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カテゴリー:大学礼拝 の記事一覧

【マタイによる福音書18:10-14】
18:10 「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。
18:12 あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。
18:13 はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。
18:14 そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」

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いよいよ来週から、1年生は初めての教育実習、2年生は2度目の保育実習が始まります。

教育実習法、保育実習指導の授業も受けて、実習に入る準備は多分出来ていることと思います。とは言っても初めての実習の現場ですし、何が起こるかわからない要素もたくさんあります。ですから心配があって当然です。わたしも大学4年次に高校での3週間の教育実習、神学校の3年次には東京築地にある聖公会の聖ルカ国際病院で1ケ月の実習を経験しました。今でもその時のことを思い出すと冷や汗が出てきます。不安だらけで何一つ思った通りにいかなかったからです。

「礼拝への出席は、あなたの実習をきっと素晴らしいものにするでしょう!」と今回の礼拝案内の掲示に書きましたが、「あなたの実習が成功することを保証します、約束します」とは書きませんでした。そんなことをもし書いたとしたら、万一、結果があまり芳しくなかった場合、「チャプレン、嘘言った、あれは過大案内だ」と言われかねません。「礼拝に出席すれば必ずご利益があります」と言えば、皆さん出席しますか。ご利益を求めて礼拝に出席するのではありません。「休まずきちんと授業に出席すれば単位を認定します。」と言われれば、授業に出席しますか。考えてみてください。確かに出席するでしょう。しかし、単位を取る目的で授業に出席しているのでしょうか。そうではなく、卒業し社会に出て、現場に立って働くとき、きっと授業を通して身につき学んだことが、役立つと信じているからだと思います。もしそう考えていない人がいたら、今からでも遅くはありませんので、その考えを直してください。

さて、イエスさまはいつも子どもたちや、その当時小さな者とされていた社会的に弱い立場に追いやられていた人々(やもめ~未亡人~や寄留の外国人)、無視され、蔑まれていた人々に対して殊の外、思いを寄せられ、積極的に関わりを持たれました。

「このような小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。」(18:10)と言われ、「迷い出た羊」のたとえを話されました。ある人が100匹の羊を所有しており、その中の1匹が迷子になったとしたら、99匹を残しておいて、その1匹を探しに行くのが当然だというのです。そしてその1匹の羊が見つかったなら、99匹の迷わずに残しておいた羊のことよりもはるかに喜びは大きい。このようなたとえです。

イエスさまの価値観はわたしたちの価値観と明らかに違います。天国、神さまのお考えがイエスさまの価値観にそのまま反映しているのです。わたしたちは数、数量に関心があります。99匹と1匹を比較し、1匹のために99匹が犠牲になることなど考えられない。それより1匹だけが犠牲になるほうがいいのではないか、と数、数量の多い方を優先し、それを大切だと考えます。しかしイエスさまは数量ではなく、目につきにくい質量(弱さ、小ささ)を大切にされます。見落としてしまいがちな、忘れられてしまいそうな人(たった1匹の羊)を、とことん大切にされ、最後まで面倒を見られるのです。

実習の現場に立った時、あなたに寄り添い、駆け寄って来て、まとわりつく元気な子どもがいれば嬉しくなり、一緒に遊ぶことが楽しくなります。その子どもと、ずっと関わっていたい気持ちになるでしょう。でもそんな時、注意深く周囲を見回してください。部屋の片隅でひとりだけでうつむいている子ども、園庭に独りぼっちで寂しそうにしている子どもがいるかもしれません。そのような子どもに積極的に近づいて行って、優しく声をかけることができれば最高です。とても素晴らしいと思います。どのような声掛けをするのがふさわしいかは、十分考えてみる必要があります。あなたの声掛けによって、その子どもは一層固い自分の殻の中に入ってしまうかもしれませんから。声をかけないで、そっと傍らにいることがひょっとしたら正解かもしれません。

イエスさまはわたしたちに注意深く物事を見で、小さなことも見逃さないようにと願っておられます。わたしたちの注意力は人に対してだけでなく、周りの環境に対しても注がれるようにしたいものです。庭の草花一つ、石ころ一つ、ゴミ一つに対してどのように関わり、それに対処するかは、あなたがたひとりひとりの感性によるところが大きいかもしれません。感性は磨かれる必要があります。磨かれることによってますます豊かになります。嫌なこと、やりたくないことは誰にもあります。でも、それをすることによってあなたは成長し、人々の喜ぶ顔を見ることができるようになり、その喜びを分かち合うことができるようになるのです。

イエスさまは一人一人をこよなく愛され、大切になさいました。このわたしもその中の一人です。このわたしが覚えてもらっている、覚えられていること、こんな嬉しいことはありません。「どうせ、わたしなんか、もうだめだ」とヤケクソの気持ちになったことはありませんか。そんな時、このわたしに一番近くいてくださる方、みんなから無視され、仲間はずれにされ、もうダメかもしれないと諦めかけているわたしに、優しく声をかけ、大丈夫だよ、いつも一緒にいてあげるからと言ってくださる方がおられるのです。それを信じることができる時、子どもたちの前に勇気をもって立つ力が与えられるのです。

自分を静かに見つめる時こそ、祈りの時と言えるでしょう。夜寝る前のひと時、朝起きて顔を洗うとき、学校へ向かう電車の中、また実習に出かける途中でその時が持つことが出来ます。その時を持つことによって、あなたの1日を、あなたの実習を素晴らしいものに違いありません。これがご利益であると言えば、言えるのかもしれません。

皆さんの来週からの実習が実り豊かなものになりますように、覚えてお祈りしています。(チャプレン 大西 修)


押し花作り

【マタイによる福音書18:21-35】
18:21 そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」
18:22 イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。
18:23 そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。
18:24 決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。
18:25 しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。
18:26 家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。
18:27 その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。
18:28 ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。
18:29 仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。
18:30 しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。
18:31 仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。
18:32 そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。
18:33 わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』
18:34 そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。
18:35 あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」

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赦すことは何と難しいことでしょうか。愛することは赦すことである、愛していなければ赦すことはできない、赦せないのは愛していないからである。そう言われたら、自分が思っている愛って本物なのだろうかと考えてしまいます。わたしがある人を心から愛していれば、もしその人の行動や、話したことが仮に間違っていたとしても、それをすべて赦すことができるはずです。しかし、本当にそんなことができるのでしょうか。

自分に直接関わりのない人は、赦すことができます。他人事ですから自分は痛くもかゆくもなく、見逃すことができるからです。あんなひどいことをする人は、見過ごしにできない、赦すことができない、と言葉で言うだけで、何も起きずに終わるのです。

赦すというと、赦す主体はわたしですから、わたしが誰かを赦すことをまず考えます。

ペテロの「兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。7回までですか。」との問いに対して、イエスさまは「7回どころか、7の70倍までも赦しなさい」と答えられました。ペテロにしてみれば、予想外の答えでした。なぜなら2~3回赦すことは何とかできます。「仏の顔も3度まで」のことわざもあります。7回までと言えば、そんなにまでよく頑張って赦したねと、きっとほめてもらえると思ったのです。しかし、7の70倍まで(490回まで赦すという回数の問題ではなく)完全に赦しなさい、すべてを赦しなさいというよりも更に、もっと強調されて、ずーっと赦し続けなさいと言われたのです。

そして赦す対象は、兄弟、身内、親しい人たちに限らず、すべての人たちなのです。

振り返ってみると、わたしは自分の子どもたちを何度も何度も赦してきました。「今度過ちを犯したらもう赦さないからね」と何度言ったことでしょう。その時、本当に心から赦していたのかと考えてみると、心の奥底に赦していない自分がいたことに気が付きました。

ですから、また同じ過ちを子どもが犯すと、「前にも同じことをしたでしょう。もう今度という今度は絶対赦さないからね」と怒りを露わにしてしまったこともあったのです。

さて、赦しのことを教えるために、イエスさまは「仲間を赦さない家来」のたとえを話されました。1万タラントン(現在のお金に換算すると1兆円に相当する金額)という考えも及ばないほどの高額の借金を、無条件で主君に赦してもらった家来は、そのすぐ帰り道で自分が100デナリオン(今のお金に換算するとおよそ100万円)貸している仲間に出会い、借金をすぐ返せと迫り、返せなかった仲間を赦さず、ひどい目に合わせた上、牢獄にぶち込んでしまったという話です。主君はそれを聞いて憤慨し、その家来を断罪し、借金を完済するまで牢獄に入れたという結末です。

ここでの主君は神さまのことを言っています。家来とその仲間はともに借金の多い少ないはあっても、それを負っている二人の人間を描いています。主君は、返せるはずもない膨大な借金を、必ず返しますから待ってくださいとしきりに願う家来の姿を、憐れに思い、彼を無条件で赦し、借金を帳消しにしてやったのです。何の見返りも報いも求めない赦しが一体あるでしょうか。しかし、この主君は無償の赦しを家来に与えました。これこそ神による「憐れみによる赦し」ということが言えます。たとえの中心がここにあります。神さまからの人類に対する無償の赦しが描かれています。たとえの中に出てくる借金や負債は、わたしたち人間が気付こうが気付くまいが、背負いこんでいるとてつもなく大きな罪のことです。どんなことをしても払い切れない、ぬぐい切れない罪の重荷をわたしたちは背負っています。それをなくすことは到底できない、不可能です。そのできないことをしてくださる方が神さまです。神さまはわたしたちを愛し、無条件で赦し、受け入れてくださる、死ぬことさえも厭われないお方なのです。神さまは、愛するみ子イエスさまをわたしたちの罪が赦されるために、十字架の死にまでつかせられたのです。

「憐れみによる赦し」を受けた家来は、当然及びもつかない赦し、どう表現してよいのか解らない赦された喜びを、生きていく中で表すことが求められていたのですが、目先の小さな赦しをさえ実現できなかったのです。

わたしたちはこの家来と同じ生き方をしていないでしょうか。自らの罪に目覚め、赦されている喜びをもって、日々出会う人々を赦していけるように祈り求めてまいりましょう。

11月後半から、実習が始まります。それぞれ遣わされた場で良き学びの日々が過ごせますように祈ります。(チャプレン 大西 修)


折り紙を折る幼児

【フィリピの信徒への手紙4:6-7】
4:6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
4:7 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。

今年2018年は柳城の創立120周年(1898、明治31年)、ヤング先生の生誕163 年(1855、安政2年)、来日123年(1895、明治28年)、そして逝去78周年(1940、昭和15年、名古屋において85歳で逝去、八事の教区墓地に埋葬)の記念の年に当たります。

ヤング先生はどんなお方だったのでしょうか。残されている記録や証言、写真などで概略を知ることができます。カナダのオンタリオ州ヴィエンナで幼少時を過ごし、そこのハイスクールを卒業、母校で5年間教師をし、その後1年間カナダ・ロンドン市の美術学校に学び、さらにハミルトン市師範学校保母科に2年間学び、卒業後1890~95年エールマ町幼稚園主任保母として勤務されました。

先生が日本に来られた第一の目的は、宣教師として伝道することでした。1891(明治24)年の濃尾大地震後、名古屋を本拠地としてすでに活動しておられたカナダ聖公会のロビンソン司祭の働きを援助し、家や親を失った子どもたちへイエスさまの愛を自らの身をもって伝えること、子供たちに援助の手を差し伸べることでした。

カナダにそのまま在住し、幼稚園主任保母として働き続ければ、安定した生活が保障され、地位や名声も約束されたに違いありません。しかし、あえてそれを投げ打って40歳という年齢で、しかも病弱というハンデキャップを押してまで彼女に来日の決意を促したものは、物静かな中にも芯の強い彼女が持っていたイエス・キリストへの愛、神を信じる信仰に他ならなかったと思います。

今から120年以上も昔、女性が単身、未知の国、日本にやって来ることは想像も出来ないことでした。彼女が40 年間カナダで学んだこと、教師として体験したことは、日本に来て大きな実りをもたらしました。その当時の日本の状況は、封建的な考え方が色濃く残っており、女性の地位は著しく低く見られ、就学前の幼児教育など殆んどなされていませんでした。そのような中で、ヤング先生は自ら学んで習得したフレーベルの考え方をもとに、保育を通して神の愛を伝えることを中心に、礼拝をし、聖歌を歌い、聖書の話を聞き、祈ることを大切にしたのです。青年たちに英語を教えたり、母親たちには料理やしつけなどを教えたりしました。子どもと大人が一緒に育ちあう場として幼稚園をとらえ、その働きの中から保母養成所が生まれました。鈴木いねという女性を自分の家に住まわせ、幼児教育者として訓練するかたわら、名古屋で初めての幼稚園として、柳城幼稚園を創立しました。そしてこの幼稚園の働きから柳城保母養成所が生まれ、鈴木いね姉が第1回の卒業生となったのです。

フレーベルは幼子と花と音楽をこよなく愛しました。遊戯は運動的な遊戯として、ダンス、行進、唱歌、作業的な遊戯として植物栽培、恩物を大切にしました。その流れをヤング先生も柳城の保育の中に位置付けました。今もそれが柳城の教育、保育の中に底流としてあることを忘れないようにしたいものです。

ヤング先生は1922(大正11)年、健康が悪化し、断腸の思いで帰国されましたが、柳城への熱い思いを断ち切ることができず、1936(昭和11)年、再来日、そして1939(昭和14)年、3度目の来日、翌1940(昭和15)年3月29日、愛する名古屋で逝去されました。

わたしたちが一番大切にしたいことは、ヤング先生の保育への情熱は、神に愛され、生かされていることへの感謝に培われた信仰がその根底にあったことです。名古屋での日々、わたしたちの知らない多くの困難や迫害がきっとあったことでしょう。しかし「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい」というみ言葉に立ち、感謝と願いと祈りをもって生涯を全うされたことを忘れないようにしたいものです。(チャプレン大西修)


マーガレット・ヤング先生

【マタイによる福音書 7章7~8節】
求めなさい。そうすれば、与えられる。
探しなさい。そうすれば、見つかる。
門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
誰でも、求めるものは受け、探すものは見つけ、門をたたく者には開かれる。

今日は私が皆さんと同じ18~21歳ごろ、私の学生時代の話をします。時代は違うのですが、青春時代にあって生きがい、職業や結婚についての夢などみなさんと同じようにいろいろ考えていたころです。

私が入学した1959年(昭和34年)は、4月に皇太子ご成婚式、9月に伊勢湾台風に襲われこの地域で5000人の多くの人々が亡くなった年です。大学の教養部は滝子にありましたが、クラブ活動は、演劇部かオーケストラか迷っていましたが高校の先輩に誘われて野球部に入りました。

何のために生きるのか、何を生きがいとして生きるのか、あれこれ思い悩んでいました。皆さん達のように「保育士になりたい」というはっきりしたものはまだなにもありませんでした。

野球部だけでは何か物足りず、自分自身の生きがいを求めて、木造の教室で机を囲んで行われていた「聖書研究会」に出席しました。先輩に誘われ20分ほど歩いて山脇町の名古屋学生センターへ行きました。日本聖公会の学生キリスト教運動(SCM)の活動拠点であり、聖書研究会 キリスト教研究会 社会問題研究会など先生を交えて真剣な議論がかわされていました。柳城の学生も参加しており、私がはじめて柳城生に出会った時でもありました。

春休みと夏休みには3泊4日の特別研究会がびわ湖畔の北小松や恵那の雀のお宿で行われ、「学生と社会」「日本人とキリスト教」「現代社会に生きる」などテーマを決め講師を呼んでの研修会でした。キリスト者の社会的責任は何か、今遣わされた場で我々のになうべき課題、十字架は何か?

キリスト教の愛についての考え方、フィリア(友愛)エロス(男女の愛)ストルゲー(家族愛)アガペー(神の愛)、四つの愛のなかで特にアガペー=神の無限の愛について学びました。私たちがいまこうして生きて存在しているのは自分ひとりの力ではなく神様の愛によってである。一つの民族のためではなくすべての人々のために十字架につけられ死んだイエスキリスト。それを見ならって生きた初代教会のひとたち。

問題から逃げないで課題と正面から取り組むというクリスチャンの生き方に私はひかれました。1960年12月25日 大学2年の時、ここ名古屋聖マタイ教会で洗礼を受けました。そして教会につながり永遠の命を与えられ、多くの素晴らしい人たちに出会いました。

「愛によって仕えよ」を建学の精神とし純粋に保育に生きようとしていた柳城の学生たち。いまは高齢になられましたが素晴らしい生き方をされている方が多くおられます。私の妻も学生キリスト教運動の中で出会った一人です。結婚して50年今年金婚式をむかえましたが今も教えられることの多い毎日です。

今皆さんは若さあふれ、最も美しく輝いている時です。心も美しい人になり人々を愛し人々から愛される素晴らしい人になってください。聖書に学び、イエス・キリストに学び、何物にもかえがたい自分自身の生き方を追い求めつかんでください。(長縄 年延 学長)

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礼拝後にアセンブリー・アワーがもたれました。

奨励奨学生 表彰式(2年次)

2年次前期の学業成績の上位10名の学生さん(保育科)が表彰されました。
今回は大接戦(笑)だったようで、同点が多く出たとのこと。
全体のレベルが上がってきた証拠なのでしょうか?

皆さん、スーツに身を固め、嬉しいやら恥ずかしいやらって感じでしたよ(^^♪

おめでとうございます(^o^)/
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●新生病院(信州)リトリート報告会

今年で2年目を迎えたリトリートです。

東日本大震災復興支援ボランティア活動の精神を受け継ぎながら、リトリート(修養会)的要素(つまり、日常生活を離れ自分自身と深く向き合うということ)も取り入れたこの企画。

新生病院での様々なボランティア活動と病院チャプレン(大和孝明さん)との交流の様子がスライドを使って紹介されました。(詳しくはこちらで)
参加した学生さん一人ひとりが分かり易く丁寧に説明してくれましたよ(^^♪

今回は、介護福祉専攻科の研修旅行とジョイントされていたので、参加人数も多く、活動に奥行きがあったように感じました。

幸いなことに、今年もメリット(リチャード・アレン・メリット第4代学長)基金の支援も受けられました。感謝です!

日常を離れて「まったり」と過ごす中で、黙想と祈りの時間を大切にする。
柳城らしいリトリートがこれからも続きますように、お祈りします。(加藤)

 


リトリート中に歌った聖歌を披露してくれた参加メンバーたち(^o^)/

【詩編98:4-9】
98:4 全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。歓声をあげ、喜び歌い、ほめ歌え。

98:5 琴に合わせてほめ歌え/琴に合わせ、楽の音に合わせて。
98:6 ラッパを吹き、角笛を響かせて/王なる主の御前に喜びの叫びをあげよ。
98:7 とどろけ、海とそこに満ちるもの/世界とそこに住むものよ。
98:8 潮よ、手を打ち鳴らし/山々よ、共に喜び歌え
98:9 主を迎えて。主は来られる、地を裁くために。主は世界を正しく裁き/諸国の民を公平に裁かれる。

そもそも、自分はいつからこの「音楽」という道で生きることを決めたのか、いつからこの道に生かされているのかということは、実はこのお話を頂いてから、初めて考えたことでした。家族は、小さい頃のお稽古のひとつとして「バレエとピアノ、習うならどちらがいい?」と、私に選択の余地を与えたようですが、バレエよりピアノを習わせたかった母親の意図どおりに、4歳の私(緑区あけの星幼稚園の年中さんでした♪)は「ピアノ」を選択。以来、ピアノに関する弱音を吐くたび「自分で選択したのよ」と言われることになります。

家族と恩師に支えられながら、愛知県立明和高等学校音楽科、愛知県立芸術大学音楽学部ピアノ科へ進学。反抗期真っ盛りながらも、今なお深い関係の続いている「自分と同じ夢をもつ同級生」たちと切磋琢磨する毎日は本当に刺激的で、充実した日々でした。しかしちょうど皆さんと同じ年齢くらいの頃、試験や課題、コンクールに追われるばかりで “いま”しか生きていない感じがして、当時の私は少しの焦りを感じていました。 “いま” より少し先の未来のことを考えたり、これまでの過去を振り返ったりしたとき、「社会に出てどう生きるのか」という不安が漠然と襲ってきたのです。いまさら音楽以外の道へ後戻りできないことに、恐怖心さえありました。

そんな心を知ってか知らずか、そのころ恩師から送られたポストカードに書かれていたのが、「くちびるに歌を、心に太陽を」という言葉でした。恐れず一歩を踏み出してみなさいというような力強さと、それでいてどこか たおやかさ を兼ね揃えたこの言葉が私の心の中にすっと落ち、ずいぶん励まされたことを今でもよく覚えています。のちに、この言葉はドイツの詩人ツェーザル・フライシュレンによるものであることを知りました。カードのお礼も兼ねて後日恩師を訪ねたところ、彼女もこの詩を人生のモットーとしていることを教えてくださいました。

くちびるに歌を。
こころに太陽を。

加えて恩師は、

目ではほんものをみること。
耳には人から、ものから、あらゆることばと音色を聴くこと

…も大切よ、とご自身の言葉を付け加えられました。

その後私は、ほんものを見るため、そして耳を育てるため、心の中にひそかに思い描いていた海外留学について、自分の未来のために、準備しようと決心しました。「自分が学んでいるクラシック音楽の、本場に行ってみたい。」という思いから、私の人生の第2楽章、フランスでの生活が始まったわけですが、そこでの波乱万丈生活…いや…波乱爆笑生活!の全ては、今日この時間だけではきっとお話しきれないので、またの機会に。

フランスは街の中にメロディーがあり、リズムがあり、祈りがあり、表情に富んだ美しい国でした。また、そこにいるフランス人、彼らは誰よりも、人生を愉しむ天才だとつくづく感じました。私は音楽を学びにフランスへ行きましたが、それ以外の面でも多くの宝物をもらったように思います。人生が変わったとは言い過ぎかもしれませんが、ほんとうに、そんな気もしています。

振り返ってみれば、人と幸運に恵まれた人生でした。

“いま”だけをがむしゃらに生きてきてしまったことに危機感を覚え、踏み出した一歩でしたが、言い換えればそれは、今しか見つめなくても過ごせるよう守られていたからこそ、とも思い、感謝しています。

また、出会いの中で本当にたくさんの恵みを受け、いまの私があります。

人生の選択肢のひとつに、音楽という道をくれた家族からは、愛情の深さを。
恩師からは、あたたかで厳しい覚悟の力を。
親友からは、共に弱さを認めあうことの安らぎを。
ここ柳城学院にご縁をいただいてから時を共にさせていただいている先生方、職員の皆さまからは、私もこんなふうに働いてみたいという憧れを。
そして大切なあなたたち…学生からは、教え、教えられる歓びを。

よく、「ピアノをやめたいと思ったことはないのか」と、問われることがあります。やめたいと思った日…少なく見積もっても、何十回とあります。もともと、譜読みが得意なタイプではありませんでしたし(だからいま苦労している学生さんの気持ち、よく分かりますよ^^)、それに、数十分の演奏に対して何百・何千時間の月日を積み重ねるのって、なんだか割に合わない気がしませんか?!

でもそこで結局「やめる」という選択には至らないのは、それ以外の味わいに悦びを見出していたことと、やはり先ほどにも述べた、人との出会いのおかげでしょう。

それからもうひとつ、「音楽の中では、自分の人生以上の時間を生きられる」ということに、私自身とても惹かれているのだと思います。言葉が足りず伝わりにくいかもしれませんが、たとえば今ここで、J.S.バッハ(1685-1750)とドビュッシー(1862-1918)の曲を演奏したとしたら、そこには200年ほどの時間が流れていて、いまここに生きる私たちは、それらを数分のうちに聴いたり弾いたりできるわけです。人類の長い歴史をみれば、それもまたごくわずかな時間ですが、音楽の中ならば時間を遡ることができるというのは、私にとって極上の自由であり、自分が自分らしく生きるための、表現のかたちです。

あたたかな心をもって耳を傾けてくださり、ありがとうございました。

皆さまの中にいつも、うたと太陽がありますように。(扶瀬 絵梨奈 本学教員)

 

昨年、「黙想と祈りの集い」で奏楽を担当してくれたマコちゃんで~す!
大西チャプレンとツーショットでキャワイイ~(笑)

運動会の代休日。何しよっかな~と悩んだところ「柳城短大があるじゃん!」とひらめいて、ホッと一息、静かな時間を過ごしたくなったということです。

嬉しいですね。こういう発想。母校が心のオアシスになってる。

お昼の讃美歌タイムと礼拝後のバイブルタイムにも参加してくれて、こちらも飛び上がるほど楽しかったです(^^♪

こういう機会が与えられ、あらためて、柳城に「清さ」を保つことの大切さを思い知らされた感じです。

主に感謝! (加藤)

 

 

今回は、AHIアジア保健研修所の巡回報告会を兼ねて、研修生のカミール・アンデロス・レイェス・ジュゴ(ミンミン)さんにお話を頂きました。通訳はAHIスタッフの中島隆宏さんです。

ミンミンさんはフィリピンのカピス大司教区社会活動部というNGOに所属するクリスチャン(カトリック)です。まだ20代で、AHIの研修生としては異例の若さだそうです。

そんな将来性を持った彼女ですが、大学生の頃はどちらかというと受け身の構えで、ただ漫然と卒業を目指すようなタイプの学生だったそうです。でも就職先で仕事を任されるほど上司に認められたという経験を得てから、急にスイッチが入ったといいます。

人を認め、その能力を最大限に活かす役割の大切さを感じた彼女は、現在の道に進み、大いに自分の力を発揮します。特に、コミュニティー・オーガナイザーとして、若い人たちの自己啓発を後押ししながら、彼ら/彼女らに地域で活躍できる場を提供することを目指しています。お話の中では、その具体的な事例が2件紹介されました。

こうして、貧困や不便さを抱えた地域でコミュニティつくりに励むミンミンさんですが、彼女はそうした活動の中で自分自身の成長に関心を払うことを忘れません。その謙虚さが彼女の信仰者たるゆえんでしょうか。

ヘブライ人への手紙
13:1 兄弟としていつも愛し合いなさい。
13:2 旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました。
ガラテヤの信徒への手紙
6:10 ですから、今、時のある間に、すべての人に対して、特に信仰によって家族になった人々に対して、善を行いましょう。
イザヤ書
1:17 善を行うことを学び/裁きをどこまでも実行して/搾取する者を懲らし、孤児の権利を守り/やもめの訴えを弁護せよ。

こうした聖句を引用しながら、ミンミンさんは力を込めて語ります。
「行動のない信仰は本当の信仰ではありません!」
「私はAHIの経験を通して、人に尽くすことを惜しみません。約束します。」

 

礼拝後に学生食堂で歓談した際にも、彼女は、「もしもAHIの研修生として採用された場合は、今の仕事を続けます」と祈ったことを告白してくれました。隣に座るAHIスタッフの中島さんが、それを聞いて嬉しそうにしていたのが印象的でした。

神のご計画の偉大さと祈りの力をあらためて感じさせてくれた今回の報告会。
名古屋柳城短期大学に集う私たちは、与えられたチャンスをチャレンジに変えられるでしょうか。

主に感謝 (加藤)

礼拝後のお楽しみ会ということで、腹話術ショーを企画しました。

いつも大学礼拝を守ってくれている学生さんへのご褒美かな?
取り計らってくださった神さまに感謝です!(^^)!

出演は、ろごす腹話術研究会の会員で枇杷島教会の信徒さんである犬飼倭子(しずこ)さん。そして相棒のジュンちゃんで~す。

そして、彼女を紹介くださったのは、本学の卒業生で附属柳城幼稚園 元園長の先田泰子さんです。先田さんは犬飼さんから腹話術を学んだというご関係です。

ショーが始まると、生き物のように生々しく(笑)動くジュンちゃんに、皆さん、アッという間に目が釘付け(@_@) 腹話術を初めて間近に見た私も大興奮でした。

犬養さんオリジナルのお話が面白くて、チャペルが笑い声であふれました。神さまも一緒に楽しんでくださったかな?

ショーの後は学生食堂でティータイムを持ちました。

人形に触れさせていただくことで、益々興味がわいてきました。そして、「昔は腹話術が流行っていて…」という話から始まって色々なお話が聞けました。

「毎日6分の練習でよいけど、それがなかなか出来ないのよ~。」
そう話す犬飼さんは、腹話術研究会に入ったのが20年前で、何と50代の時です!
ベテランの域に達している感じは十分するのに「今日は、私のような者ですみません」と、いたくご謙遜。

それでも「せっかくのチャンスを頂きましたので」とチャレンジ精神が旺盛で、気持ちが若い若い(^^♪ 見習わなくっちゃ!

今でも幼稚園や介護施設等で皆さんに喜ばれている腹話術です。
だれか若い人が後を継いでいけるといいですね(年とった方でも、もちろん大丈夫ですけど)。

今回の企画がそのきっかけになり、そして、こういう「ゆとりの文化」が柳城に根付くと嬉しいです(^o^)/ (加藤)

【コロサイの信徒への手紙4:5-6】
4:5 時をよく用い、外部の人に対して賢くふるまいなさい。
4:6 いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。そうすれば、一人一人にどう答えるべきかが分かるでしょう。

✝ ✝ ✝

「塩で味付けされた快い言葉」とは、どんな言葉でしょうか。

「塩で味付けされた言葉」とは、ちょうどよい塩加減であり、その料理のおいしさがじわっと口の中に、もっと言えば体の中に広がっていく、そんな言葉です。

「快い言葉」とは、さわやかで、心地よく、生きる勇気が与えられ、将来への希望が湧き上ってくる言葉です。

わたしはそんな言葉を語っているだろうかと振り返ってみますと、悲しいかな、語っていません。塩は塩でも、しょっぱ過ぎて、なめることさえできず、体中が受け付けず、拒絶反応を起こさせてしまうような言葉を、日ごろ平気で語っている自分に驚いています。また快い言葉ならいざ知らず、相手を不愉快にさせ、気分を悪くさせ、やる気をなくさせ、落ち込ませてしまうような言葉を平気で使っていることも多いのです。

イエスさまが語られた塩で味付けされた快い、素晴らしい言葉を探してみますと、マタイによる福音書5章から7章の「山上の説教」をはじめとして、数えきれないほどたくさんの素晴らしい言葉が福音書には散りばめられています。

直接、弟子や病人、その他行きずりで出会った人々に語られた言葉にも、素晴らしいものがたくさんあります。

「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう。」ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、そしてゼベダイの子ヤコブとヨハネに語りかけられた言葉、これは彼らの人生を方向づけさせ、生きる希望を与えました。

「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。・・・わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(4:18-21  9:9-13)

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(11:28-30)

「だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」(12:50)

「心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。」(18:3-4)

「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。7回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。7回どころか、7の70倍までも赦しなさい。」(18:21-22)

「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」(20:26-28)

「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第1の掟である。第2もこれと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この2つの掟に基づいている。」(22:37-40)

塩で味付けされた快い、素晴らしい言葉は、聞く人の魂を揺さぶります。心を穏やかにします。そしてその言葉を素直に受け入れることを可能にします。その言葉は語る人の全人格と深く関わっています。ですから、その人の身のこなし方、身振りや手振り、表情、目つき、話し方などと切り離すことができません。素晴らしい言葉は時として、口から出る言葉ではなく、表情や目の動きが言葉になっていることもあるのです。それを聞く側は声のない言葉として受け取っているのです。また、言葉数が多いことが良いとも限りません。ひとことふたことの短い言葉の中に、宝石のような輝く言葉が隠されていることもあります。

イエスさまは人との出会いの中で、あまり多くを語られなかったように思います。二人の間に流れるしばらくの沈黙は、イエスさまの言葉を聞く者に自分自身を見つめさせ、省みさせる時間を提供します。それを通して聞く者に一つの決断を促す機会を与えます。優しい言葉は聞く者の心を自然に開かせるのです。あの放蕩息子を迎え入れた父親の言葉は書かれてはいませんが、「おお、良く帰ってきたなー」との一言だけで、あとは言葉にならない言葉がすべて態度に表わされています。(ルカ15:11-32)

徴税人ザアカイの物語も、桑の木に登っているザアカイに下から声をかけ、「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日、ぜひあなたの家に泊まりたい。」という言葉こそ、イエスさまの塩で味付けされた快い、素晴らしい言葉の集大成です。この言葉がザアカイを生まれ変わらせました。(ルカ19:1-10) さらに、十字架上で隣の十字架にかけられていた犯罪者に対する、イエスさまの神への赦しの願い「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」は、十字架上の犯罪人の心を開かせ、自分の罪深さを自覚させ、イエスさまへの信頼へと変えていったのです。(ルカ23:34)

わたしが中学生のころの忘れられない思い出があります。夜遅くまで遊び過ぎて、門限をはるかに超えて家に帰りました。父にきつく叱られることを覚悟の上、おっかなびっくりで玄関の戸を開けました。そこに父が立っていました。まともに顔を見ることもできず、緊張して立っていたわたしに父は優しく「お腹空いたろう。早くお風呂に入ってご飯にしなさい」とひと言だけ言って部屋に戻って行きました。全く拍子抜けしてしましたが、わたしにとって今も忘れられない出来事です。自分が子供を育てる時、似たような出来事が何度もありましたが、その都度、この出来事が思い出され、その場にふさわしい対応をすることができました。父もザアカイの物語がいつも心にあったのだろうかと思います。

皆さんが保育者として、あるいは子供の親として子供の前に立つ時、どのような言葉がけをしますか。本当に子どもを愛し、子供のことを考えているならば、朝のひとときを大切にすることであると言われています。あるお母さんは朝の食卓に、いつも花を飾るようにしているそうです。一輪の花が飾られた朝の食卓の情景を思い描いてください。そこに豊かで暖かなゆとりある思いに溢れた家庭の様子がうかがえます。服装を身ぎれいにし、髪の手入れをし、笑顔で朝の挨拶を交わし、ちょっとした励ましの言葉をかけることは、子供の精神の健全な成長に欠かせないものです。園や学校での子供の情緒不安定は、朝、出かける前の家庭の空気に大きく影響されます。これは大人であるわたしたちにも言えることです。わたしたちは朝、これだけの気持ちの余裕を持っているでしょうか。

塩で味付けされた快い、素晴らしい言葉を使うことはなかなか難しいですが、いつもイエスさまを見つめること、聖書を開き、読んでみることで、少しでもそれが実現できるようにしたいものです。

終わりに渡辺和子シスターの言葉を引用します。

「女性を美しく、好もしくするものは、昔も今も変わることなく、あたたかいほほえみ、美しいことば、さりげない心くばり、礼儀正しさ、そして恥じらいを知る慎み、と覚えておきたいものである。」(「愛をこめて生きる」より)(チャプレン 大西  修)


ゴーヤの花

【ルカによる福音書 16:19-31】
◆金持ちとラザロ
16:19 「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。
16:20 この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、
16:21 その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。
16:22 やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。
16:23 そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。
16:24 そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』
16:25 しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。
16:26 そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』
16:27 金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。
16:28 わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』
16:29 しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』
16:30 金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』
16:31 アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」

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「金持ちとラザロのたとえ」はイエスさまが、当時のユダヤ教の宗教的指導者であるファリサイ派の人々、律法学者たち、そして弟子たちにお話しになったものです。彼らは貧富の差があるのは神のご意思なのだから、その状態を変える必要はない、富は神の愛のしるしであり、貧しさは神の裁きのしるしである。その理由は神だけが知っておられることであり、人間はそのことに関わる必要はない、そう信じていました。

このような考え方に対する一つの挑戦としてこのたとえをお話しになりました。

イエスさまは富と貧しさの現実を無視して、愛と平等と平和を説くことはなさいませんでした。ルカによる福音書では富と貧しさの問題を大切な事柄としてよく取り上げています。有名な「マリアの賛歌」ではマリアが、生まれてくるイエスさまをこの世界に送られる神の働きを「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた者を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。」(1:51~53)と歌いました。

神の望まれる世界は貧乏や不幸が否定され、無くなる世界です。神は貧しい者の味方であり、貧しさを追放されるお方です。「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなたがたが彼の貧しさによって富む者になるためです。」(Ⅱコリント8:9) 神はイエスさまを通してご自身を貧しい者として表されました。すべて貧しい者を富ませるために、貧しい者の味方になられたわけです。ですから貧しい者に目を向けず、ただ自分だけが富んでいることに満足している者は神の目にはふさわしくないのです。「金持ちとラザロのたとえ」はこのことを語っています。

このたとえの中では対照的な二人の人物が登場します。金持ちは立派の家に住み、高価な着物を身につけ、贅沢に遊び暮らす生活によって、神から与えられたものを自己満足のためにだけ用いました。働くこともできず食べていけない人間と、食べて有り余るほどゆとりのある人間とが対照的に描かれています。金持ちが豊かであることが罪であるとは言われていません。金持ちが持っているもので隣人とどのような関わりを持って生きていたかが問題とされています。多くのお金を持つことは罪ではありません。しかし、多くのお金を持ちながら玄関先にいる貧しい人と関わりを持たないことが罪なのです。金持ちは信仰深かったから富が与えられ、ラザロは不信仰だったから、神の罰として貧しくなったとは言われていません。隣人とどのように関わるかが信仰の問題です。その意味で金持ちは信仰深くありませんでした。信仰を誤って理解していたのです。

わたしたちのすべての生活と豊かさが、ただ単に自分を富ませ、満足させるためにだけあるのではありません。「財産のある者が神の国に入るのは、何と難しいことか。金持ちが神の国に入るよりは、ラクダが針の穴を通る方がまだ易しい。」(ルカ18:24~25)とイエスさまは言われました。富は魔物です。時としてわたしたちの良心を麻痺させることもあり、隣人とその魂を見失わせ、さらには神さえ見失わせてしまいます。

ところでこのたとえの共通点は二人が死ぬこと、死を迎えることです。単なる犬死であろうが、有名な大病院で最大限の医療処置を施されて死に、盛大な葬儀がなされ、故人の遺徳が称えられようが、いずれにせよ例外なく平等に二人は死ぬのです。死はどこまでも平等です。金持ちが金銀財宝を携えて死後の世界に行くこともできなければ、ラザロができ物を背負ってそこへ行くこともありません。この世の価値観で、この世で通用する財産によって死後の世界を決めることもできません。死後の世界で残るものは、生前持っていた富をどのように用いて、隣人といかなる関わりを持っていたかということです。神の前で問われるのはこのこと、この世での生き方です。天国や地獄の状況は一つのたとえとしてここに描かれています。

このたとえの核心は、今、わたしたちの前にある現実にしっかり目を留め、それをどう受けとめ、それとどう関わりながら生きていくかということにあります。

このたとえは、イエスさまが今、わたしに、そしてあなたに向かって語りかけておられるのです。わたしたちはまさか自分をラザロの側に置くことはしないでしょう。だからと言って金持ちの側に置いて考えることもしないのではないでしょうか。どちらでもない第3者の立場に自分を置いていないでしょうか。しかしそのような立場に立つことは許されません。

イエスさまはあなたを金持ちの立場に置いて語りかけておられます。また、地上で残された生活を楽しんでいる5人の兄弟にたとえてもおられます。あなたはその中の一人ではないですかと…。わたしたちは答えるでしょう。「いや、わたしはそんなに金持ちじゃないし、贅沢に遊び暮らしてもいない。ごく平凡な生活をしている一市民だ」と。

しかし、ラザロはわたしたちの門前にいます。飢え渇いて、死を目前にしているラザロが世界中、特に東南アジアの国々、中東、アフリカの国々に何億人といます。日本の中にもたくさんいることを知っていますか。数え上げればきりがありません。神はそのような人々を愛され、大切にされるお方です。「ラザロ」という名前は「神はわたしの助け」という意味です。神は「ラザロ」を助けられると共に、「ラザロ」の神なのです。そしてこの「ラザロ」の姿こそ、地上を歩まれたイエスさまのお姿なのです。

貧しい家畜小屋に生まれ、見捨てられた人々の友として生涯を過ごされ、自らも人々に見捨てられ、ゴルゴタの丘で盗賊と共に犯罪者として十字架につけられ死んだイエスさま。神はこのイエスさまを貧しい人、病気の人、悩む人の友としてお遣わしになり、その復活・よみがえりによって本当の慰めと開放と自由を与えてくださったのです。

わたしたちはまた、イエスさまによって自分自身を「ラザロ」に置き換えることが許されています。わたしたちは正義のゆえに、貧しく虐げられた人間として損をし、倒れ、傷つき、失敗したことがあるかもしれません。そんな時にこそ、神はあなたを「ラザロ」として支え、励まし、助け、あなたの味方になってくださることを信じましょう。(チャプレン大西 修)


学生食堂に飾られた折り紙作品

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