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カテゴリー:大学礼拝 の記事一覧

【ルカによる福音書12:54-57】
12:54 イエスはまた群衆にも言われた。「あなたがたは、雲が西に出るのを見るとすぐに、『にわか雨になる』と言う。実際そのとおりになる。
12:55 また、南風が吹いているのを見ると、『暑くなる』と言う。事実そうなる。
12:56 偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか。」
12:57 「あなたがたは、何が正しいかを、どうして自分で判断しないのか。

「時」を表わす言葉としてギリシャ語にはクロノス(Chronos)とカイロス(Kairos)があります。

クロノスは過去から現在、未来へと決まった速度・決まった方向で機械的に流れる連続した時間を表わします。1分は60秒、1時間は60分、1日は24時間、1年は365日といった時刻としての時間。時が刻む客観的な時間のことをいいます。クロノスからクロック(時計)という語が生まれてきました。

もう一つのカイロスは、人間が受けとめる主観的、心理的な時間を表わします。受けとめ方や感じ方で長かったり短かったり、止まったり逆流したりする、内面的な時間です。ギリシャ語で「チャンス」(機会)の意味も持っています。嫌いな授業を1時間受けている場合の1時間と、恋人との楽しいデートの1時間はクロノスでは同じ1時間ですが、カイロスでは、嫌いな授業は数時間にも長く感じられ、楽しいデートは「うそ~、もう1時間過ぎちゃったの」と思うくらい短く感じられるのです。1回限りで、独自で質的な時、大切な時、決定的な時がカイロスという時です。

聖書に出て来るカイロスは独自で質的な時、大切な時、決定的な時としての意味を持っています。時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ1:15)~神の新たな支配が始まる時が来たとのイエスさまのメッセージです。 その日、その時は誰も知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたにはわからないからである。」~ここで言われているその時とは、終末の時、最後の審判がなされる時です。(同 13:32~33) 時が来た。人の子は罪人たちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」(同 14:41~42)~ここでの時はイエスさまが十字架にかけられる重大な時を表わしています。また恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いに日に、わたしはあなたを助けた」と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ救いの日。(コリントの信徒への手紙Ⅱ6:2)といわれている時も、神さまの支配がこの地上に開始された、何ものにも代えがたい大切で決定的な時を表わすカイロスです。

そのほかにも、イエス誕生が天使によって羊飼いたちに知らされた今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」 (ルカ2:11) の今日今日、救いがこの家に訪れた。」(ルカ19:9)と徴税人ザアカイの悔い改めを喜ばれたイエスさまの言葉の今日は、何月何日の今日ではありません。特別な今日、かけがえのない2つとない価値ある今日、そうです、今なのです。

イエスさまは言われます。あなたがたは時間的経過の中で時を見分けることはできます。気象上では雲や風の様子、日照時間、潮の満ち引き、月の満ち欠けなどによって、また自然界では、季節の変化を虫の音、動物の移動や植物の色彩の移り変わりなどによって時を見分けているけれども、今の時を見分けることができないと指摘されます。

今の時を見分けるとは、今の時を吟味すること、解釈すること、与えられているしるし(兆候)を通して見分け、見極め、洞察することです。今はどんな時なのか、何をどう考え、どのように行動していけばよいのかを賢く判断し、実行することが求められているのです。

今でしょ!とは、あなたがたにとって、二度とない大切なこの時のことを言っています。皆さんにとってかけがえのない大学生時代、後期が始まった今日、わたしは今、何をどのように見つめ、吟味し、新たなステップへと進んでいけばよいのかの決断を迫られているのです。決して遅くはありません。毎日、祈りをもって(自分自身をしっかり見つめることも大切な祈りです。)歩んで行きましょう。(チャプレン大西 修)


学食の掲示板

【サムエル記下12:1-10】
12:1 主はナタンをダビデのもとに遣わされた。ナタンは来て、次のように語った。「二人の男がある町にいた。一人は豊かで、一人は貧しかった。
12:2 豊かな男は非常に多くの羊や牛を持っていた。
12:3 貧しい男は自分で買った一匹の雌の小羊のほかに/何一つ持っていなかった。彼はその小羊を養い/小羊は彼のもとで育ち、息子たちと一緒にいて/彼の皿から食べ、彼の椀から飲み/彼のふところで眠り、彼にとっては娘のようだった。
12:4 ある日、豊かな男に一人の客があった。彼は訪れて来た旅人をもてなすのに/自分の羊や牛を惜しみ/貧しい男の小羊を取り上げて/自分の客に振る舞った。」
12:5 ダビデはその男に激怒し、ナタンに言った。「主は生きておられる。そんなことをした男は死罪だ。
12:6 小羊の償いに四倍の価を払うべきだ。そんな無慈悲なことをしたのだから。」
12:7 ナタンはダビデに向かって言った。「その男はあなただ。イスラエルの神、主はこう言われる。『あなたに油を注いでイスラエルの王としたのはわたしである。わたしがあなたをサウルの手から救い出し、
12:8 あなたの主君であった者の家をあなたに与え、その妻たちをあなたのふところに置き、イスラエルとユダの家をあなたに与えたのだ。不足なら、何であれ加えたであろう。
12:9 なぜ主の言葉を侮り、わたしの意に背くことをしたのか。あなたはヘト人ウリヤを剣にかけ、その妻を奪って自分の妻とした。ウリヤをアンモン人の剣で殺したのはあなただ。
12:10 それゆえ、剣はとこしえにあなたの家から去らないであろう。あなたがわたしを侮り、ヘト人ウリヤの妻を奪って自分の妻としたからだ。』

聖書に登場する人物で素晴らしいと思われる人であっても、聖書はその人の人間としての有りのままの姿が包み隠さず描いています。ですから私たちの理想像としている人物も多くの短所をもっていることがわかります。

今日お話しするダビデもその一人です。彼はベツレヘム(イエスの誕生の地)出身のエッサイの8人目の息子(末っ子)で、父の羊飼いの仕事を手伝っていました。イスラエルの初代のサウル王が隣国ペリシテと戦っていた時、利発な少年ダビデはゴリアトというペリシテのつわものを石投げ紐で石を飛ばして撃ち倒し、勝利に貢献し、サウルの側近として仕える者になりました。また、竪琴の名手でもあり、サウルに安らぎを与えました。詩編70編までの多くはダビデの詩編と言われています。

ダビデはサウルに次ぐイスラエルの第2代の王として、紀元前1000年から960年までの40 年間、君臨し、王国を統一しました。その名声は後世にまで語り伝えられています。

イスラエル全軍がヨアブの指揮下でアンモン人と戦っていた時に起こされた出来事が有名な「バト・シェバ事件」です。ここに描かれているダビデは、若き頃の英雄としての雄姿ではなく、一人の人間としての弱さや、罪深さを余すところなく暴露しています。

主に遣わされて預言者ナタンがダビデのもとに来て、次のたとえ話を語ります。

「二人の男がある町にいた。一人は豊かで、一人は貧しかった。豊かな男は非常に多くの羊や牛を持っていた。貧しい男は自分で買った一匹の雌の子羊のほかに、何一つ持っていなかった。彼はその子羊を養い、子羊は彼のもとで育ち、息子たちと一緒にいて 彼の皿から食べ、彼の椀から飲み、彼のふところで眠り、彼にとっては娘のようだった。ある日、豊かな男に一人の客があった。彼は訪れて来た旅人をもてなすのに自分の羊や牛を惜しみ 貧しい男の子羊を取り上げて、自分の客に振る舞った。」(12:1-4)

このたとえ話を聞いたダビデは、豊かな男に激怒し、「そんな男は死罪だ。子羊の償いに4倍の値を払うべきだ。そんな無慈悲なことをしたのだから。」と叫びます。それに対して、預言者ナタンはダビデに向かって、「その男はあなただ」と叱責したのです。

このたとえ話が語られた背景にはこんな出来事がありました。

イスラエル全軍がヨアブの指揮下でアンモン人と戦っていた時、ダビデはエルサレムにとどまっていました。ある日の夕暮れ時、昼寝から覚めたダビデが宮殿の屋上を散歩していると、屋上から一人の美しい女が行水しているのが見えたので、その女はだれかを尋ねさせたところ、家臣であるヘト人ウリヤの妻バト・シェバであることがわかり、使いの者をやって彼女を召し入れ、彼女と関係を持ちました。彼女は家に帰ってから、子供ができたことがわかり、ダビデにそのことを知らせました。すぐさまダビデはウリヤを戦場から送り返すように命じ、宮廷に呼び出し、戦場の様子などを聞いたのち、家に帰ってゆっくり疲れを癒すようにと言いました。そうすることによってバト・シェバの腹の子を、ウリヤの子とすることを画策したのです。しかし他の兵士たちが戦っているのに、自分だけそんなことはできないとその勧めを断わり、野外で過ごしました。さらなる勧めにもウリヤは固く自らの意思を貫きました。そのためダビデは最後の手段として、ウリヤを戦いの最前線立たせ戦死させてしまったのです。そしてその後、彼の喪が明けるとバト・シェバを宮廷に引き取り、正式に妻としました。

権力を乱用し、誰もが驚き呆れる様な罪を犯したダビデの姿を、預言者ナタンはたとえ話を通して指摘したのですが、ダビデはそのたとえ話の中の、富んだ者が自分であり、貧しい者がウリヤを指しているとは気づきませんでした。

わたしたちは自分の犯した罪には案外気付かない鈍感な人間です。ダビデは厚顔無恥な男で、ひょっとしたら自分の罪に気づいていたのかもしれませんが、開き直っていたようなところがあったのかもしれません。預言者ナタンはダビデの罪がいかに大きく重いものであるかを、神からの厳しい罰を示すことによって語りました。ダビデは預言者ナタンに「わたしは主に罪を犯しました。」と懺悔します。ナタンは「その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死を免れる。しかし生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ」と告げました。

このような大罪を犯したダビデを神は赦し、再び用いられました。心の底から罪を悔い改める者を神は赦してくださることに感謝したいと思います。

わたしもひょっとしたら、そんなダメな「ダビデ」かもしれないと自問自答してみることが大切ではないでしょうか。(チャプレン大西 修)


ポピーとアリッサム

【ヨナ書3:1-4:11】
3:1 主の言葉が再びヨナに臨んだ。
3:2 「さあ、大いなる都ニネベに行って、わたしがお前に語る言葉を告げよ。」
3:3 ヨナは主の命令どおり、直ちにニネベに行った。ニネベは非常に大きな都で、一回りするのに三日かかった。
3:4 ヨナはまず都に入り、一日分の距離を歩きながら叫び、そして言った。「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。」
3:5 すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった。
3:6 このことがニネベの王に伝えられると、王は王座から立ち上がって王衣を脱ぎ捨て、粗布をまとって灰の上に座し、
3:7 王と大臣たちの名によって布告を出し、ニネベに断食を命じた。「人も家畜も、牛、羊に至るまで、何一つ食物を口にしてはならない。食べることも、水を飲むことも禁ずる。
3:8 人も家畜も粗布をまとい、ひたすら神に祈願せよ。おのおの悪の道を離れ、その手から不法を捨てよ。
3:9 そうすれば神が思い直されて激しい怒りを静め、我々は滅びを免れるかもしれない。」
3:10 神は彼らの業、彼らが悪の道を離れたことを御覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた。
4:1 ヨナにとって、このことは大いに不満であり、彼は怒った。
4:2 彼は、主に訴えた。「ああ、主よ、わたしがまだ国にいましたとき、言ったとおりではありませんか。だから、わたしは先にタルシシュに向かって逃げたのです。わたしには、こうなることが分かっていました。あなたは、恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です。
4:3 主よどうか今、わたしの命を取ってください。生きているよりも死ぬ方がましです。」
4:4 主は言われた。「お前は怒るが、それは正しいことか。」
4:5 そこで、ヨナは都を出て東の方に座り込んだ。そして、そこに小屋を建て、日射しを避けてその中に座り、都に何が起こるかを見届けようとした。
4:6 すると、主なる神は彼の苦痛を救うため、とうごまの木に命じて芽を出させられた。とうごまの木は伸びてヨナよりも丈が高くなり、頭の上に陰をつくったので、ヨナの不満は消え、このとうごまの木を大いに喜んだ。
4:7 ところが翌日の明け方、神は虫に命じて木に登らせ、とうごまの木を食い荒らさせられたので木は枯れてしまった。
4:8 日が昇ると、神は今度は焼けつくような東風に吹きつけるよう命じられた。太陽もヨナの頭上に照りつけたので、ヨナはぐったりとなり、死ぬことを願って言った。「生きているよりも、死ぬ方がましです。」
4:9 神はヨナに言われた。「お前はとうごまの木のことで怒るが、それは正しいことか。」彼は言った。「もちろんです。怒りのあまり死にたいくらいです。」
4:10 すると、主はこう言われた。「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。
4:11 それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」

ヨナ書は旧約聖書の中で4章と短いものですが、ヨナという預言者を通してとても興味深く、示唆に富む物語です。ヨナは北王国のヤロブアム2世(紀元前786~746)の時代に活躍した預言者(列下14:25)で、この時期、ニネベはアッシリア帝国の重要な都市でした。

ヨナは「鳩」という意味で、預言者ホセアは「エフライムは鳩のようだ。愚かで、悟りがない」(ホセ7:11)と言っています。ここにはイスラエルの民の愚かさを自嘲する意味が込められていると言われています。ヨナ書が書かれたのはペルシャ時代(前539~333)後半で、バビロン捕囚後の独立も心もとないけれども、人一倍独善性と自尊心の強いユダヤ人に正しい自己認識を与え、新たな生き方を示唆しようとしているようです。

物語は以下の5つの部分に分けられています。①イスラエルの国において主とヨナの関わり、②海においてヨナと船乗りたちとの関わり、③魚の中で主とヨナの関わり、④ニネベにおいて主とヨナとニネベの人々の関わり、⑤ニネベ郊外での主とヨナの関わり

さて、預言者は主の言葉を預かって、そのまま伝えるべき人々に伝えることが本来の使命です。けれどもヨナはニネベに行って、その住民に主の言葉を伝えること、その町が悪のゆえに滅ぼされることを伝えることが任務であったにも関わらず、ニネべに行くことを恐れ、ヤッファに下り、ニネベとは正反対のタルシシュ(スペイン)行きの船に船賃を払って乗り込み、主からの逃亡を図ったのです。人の力(船賃を払うこと)で主から逃げることが果たしてできるのでしょうか。

主が大風を起こし、ヨナの乗った船を襲います。船乗りたちはそれぞれが信じている神々に救いを求め、さらに全力を尽くして船を軽くするため積み荷を海に投げ捨て、必死に助かろうとしましたがダメでした。その時ヨナは船底で寝ていたのです。船長はヨナにお前の神に救いを求めて祈れと言いますが、ヨナは祈りません。人々は災難の原因がどこにあるかくじを引いたところ、ヨナにくじが当たります。ヨナは、「わたしはヘブライ人だ。海と陸とを創造された天の神、主を畏れる者だ」と自分の素性を白状しました。主から逃げて来たからこのようなことが起こったのです。だからわたしを海に投げ込めば海は穏やかになります。彼はこう言って、スケープ・ゴート(贖罪の山羊)として海に投げ込まれます。すると海は静まり、人々は助かりました。人々は大いにヘブライ人の主を畏れ、いけにえをささげて誓いを立てました。

一方、海に投げ込まれたヨナは、主によって巨大な魚に呑み込まれ、その腹の中で三日三晩を過ごします。これはイスラエル民族の滅亡とバビロン捕囚の状況を暗示しています。暗黒の大海の深淵、苦難のどん底、死の淵から主に祈りをささげ、悔い改め、命を与えてくださる主を賛美します。すると、主は巨大な魚の口からヨブを陸地に吐き出させます。

悔い改めは新たに立ち上がること、再出発することです。ヨナは再び立ち上がって、主の言葉「あと40 日すればニネベの都は滅びる」を携えてニネベへと向かいます。3日かかって一回りできる都を1日分歩いて主の言葉を叫び続けたところ、「ニネベの人々は、神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に荒布をまと」いました。王もそれを聞き、「王座から立ち上がって王衣を脱ぎ捨て、粗布をまとって灰の上に座し」、「布告を出し」てニネベに断食を命じ、「ひたすら神に祈願せよ。おのおの悪の道を離れ、その手から不法を捨てよ。そうすれば、神が思い直されて激しい怒りを静め、我々は滅びを免れるかもしれない。」と言いました。その結果、神は彼らの業、彼らが悪の道を離れたことを御覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられました。

ヨナはこの神の態度に大きな不満を抱き、神に抗議します。ヨナは何を抗議したのでしょうか。神が「ニネベは滅びる」と言った約束を反故にしたことです。自分がニネベの人々に叫んだ言葉が実現しなかったこと、すなわち、ニネベが滅びなかったことは、彼の面目を丸つぶれにしたと思ったのです。しかしそれは大きな誤りでした。なぜなら、彼が叫んだ言葉は神の言葉だったからにほかなりません。自分の考えで言った言葉が実現しなかったならば、確かに面目丸つぶれだったでしょう。預言者は神の言葉を預かってそれを伝える役目を果たします。神の言葉が実現しなかったことは、神の面目が丸つぶれになることなのです。神の面目丸つぶれこそ、神の喜びなのです。なぜなら、多くの人々が滅びから救われ、新たに生まれ変わることができるからです。ヨナは多分こうなると思ったから、タルシシュに向かって逃げたのですと言い逃れをしました。

ヨナの不満、怒りに対して、神は一つの出来事を彼に経験させます。

ヨナは郊外で小屋を建て、ニネベの成り行きを見届けるため、日射しを避けてその中に座り込んでいました。神はとうごまの木を生えさせ、その大きく育った緑の葉がヨナを暑さの苦痛から解放しましたが、翌朝虫が木をすべて食い荒らしてしまい、さらに太陽が照りつけ、東風が熱風を運んできたため、ぐったりしたヨナは「生きているより、死んだ方がましです」と神に訴えます。神はそれに対してヨナに言います。お前は何もしないでいて、一夜で生じ、一夜で滅びたとうごまの木さえ惜しんでいる。それならわたしが、この12万人もいるニネベの人々とそこに住む家畜を惜しまずにいられるだろうか。(いや、惜しまずにいられはしない!)

このように結ばれているヨナ書は、ヨナを通して自らの正当性を主張し、他者を断罪することに、何ら痛みを感じない人間の独善的な生き方に対して、それを見つめ直すことを訴えているのではないでしょうか。

自分より弱い者、小さい者、劣っていると思われる者が、神に滅ぼされて当然であるという驕った考えが、正されなければならないと思います。

「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」「天の父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる。」(マタイ5:43~48)というイエスの言葉が思い起こされます。 (チャプレン大西 修)


恵みの雨

 

約40年前に私は溢愛館に就職しました。当時はオイルショックの時代で、大変な不景気でした。トイレットペーパーの買い占め騒動など、社会が騒然とする中、就職するのも難しかったのですが、私は楽観的で「何とかなるさ」と高をくくっていました。そういうおごった性格が禍してか、公務員試験に落ちて困り果てていました。

そんな状況で溢愛館の求人にたまたま出会いました。もともと福祉の仕事がしたかった私は運よく採用されたわけですが、後から聞いた話では、「おまえは大学出たばかりだから給料が安くすむし、経験がないのも教えがいがある。器用さも力もないが、真面目さだけはありそうだ」という評価だったということです。実際、私は3年くらいは全く役に立たなかったのです。これも後から聞いた話ですが、同僚らが施設長に向かって「成瀬を辞めさせて、キャリアのある女性を採用してくれ」と嘆願したくらいのひどさだったようです。

さて、こんな私でも40年もの間、溢愛館に勤められたのはどうしてでしょう。それは、職場環境が私を育ててくれたからなのです。特に、溢愛館で出会った子どもたちやその親たちとの関わりが私を成長させてくれました。里親との関係もそうでした。児童相談所の方針に異議を唱えて里親探しを進めてうまくいったこともありましたし、逆に、十分な検討を重ねることができないまま里親へ子どもを預けて、結局、残念な結果に終わったこともありました。両親とも精神疾患を患ってしまったその子どもが、親元に引き取られてから立派に成長していく姿にも出会えました。

どんな人も未熟なままで就職します。でも、与えられた環境の中で完成体に近づいていくのです。たとえ最初は力がなくても、人間関係の広がりを通して成長していきます。だから、あきらめる必要はありません。こんな私でも、今こうして話をしながら学ばせてもらっています。活かされていることが実感できます。(成瀬 英雄 本学非常勤講師、要約は加藤)

【マタイによる福音書25:31-46】
25:31 「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。
25:32 そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、
25:33 羊を右に、山羊を左に置く。
25:34 そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。
25:35 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、
25:36 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』
25:37 すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。
25:38 いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。
25:39 いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』
25:40 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
25:41 それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。
25:42 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、
25:43 旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』
25:44 すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』
25:45 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』
25:46 こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」

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皆さんはこの柳城に入学し、保育者になることを目指しておられます。しっかりと目標、目的がおありです。皆さんの志に敬意を表し、応援したいと思います。

今日の機会に今一度質問をしたいと思います。何故、保育者を志したのでしょう。

自分にそう決意させたもの、促したものは何なのでしょう。よく振り返ってよく見つめて欲しいのです。自覚している方もあらためて意識してみて下さい。

皆さんは水俣病を知っていますか? 九州水俣湾で起きた水銀汚染公害病です。その悲惨さや公害の深刻さを世界に示しました。

工場が水銀を含んだ排水を海に垂れ流し、汚染された魚介類を食べていた人達が発症した公害病です。水俣湾の魚は食べられなくなってしまい漁師は漁をなりわいとしていたので生活保障として汚染源となった工場が市価と同額でとってきた魚を買い取っていました。漁をすればそれだけ収入になるので毎日漁に出掛けていました。工場では買い取った魚をすぐコンクリートづめにして廃棄していました。その事を知った漁師達は自分たちのしていることに疑問を持ち始め、次第に漁に出る意欲を失い、ついに漁をやめてしまったそうです。

人が生きるのに大切なことが示されているように思います。それは、「何のために」という目的なのではないでしょうか。生きがい、張り合いと言ってもいいでしょう。自分のしていることが何かしら社会の中で何らかの役に立っていると思えれば、たとえどんなにしんどくても意欲や喜びをもって生きることができるようですが、「何のために」という目的を失ったり、自分が納得が出来ない場合には意欲も喜びも失ってしまいます。

学校で勉強していることも「何のために」するのかということをあらためて考えてみると良いと思います。結局のところ「試験があるから」というのが本音かも知れませんが…。では何故「何のために」試験するのかという事も問われることにもなるでしょう。ただ単に学校教育の問題だけでなく、ひいては「何のために」という問いは、広く社会や人生そのものに関わる重大な事柄となっていることは言うまでも無いことのように思います。

聖書は人生にもテストがあると語っています。神様は問いかけます。財力、地位や名誉を持っているかではなく、「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者にしたかどうか」という問いです。

皆さんがこの柳城で、「愛によって仕える」者として生きようとするその志をどうぞ全うされますよう心から願い、お祈りしております。(中尾 志朗 司祭:一宮聖光教会)

「主なる神が地と天を造られたとき、地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」(創世記2:4~7)

チャプレンタイムの中で、高校の時、どこへ修学旅行に行った?と質問したら、そのうちの何と3分の1くらいが「沖縄へ行った」と答えました。それに「広島」「長崎」を加えると、何と修学旅行の行先の6~7割になります。

南の島、トロピカルムード漂う沖縄、異国情緒豊かでハウステンボスなどがある長崎、安芸の宮島など景観に恵まれ、牡蠣やもみじ饅頭で有名な広島ですが、実は「沖縄」」「広島」「長崎」は言うまでもなく、平和学習のための重要な三つの場所(戦跡)なのです。「沖縄」は太平洋戦争末期1945年4月から8月、本土決戦に向けての時間稼ぎの捨て石作戦(持久戦)のため、20万人をこえる人々が亡くなりました。そのうち94,000人が沖縄の一般住民でした。これは県民の4人に一人に相当します。広島の原爆では35万の人口の内14万人、長崎の原爆では24万人の人口のうち74,000人が亡くなりました。名古屋でもB29爆撃機の68回にわたる空襲で約8,000人が亡くなりました。

戦争は人間の理性も良心も麻痺させてしまいます。そして神によって造られた何ものにも代えがたい尊い命を奪ってしまいます。戦争は人間の犯す最も重い罪です。神から与えられたたった一つのかけがえのない命を奪ってしまうからです。人間には人の命を奪う権利はありません。ですから、死刑制度も人が人の命を法律によって奪うことですから、この制度を廃止すべきであると世界各国で叫ばれているのです。(アムネスティーの運動)

創世記では、神の息吹きを受けて生かされている人間の尊厳が語られます。しかし、人間は土の塵で造られた小さく弱い存在なので、神の大きな命の息吹きの中で生きていくことが求められているのです。

「命(ぬち)どぅ宝」とは、恒久平和を求める沖縄の心、沖縄戦の悲惨な体験と今尚続く米軍支配の重圧にあらがいながら、常に願い培ってきた沖縄の心です。人間の尊厳を何よりも重視し、相手を尊び、お互いに支え合い活かし合い、戦争につながる一切の行為を否定し、平和を求める人間性の発露である文化をこよなく愛する沖縄の心を「命(ぬち)どぅ宝」と言います。

ある学生は言いました。楽しいはずの修学旅行が、とっても重く暗い気持ちの旅行になってしまったと。「沖縄から名古屋は見えるけれども、名古屋からは沖縄が見えない。」   沖縄、長崎、広島に行って初めて、わたしたちは沖縄の視点、長崎、広島の視点に立ってものごとを見ることの大切さを学ぶことが出来るのです。

平和は待っていてもやってきません。どんな小さなことでも、平和を実現するための努力を惜しまないこと、また戦争に繋がるようなことは、どんな小さな芽でも早く摘み取る必要があります。多くの犠牲の上に成り立った平和憲法を、しっかり守り抜き、二度と戦争をしない、平和を愛する国であることを声を大にして訴えていきたいものです。

6月23日、沖縄慰霊の日、沖縄戦全戦没者追悼式で糸満市の小学校6年生の少女が読んだ詩「本当の幸せ」をここで紹介します。(朝日新聞6/24 朝刊)

青くきれいな海 この海は どんな景色を見ているのだろうか
爆弾が何発も打ち込まれ ほのおで包まれた町 そんな沖縄を見たのではないだろうか
緑あふれる大地 この大地は どんな声を聞いたのだろうか
けたたましい爆音 泣き叫ぶ幼子 兵士の声や銃声が入り乱れた戦場
そんな沖縄を聞いたのだろうか
青く澄みわたる空 この空は どんなことを思ったのだろうか
緑が消え、町が消え、希望の光を失った島 体が震え心も震えた
いくつもの尊い命が失われたことを知り そんな沖縄に涙したのだろうか
平成時代 私はこの世に生まれた 青くきれいな海 緑あふれる大地 青く澄み渡る空しか知らない私 海や大地や空が七十四年前 何を見て 何を聞き 何を思ったのか
知らない世代が増えている 体験したことはなくとも 戦争の非さんさを 決して繰り返してはいけないことを 伝え継いでいくことは 今に生きる私たちの使命だ
二度と悲しい涙を流さないために この島がこの国がこの世界が 幸せであるように
お金持ちになることや 有名になることが幸せではない 家族と友達と笑い合える
毎日こそが 本当の幸せだ 未来の夢を持つことこそが 最高の幸せだ
「命(ぬち)どぅ宝」 生きているから笑い合える 生きているから未来がある
令和時代 明日への希望を願う新しい時代が始まった この幸せをいつまでも

最後にヒロシマの詩人 峠 三吉の詩ユネスコ憲章を読んで終わります。

ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよにあるかぎり
くずれぬへいわをへいわをかえせ

「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない。」(1945年 ユネスコ憲章)

(チャプレン大西 修)

【ローマの信徒への手紙12:9-17】
12:9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、
12:10 兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。
12:11 怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。
12:12 希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。
12:13 聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。
12:14 あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。
12:15 喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。
12:16 互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。
12:17 だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。

✝ ✝ ✝

止揚学園の福井達雨 1932(昭和7)年滋賀県近江八幡市に生まれる。1956(昭和31)年.同志社大学神学部に学ぶ。学生時代から障害児の教育(教育心理学を専攻)と差別問題に取り組む。

1962(昭和37)年、20歳の時初めて精神年齢1歳ぐらいの知能に重い障害をもつ子どもたちに出会い、大きなショックを受け、自分の無知と傲慢に気づかされ、27歳の時から知能に重い障害をもつ子どもの施設を作り始め、1972(昭和47)年、30歳の時「止揚学園」を設立。今年でこの働きを始めて60年、設立57年になる。今年87歳。

止揚学園の「止揚」(アウフヘーベン・Aufheben)とは?
ヘーゲルの弁証哲学用語
・あるものを、そのものとしては否定しながら、さらに高い段階で生かすこと。
・矛盾するものをさらに高い段階で統一し解決すること。
・二つのものが一つになって、今よりももって高い次元に入って大きなものに変わっていくこと。

知能に重い障害をもつ子どもたちの将来を思い描きながらこの学園名が付けられた。

彼に感化を与えた人たち

~韓国人、海南島(ナメドン)出身。20歳で来日。結婚し、のちに帰化。在日1世としての民族差別、結婚差別を受ける。*メレル・ヴォ―リスとの出会いから、近江兄弟社のドライバーとして奉職。戦後、満州奉天(現在の瀋陽)から引き揚げて来る。信仰の確立は「謙虚であること」「感謝を忘れないこと」「希望を失わないこと」「忍耐をもつこと」にあると、日常生活を通して達雨に教えた。他人のうわさ話、非難を口にしない人だった。106歳で死去。

*ウイリアム メレル ヴォーリズ(William Merrell Vories)一柳米来留(ひとつやなぎめれる)1880(明治13)年10月28日~1964(昭和39)年5月7日83歳で逝去。米国カンザス州生まれ。建築家、社会事業家、信徒伝道者。「近江兄弟社」の創立者の一人、メンソレータムを普及させた。

~日本人。高2の時、38歳で死去。3男1女の母。達雨は長男。キリスト者として戦争に反対し、天皇は神にあらずと主張し、「非国民」の汚名を着せられ、孤独で苦しく、大変な時を過ごしたが、それに負けることなく、信仰をもって明るく生き生きと過ごしていた。彼は「非国民の子ども」といじめられ、友だちとして遊んでもらえなかったため、母を憎んだこともあった。母のそんな姿が、わがまま、利己的な人間、子供への愛のない人間としかその当時、彼には映らなかった。母の素晴らしさがわかってきたのは、知能に重い障害をもつ子どもたちと共に生き始めてからだった。小中学生時代、友だちと遊んでもらえない孤独な日々を過ごしたが、その試練こそ、知能に重い障害をもつ子どもたちと共に生きる源になった。と彼は言う。

「いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。信仰が試されることで、忍耐が生じます。試練を耐え忍ぶ人は幸いです。」(ヤコブ1:1-3,12)

一柳(ひとつやなぎ)満喜子先生 1884(明治17)年~1969(昭和44)年 85歳1919(大正8)年 35歳でウイリアム メレル ヴォーリズと明治学院で結婚。達雨の幼稚園教師(清友幼稚園1922年~現・近江兄弟社幼稚園)。厳しい先生だったが怖い先生ではなかった。怖さの中には冷たさがあるが、厳しさの中には温かさ、ぬくもりがあり、優しさがあった。人間的に言えば、「円満な人格者」ではなかったが、自分が弱さを持ちながら自らをキリストに向け、完全に向かって努力し、そこから自分の人格のすべて、弱いことも強いことも、達雨にぶつけて、聖書を、キリストを、人間の生き方を教えてくれた先生出会った。その先生との人格的な関わりの中で、知能に重い障害をもつ子どもたちの教育に入った。キリスト者、教育者に円満な人格者像はない。欠陥の多い人間が、弱い人間がキリストによって、子どもたちによって強くさせられ、完全に向かって歩もうとする努力者像を彼女から教えられた。「掃除」は心でするもので、見えないところをきれいにすることである、そんなことも日常生活の中で教えられたと彼は言っている。

光子夫人 香川県の浄土真宗寺院の娘で高校時代に洗礼を受け、18歳で開園したばかりの止揚学園を訪れ、30歳の達雨と出会い、21歳の時、33歳の達雨と結婚。結婚生活50 年間、主に見守られ、祈りつつ、達雨にとってかけがえのない伴侶として、止揚学園を世の光として輝かせてきた。彼は不器用ではあるが、実直で、イエス・キリストを信じ、希望をもって生きる姿勢に惹かれて歩んでいる。
彼女は止揚学園への募金に対するお礼として、いつも真心の籠った直筆で、園の様子、子どもの様子を生き生きと伝えてくださる謙虚さには頭が下がる。信仰とは人間が神を造り、信ずるのではなく、神が人間に信仰を与えてくださるものである。教育者とは、自分が子どもたちを選ぶのではなく、子どもたちに選ばれて、はじめて教育者になることができるのである。

知能に重い障害をもつ子どもたちへの偏見と差別

*施設を建てる時の反対運動~止揚学園の子どもが怖い、恐ろしい、環境が悪くなる。自分の子どもたちが外で遊べなくなる。止揚学園の子と遊ぶとアホになる。(大人が持っている偏見が、子どもたちの行動となって現れる) 著書「こわいことなんかあれへん」
*みんなが一緒に学んだり遊んだりできないことへの反対運動(学校教育)
*障害者お断わり(諸施設への入場制限、飛行機に乗れなかったことへの反対運動で、それをクリアーでき海外旅行に行ったこと~「みなみの島にいったんや」
*止揚学園の子どもたちが洗礼を受けられるようになったこと~これまでは、信仰告白をしなければ受けられなかった。その壁が取り払われたこと。

達雨は聖書のみ言葉と、それによって歩んできた上記の人々から、忍耐と練達、それが希望を生みだすことを実生活の中から学び、自らもその道を歩み続けているのである。

「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからです。おおよそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。」(へブル12:4-5,11

【マタイによる福音書5:9】
5:9 平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。

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今年も5月3日「憲法記念日」を迎えました。ゴールデン・ウイーク中だったので、知らないうちに過ぎてしまったと思っている人もいるかもしれません。

でもこの日は大切な日です。「日本国憲法」が1946(昭和21)年11月3日に公布され、1947(昭和22)年5月3日に施行されたことを記念して、1948(昭和23)年に「憲法記念日」という祝日に制定されました。

第2次世界大戦後、制定された「日本国憲法」は、戦前まであった明治時代に制定された「大日本帝国憲法」とは、大きく変わりました。「日本国憲法」が制定された目的は、民主国家をつくりあげ、2度と侵略戦争を起こさないためです。「日本国憲法」には三大原則があります。まず第1は主権が天皇から国民に移ったこと、国のあり方を決める政治の主役は天皇ではなく国民であるということです。国民主権です。第2は「基本的人権の尊重」です。これは人が人間らしく生きる権利を尊重することです。この権利の中には自由権、平等権、社会権(生存権)、参政権、請求権などがあります。第3は「平和主義」です。世界平和のために日本は戦争をしない、戦争を放棄すること。憲法第9条を守ることがとても大切なことです。現在、憲法第9条の改正が取り沙汰されていますが、わたしたちはしっかり憲法第9条を守っていく責任があります。憲法は主権者であるわたしたち国民が、国を、そして政府を縛るものであることを忘れないようにしたいものです。

先の大戦の犠牲者はアジアで2,000万人以上、国内で300万人以上と言われています。人間の為す愚かな争いは、なくさなければなりません。

紀元前8世紀後半のユダの預言者イザヤはこう言っています。
「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。」(イザヤ2:4~5)

イエスさまは「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」と言われました。わたしたちは礼拝の中で「主の平和」と言って、お互いに「平和の挨拶」を交わします。すべての人の間で神さまの愛が感じられる時、人が作る平和ではなく、神さまからの平和がやってきます。わたしたちはその平和を実現するために、今何をすればいいのでしょうか。わたしたちに出来ることを、小さなことでもいいから見つけ出して実行していきましょう。 (チャプレン 主教 大西修)

【マタイによる福音書6:9-13】
6:9 だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、/御名が崇められますように。
6:10 御国が来ますように。御心が行われますように、/天におけるように地の上にも。
6:11 わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
6:12 わたしたちの負い目を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/赦しましたように。
6:13 わたしたちを誘惑に遭わせず、/悪い者から救ってください。』

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「主の祈り」はイエスさまが教えてくださった祈りで、一番基本的で大切な祈りです。マタイによる福音書6章9節―13節(新約聖書9頁)とルカによる福音書11章2節―4節(新約聖書127頁)に記されています。主の祈りはイエスさまの言われたこと、なさったこと「福音全体の要約である」とテルトゥリアヌスという古代の神学者は言いました。

「主の祈り」は1,900年前から今日まで、教会の礼拝の中で絶えず祈り続けられてきています。どこの教会へ行っても祈られています。柳城の礼拝でもいつも用いますので、ぜひ覚えてください。

「主の祈り」の内容は(1)呼びかけ~呼びかける相手がはっきりしています。イエスさまをこの世にお遣わしになった神さまへの呼びかけです。(2)前半の三つ~神(あなた)についての祈り~と(3)後半の三つ~人間(わたしたち)についての祈り~ から成り立っています。

祈りは神さまとの対話です。ですから、必ず対話の相手である神さまに、天におられる(見えなくても、どこにでもいらっしゃる、すべてものを存在させ、わたしたち一人一人に命を与えてくださっている)わたしたちの父よ、と呼びかけます。相手が分からなくては呼びかけられません。その相手(神さま)を本当に信じていなければ、祈りにはなりません。あなたは祈る時、どんな神さまに祈っていますか?

信じている神さまの偉大な力と素晴らしさをすべての人がほめたたえ、賛美し、あなたによる正義と平和と愛がこの地上にも実現しますようにと祈ります。

後半に、わたしたちについての祈りがあります。日本人の多くは、神さまへの祈願(お願い)=祈りと考えています。祈願=祈りではなく、祈願は祈りの一部です。「主の祈り」の大切なところは「わたしの祈り」ではなく「わたしたちの祈り」であることです。全人類のための祈りと言ってもいいと思います。当たり前のこととして、毎日3度の食事をとっているわたしたちが、「わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください」と祈るのはなぜでしょうか。それは現在でも世界で1日に25,000人もの餓死する人がいるからにほかなりません。その人たちのことも覚えて祈るのです。

「わたしの罪」ではなく「わたしたちの罪をおゆるしてください。わたしたちも人をゆるします」と祈ります。わたしたちは神さまの思いをしばしば裏切りますが、わたしたちを愛しておられる神さまは、そんなわたしたちをゆるしてくださいます。ゆるされた喜びを知った人は、他者をゆるすことができる人へと変えられていきます。

誘惑とは、わたしたちを常に神さまの思いから引き離し、自己中心的な生き方へと引き寄せる力、「サタン」「悪魔」の働きのことです。現代のように物質的に豊かな社会では、物質的な欲望への刺激や、性的な誘惑などが巨大化しています。このような中でわたしたちは日々、自己中心的な決断をし、隣人を無視、黙殺し、苦しみ、悲しみ、悩む人々を冷たく切り離しています。そのように悪におちいりやすく弱いわたしたちを支え励ましてくださいと願い、祈ります。

最後には「アーメン」と唱えますが、それは「そうです、そのとおりです、本当に」という意味のヘブライ語です。真心から祈る時、また誰かが祈った時、最後に一緒に「アーメン」と唱えることは、わたしもそう思います、そう祈っていますという心を表明することなのです。(チャプレン大西 修)

本学同窓会「のぞみの会」からの素晴らしいプレゼントが今年も届きました!(^^)! 感謝です‼

観劇会もこれで3回目となりました。(過去の記事はこちらで→2015年度2017年度
毎回とも、劇団うりんこさんの丁寧かつシンプルでメッセージ性の強い作品に感謝感激しています。

今回の作品「はなのき村」は、新美南吉の「花のき村と盗人たち」を原作にしたお話しでした。人を疑うことを知らない純朴な人たちに触れることで悪人が悔い改めていくというそのストーリーは、福音書にある「放蕩息子のたとえ」「徴税人ザアカイ」を連想させてくれるものでした。

以前の2作品に比べて、今回は、学生さんの観劇中のリアクションが乏しかったですが、それはたぶん、劇のメッセージが心に深く届いていた証拠かもしれません。チャプレンも語っていた通り、「学生全員にぜひ見て欲しい」作品でした。

「子どもの前に立つ仕事に就くからには、心を豊かにしておいて欲しい」と語った同窓会長さんのスピーチも印象的でした。確かに、子どもを教え導きたいなら、自分自身も学び続けるべきでしょうね。

そういう謙虚な気持ちだけは柳城でシッカリと身につけて欲しいものです。そのツールとして、大学礼拝や今回のような企画を、長年にわたり柳城が大切にしてきたことを誇りにしたいと思います。主に栄光(K)

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