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カテゴリー:大学礼拝 の記事一覧

大学礼拝の後に、特別企画として第5回東日本大震災復興支援ボランティア活動報告会を開催しました。

柳城キリスト教センターが発足した2011年は、東日本大震災の年として記憶されています。キリスト教センターの最初の活動は、被災地の復興支援ボランティアの活動でした。そのときから毎年、学生と教職員が被災者との交流と復興支援の活動を続けています。

この報告会では、8月17日から20日までの4日間の活動が、参加した学生たちによって語られました。被災地の現状、仮設住宅で暮らす方々との交流や現地の幼稚園・保育園での保育参加の様子、そして、現地の方々からうかがった、いまだ過ぎ去らない震災という出来事の重さ・・・

学生たちは、自分たちが被災地で見て、聞いて、感じて、考えたことを、何週間もかけて言葉にしました。地震と津波の被害を受けた被災地を案内されて黙祷した「被災地巡礼」で見た光景に、学生たちはそこで家族を亡くした方たちの言葉を重ね合わせました。原発事故による避難者のほとんど報道されない現実の重さにじかに触れて、この現実を伝えなければ、という強い思いが生まれたと語りました。

仮設住宅で暮らす高齢者たちとレクリエーションやミニコンサートを通じて語り合った「茶話会」、そして保育科の学生たちの真骨頂がいかんなく発揮された仮設住宅の子ども達との「遊ぼう会」や「夏祭り」、「花火大会」では、仮設住宅で暮らす方たちとの笑顔があふれる交流がスライドに映し出されました。現地の幼稚園や保育園では、保育参加を通じて交流を深めるとともに、園の先生方から、子ども達の命を守るという保育者の責任の重さを学んだことが語られました。

そして、被災地からいただいたひまわりの種を育てて、短大の校門前の花壇に見事な花を咲かせた山本聡子先生と山本ゼミの学生たちの被災地との交流活動が最後に報告されました。被災地と名古屋で離れてはいても、時間をかけて心のつながりが育てられたことを喜び感謝する言葉が語られました。

いずれの報告も、会場静寂の中、準備に時間をかけただけあって、その丁寧な語りが聞く人の心に様々なメッセージを届けたような感じがしました(手前みそですが)。

報告会のスライドが終わって、最後に、ボランティアの学生たちは、この活動が短大の仲間たちや先生方、職員の方々、資金援助をしてくださったメリット基金、現地の「被災者支援センターしんち・がん小屋」のスタッフの方々、地元のたくさんの方々の協力と理解と支援にささえられてきたことを感謝して、深くお礼をしました。惜しみない拍手の中で、被災地支援の体験を通して生まれた絆と強い思いが、会場の全員に分かち合われたことを実感しました。(村田)

わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。
(ヨハネによる福音書10:16)

 

大学礼拝の特別企画として、「NPO法人 愛実(あみ)の会」による人形劇を開催しました。

「NPO法人 愛実の会」は重度の障がいをもつ方も安心して地域生活を送れるよう他の団体と協力しサポートしている団体です。(ウェブサイトはこちらこちら

5名の方が車いすで参加されていましたが、重度の障がいを持つ方が「お仕事」として人形劇を開催する団体は、日本では「愛実の会」だけだそうです!

劇の題名は「ポンタとたっくん」で、友情をテーマに学生へ投げかけてくれました。特徴的だったのはボードビルといって言葉のない人形劇であったことです。言葉がなければ相手に伝えたいことが伝わりづらいかと思われがちですが,学生1人ひとりの心には、ストーリーやアピールしたいことがしっかりと心に刻まれている様子が伺えました。これらのことから,言葉がなくとも演じ方や効果音によって人に伝えたいことが届くことを、学生は改めて身にしみたと思います。

教育・福祉の世界に就職を希望している学生にとって、とても有意義な時間であるとともに、子どもたちや高齢者、障がい者と向き合う上で、言葉だけがコミュニケーションではなく、心をこめた様々な方法を用いることにより、相手と協調しあえる、そんなことを考えさせられる会になりました。これからもこのような会を継続的に行っていきたいと思います。(水落)

イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。『この民は口先ではわたしを敬うが、/その心はわたしから遠く離れている。
(マルコによる福音書7:6)

 

大学礼拝の特別企画として、本学の介護福祉専攻科主催による講演会を開催しました。

社会福祉法人「AJU自立の家」の本部は、本学から歩いて数分のところにあります。この地域では車椅子の方を見かけることがたいへん多いのですが、それはもちろんAJUの活動が目指すノーマライゼーション(障がいのある人も、障がいの無い人と同様の生活ができる社会作り)活動がさかんである証拠でして、その意味で、本学はまことに環境の良い場所に立地していると言えましょう。ちなみにAJUとは「愛の実行運動(AI NO JIKKO UNDO)」を意味しているそうで、「愛をもって仕えなさい」を建学の精神とする本学には、とても刺激的です。(AJU自立の家についてはこちらクリック)

講演会では、先ず、自らが車椅子の生活者であるAJUスタッフの方から、多岐にわたる活動の紹介があり、「自立」への強い信念のようなものがすべての活動のベースにあることが良く分かりました。その次に、活動事例としてマイライフ岩倉の「障がいを持つ子どもたちへ遊び場提供」について楽しく紹介してもらいました。ここでの基本方針は、「①社会性を身につけてもらう ②ありのままを受け入れる ③本人に考えてもらう声がけ」の3点だそうです。これって、本学の教育の大きな柱である幼児教育に対しても適応できる内容ではないでしょうか。

また、車椅子の生活でありながら一人暮らしをなさっている方の貴重な体験談をうかがうことができました。「自由に生きたい」という彼女の熱い思いが会場に響き渡ります。私には計り知れない世界でしたが、それでも、彼女に何か大きく近づけた感じがします。これからも道行く車椅子の方に積極的に挨拶をしてみようと思いました。

イエス・キリストが徹底的に弱者の側に立った人であることは、聖書を読めばよく分かります。その愛の精神が、神の働きによりAJU自立の家と名古屋柳城短期大学を通して、この地域から周辺へと広がっていくことを願いたい、そんな思いを抱かせてくれた講演会でした。感謝です。(加藤)

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」
【マタイによる福音書11:28 (本年度年間聖句)】

 

本学の附属幼稚園の1つ、豊田幼稚園の年長組の園児さんらが本学に遊びに来てくれました。遊びといっても、サマースクールというキチンとした園行事です。

短大の施設を探検し、ウチの学生さんらと交流。そしてお弁当の後、13時からチャペルで礼拝です。その園の礼拝に学生さんや教職員も合流させていただいたというのが、今日の合同礼拝でした。

幼稚園で普段行っている礼拝はシンプルで分かり易く、学生さんにとっても魅力的だったと思います。特に、子ども用の聖歌はかわいらしくて短大でも取り入れたいくらいでした。3曲目の「スマイル」という聖歌は学生さんも一緒に歌うという設定でしたが、園児さんらの歌声に完全に圧倒された感じでしたね。また、本学の田中チャプレンの聖話は、創世記の天地創造からの話題で、神様はすべての生き物をつくられて満足なさったという有名なお話しです。虫の話で子どもたちは盛り上がっていました。

多くの世代の人々がチャペルに集い祈りをささげる。こんな風景が未来の社会を切り開く原動力となる、などと書いたら大げさでしょうか。子どものように、素直な心で将来を見つめたいです。(加藤)

イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。
しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。
はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」
そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。
(マルコによる福音書 10:13-16)

 

 

 

大学礼拝の特別企画として、礼拝後に講演会を開きました。

松本普(まつもと ひろし)さんは「日本聖公会 だいじに・東北 被災者支援センターしんち」の専従スタッフとして、東日本大震災の被災地支援に最初から関わってこられ、現在は、今年6月に開設された日本聖公会の支援拠点「支援センターしんち・がん小屋」に常駐して、福島県新地町を拠点に被災者支援を続けておられます。本学の震災復興支援ボランティア活動の強力なコーディネーターでもある方です。被災地の現状を語っていただくには最適な方をお招きできました。

講演の前半では、記録ビデオ(日本聖公会「いっしょに歩こう!プロジェクト」製作)で過去を振り返りました。津波の恐ろしさや被災者の方々の苦悩を忘れないためには、時々はこのような映像を見ることも大切でしょう。

後半は松本さんの熱い語りです。飾りのない「現代の語り部」が発する真実に、場内が緊張感に包まれます。仮設住宅入居者数の推移を示すデータが映し出されましたが、それは、震災は今なお続いている「現実」である事をあらわしています。それに加え、震災に伴って発生した原発事故に起因する風評被害が、様々な形で被災者の方々の人間関係にまで悪影響を及ぼしているという事実に、何か、心の底のダークな部分をえぐられるような気持ちになりました。その他、東京オリンピックとの関わりとかの話題も挙がって、とにかく、見えないところで被災地と私たちは繋がっている事が良く分かりました。今これをご覧の皆さんも、ご自分で被災地の現状を検索してみられてはいかがでしょうか。

様々な事がありますが、イエス・キリストが説く平安のようなものが心から失われませんように。(加藤)

主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。 しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」
(ルカによる福音書10:41-42)

 

 

礼拝特別企画として、観劇会を開きました。
劇団うりんこによる「いきもの生き方図鑑―リサがトカゲになる日―」です。
本学の同窓会(のぞみの会)が学生さんへのプレゼントとして企画して下さいました。

同窓会会長さんからは「すばらしい職業を選ぼうとしている皆さんに、少しでもお役に立ちたいと思い、キリスト教センターのご支援を受けながら企画をしました。保育や介護にたずさわるには豊かな感受性や想像力を持つことが必要だと思います。柳城在学中に、このような企画を大いに活用して、自分自身を磨くきっかけにしてみて下さい。」というあたたかいメッセージが届きました。

間近に見るプロの演劇。学生さんも随分とリラックスできたようで、笑いが絶えないような場面も何度かありました。4人の小学生がそれぞれの個性をぶつけ合いながらも共同していく様子が、見る人自身を振り返させます。

礼拝も同じで、聖書の言葉をきっかけにして自分を振り返る場です。週一回の短い時間ですが、本学がずっと大切にしてきたゆえんです。(加藤)

イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」 (マタイによる福音書4:4)

6月10日の礼拝では、本学の元就職課長で野生動物の写真家として活躍されている宮嶋英一(みやじまひでかず)氏をお迎えしての講演会をもちました。講演のテーマは、「命のつながり―サバンナの環境と野生動物の親子愛―」

長らく本学の就職課長として学生たちと一番近い位置から就職支援を行ってこられた宮嶋氏は、定年後も顧問として本学に深く関わってこられましたが、今は、一般社団法人サバンナクラブの幹事として環境問題への取り組みや野生動物の保護活動を行っておられます。特に、アフリカのサバンナに生きる野生動物の素晴らしい写真が知られていますが、今日の講演では、宮嶋氏はその魅力あふれる動物写真をスライドを使ってふんだんに披露してくださいました。そして、お話の中で、宮嶋氏がこれまでサバンナに関わってこられた活動のより一層深いところを語ってくださいました。サバンナの急激な環境変化と動物種の激減という問題です。

太古から、親から子へと受け継がれてきた命のつながりの中で、今の私たちは生きています。野生動物の母子や仲間のあいだには、深く細やかな愛情が見られます。しかし、その母性愛は、本能ではなく、自らが愛され育まれた経験を通じて学ぶものなのです。野生の動物たちは深く細やかな愛を学び、自分たちの子どもを愛情深く育てていくのです。そして、そうした一つ一つの懸命な命の営みを通じて、この地球の命の営みは世代から世代へと受け継がれていくのです。子どもを守るコビトマングースのお母さんや子どもに狩りのしかたを教える母チーター、深い愛情で子どもに寄り添う母ゾウと、その親子ゾウを守るゾウの仲間のあいだの濃密な愛情…… 動物の写真が映されるたびに「かわいい!」という声が上がっていた会場が、次第に打たれたように静かになっていきました。

太古から受け継がれてきた壮大な生命史の一コマ一コマは、このような親から子への命のつながりです。その結果として、現在の多様な生命の営みがあるのです。しかし、今のこの生命多様性は、大きな危機にさらされています。この「生命史上の大事件」は、「第六次大量絶滅」と呼ばれているそうです。その大きな原因になっているのが、自然環境の急激な変化であり、それを引き起こしているのが人間です。象牙を求めての密猟が絶えないために虐殺されるゾウは年間20,000頭を超え、森林の伐採などによる自然環境の破壊は深刻化しつつあります。

地球の生命史を貫く壮大な命のつながりが危機にさらされているなかで、その一コマ一コマのなかにある深い親子の愛情を、宮嶋氏は見せてくださいました。それを破壊しつつあるのが私たち人間であることも。そして、子どもに関わる仕事としての保育者を目指す学生たちに、最後に、宮嶋氏は、大切な問いかけを残してくださいました。今、私たちにできることは何か? 祈りとともに、深く考えさせられる時間となりました。(村田)

神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。神はそれらのものを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」(創世記1:21-22)

 

 

 

 

 

 

 

毎週水曜日の大学礼拝は、学生の皆さんの奉仕がないと成り立ちません。

今日の礼拝では、保育科の1年生4人が、入学して初めてのサーバー役にチャレンジしてくれました。
サーバーとは礼拝司式者(チャプレン)の補佐をする人のことで、聖歌の朗読、ろうそくの点火、聖歌番号の読み上げなどを担当します。

白い衣装(サープリスと言います)を身につけたこの美しい姿。いい感じですね。
貴重な体験ができるところにも、本学の特徴が出ています。
多くの学生さんに着て欲しいです。(加藤)

 

 

定例の大学礼拝の直後に「ボランティア報告会」を行いました。
正式には「2014年度 東日本大震災復興支援ボランティア活動 報告会」です。震災直後からボランティアの場を与えられて4年目の報告会です。
詳しい内容はここを是非ご覧ください。

昨年、保育科1年生として参加した5人の有志によって報告がされました。スライド72枚の大作を簡潔に分かり易く。短い発表時間でしたが、被災された方々に対する熱い思いを礼拝参加者全員で共有できたような気がしました。ボランティアに参加できた学生さんらの貴重な体験は本学の大切な宝物です。

復興が未完のまま年月が過ぎようとしています。被災された方々や復興に関わるすべて皆さんのご苦労は察するに余りあるものだと思います。神のお恵みが豊かに注がれますよう、お祈りをしたいです。(加藤)

悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。
(マタイによる福音書 5:4)

 

今年度の最初の礼拝では、新海英行学長より、保育と介護福祉を学ぶ学生たちに向けて、建学の精神「愛をもって仕えよ」にもとづく実践と理念のあり方が、糸賀一雄の言葉を引きながら丁寧に語られました。
【2015年度 第1回大学礼拝 4月8日(一年生) 3月26日(二年生)】


この子らを世の光に ― 糸賀一雄(1914~1968)に学ぶ ―

1 障がいを持つ子どもたちのために尽くした生涯とその働き

戦後における「障がい児・者の福祉と教育」のパイオニア、糸賀の足跡に学んでみよう。

彼は、1946年11月、「近江学園」(知的障害児の教育・医療施設、孤児の養護施設)を創設し、その後、いくつかの施設を設立した。代表的なものは、「びわこ学園」(重度障がい児施設)(1963年)、「第二びわこ学園」(1966年)である。(これらの施設を建設した経緯と実践を貫く教育観は、著書A『この子らを世の光に―近江学園二十年の願い―』1965年、B『福祉の思想』1967年、C『愛と共感の教育』1972年に詳しい。)

2 人として生き、人らしく発達することはすべての子どもの権利

糸賀はこう述べている。「この世の役に立ちそうもない重度や重症の子どもたちも、ひとりひとりがかけがいのない生命をもっている存在であって、この子の生命はほんとうに大切なものだということであった・・・「この子」という生きた生命、個性のあるこの子の生きる姿のなかに共感や共鳴を感ずる」(B)子どもたちのいのちの尊さこそ彼の教育観の基本中の基本であった。

糸賀は、生命への畏敬を基本におき、生存権(憲法25条)と教育権(26条)を結びつけ、生きる権利と発達する権利を統一的にとらえ、療育・治療教育・養護・保育に取り組んだ(A)(B)。その際、生存権と教育権を保障し、実現するのは国家・社会の義務(=義務教育)(B)とし、それゆえ、国家による就学の猶予・免除(貧困や疾病のゆえに)を拒否した(B)。さらに「働く母親をまもり、子ども自身をまもる」ために、「保育所の適正配置とか集団保育の新しい教育的意味を強調した(B)。

3 「この子らに世の光を」ではなく、「この子らを世の光に」

子どもたちが自らの人生と社会の主役に成長することをことのほか重視した糸賀は、聖書(マタイ5章13節~16節)に学んでこう述べている。「「この子らに世の光を」あててやろうという憐み」ではなく「この子らが自ら輝く素材そのものであるから、いよいよみがきをかけて輝かそう」「「この子らを世の光に」である」「この子らが生まれながらにもっている人格発達の権利を徹底的に保障せねばならぬ」(B)「本来一人ひとりが光り輝く存在であり、障害をかかえた人たちも分けへだてなく共に生きることのできる社会こそが“豊かな社会”である」(A)「自己と他者の共同(まじわり)が人格の本質であること、又かかる共同を成立せしむるものが“愛”に外ならない」(C)

要するに、「この子らを世の光に」する教育を実現するのは、「共に生きることのできる社会」「自己と他者の共同」であり、こうした社会や共同を実現するものが愛である。これこそキリスト者糸賀の生涯にわたる実践を動かした究極の考えであった。

 

 

 

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