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大学礼拝「へりくだり、従順であること」2018/4/18

カテゴリー:大学礼拝

【フィリピの信徒への手紙2:3-8】
2:3 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、
2:4 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。
2:5 互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。
2:6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
2:7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、
2:8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。

夢ゼミを明日に控え、天気も回復し、楽しく有意義な2日間を過ごせるようにと願っています。

さて、今日は、へりくだり(謙り、遜り)従順について考えてみたいと思います。

へりくだるとは他者を敬って、自分が進んで低い位置に立つこと、従順とはおとなしく素直で、人に逆らわないことです。

へりくだり、従順には思いやりの心が根底にあります。他者への思いやりの深さは心の輝きとしてわたしたちの表情、態度、身のこなしに現れます。わたしたちは自分のことには最大限の注意を払いますが、他者のことについては驚くほど無関心であり、思いやりの心が欠落しています。独占欲が強く、他者の思いを汲むことが下手です。相田みつを(詩人)は「うばい合えば足らぬ、わけ合えばあまる」と言いました。この詩には、いつも他者を大切にする思いがあふれています。

河野 進 牧師(1990年逝去、86歳)は、こんな詩を書きました。

主は問われる
「何を望むか」 「謙遜を」
「つぎに何を」 「親切を」
「さらに何を」 「無名を」
「よかろう」
「用が済めば すぐ忘れられる ぞうきん
台所のすみに小さくなり、むくいを知らず、
夜も昼もよろこんで仕える ぞうきんになりたい。」

謙遜さ、へりくだり、親切さ、従順な心がわたしたちの中に育つようにしたいものです。

ともに過ごす全学ゼミはそのための素晴らしい訓練と養成の場です。

自己顕示欲の強いわたしたちが、自己本位に行動するのではなく、どのようにしたら、ほかの人たちに喜んでもらえるように行動できるかを、他者に視点を置くことを通して体験してみる良い機会だと思います。今まで気づかなかったお友だちの素晴らしいところ、長所、見習いたいところなどをぜひ探してみてください。そしてそれを思いやりの心をもって、素直に、親切に真心を込めてその人に伝えてあげてください。わたしは自分のためだけに生きているのではなく、他者のため、共に生きる喜びを分かち合うために生きているのです。そのことを忘れないようにしましょう。

イエスさまは、わたしたち一人ひとりを愛し通され、生かしてくださるために、ご自分の命さえ惜しまず、十字架の上にその命を投げ出されました。イエスさまの死は、欠点だらけで救いようのないわたしたちを救うための尊い犠牲の死でした。その死によって神さまの本当の愛を知り、生きることができる者とされたのです。 (チャプレン大西 修)

こぼれ種から咲いたノースポール

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