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カテゴリー:礼拝記録 の記事一覧

【ローマの信徒への手紙5:1-4】
このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。
そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。

聖公会の暦では、12月25日のクリスマス直前の4週間、すなわち今年でいうと11月27日から12月24日までを降臨節と呼んでいます。イエス・キリストの誕生を祝う日を迎えるために、この期間、皆で心の準備をしましょうということです。世間ではクリスマスの飾り付けが盛んですが、救い主であるイエス・キリストを迎え入れるに相応しいかどうかを自分自身に問うことが本来の目的で、悪い考えから遠ざかる努力をするとか、信仰を深めたりすることが大切になります。国によっては、この間、断食をしたり、肉だけを絶ったりすることもあるようで、欲望を絶つという点では意味のある行為かもしれませんし、少し断食をしただけでも集中力が増して、心と体のバランスが整うといいます。

さて、皆さんは来週から実習が始まります。期間中、普段の生活のリズムが大きく変わるので、ギリギリまで寝ていて、授業は受身状態、というような日常から離れて、今から早起きをし、朝一番から意欲的に行動できるようにしておくとよいでしょう。

園長をした経験から言うと、実習の成果は現場経験の活かし方、特に、失敗の経験にどう対処したかに左右されます。もちろん、失敗などしたくはないでしょうが、もし失敗したとしても、それは決して悪いことではありません。それを次に活かせればよいのです。指導する側もそう考えています。だから、実習日誌には、失敗したことを正直に書いて、それを自分自身で評価し、次にどう対処するかなどをキチンと記録するとよいでしょう。私も大学時代に教育実習を受けましたが、「話をする際に、語尾が聞き取りにくい」と指導されたことを今でも覚えています。

二週間の実習期間、失敗を恐れずに、普段やりたいと思っていることがあれば積極的にトライしてみてください。頑張ってください。(チャプレン)

●次回の大学礼拝 12/7(水)13:10~
【名古屋柳城短期大学附属 柳城幼稚園の園児さんらによるキャロリングが披露されます】

ランタナ

 

【ヘブライ人への手紙12:11】
およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。

柳城祭が終わりました。今日は文化祭について考えてみます。

柳城祭に備えて色々と練習を重ねた人も多いと思いますが、練習中はうまくいかないこともあってつまらないし、飽きてくることもあります。鍛練というのはそういうもので、その分、結果が良いと喜びも大きいと、今日の聖書も語っている通りです。

幼稚園や保育園の文化祭といえば作品展ということになりますが、これは子どもの文化的成長を知る上で大切な行事です。大体は4月から準備に入り、日頃の作品をためておいたりするものです。クレヨンやクレパスから始まり、次第に絵具や鉛筆が使えるようになる。特に版画は幼児にはレベルが高い分野ですが、出来た時の仕上がりには素晴らしいものがあります。

さて、幼児の作品を展示する段になると、どうしても上手/下手が目立ちますが、ここで大切なのは、出来の悪い作品でも、それを子どもの個性として捉えて評価できるかどうかです。展示する工夫も必要です。たとえば、上手/下手が入り混じっても全体が整うよう、背景とかレイアウトを考えたりすることもあります。紅葉は樹木全体としては美しいですが、一枚一枚の葉はそれぞれが個性的で、中には汚いものも混ざっています。これと同じ理屈です。

子どもの個性を幅広く受け入れるためには、大人側の感性を豊かにしておく必要があります。色々なことに関心をもって視野を広げておくのも手です。その際に鍛練が必要となることもありますが、子どもの違いが分かる人になって欲しいと思います。(チャプレン)

●次回の大学礼拝 11/16(水)13:10~ 田中チャプレン(司式・説教)

ペチュニア

今年も無事に創立記念行事を終えることができました。主に感謝です。
●9時30分からは記念礼拝が体育館で行われ、渋澤一郎 理事長からは次のようなメッセージがありました。

 

 

 

 

 

 

創設者であるマーガレット・ヤング先生から今日に至るまで、実に多くの先人達が、この柳城学院のために貢献をされています。本日はキリスト教会の暦で諸聖徒日、つまり、すべての聖人を覚える日でありまして、いうなれば日本のお盆に相当するような日ですが、この創立記念礼拝においても、私たち一堂、柳城の先人たちを思い返すのであります。

「こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。」(ヘブル人への手紙12:1 口語訳聖書)と聖書に記されている通り、私たちは先人たちに雲のように囲まれているのです。そのような状況の中で、私たちは自分の走るべき道を忍耐をもって進もうとしています。

今日の式典の意味を、単なる思い出だけにとどめることなく、愛をもって仕える者として、それぞれの働きを積み重ねていく決意を新たにする機会にしたいものです。」

●続いて、長縄年延 学長からは次のメッセージです。

 

 

 

 

 

 

「1898年(明治31年)は戦争の時代であり男尊女卑の時代でした。創設者マーガレット・ヤング先生は名古屋市白壁の地において、この年に保姆養成所を、翌年には柳城幼稚園を開いたのです。彼女はフレーベルのキンダーガルテンを幼児教育の理想とし、大人が子どもに学びながら共に成長する環境を求めました。「フレーベルにとってキンダーガルテンは、子どもの手に取り戻されたパラダイス(荘司泰弘1999)」であったと、本学院100年史には紹介されています。

この100年史の別冊として出された『思い出』には、戦時中の生々しい記録が記されています。ピアノ試験中に空襲サイレンが鳴ったとか、焼けた校舎の壁に合格者名簿が張り出されたたとか…。名古屋市内はアメリカ軍の爆撃機によって焼野原にされ、附属幼稚園も灰になったのです。それでも、白壁にある柳城幼稚園は今もヤング先生の意思を引き継いでいるのです。

さて、1953年(昭和28年)に名古屋柳城短期大学はスタートしています。当時は4人部屋の全寮制で、一日が、祈りで始まり祈りで終わる、修道院のような環境だったといいます。初代学長ホーキンス先生はキャンパス内に住まいを構えていたこともあって、学生たちをお茶に招待していました。当時の思い出を「人生の宝物」だと記す卒業生もいます。今年の3月までの卒業生総数は7,810名で、これに保姆養成所を巣立った318名を加えれば、実に8,000名を超える卒業生数になります。さらに、附属幼稚園の卒園生を含めれば、その裾野はもっと広がるわけで、神の愛と諸先輩方のご苦労とご努力にあらためて感謝をしなければなりません。

少子高齢化が進む中、本学の役割はますます大切になってきています。これからも愛と奉仕の業に励みたいと思います。」

●10時40分からは、記念行事の第2部として音楽会「遊べる音楽」を開催しました。

本学院評議員の諸岡研史さん率いるダブルリード・アンサンブル(オーボエ2、イングリッシュホルン1、ファゴット1)による演奏会&トークショーです。演奏や楽器の紹介の後、メインイベントの一つ、モーツァルトの『音楽サイコロ遊び』が披露されました。楽譜が書かれたサイコロを振って、出た目(楽譜)の順に演奏をすると音楽が成り立ってしまうという、何とも不思議な現象でした。二つ目はバロック・ダンスの実演です。講師の手足の動きに合わせて会場全体で体験できました。背筋をピンと伸ばして優雅に舞うことを体験したステージ上の学生さんは「フクラハギが張った」と感想を漏らしていました。このダンス、良い運動になるようです。

●昼からは墓地礼拝に向かいました。チャプレンの礼拝説教は次の通りです。

 

 

 

 

 

 

「ここに眠るマーガレット・ヤング先生はカナダの宣教師でしたので、本来は布教活動が目的で来日をされています。彼女の前後10年くらいの間に約20名の宣教師が日本を訪れていますが、当時はイギリスやアメリカから大量の宣教師が各地に派遣された時代です。特にアフリカに多くが渡りました。あの有名なリビングストンもその一人で、彼に触発されて、多くの青年が宣教活動に燃えたのです。

さて、ヤング先生は来日後、女性や子どもに対する教育の貧弱な状況を見て幼児教育の道に進むとともに、「母の会」を立ち上げて、母親のための勉強会にも精を出すことになります。当時の子どもは手間がかかって役に立たない存在だと見られていました。つまり「半人前」で、大人になって仕事ができるようになって、やっと「一人前」というわけです。そこには、子どもはその年齢に応じて発達を遂げて成長するなどという考えは微塵もありません。

日本の各地にあるキリスト教系の幼稚園や保育園は、たいていは歴史が古く、その地域の社会環境を改善するために貢献してきました。柳城学院118年の歴史の中でも、多くの方がそのような貢献をされています。ここに集う私たちは、祈りを通して、そういった先人達からもらったバトンを次の世代に渡していきたいものです。」

●大いなる神の憐れみを願いつつ、119周年に向けて、神のご計画が私たちによって実現されますように。(加藤)
「 空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。」【マタイによる福音書6:26】

【ローマの信徒への手紙 12:6-7】
わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。

前回の礼拝で、キリスト教の洗礼式についてお話ししました。水に中に浸かるとは、いったん「死ぬ」こと、つまり、今までの自分の生き方を変えて、キリスト教の教えに従った新しい人生を歩むことでした。洗礼には無関係な皆さんかもしれませんが、自分自身が変わっていく、自分を変えていくことは大切です。

小学校から大学へと進む中で交際範囲はだんだんと広がるものですが、多彩な人と接することは自分を変える大きなきっかけになります。私自身、大学に入った時、個性的な人々に出会い、自分がつまらない人間だと感じたものです。文科系のくせにアインシュタインの相対性理論を計算してみせたり、24時間で映画を11本観たとか、カミュの『異邦人』の日本語を全部暗記してから原文のフランス語で読み返したりと、本当に刺激的でした。

皆さんのほとんどは、将来、幼児教育か介護福祉の道に進むでしょうが、相手をする人は社会的に弱い立場の人たちです。それらの声をきちんと受け止められるかどうかで仕事の充実度が決まってきます。最初からできなくても、自分を変える柔軟性を持っていれば、そのうちにうまく対応できるようになるでしょう。仕事上の知識や技術と共に、それぞれの個性を活かし切って仕事をしなくてはなりません。そのためにも自分を変えていく姿勢が常に求められます。(チャプレン)

カリブラコア

 

この日は、宗教主事の菊地伸二先生の司式による体育館での合同礼拝に続いて、東日本大震災復興支援ボランティアの活動を行っている学生たちの活動報告会が開かれました。2011年の大震災から毎年、学生ボランティアによる被災地支援活動が続けられています。この日の報告会では、今年度実施されている3つの活動が紹介されました。

夏休み期間の8月末に福島県と宮城県の沿岸部を訪れた「現地活動」では、大型の台風が東北地方に迫り、途中で日程を切り上げなければならないような状況で、仮設住宅でのレクチャーや被災地巡礼、公民館での茶話会や幼稚園での保育参加など、さまざまな活動をした様子がスライドとともに語られました。

学生が語った報告全体を通して心に残ったことを紹介しましょう。茶話会ではハンドマッサージや歌などを通じてご高齢の方々との間に親密な交流が生まれたこと。幼稚園では学生の大型ペープサート上演と子どもたちの歌のプレゼントによる交歓を通して、時が経過しても距離が離れていてもこの幼稚園と柳城とが繋がっていることが実感できたこと。被災地では、復興に向けた歩みが進められていますが、そのような時期になったからこそ被災地の方々はこれまで口にされなかった震災の体験を深く語ってくださったこと。

そして、名古屋と東北で、場所は離れていても、被災地の方々と繋がり続けるために、柳城のキャンパスで行われている2つの活動が報告されました。被災地の公民館で行われている茶話会に、毎月ケーキを焼いて送る活動をしている「チーム・パティシエ」の学生たち、そして、被災地の幼稚園や小学校にちなむヒマワリの種を育てて、花を咲かせてきた山本聡子先生のゼミの学生たち。それぞれの活動が、被災地のご高齢の方々、子どもたち、先生方や現地の支援センタースタッフの方々とそれぞれに繋がり続ける活動となっています。

この小さな短大に、被災地支援の種が播かれ、育てられていく中で、私たち自身に大きな恵みがもたらされていることを感じる報告会となりました。(村田)

「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」
【ローマの信徒への手紙12:15 本年度、年間聖句】

 

【ルカによる福音書 3:21-22】
民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、
聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

今日は、先ず、洗礼についてお話しします。洗礼とはキリスト教の信者になるための儀式ですが、聖書には、イエスがヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けたと記されています。水の中にいったん沈んで、そこから出てくる。今の教会でも、このような洗礼の方式を守っているところがあります。水に入ることで、今までの生き方に別れを告げることを宣言し、そして、水から出ることで、キリスト教の教えに従った新しい人生を歩むという決意を示すのです。白装束で洗礼を受けることが多いのも、そういった意識の表れです。

一方、洗礼式の際には、よく、ノアの洪水やモーセが海を渡る場面を記した聖書箇所が読まれます。不信仰な者たちは洪水に流され、キリスト教に敵対するものは海水に飲み込まれる。つまり、これらはキリスト教に従う者だけが生き残ることを象徴していて、洗礼の意味を語るには都合がいいわけです。

さて、今までの生き方に別れを告げると言いましたが、そのためには自分自身の個性を知る必要があります。個性といっても、たいていは他人と自分を比べることで分かることが多く、従って相対的なものになりがちです。たとえば動作が遅いという性格は、見方によっては、セッカチでなくてユッタリしているというプラスの面で評価されることもあるわけで、何が良いか悪いかは一概には決められません。しかし、一般的には人は自分を悪く思いがちです。

私も自分自身を振り返ってみて、10代20代の頃に比べてずいぶん変わったなと思います。皆さんも社会に出る前に自身を振り返り、できるだけ自分を高めておいて欲しいと思います。(チャプレン)

ポーチュラカ

 

【コリントの信徒への手紙一 12:20-27】
だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。
目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。
それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。

わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。
見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。
それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。
一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。


AHI(アジア保健研修所)
と本学キリスト教センターとの共同企画という形で、合同礼拝&AHI巡回報告会が開催されました。本学では、昨年に引き続き2回目の報告会(1回目はこちら)となりますが、今回は、フィリピンでは少数派であるムスリム(イスラム教徒)の女性であるエメリン・バヒン・ジャラル(以下エミー)さんをお招きし、合同礼拝では、AHIの中島隆宏さんにメッセージを、続く報告会では、エミーさんに「最果ての島で健康を守る―フィリピン・スールー諸島での取り組み」と題するお話をしていただきました。

中島さんは、いわばエミーさんの報告の導入役と自らを位置づけながら、彼女が、フィリピンの中でも政情が安定せず、住民の生活や健康が脅かされる少数派のイスラム教徒の住んでいる地区で、病院院長兼保健局長という立場から、住民の健康を守るために取り組んでいることを紹介するとともに、AHIが、エミーさんの活動を支援することの意味を、「もっとも大切と思われていない兄弟の友人、隣人となること」「アジアと日本、また、ムスリムとクリスチャンとの和解・対話」のうちに求め、「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」(一コリ12.26)という聖書の言葉にあるように、誰かを犠牲にした平和ではなく、いっしょに喜べる平和を、健康づくりを通して行いたいと話されました。

エミーさん(中島さんが通訳を務める)は、フィリピンの最南端にあるスールー諸島の離島であるパゴタランで病院長兼保健局長を務める中で、とくに、力を入れて取り組んでこられたことを、スライドを使ってわかりやすく説明してくださいました。たとえば、妊娠のことも、母親だけでなく父親にも理解を求めて家族の問題として捉えてもらうこと、保健に関わる諸問題も、ひとつの家族だけでなく地域全体のものとするために、その地域の長やキャプテンに働きかけること、また、次世代を担う子どもたちに早期から保健に関わる知識を伝えていくこと、さらに、ラジオや劇を通してそれを浸透させていくこと等々、その活動は実に広範にわたるものでした。社会を変えるためには、一人ひとりが変わっていくことが大切だからです。このような弛まない活動を続けてこられたのは、貧しい人びとの喜びにまさるものはないから、とも語るエミーさん、キリスト教の礼拝を守るわたしたちには、ひとに仕え、神に仕えることを神様は喜んでくださる、とあたたかく語ってくださいました。(菊地)

 

【ルカによる福音書 14:12-14】
また、イエスは招いてくれた人にも言われた。「昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。
宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。
そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」

今日は人の平等について考えます。

先ほど読まれた聖書には「宴会をする時は、親しい者ではなく、むしろ不自由な人を呼びなさい」と記されています。普通では考えられない教えです。もちろん当時にあっては、障がいを持った人々は「招かれざる客」であったわけですから、余計に現実離れしています。

現代にあっては、先日のリオのパラリンピックで見られたように、障がいを持った人々が差別されるような時代ではありません。公平さを保つために、障がいの程度の応じて同じ競技種目が複数に分類されているくらいです。「どこかに障がいがあるから全部だめ」ではなく、「機能している他の面を最大限に活かす」という発想です。パラリンピックは、差別観がなくなったことを実証しているのです。

一方、健常者の間でも平等の意識が高まりつつあります。たとえば、年齢別スポーツ大会。100メートル走の世界記録保持者は90歳を超えた日本人だそうです。

スポーツを通して自分の能力を発揮できる人の話が続きましたが、では、スポーツのできない人はダメなのか。日常生活すら自分で営めない方々はどうなのか。どこまで人は平等と言えるのか。もっともっと考えるべき問題です。

たとえば、いくら健常者でも、その一生の中で人の世話にならないと生きていけない時期が必ずあります。赤ん坊の時期と介護を必要とする時期です。赤ん坊は泣くこと以外で文句を言わないですが、高齢者は好き嫌いが激しくて扱いが難しくなります。高齢者介護の職場では、もちろん使命感が必要でしょうが、あまりに高すぎると、長続きしません。

人の世話になるのが嫌で自殺する人もいるそうですが、人が人の世話になることは当たり前のことと自覚したいものです。その感覚が平等の精神を育むのです。(チャプレン)


ニチニチソウ

 

【マタイによる福音書 9:9-13】
イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。
イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。
ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。
イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

【本日のお話は、日本聖公会大阪教区のサムエル大西 修 主教にお願いしました。】

皆さん、はじめまして。本日は、この教会の名前に使われている福音記者「マタイ」を記念する日で、何と、私の72歳の誕生日でもあります。私にはすでに孫が7人もいるのですが、その中の一番の年長者がちょうど皆さんと同じくらいの年齢ですので、その孫に話すつもりで進めたいと思っています。

子どもの頃から柳城とは深い縁があることもあって、私はこの柳城が大好きです。私自身は聖公会の幼稚園での卒園生ですし、今の役目が与えられる前は、この教会の司祭をしていましたので、柳城短大のことは良く知っています。私の兄弟姉妹の中にも柳城の卒園生や卒業生がいますし、昔は、父親が柳城のチャプレン、祖父が柳城の理事長をしていました。妻は柳城を卒業して幼稚園で勤めましたし、初恋の人も柳城の実習生で名前は今でも覚えています。

その当時の柳城の学生総数は2、30名程度で、ほとんどが寮生活をしていましたので、全員が仲良しで、教員も生活面での面倒見がよかったです。ホーキンス先生、坂東先生、近藤先生、林先生、高橋先生など、本当に懐かしいし、楽しい思い出が一杯あります。当時の先生方は、本当に学生のために骨身を惜しまずに働いておられましたが、実は、私にとっては怖い方々でもありました。学生にも厳しい存在でしたが、それは愛を伴った厳しさでして、保育の勉学を根底で支える人間性の成長にとって必要だったのです。

渡辺和子さんをご存じでしょうか。彼女は修道女で、ノートルダム清心女子大学の学長もなさった方ですが、私はその著書が好きで、よく読んでいます。修道女になるための修業をアメリカでしていた当時、彼女は、テーブルに食器を並べている時に、人から「あなたはどんな気持ちでこの仕事をしているの?」と聞かれたそうです。そして、「この席に座る人の幸せを願いながら仕事をすれば、こんな小さなことにも意味が出てくる」ことを学んだそうです。日々の生活の中で「こんなことして何になる」と思うこともありますが、それでも前向きに、一つ一つの行動を大切にしたいものです。たとえば、通学できること、礼拝に出席できること、友人に会えることといった日常のありふれた場面で、はたして感謝の気持ちを持てているでしょうか。また、実習やボランティア活動などで、人の役に立とうとする際に「何々してあげた」という上から目線ではなくて「何々させてもらえた」という謙遜な気持ちが持てるでしょうか。心の動きは相手にすぐに伝わるものです。だから、仮に相手があなたの行動で不機嫌になった時は、自分の方に原因があると考えてみることです。喜びをもって何かするか、それとも単位欲しさにするかの違いは大きいです。

本日の聖書個所に登場するマタイという人物は、イエス様の弟子となって聖書を書き残すまでに成長するのですが、それ以前は、徴税人として、当時のユダヤ社会にあっては最も忌み嫌われる仕事に就いていました。本来は、当時のユダヤ社会を支配していたローマ人が税金を集めるべきところを、その代役を担っていたからです。そういう彼にイエス様は声をかけるのです。「わたしに従いなさい」と。イエス様はこの場面以外でも、人々から軽蔑され、差別されていた人に歩み寄ったことが聖書には記録されています。イエス様は神の子として、神の愛をすべての人々に示す使命を与えられていたのです。

この神の愛が柳城に今なお流れ続けています。短大の校歌では「幼き者は、神の愛子(まなご)」と、附属園の園歌では「イエス様の愛に育った私達」と歌われている通りです。この愛が実を結び、周りの人々を愛せるようになるのです。

愛に育まれた柳城の在学生だとの自覚のもと、自信を持って歩んでいただきたい。そして、柳城を支えてくださった人々への感謝を忘れないでください。

皆さんのご健闘をお祈りします。(要約:加藤)

 

【ヨハネの手紙一 3:18】
子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。

【本日の礼拝では、リチャード・アレン・メリット第4代学長の逝去10年を記念して、柳城学院の監事である日野忠市さんにお話をして頂きました。】

私は、当時、メリット学長が司祭を務められていた愛知聖ルカ教会に籍を置いていた関係もあって、先生とはたいへん懇意にさせてもらっていました。

メリット先生は1915年アメリカ生まれ。4人兄弟の末っ子でした。2006年に91歳で群馬県にて逝去されましたが、その一生を一言で表現するなら「By Love Serve (愛をもって仕えなさい)を実際に示した方」と言えます。本日の聖書個所そのままですね。彼があるオラトリオでイエス役を演じられた時のことです。そのイエスが十字架上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。(マタイ27:46)」と叫ぶ場面で、私は「イエスは、きっとこんな感じで叫ばれたのだな」と感じながら、メリット先生が歌われる姿に見入ったものです。

彼は一生独身を通し、神にお仕えになったのだと思いますが、決して「真面目一筋」な人物ではなくて、実にユーモアセンスにあふれるユニークな方でもありました。人にプレゼントすることが大好きで、ある時、クリスマス協奏曲などが入ったCDを私にくれたのですが、それが実は、2年前に私が彼にあげたものだったのです。返答に困った私は仕方なしに「これが欲しかったんですよ!」と彼に礼を言うと、彼は「そうだろ!」と嬉しそうにしていました。また、自炊生活の中で、野菜や果物の残り物を集めては、チャツネと言うかジャムと言うか、調味料を混ぜ合わせて作っていました。それをまた嬉しそうに人にあげるのですが、私がもらった時には、とても発酵し過ぎて食べられたものではありませんでした。健康志向の彼は胚芽入りのパンにこだわっていたのですが、なぜか、鰻丼とひつまぶしだけには目がなくて、これだけは人にプレゼントしたくなかったようです。私と一緒に食べた時に「絶対に人にあげなーい」とか言って食べていました。

そんな愉快なメリット先生ですが、日本のキリスト教主義教育の発展に多大な影響を与えた方でもありました。1962年には、立教大学の「キリスト教教育研究所(JICE)」の発足に尽力し、73年には、南山短期大学の人間関係科初代学科長に就任されています。

司祭でもあったメリット先生にとって、教育はイエスの「愛」を人々に伝える手段であったのかもしれません。「愛」について、彼は次のように表現しています。「イエスの見方をもって人を愛すること」、「その人の幸せを祈ること」、「愛をもって人に仕えること」、「イエスとは、言い換えると、愛」、「人の助けになるものは色々あるが、最後の決め手になるのが愛」。メリット先生はこのような愛を自ら実践し、そして、人に語り続けた人でした。

名古屋柳城短期大学の長い歴史の中で、このようなすばらしい方が活躍されていたことを、どうか覚えておいてください。(要約:加藤)

 

★次週9/21の礼拝案内

サムエル大西修 主教(日本聖公会大阪教区)による講話を予定しています。
大西主教は、大阪教区に移籍される前は、名古屋聖マタイ教会の司祭をなさっておられた方なので、本学のことはたいへんよくご存じです。
題は「今、柳城生に伝えたいこと」です。
ご期待ください。

 

 

 

 

 

 

大西主教(主教按手式当日)

 

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