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【マタイによる福音書 9:9-13】
イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。
イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。
ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。
イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

【本日のお話は、日本聖公会大阪教区のサムエル大西 修 主教にお願いしました。】

皆さん、はじめまして。本日は、この教会の名前に使われている福音記者「マタイ」を記念する日で、何と、私の72歳の誕生日でもあります。私にはすでに孫が7人もいるのですが、その中の一番の年長者がちょうど皆さんと同じくらいの年齢ですので、その孫に話すつもりで進めたいと思っています。

子どもの頃から柳城とは深い縁があることもあって、私はこの柳城が大好きです。私自身は聖公会の幼稚園での卒園生ですし、今の役目が与えられる前は、この教会の司祭をしていましたので、柳城短大のことは良く知っています。私の兄弟姉妹の中にも柳城の卒園生や卒業生がいますし、昔は、父親が柳城のチャプレン、祖父が柳城の理事長をしていました。妻は柳城を卒業して幼稚園で勤めましたし、初恋の人も柳城の実習生で名前は今でも覚えています。

その当時の柳城の学生総数は2、30名程度で、ほとんどが寮生活をしていましたので、全員が仲良しで、教員も生活面での面倒見がよかったです。ホーキンス先生、坂東先生、近藤先生、林先生、高橋先生など、本当に懐かしいし、楽しい思い出が一杯あります。当時の先生方は、本当に学生のために骨身を惜しまずに働いておられましたが、実は、私にとっては怖い方々でもありました。学生にも厳しい存在でしたが、それは愛を伴った厳しさでして、保育の勉学を根底で支える人間性の成長にとって必要だったのです。

渡辺和子さんをご存じでしょうか。彼女は修道女で、ノートルダム清心女子大学の学長もなさった方ですが、私はその著書が好きで、よく読んでいます。修道女になるための修業をアメリカでしていた当時、彼女は、テーブルに食器を並べている時に、人から「あなたはどんな気持ちでこの仕事をしているの?」と聞かれたそうです。そして、「この席に座る人の幸せを願いながら仕事をすれば、こんな小さなことにも意味が出てくる」ことを学んだそうです。日々の生活の中で「こんなことして何になる」と思うこともありますが、それでも前向きに、一つ一つの行動を大切にしたいものです。たとえば、通学できること、礼拝に出席できること、友人に会えることといった日常のありふれた場面で、はたして感謝の気持ちを持てているでしょうか。また、実習やボランティア活動などで、人の役に立とうとする際に「何々してあげた」という上から目線ではなくて「何々させてもらえた」という謙遜な気持ちが持てるでしょうか。心の動きは相手にすぐに伝わるものです。だから、仮に相手があなたの行動で不機嫌になった時は、自分の方に原因があると考えてみることです。喜びをもって何かするか、それとも単位欲しさにするかの違いは大きいです。

本日の聖書個所に登場するマタイという人物は、イエス様の弟子となって聖書を書き残すまでに成長するのですが、それ以前は、徴税人として、当時のユダヤ社会にあっては最も忌み嫌われる仕事に就いていました。本来は、当時のユダヤ社会を支配していたローマ人が税金を集めるべきところを、その代役を担っていたからです。そういう彼にイエス様は声をかけるのです。「わたしに従いなさい」と。イエス様はこの場面以外でも、人々から軽蔑され、差別されていた人に歩み寄ったことが聖書には記録されています。イエス様は神の子として、神の愛をすべての人々に示す使命を与えられていたのです。

この神の愛が柳城に今なお流れ続けています。短大の校歌では「幼き者は、神の愛子(まなご)」と、附属園の園歌では「イエス様の愛に育った私達」と歌われている通りです。この愛が実を結び、周りの人々を愛せるようになるのです。

愛に育まれた柳城の在学生だとの自覚のもと、自信を持って歩んでいただきたい。そして、柳城を支えてくださった人々への感謝を忘れないでください。

皆さんのご健闘をお祈りします。(要約:加藤)

 

【ヨハネの手紙一 3:18】
子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。

【本日の礼拝では、リチャード・アレン・メリット第4代学長の逝去10年を記念して、柳城学院の監事である日野忠市さんにお話をして頂きました。】

私は、当時、メリット学長が司祭を務められていた愛知聖ルカ教会に籍を置いていた関係もあって、先生とはたいへん懇意にさせてもらっていました。

メリット先生は1915年アメリカ生まれ。4人兄弟の末っ子でした。2006年に91歳で群馬県にて逝去されましたが、その一生を一言で表現するなら「By Love Serve (愛をもって仕えなさい)を実際に示した方」と言えます。本日の聖書個所そのままですね。彼があるオラトリオでイエス役を演じられた時のことです。そのイエスが十字架上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。(マタイ27:46)」と叫ぶ場面で、私は「イエスは、きっとこんな感じで叫ばれたのだな」と感じながら、メリット先生が歌われる姿に見入ったものです。

彼は一生独身を通し、神にお仕えになったのだと思いますが、決して「真面目一筋」な人物ではなくて、実にユーモアセンスにあふれるユニークな方でもありました。人にプレゼントすることが大好きで、ある時、クリスマス協奏曲などが入ったCDを私にくれたのですが、それが実は、2年前に私が彼にあげたものだったのです。返答に困った私は仕方なしに「これが欲しかったんですよ!」と彼に礼を言うと、彼は「そうだろ!」と嬉しそうにしていました。また、自炊生活の中で、野菜や果物の残り物を集めては、チャツネと言うかジャムと言うか、調味料を混ぜ合わせて作っていました。それをまた嬉しそうに人にあげるのですが、私がもらった時には、とても発酵し過ぎて食べられたものではありませんでした。健康志向の彼は胚芽入りのパンにこだわっていたのですが、なぜか、鰻丼とひつまぶしだけには目がなくて、これだけは人にプレゼントしたくなかったようです。私と一緒に食べた時に「絶対に人にあげなーい」とか言って食べていました。

そんな愉快なメリット先生ですが、日本のキリスト教主義教育の発展に多大な影響を与えた方でもありました。1962年には、立教大学の「キリスト教教育研究所(JICE)」の発足に尽力し、73年には、南山短期大学の人間関係科初代学科長に就任されています。

司祭でもあったメリット先生にとって、教育はイエスの「愛」を人々に伝える手段であったのかもしれません。「愛」について、彼は次のように表現しています。「イエスの見方をもって人を愛すること」、「その人の幸せを祈ること」、「愛をもって人に仕えること」、「イエスとは、言い換えると、愛」、「人の助けになるものは色々あるが、最後の決め手になるのが愛」。メリット先生はこのような愛を自ら実践し、そして、人に語り続けた人でした。

名古屋柳城短期大学の長い歴史の中で、このようなすばらしい方が活躍されていたことを、どうか覚えておいてください。(要約:加藤)

 

★次週9/21の礼拝案内

サムエル大西修 主教(日本聖公会大阪教区)による講話を予定しています。
大西主教は、大阪教区に移籍される前は、名古屋聖マタイ教会の司祭をなさっておられた方なので、本学のことはたいへんよくご存じです。
題は「今、柳城生に伝えたいこと」です。
ご期待ください。

 

 

 

 

 

 

大西主教(主教按手式当日)

 

【ガラテヤの信徒への手紙5:13-14】
兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。

夏休みが終わりました。何か新しい経験ができたでしょうか。今日は「視点を変える」というお話をします。

・皆さんの中には、夏休み、アルバイトに精を出した人もいると思いますが、私も大学時代の夏休みをアルバイトで過ごしました。その中で、後楽園の各施設にコーラの補充をする仕事があったのですが、施設を裏から入ることで、普段目にできないものに触れられて視点を変えることができました。

・夏休み中、オリンピック中継が続きましたが、中継されない競技があることに目を向けるのも必要です。ちなみに、昔は綱引きも競技に加えられていました。

・報道によると、文部科学省が日本式教育の輸出を計画しているとの事です。本学院でも、「愛をもって互いに仕えなさい」というキリスト教精神に基づいた教育がカナダから輸入されて今日に至っています。子どもの人権に関心が薄い時代の頃の話です。子どもを人として尊ぶことは今や常識ですが、昔にはそんな発想はなくて、一人前の労働者に仕上げることこそが教育の目的でした。そういえば、本学の卒業生でアフリカの幼稚園で働いた方がいました。教育の目的を新しい視点でしっかりと見据えてみましょう。

・後期が始まりました。新しい視点を取り入れながら勉学に励んでください。(チャプレン)

ペチュニア

 

【コリントの信徒への手紙  一 12:4-7】
賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。
務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。
働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。
一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。

今日の聖書にある「賜物」とは、原文のギリシャ語の「タラントン」を翻訳したものです。今日の英語では「タレント」、すなわち、普通「才能」と訳される言葉です。神から人間一人ひとりに才能が与えられていると聖書は語っています。

ところが、たいてい私たちはマイナス思考が強くて、自分の才能の無さを嘆くことが多いものです。人と較べて「もっと、あのようになりたい」と思う。学校では成績に振り回されるので、もっと深刻です。大学でも同じでしょうが、それでも資格を取る場合には点数など関係ありません。合格か不合格かで決まるだけで、点数よりも、現場で役に立つかどうかの評価の方がはるかに大切になってきます。運転免許がいい例で、学科試験の点数が悪くても運転技術は抜群という場合もあり得ます。

ですから、自分の才能についてあれこれ考える際には、「できない」ことよりも「できる」ことの方に注目すべきです。もうすぐ始まる夏休み。普段できないことに挑戦して、自分の隠れた才能を見出す機会にしてはどうでしょうか。

私の友人で寿司職人がいますが、彼は、高校3年生の時、勉強に向いてない自分に気付いて寿司屋の道に進みました。回りのほとんどが進学する中でのことです。結局、彼の店は大成功して、50年経った今でも定期的にその寿司屋さんで同窓会を開いています。また、理工系大学1年時にスパゲティ屋さんの道に進路変更した友人もいます。自分が何に向いているのかを見つけるのも「才能」かもしれません。

皆さんのほとんどは保育士と幼稚園教諭の資格を取得しますが、この方面の仕事では、人と人とが向き合うという意識を持つことが大切になります。ですので、物事をテキパキこなすという才能よりかは、ユックリと人に向き合う姿勢の方が役に立つことでしょう。今の自分自身をプラス思考で振り返って、自分に何ができるかを考えるようにしたいものです。(チャプレン)

アガパンサス

 


【ローマの信徒への手紙12:15】

喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。

【本日のお話は、この4月に本学に赴任された介護福祉専攻科の芝田郁子先生にお願いしました。先生の前任校である福島学院大学は、2011年3月11日に起きた東日本大震災で非常に大きな被害を受けたところで、彼女もそこでの勤務中に被災をされました。その時のご体験を、スライドを使いながら語っていただきました。以下は、そのダイジェストです。】

本日のご依頼を受けた時に、私は、正直言って、自分が語るにふさわしいかどうかを自問しました。私よりももっと辛い経験をされた方が大勢いらっしゃるからです。それでも、福島に向けて祈りをささげてくださる方が名古屋にいることを知った時に涙したこともあり、私自身が名古屋の出身であることから、ご依頼を受けることにしました。

震災当時の様子をつづった「東日本大震災メモワール 福島学院大学2011年3月11日14時46分の記憶」という冊子に、私の体験が掲載されていますが、そこには、こう記されています。

『(要約)私の人生において忘れることができない一日となった。その日、大学の修了関係の行事の打合せを終え、卒業式に思いを馳せていた。終了後、すぐ研究室に戻る気がせず、実習指導室に立ち寄り先生方と話をし、研究室に戻った。研究室で文書作成中に揺れが始まった。廊下に出るが立っていられない。しゃがみ込んだまま「揺れはすぐに収まるはず」と心の中で繰り返す。揺れが長く続いた後、グランドへ出るが、避難してくる人が皆おびえている。目の前で本館が倒壊する様子は、まるで映画を見るかのようだった。そのうちに雨が降り出し、それが雪に変わった。体育館へ避難するが、家族に電話しようとしても繋がらない。災害情報も気になる。その後、通常20分の道のりを2時間かけて自宅に車で戻った。家の中はひどい状態で、結局、ゴールデンウィークまで片付ける気力が湧かなかった。時が過ぎた8月の「感謝の会兼学院復興記念祭」で学長が言った「そろそろ私たちも季節を感じてもいいのでは」という言葉に、日常に戻って、季節を味わう余裕を持つようになっていいんだと思った。』

さて、この地震で、私は人の運命について考えさせられました。というのも、私たちが当日、打合せのために利用した講堂の天井は落ちたのですが、その会議はたまたま開始時間が繰り上がったため、私は地震が起こる前にその講堂から去ることができたからです。時間通りに会議が始まっていたら、私は天井落下の被害に巻き込まれていたでしょう。

地震の直後でも大学に出勤できたことは、私にとって救いでした。「皆に会って、話ができる。ご飯を一緒に食べる」ことが心の支えとなりました。大学にあった食物栄養科の先生方が作ってくださったカレーライスを皆で食べたのも、今となっては良い思い出です。皆で寄り添って生きることの大切さを強く感じます。(芝田)

地震で大きな被害を受けた福島学院大学(本館)

 

【マタイによる福音書 6:22-23】
「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。」

本日の聖書個所は「目と心はつながっている」ことを伝えようとしています。例として、子どもの目は輝き、そして澄んでいますね。輝くのは物事に関心があるため、澄んでいるのは心が素直な証拠です。また、こんな例もあります。皆さんが、たとえば、新しい服を買う予定である時、道ですれ違う同年代の服装に目がついつい行くことでしょう。でも、靴が欲しいと思っている人にとっては、服よりも靴を注目するはずです。つまり、心に関心がある事柄しか、人はしっかり見ようとしないということです。だから、髪を切ったのに彼氏から何の言葉ももらえなかった時など「付き合うのを止めようかな」などと思ったりもしますよね。多分、視界には入っていても、関心がないので見過ごしてしまうのでしょう。

就職して社会に出ると見る目が随分と変わるものです。私は新卒の時、ある出版社の編集部に就職しましたが、その時に編集長から「自分一人だけで面白いと思ってもダメだから、多方面のことに関心を持つようにしなさい」と言われました。それで、女性雑誌を読んだり、女性服の売り場を歩いたりもしました。人にプレゼントする機会を増やして相手の関心事を探る訓練もしました。このようにして私は視野を広げようとしたのです。

就職して幼児教育に携わろうとする多くの皆さんは、子どもの目線でものを考えることが求められます。子どもはあらゆることに関心を示します。ですので、皆さんも、もうすぐやって来る夏休みを、色々なことに関心を持つ機会にしてはどうでしょうか。それは、結局、人生を楽しむことにもつながるのですから。(チャプレン)

クチナシ

【ヘブライ人への手紙 12:11】
およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。

明日は七夕です。この七夕に関連させるつもりで本日の聖書を選びましたが、七夕と鍛練とにどういう関係があるかというと、7/7に機織りや書道などの芸事の上達を願う中国の祭が、短冊に願い事を書く習慣に変化して今に伝わったというのです。つまり、願い事を書く前提として、「鍛錬します」という決意表明が短冊には込められているということです。「ケイコとマナブ」という名の雑誌がありましたが、稽古と学習に関係する脳の部位は違っているそうで、それで、勉強が不得意でもピアノの練習は大好きというようなことが起こるということです。

さて、幼稚園や保育園ではたいていは七夕のお祭りをします。小さな笹を持って家に帰る園児を見かけるのも今の時期の風物詩の一つです。織姫星と彦星が天の川を挟んで美しく輝く時でもありますが、私は沖縄県の宮古島とフィリピンで、闇の部分よりも星の方が多くの面積を占める様な美しい夜空を見たことがあります。

新潟の上越にある某スーパーでは、その地域の幼稚園や保育園ごとに竹が用意され、それに園児が飾りをするというイベントが行われていました。そして、七夕祭、お盆の夏祭り、花火大会という流れが毎年繰り返されるのです。子どもたちはこれらの習慣を通して色々なことを学んでいきます。保育の職業を目指す多くの皆さんも、将来のために、こういった行事を大切にして欲しいと思います。(チャプレン)

織姫星(中央上部)と彦星(右下部)

【コリントの信徒への手紙一 3:6-7】
わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。

うっとうしい梅雨の天気が続いていますが、田んぼの稲の苗がすくすくと成長している様を見ると心地良い気分になれるものです。本日の聖書の言葉がぴったりです。いつの間にか大きくなっていく稲。人が苗を植え、神がそれを育ててくださるのです。

さて、本学に入学した皆さんもこの3ヶ月余りで色々と成長したことと思います。年を取ってからの成長に較べると、若い皆さんの成長は大きいものです。子どもに至ってはもっとです。子どもが幼稚園や保育園に入ると、生活環境が「家」から「外」へと激変するので、それだけでも成長のきっかけになります。入園以前は、家の中で、周りが自分中心に動いていたような状態が、たくさんの友達がいるために自分の思い通りにならないような状況に変化するのですから、子どもにとっては大変です。そのうち、外遊びが増えてくると状況はもっと複雑になっていきます。ちなみに、滑り台、ブランコ、ジャングルジムの中で、子どもはどの順に遊べるようになるかというと、答えは、滑り台、ジャングルジム、ブランコです。動くものを思い通りに使いこなすことが難しいわけです。それでも、年上に教えてもらったりしながらブランコに乗れるようになっていきます。何かができるとその次の段階に進みたくなるという好奇心が子どもには旺盛です。大人は疲労などが原因で、いつも好奇心を保っていられるわけではありません。

皆さんに、新しいことへの挑戦をし続けて欲しいという思いから、今日はこのような話をしてみました。(チャプレン)

ドクダミ

【マタイによる福音書5:9】
平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。

今日は、明日6/23の沖縄戦終結の日のお話がしたくて、本日の聖句をこのように選びました。

第二次世界大戦に関わる重要な日としては、他に8/15の終戦の日、8/6の広島原爆投下の日、8/9の長崎原爆投下の日が重要です。沖縄戦終結の日はこれら3つに較べるとやや知名度が低いかもしれませんが、しかし、日本国内の地上戦によって、軍人だけでなく多数の民間人が犠牲になったという点で、この沖縄戦は、日本人全員が決して忘れてはならない日です。忘れないことで、「戦争は起こさない」という気持ちと、武力に頼らずに交渉力で解決するという意識を持ち続けることができるからです。

先の東日本大震災でも同じことが言えます。福島の原発事故が原因で避難生活を余儀なくされている人は今も何万人もいます。これなども忘れ去られていく傾向にありますが、原発は本当に必要なのかということを考え続ける意味では、本当に残念なことです。

こういった大切な記憶を失っては、将来にわたり良い判断はできないと思います。

さて、平和とは何でしょうか。難しい問題かもしれませんが、ここに持って来た絵本『へいわってすてきだね』に一つの答えがあります。これは、2013年、沖縄県平和祈念資料館が募集した「平和のメッセージ」への応募作品の中で、小学校低学年の詩の部門最優秀賞に輝いた、当時小学校一年生の安里有生(あさとゆうき)くんの詩を絵本にしたものです。

へいわってなにかな
ぼくはかんがえたよ
おともだちとなかよくし
かぞくがげんき
えがおであそぶ
ねこがわらう
おなかがいっぱい。
やぎがのんびりあるいてる。

〈『へいわってすてきだね』(詩/安里 有生 画/長谷川 義史 出版社/ブロンズ新社)より抜粋〉

この詩のすばらしいのは、人の間に戦争がないというだけではなしに、すべての生き物が楽しそうに暮らすことを含めた状態を平和と捉えている点だと思います。このように物事を広く考えることも大切です。

来月7/10は、18歳にまで引き下げられた選挙権が初めて適用される日です。皆さんもぜひ選挙に参加して、平和を考えるきっかけにしてみてください。(チャプレン)

カシワバアジサイと体育館

6/1の同窓会企画の第2弾です。前回は保育科2年生の実習期間中であったため、今回はその2年生を対象に企画されました。

前半では、楽器の詳しい説明を聞きながら音楽を楽しむことができました。前回のオンド・マルトノに加え今回はテルミンが登場です。オンド・マルトノには鍵盤や弦が備わっていましたが、テルミンには2本のアンテナだけしかついていません。それに向かって指揮者が指揮棒なしに指揮をするような格好で手を動かすと電子音が出るという仕掛けで、映画『のだめカンタービレ』にも登場したそうです(ちなみに、私は映画『FRANK‐フランク‐』で初めてこの楽器を知りました)。演奏者の方が楽器を解説している間に、ウチの教員と学生が操作を体験して会場は大いに盛り上がりました。音楽会終了後にも大勢が体験することができました。まさに魔法の楽器という感じでしたね。なお、ヴァイオリンの詳しい解説もありましたので、全体にバランスのとれた内容だったと思います。

音楽会後半は、あの有名な『ごんぎつね』をプロの俳優さんが生演奏をバックに朗読するという、まことに贅沢なひと時でした。メリハリのある美しい朗読に会場は完全に魅了された感じでした。前回の声楽にも言えそうですが、「人間の声」の奥深さに、ひょっとすると楽器も敵わないのでは、と思えるほどです。

同窓会の皆さんにあらためて感謝です。このような文化企画が本学から周辺地域へと発信されていくようになるとステキですね。(加藤)

イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。
そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。
(マタイによる福音書3:16-17)

【プログラム】

●楽器は不思議?

1.ヴァイオリン*愛の挨拶(エルガー)
2.オンド・マルトノ*満月(原田 節)
3.テルミン*星に願いを(ハーライン)
4.リベルタンゴ(ピアソラ)

●朗読の醍醐味~ごんぎつね~

音楽朗読「ごんぎつね」(坪内浩文作曲)

(アンコール)情熱大陸(葉加瀬太郎)

【出演者】

〈フロー♪アンサンブル〉
末吉康治さん(朗読)
横田真規子さん(ヴァイオリン)
坪内浩文さん(オンド・マルトノ)
市橋あゆみさん(ピアノ)

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