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カテゴリー:大学礼拝 の記事一覧

今年度の最初の礼拝では、新海英行学長より、保育と介護福祉を学ぶ学生たちに向けて、建学の精神「愛をもって仕えよ」にもとづく実践と理念のあり方が、糸賀一雄の言葉を引きながら丁寧に語られました。
【2015年度 第1回大学礼拝 4月8日(一年生) 3月26日(二年生)】


この子らを世の光に ― 糸賀一雄(1914~1968)に学ぶ ―

1 障がいを持つ子どもたちのために尽くした生涯とその働き

戦後における「障がい児・者の福祉と教育」のパイオニア、糸賀の足跡に学んでみよう。

彼は、1946年11月、「近江学園」(知的障害児の教育・医療施設、孤児の養護施設)を創設し、その後、いくつかの施設を設立した。代表的なものは、「びわこ学園」(重度障がい児施設)(1963年)、「第二びわこ学園」(1966年)である。(これらの施設を建設した経緯と実践を貫く教育観は、著書A『この子らを世の光に―近江学園二十年の願い―』1965年、B『福祉の思想』1967年、C『愛と共感の教育』1972年に詳しい。)

2 人として生き、人らしく発達することはすべての子どもの権利

糸賀はこう述べている。「この世の役に立ちそうもない重度や重症の子どもたちも、ひとりひとりがかけがいのない生命をもっている存在であって、この子の生命はほんとうに大切なものだということであった・・・「この子」という生きた生命、個性のあるこの子の生きる姿のなかに共感や共鳴を感ずる」(B)子どもたちのいのちの尊さこそ彼の教育観の基本中の基本であった。

糸賀は、生命への畏敬を基本におき、生存権(憲法25条)と教育権(26条)を結びつけ、生きる権利と発達する権利を統一的にとらえ、療育・治療教育・養護・保育に取り組んだ(A)(B)。その際、生存権と教育権を保障し、実現するのは国家・社会の義務(=義務教育)(B)とし、それゆえ、国家による就学の猶予・免除(貧困や疾病のゆえに)を拒否した(B)。さらに「働く母親をまもり、子ども自身をまもる」ために、「保育所の適正配置とか集団保育の新しい教育的意味を強調した(B)。

3 「この子らに世の光を」ではなく、「この子らを世の光に」

子どもたちが自らの人生と社会の主役に成長することをことのほか重視した糸賀は、聖書(マタイ5章13節~16節)に学んでこう述べている。「「この子らに世の光を」あててやろうという憐み」ではなく「この子らが自ら輝く素材そのものであるから、いよいよみがきをかけて輝かそう」「「この子らを世の光に」である」「この子らが生まれながらにもっている人格発達の権利を徹底的に保障せねばならぬ」(B)「本来一人ひとりが光り輝く存在であり、障害をかかえた人たちも分けへだてなく共に生きることのできる社会こそが“豊かな社会”である」(A)「自己と他者の共同(まじわり)が人格の本質であること、又かかる共同を成立せしむるものが“愛”に外ならない」(C)

要するに、「この子らを世の光に」する教育を実現するのは、「共に生きることのできる社会」「自己と他者の共同」であり、こうした社会や共同を実現するものが愛である。これこそキリスト者糸賀の生涯にわたる実践を動かした究極の考えであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【名古屋柳城短期大学附属 柳城幼稚園 年長 あお組】

イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」 (マタイ19:14)

クリスマスまで、あと二週間となりました。12月10日の大学礼拝には、附属柳城幼稚園の年長あお組の子どもたちが来て、すてきなクリスマス・キャロルとトーンチャイムの演奏を聴かせてくれました。

チャペルは、この日を楽しみにしていた学生たちや短大教職員で満員となり、用意したエキストラの椅子や三階席もすぐにいっぱいになりました。お揃いの聖歌隊衣装をまとって、少し緊張した面持ちで入堂してきた子どもたちを、子どもの大好きな保育学生のみなさんが温かい拍手と笑顔で迎えました。聖壇の前に二列に並んだ子どもたちは、担任の桑原先生が弾かれるオルガンに合わせて、クリスマスを祝う2曲のキャロルを丁寧に歌いました。そして、一生懸命に練習を重ねてきたトーンチャイムによる「きよしこの夜」を演奏しました。

あお組の保護者の方々も礼拝に出席され、柳城幼稚園の先生方、短大の学生や教職員がすばらしい交わりの時をもちました。その中心に、柳城幼稚園の子どもたちがいます。子どもたちを中心にして、幼稚園と短大が温かな交わりをもちながらイエス様の降誕を待つというすばらしい時間をいただきました。

この日のために練習と準備を重ねてこられた、柳城幼稚園の子どもたちと先生方に感謝。そして、この恵みに感謝。すべての子どもたちと、子どもたちに関わるすべての保育者さんたちに、よきクリスマスが訪れますように。(村田)

 

 

【マルコによる福音書 第10章13-16節】
13 イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。14 しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。15 はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」16 そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。

今週の礼拝では、志村真先生(中部学院大学短期大学宗教総主事)に、「子どもの友イエス」と題する奨励をしていただきました。

学生に直接、親しみをこめて語りかける志村先生のあたたかい口調が印象的でした。そして、語っていただいたお話は、それ以上に深く印象に残るものでした。お話は、志村先生が小学生のときのエピソードからはじまりました。学校で、「良寛さん」の劇を子どもたちが上演し、志村先生ご自身が良寛さんの役をされたそうです。子どもたちと一緒に毬つきやかくれん坊をして遊ぶ良寛さんの姿の背後には、当時の農村の子どもたちを取り巻く過酷な社会環境がありました。

志村先生が語られる良寛さんの姿が、福音書に「子どもの友」として描かれたイエス様の姿に重なり、イエス様が生きた時代、子どもたちを取り巻く状況がいかに過酷なものだったかが語られました。乳幼児死亡率が非常に高かった時代です。当時の遺跡から出土した遺骨が語る、子どもの餓死、戦争による死、出産途中で亡くなった妊婦と赤ちゃん… チャペルは静まり返りました。志村先生は、イエス様が友としたのは、そのような時代の、そのような子どもたちだったことを語られました。

弟子たちが子どもたちを遠ざけたのを見て、弟子たちをお叱りになったイエス様は、その子どもたちを一人ひとり、腕の中に包み込んで抱き上げ、そっと降ろして祝福します。その様子を、志村先生は、福音書の言葉の意味を読み解き、イエス様のしぐさも交えながら語られ、最後に、「福音書はイエスを子どもの友として描いている」というジョン・キャロルの言葉を紹介してくださいました。(村田)

 

聖書箇所:ルカによる福音書 第9章46-48節

弟子たちの間で、自分たちのうちだれがいちばん偉いかという議論が起きた。
イエスは彼らの心の内を見抜き、一人の子供の手を取り、御自分のそばに立たせて、
言われた。「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」

今日の礼拝では、平松ちづ代先生にお話していただきました。この3月まで、附属幼稚園の園長を務めておられた平松先生は、本学の卒業生でもあり、後輩である学生たちに向けて親しみのこもった口調で、お好きな映画のことや童話のことを学生たちに語りはじめられました。そして、柳城の学生だった頃のことを話され、寮で生活しておられた同級生の学生生活の様子などに聞き入っているうちに、お話は自然と保育と幼児教育にとって大切なこととは何かというところまで深まっていきました。そして、柳城の建学の精神に触れられ、保育者が愛をもって子どもにに仕えるということと、その意味について語ってくださいました。保育者は、神様の愛、イエスの愛を担って、子どもたちに伝えていくという仕事をすることです、という平松先生のお言葉に、新鮮な光に照らされたような思いを抱きました。(村田)

【詩編121:1-3】
(都に上る歌)目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。
わたしの助けは来る/天地を造られた主のもとから。
どうか、主があなたを助けて/足がよろめかないようにし/まどろむことなく見守ってくださるように。

2年生にとって学生生活最後の夏休みになります。

社会人になるとこうした長期に自分の自由になる時間はありません。是非自分で計画を立てて心身共に自分の成長につながるように時間を有効活用してください。また、夏は海や山といった自然に親しむのに絶好の機会です。私も先日子どものキャンプに山に行きましたが、ハイキングで歩いていると鶯の声が聞こえ、バッタやカニが見られました。また川の中で遊んだ時は流れの水の抵抗感や川床の不安定感などを感じました。こうした環境で自然を味わうことで、普段は感じることのない自然と人間が共生していることの大切さがわかります。

またこうした時にこそ聖書の言葉、が実感できます。人は自然とともに生きていること、見守られていることが感じられれば最高です。(チャプレン)

 

【ガラテアの信徒への手紙3:26 -28】
あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。
洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。
そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。

皆さんは日常生活で男女平等について考える時がどのくらいあるでしょうか。

今は学生として女性が圧倒的に多い日常です。また幼稚園や保育園も教職員は女性が中心の職場です。しかし、広く世の中全体を見てみると男性中心の考えをしている環境が圧倒的に多いことに気が付きます。先日も都議会の会議の中で品のないヤジが女性の議員の発言中にありましたが、これなども男性優位の議員構成だからこういう発言が出てくるのだと思います。

第二次大戦後日本は男女平等の社会になりましたが、国会議員で女性の数が一番多かったのは戦後最初の選挙だったということが長らく続きました。数年前の小泉首相の時にやっと破られたのでした。つまり女性が意識して女性の議員を増やそうとしてこなかったのです。世界では、女性がもっと社会全体の様々な決定にかかわるべきだという考えが強くなっています。ですから女性の国会議員の数は多い国では40パーセントを超えています。日本は10パーセントに満たないで160ぐらいの国の中で126位ぐらいです。

本当に男女が平等になっていくためには、こうした面から社会が変わっていかなければなりません。皆さんがこれから社会人として活躍していくときにこうしたことも忘れないでください。(チャプレン)

【ローマの信徒への手紙3:3-4】
それはいったいどういうことか。彼らの中に不誠実な者たちがいたにせよ、その不誠実のせいで、神の誠実が無にされるとでもいうのですか。
決してそうではない。人はすべて偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。「あなたは、言葉を述べるとき、正しいとされ、/裁きを受けるとき、勝利を得られる」と書いてあるとおりです。

学期末になって試験やレポートに毎日追われて大変な思いをしていると思います。

こうしたことは一時の忍耐としてやり過ごしてしまうのか、それをこなしていく中で忍耐強く自分のものにして成長につなげていくかによって人は大きく変わっていきます。苦難は精神的なものは見えないので理解しにくいですが、肉体的なことは結果が見えやすいということがあります。ですからスポーツ選手の努力の話を聞くことは大いに参考になります。野球やサッカーの選手また最近ではテニスの錦織圭選手の話に感心させられました。

自分の武器は何か、相手の弱点は何か、体力がないと続かない。一度できたことは繰り返してできるようにする。こうしたことは勉強でも対して変わりません。課題をきちんと理解して何をどのようにしたらよりうまくいくのかを考えてから始めることです。

学校は時間の区切りがあります。同じ悩みを共有する友人がいます。苦難を忍耐し練達から希望へとつなげていってください。(チャプレン)

名古屋在住のゴスペルシンガー江崎理子さんをお迎えして大学礼拝を行いました。

この企画、聖公会の聖歌集から482番(いつくしみふかき)と561番(サントサントサント)を理子さんにゴスペル風にアレンジしていただき、それらを練習した上で礼拝に臨むという内容でしたが、学生も教職員も彼女の素晴らしいリードに完全に酔わされた感じでした。普段とは違った雰囲気の礼拝は学生さんにとっては貴重な経験であったろうし、何よりも、抑圧されていた奴隷黒人の魂の叫びをルーツとするゴスペルの存在意味みたいなものを、体全体で感じる事ができたのではないかと思います。

理子さんの姿を通して、ハートに語りかける音楽の威力を保育現場で役立てたいという強い気持ちが学生さんの心に芽生えてくれば、企画担当者としては嬉しい限りです。(加藤)

新しい歌を主に向かって歌え。全地よ、主に向かって歌え。(詩編96:1)

2014年3月に落成した3号館の建設の意図について、私、加藤が聖書の言葉に絡めて話をさせてもらいました。

意図について簡単にまとめると次のようになります。

①学生ラウンジの拡張(座席数、114席増)
②ピアノサポート教室の移設(移設後の5号館3室を学生さんに開放)
③子育て支援ルームの新設(2号館内の教室1つを3号館に移設した後の空き教室を利用。かつての「幼児教育研究所」の部分復活を目指す)
④書庫の拡張(既存書庫の手狭さを解消)
⑤研究室の集中(移設後の各部屋を有効利用)
⑥同窓会室の校内確保(⑤に伴い4号館内の歴史資料室を拡張して、そこに同窓会室を併設)

キリスト教主義を前面に打ち出している本学にとっては、3号館への「この世」的な思いに対して、霊的な冷静さをもって謙虚に再評価していく必要があります。「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する(箴言19:21)」と聖書にある通りです。イエス・キリストも語っています。「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである(マタイ7・21)」。どちらの聖句も「自我を捨てて、神の御心に従え」との戒めであります。

写真にある通り、3号館の玄関には十字架が2ヶ所与えられました。これらが「お飾り」で無い事は言うまでもありません。この玄関はイエス・キリストの入られる門であり、本学の創始者マーガレット・ヤングをお迎えする場所でもあります。この十字架を見るたびに、自我を抑えてイエス・キリストやヤングの思いに立ち返ることで、3号館に対する霊的評価は持続し、今後30年以上は利用されるであろう本館が、小さいながらも短大の要の施設になっていくことを切に祈りたいと思います。主に感謝。 (加藤)

 

 

 

 

 

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