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カテゴリー:バイブルタイム の記事一覧

本日は「マルコ通読」の三回目が行われました。

今回、私はファリサイ派の律法学者の含みある問いかけに主がお答えになられた「新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。」(マルコ2:22)
が印象に残りました

記事を深めると、その場には徴税人をはじめ「罪人」と呼ばれる人々やヨハネの弟子たちもおり、なりゆきを見守っていた様子がうかがえます。

私はこのお言葉から「人はいつでも悔い改め、赦され、そして生き直すことができるのだ」と感じるとともに、私自身の洗礼によって得られた喜びを重ねました。

新しいぶどう酒とはイエス・キリストの福音であり、また新しい革袋とは古い体制から解放され新しく生きていく人たちをあらわしていると思います。

主は、私たちに常に呼びかけられておられると私はこの回でも感じました。
「真の福音は新しい意識のもとでこそ得られる。素直な心でその意識を呼びおこせ…と。

次回もさらなる学びが続きます。

主にお赦しをいただいた喜びを常に忘れることなく、これからも学んでいきます。

主に感謝

本日は「マルコ通読」の二回目が行われました。

あっという間に時間が過ぎてしまった前回の私自身の反省をふまえ、質問や自分が感じたことは通読後にお伝えすることになりました(汗)

すると、歩みを緩めることなく行動し続ける師としてのイエスのお姿が、はっきりと感じられました。

今回私は

イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」 (マルコ1:38)

この節が印象に残りました

ガリラヤでたくさんの人が押し寄せる中、イエスは民の「信仰」のみを見ながら、癒しをあたたかくお与えになられる。

それは、人の頭の中で考え出された想像や論理をはるかに越えた慈しみの愛の表現。

私にはそのお姿が嬉しく、胸に迫ります。

また「マルコによる福音書」は記事の展開が早く、イエスの道すじを通読初心者がたどるには最も理解しやすい福音書であるなぁと感じました。

今回は難しい…「宿題」をいただきました😊✨

そのお導きに次回がよりいっそう楽しみです。

主に感謝。

バイブルタイムでは福音書を順に読み進める☆春休み特別企画「マルコ通読」☆が始まりました。

毎回、参加者同士が、印象に残った箇所とか感じたことなどを分かち合います。また分からないことは自由に質問できます😊✨

私は今回、「人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。(マルコ1:22)」が一番印象に残りました。

知識のみではなく人の真理を語るイエスの姿は、律法学者たちとは全く違っていた…。

人々がそのように肌で感じた驚き、そしてイエスの究極さに私は出会いの喜びを感じます。

活発な分かち合いに、1時間があっという間に過ぎてしまいました😊✨

次回も聖書を何度も読んでから参加したいと思います。

主に感謝

シェア17
生きるための視点②
【マルコ8:34】「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」

シェア17ではイエスの強いメッセージを受け取ることになりました。

権力に関心はないイエス。しかし貪欲なまでの愛の究極の形を求め続けるその姿に、私は心をうたれます。

「犠牲的な愛をいとうな」
イエスはそう話し、いつも私たちに投げかけ、見つめ、微笑んでいます✨

イエス・キリストならどうするだろうか?

その問いかけに対し、いつでも生まれなおし、いつでも始められる喜びと。
自ら選択することを、いつも心にとどめ過ごしていきたいと思います。

シェア16
生きるための視点①
(マルコ8:33)
「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」

【マルコによる福音書8:31-33】
8:31 それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。
8:32 しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。
8:33 イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」

シェア16では真理の光とは師イエスの御言葉であり、いつも私たちに進化の道すじを与えていることが分かりました。

イエスは弟子たちに公然と神のご計画のもと十字架に向かわれること、またその後の復活について話されました。

「人びとがこれをどのように思うか」ではなく「神がこれをどう思われるのか」

そうシェアで語られたこの言葉を噛みしめています。

イエスはいつも「光」を指し示しています。シェア16ではその光をまざまざと見ることができました。

シェア15:『あなたにとってイエスとは』
(マルコ8:29)「それでは、あなたがたは私を何者だと言うのか」

【マルコによる福音書8:27-30】
◆ペトロ、信仰を言い表す
8:27 イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。
8:28 弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」
8:29 そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」
8:30 するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。

シェア15回となったバイブルタイムでは、イエスの「問いかけ」が何度も十字架とともに浮かび上がる機会となりました。

いよいよ弟子たちに、これから御身に起こるべき苦難を話されたイエスですが、「救い主(メシア)」というイエスの使命は、民衆たちには、日々の暮らしを向上させてくれる「王」という認識でしかなかったことを、今日の福音書は暗示しています。

イエスと民衆のメシア観のその相違に、精神世界ブームに理想を求め、様々に「あやかる場所」を徘徊し終えることのない現代人の姿が垣間見えるようです。

イエスはメシア観の相違が大きいことを承知で神のご計画を話されました。

「誰にも話さないように」(マルコ8:31)と弟子たちに言われたその時、彼がどのような思いであったのか推測はできますが、福音書には答えはありません。

バイブルタイムでは様々な方向からのシェアが自由に行われます。それぞれのメシア観があり、イエスの思いを体感したいとイメージを膨らませます✴。

『イエス・キリスト』すなわち『救い主・イエス』―。 この信仰告白こそ、十字架にひとり向かわれたイエスの生き様を模範とし愛する喜びです。また、この『イエス・キリスト』という告白こそが人生の終着点です。

その安心感と平和な心とがバイブルタイムの目標でもあります。

シェア14『明快な主張』
(マルコ8:15)「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい。」

【マルコによる福音書3:1-6】
◆ファリサイ派の人々とヘロデのパン種
8:14 弟子たちはパンを持って来るのを忘れ、舟の中には一つのパンしか持ち合わせていなかった。
8:15 そのとき、イエスは、「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」と戒められた。
8:16 弟子たちは、これは自分たちがパンを持っていないからなのだ、と論じ合っていた。
8:17 イエスはそれに気づいて言われた。「なぜ、パンを持っていないことで議論するのか。まだ、分からないのか。悟らないのか。心がかたくなになっているのか。
8:18 目があっても見えないのか。耳があっても聞こえないのか。覚えていないのか。
8:19 わたしが五千人に五つのパンを裂いたとき、集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか。」弟子たちは、「十二です」と言った。
8:20 「七つのパンを四千人に裂いたときには、集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか。」「七つです」と言うと、
8:21 イエスは、「まだ悟らないのか」と言われた。

イエス・キリストは「愛」の師。一般的にはそのように言われていますね。

しかしシェアを重ねる毎にイエスの師としての真理への姿、厳しさが浮き彫りとなってきました。

シェア14回では、イエスの問いかけの真理を理解できず、忘れたパンをめぐり論じあう弟子たちの不甲斐なさに、イエスの師としての教えが鋭く矢のように弟子たちに指し示す姿を学びました。

パンの「無い」ことで議論しあう弟子たちの姿は、イエスの伝えたかった真理に対して、あまりに理解の差があり過ぎました。イエスの師としての歯がゆさはいかばかりか。

「まだ悟らないのか。」

イエスは、そう何度も弟子たちに告げています。

ずっとイエスと共に歩んできた弟子たち。彼らはいつまでも「物」が無いことを見、惑っている。しかしイエスは、その「源」の在りかたを見、語っている。その違いに、人間の限界が浮き彫りになります。

イエスの言葉は、「バサリ」と音がするように真理であるのです。和を尊ぶ日本人には馴染むことが簡単ではないかもしれません。しかし、弟子たちの変化を願い、愛をもって真理を語るイエスの姿は、まさに真実の「師」のそれです。

イエスを模範とし生きることが喜びであると感じるとき、バイブルタイムでは一歩一歩その道を歩んでいることに気がつくことができます。

シェア12(2017/10/25)『たとえ話の秘密』
「あなたがたには神の国の秘密が打ち明けられているが、外の人びとには、すべてがたとえで示される。」(マルコ4:11)

シェア13(2017/11/8)『自分の秤で量られる』
 「あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ、更にたくさん与えられる。」(マルコ4:25)

2017年6月28日から始まった「バイブルタイム」も早いもので第12,13回の開催となっています。12回目からはキリスト教センター主催の企画として再スタートしています。

開催場所はマタイ教会小礼拝堂です。週に一度、学生の有志の願いにお応えいただき、お話をうかがっています。

さて。みなさんは聖書の勉強会と聞くと、とても難しくて狭い世界の内輪の勉強会とのイメージを持たれるのかもしれませんね😊✨ しかし柳城のバイブルタイムでは、楽しく親しみの時間を大切に、福音書を使って「人間」イエス・キリストを学んでいます。

シェア12,13回ではイエスさまのたとえ話の秘密をイエスさまのまなざしと弟子たちの目線から学ぶことができました。イエスさまのたとえ話には、いつも成長と選択の自由が示されており、厳しさと慈しみを合わせて感じ入ることができます。

そして本物であれ…。そのお姿から気づきを与えられ、「すべてはあなた次第である」との祝福をいただいているようです。バイブルタイムでは学生ひとりひとりが人間イエス・キリストを知り、自身の秤にて考えを選び取る自由が与えられています。

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。」(マタイ7:7)

イエスさまは保育者に向けて、時には、どん欲なまでの成長を期待している…。こんなことも学べました。そして、よりいっそうこれからも。バイブルタイムでは楽しくワクワクと学びを分かち合っていきます。

2017/10/24にキリスト教センターの承認を得ましたので、皆さんにご紹介できるようになりました。主に栄光、主に感謝です。

イエス・キリストのご生涯を丁寧にたどりながら彼の人間性に触れようというこの企画。福音書の解説を軸にして、あれこれと皆で語り合っています。

「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。」(ヨハネ14:9)

6/28に試行的に始まってから今日で12回目を数えています。このコーナーでは学生さんの感想などを掲載していくつもりですので、よろしくお願いします。(加藤)

イエス・キリストのお人柄に触れてみませんか?

福音書に記されたイエス・キリストの言動を分かりやすく丁寧に解説します。その中で感じたこと気付いたことを気軽に語り合いましょう。自分自身を見つめる良いチャンスになりますよ

二つの時間をご用意しました。
学生の皆さんのご参加、お待ちしています。(加藤)

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