている「現実」である事をあらわしています。それに加え、震災に伴って発生した原発事故に起因する風評被害が、様々な形で被災者の方々の人間関係にまで悪影響を及ぼしているという事実に、何か、心の底のダークな部分をえぐられるような気持ちになりました。その他、東京オリンピックとの関わりとかの話題も挙がって、とにかく、見えないところで被災地と私たちは繋がっている事が良く分かりました。今これをご覧の皆さんも、ご自分で被災地の現状を検索してみられてはいかがでしょうか。

様々な事がありますが、イエス・キリストが説く平安のようなものが心から失われませんように。(加藤)

主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。 しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」
(ルカによる福音書10:41-42)

 

 

礼拝特別企画として、観劇会を開きました。
劇団うりんこによる「いきもの生き方図鑑―リサがトカゲになる日―」です。
本学の同窓会(のぞみの会)が学生さんへのプレゼントとして企画して下さいました。

同窓会会長さんからは「すばらしい職業を選ぼうとしている皆さんに、少しでもお役に立ちたいと思い、キリスト教センターのご支援を受けながら企画をしました。保育や介護にたずさわるには豊かな感受性や想像力を持つことが必要だと思います。柳城在学中に、このような企画を大いに活用して、自分自身を磨くきっかけにしてみて下さい。」というあたたかいメッセージが届きました。

間近に見るプロの演劇。学生さんも随分とリラックスできたようで、笑いが絶えないような場面も何度かありました。4人の小学生がそれぞれの個性をぶつけ合いながらも共同していく様子が、見る人自身を振り返させます。

礼拝も同じで、聖書の言葉をきっかけにして自分を振り返る場です。週一回の短い時間ですが、本学がずっと大切にしてきたゆえんです。(加藤)

イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」 (マタイによる福音書4:4)

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