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【ガラテヤの信徒への手紙5:13-15】
5:13兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。
5:14 律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。
5:15 だが、互いにかみ合い、共食いしているのなら、互いに滅ぼされないように注意しなさい。

ご入学おめでとうございます。

本学の水曜日には、今日のように礼拝という時間があります。入学式も礼拝の形式でしたね。ほとんどの人にとっては初めての経験だったでしょう。ひょっとすると「この大学で大丈夫?」と思った人もいるかもしれません。礼拝とは黙想とか瞑想と同じで、心を集中させることです。手を合わせていると自然に心が穏やかになり集中できるようになります。そうすることで自分自身を見つめられるようになります。

さて、本学の基になっているのは「愛によって仕えなさい」でした。建学の精神ですね。ホームページにも載っていますので一度読んでみてください。柳城がキリスト教の学校であることが、今、現実として皆さんには分かったと思います。キリスト教といっても実は色々な種類があり、大きくはカトリックとプロテスタントに区分されます。日本にキリスト教が入ってきたのは1549年の、あのフランシスコ・ザビエルでしたね。彼のキリスト教はカトリックでした。では柳城のキリスト教はというと、元はカトリックだったのが、そこから独立してイギリスを中心に全世界に広まったもので、名前を聖公会といいます。イギリスのエリザベス女王もその聖公会の信者さんですよ。本学院創設者のマーガレット・ヤングも、もちろん聖公会の信者さんで、彼女がスタートさせた本学院は、来年で120周年を迎えます。本学のキリスト教は、皆さんをクリスチャンにするためのものではなくて、その精神を学んで、それを人生や仕事の礎にするためのものです。

そのキリスト教精神一つに「神様のみが絶対者」だというものがあります。ですので、たとえば「私は最善の方法でやります」とか「絶対にお金を返します」とか言い人をよく見かけますが、キリスト教の立場で見ると、そんなに自分を信じ切っている人は余程の人物か嘘つきかのどちらかになります。神様からみれば人間などは不完全な小さな存在です。その小ささに気づくことが、すなわちキリスト教精神の第一歩で、これからの2年間、この精神を人との関わりを通して学んでいけたらと思っています。

最後に。礼拝では「アーメン」という言葉をよく使います。これは「その通りになってください」、「私もそう思います」、「私も同じです」などといった意味ですので、どうか、そういうつもりで唱えてください。

では、この1年、皆さんを退屈させないよう努力しますので、ずっと礼拝に参加してくれると嬉しいです。それをお祈りしながら、今日はこれで終わります。(チャプレン大西 修 主教 )

名古屋聖マタイ教会とサクラ

【コリントの信徒への手紙 一 2:23-26】
わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。
見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。
それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。
一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。

柳城短大の学年歴では、今日が新しい学期の始まりとなります。

すでに本学で1年間を経験している皆さんですので、今年は計画をしっかり立てて思い通りの学生生活を送れることでしょう。できる、できないは別として、計画は、立てることが大切です。

今年は実習と就職活動で忙しくなりますが、やり切る覚悟は持って下さい。それは、自立するための準備でもあるからです。ただし、悩んだ時は決して一人で抱え込まないことです。人間、内向きになると体の動きも悪くなります。気を楽に。誰もが同じように悩んでいるはずなので、あなただけが心配する必要はありません。

さて、今日の聖書では体のバランスについて語られています。誰でも、自分の体に好きな部分と嫌いな部分とがあって、それで全体が一つの体です。社会も同じで、構成員が互いに支え合うことで全体が機能します。1年後に社会に出ていく皆さんは、是非とも「愛をもって仕える」という本学の建学の精神を発揮して、互いに支え合ってみて下さい。

幼稚園で教育勅語を教え込ませるところがあるそうですが、これなどは「愛をもって仕える」精神とは対極にあるような気がします。相手がたとえ小さくても、大人の思い通りに一色に染めるのではなく、社会とは色々なタイプの人間でバランスを取り合うものであるという考え方を大切にしながら、保育に努めて欲しいと思います。

実は、私は本日で本学のチャプレンの勤めが最後となります。4月からは大西チャプレンが赴任されますので、これからは彼と共に歩んでいってください。私はこのマタイ教会の司祭としては残っていますので、また声をかけてください。

この1年、頑張ってください。(田中チャプレン)

【エフェソの信徒への手紙 5:15-17】
愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。
時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。
だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。

聖公会の暦では、今年は、3月1日から復活日(イースター)4月16日までを大斎節と定め、この期間、日曜日を除く40日間を、イエス・キリストが荒れ野で断食をしたことにちなんで、私たちも節約した生活を心がけながら自分自身を反省して、イースターの後に、少しでも自分の生き方が向上するよう努めるという、そんな習慣になっています。

【保育科1年生、保育専攻科1年生向け】

さて、今日の聖書に「今は悪い時代」とありました。確かに、今の日本で起こっている色々な事件の中には、責任のある人が平気で言い訳をする場合も多く見られますが、これでは日本全体の風紀が乱れて、世の中に「これくらいはいいだろう」といった無責任な空気が生まれるかもしれません。そんな悪い時代に仮になったとしても、私たちは「悪いことはしない」という決意を持ちたいものです。

大きな話になりましたが、私たちは日常的に自分を振り返ってみる必要があります。良いことも悪いこともあるでしょう。皆さんも柳城短大の1年間を振り返ってみてください。この24日には始業礼拝がもたれて新しい学期が始まります。それまでの短い間、十分に反省をして、良いスタートを切って下さい。

【保育科2年生、保育専攻科2年生、介護福祉専攻科向け】

反省するのは、何も個人だけの話ではなく、日本の社会そのものも反省を迫られています。国政では色々な問題が取り上げられていますが、責任のある人が、ウソがばれないよう必死になっている姿を見るたびに、これでは社会全体の倫理観が下がるのではと心配になります。今日の聖書にある通り、私たちは悪い時代であっても「賢い者として」歩みたいものです。

さて、皆さんはいよいよ卒業を迎えます。新しい世界に向かって希望と不安で一杯でしょうが、誰でも最初は同じなので、必要以上に気を使わないで、分からないことは素直に「分からない」と言うことが大切です。ここが実は大きな分かれ目で、「分からない」と言えずに内に閉じこもってしまう人がいます。素直に人に尋ねてみましょう。さらには、悩んでいるのは自分だけではないと自分に言い聞かせることです。こうすれば、新しい職場でも、きっとうまくいくことでしょう。

初出勤が始まるまでにしばらく自由な時間が持てます。仕事が始まると長期休暇が取り辛くなりますから、今の時間を有効に使い、体力も付けておくと良いでしょう。自分を見直すチャンスでもあります。

新しい社会でのご活躍を期待しています。(チャプレン)

プリムラとワイヤープランツ

卒業式 2016

カテゴリー:卒業式

第63回卒業証書授与と第19回修了証/学位記書授与の模様をお届けします。

●卒業生の入場
ワーグナーの楽曲に合わせて卒業生が入場します。

 

 

 

 

 

 

●前奏
ピアノの伴奏に合わせて司式者団が入場します。

 

 

 

 

 

 

●聖語
チャプレンが「愛によって互いに仕えなさい。」と唱えると会衆が「神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。」と応答します。

 

 

 

 

 

 

●聖歌 第491番「あめなる喜び」

●特祷
チャプレンが次のように唱えます。

「すべての力の源である神よ、本日、卒業・修了の日を迎えるこの学生たちをこれまで守り、無事にすべての課程を終えさせ、その目的を遂げさせてくださったことを感謝し、み名をほめたたえます。また、この学生たちがそれぞれの賜物をもってこの学院を豊かにし、友人たちや教職員に多くの喜びをもたらしてくれたことのゆえに、また今日までこの学生たちを育んできた多くの人々の愛の業のゆえに、あなたに感謝を捧げます。

どうか、この学生たちにあなたの豊かな恵みを注ぎ、これからの歩みを祝福してください。一人一人がみ心にかなう日々を歩み、幸いの時も災いの時も喜びの時も悲しみの時も、愛をもって仕える者として生涯をおくることができるように導いてください。わたしたちの主、イエス・キリストのみ名によってお願いいたします。」

 

 

 

 

 

 

●聖書朗読【コロサイの信徒への手紙 3:12-17】
あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。

また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。

 

 

 

 

 

 

●聖歌  第462番「飼い主わが主よ」

●第63回 保育科 卒業証書授与 【151名】
●第19回 専攻科保育専攻 修了証書授与 【8名】
●第19回 専攻科保育専攻 学位記授与 【8名】
●第19回 専攻科介護福祉専攻 修了証書授与 【11名】

一人ずつ名前が読み上げられた後、クラス代表者が壇上で証書を受け取ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●表彰
社団法人 全国保育士養成協議会 会長表彰
社団法人 日本介護福祉士養成施設協会 会長表彰

勉学において、すばらしい功績をあげた2名が表彰されます。

●式辞  名古屋柳城短期大学 学長 長縄 年延

式辞の中で、東日本大震災の被災地、福島県南相馬市で旅館の再開を果たした女将に、高校生が「なぜ笑顔でいられるのか?」と質問した話が取り上げられました。女将の「笑うとね、元気出る。この状況では笑わないといられない。」という返答と、高校生の「人って今しか生きられない。とにかく、今を大事にしていこうかな。」という感想が紹介され、卒業生に向けて「笑顔で」「健康に」「今を生きなさい」との熱いエールが送られました。

 

 

 

 

 

 

●祝辞  学校法人 柳城学院 理事長 主教 ペテロ 渋澤 一郎

卒業生に向けて「小さいことを大切に」とのメッセージが送られました。「愛をもって仕える」ことの意味の一つとして、「ごく小さなことに忠実な者には、より大きなことが任せられる(ルカ19:17)」というイエス・キリストのたとえ話が紹介され、人目につかないことや自分にとって大切でないことでも、人のために大切に実行することも一つの「愛」の形であり、そういうことの積み重ねが、あなたへの信頼を生み、良い人間関係に発展するのだと締めくくられました。

 

 

 

 

 

 

●聖歌 第561番「サントサント」

●後援会会長 挨拶

社会に旅立つ卒業生に向けて「心を弱らせないで」と語りかけられました。職場は楽しいことばかりではないが、人間関係で悩まないよう、内にこもらずに誰かに相談しながら心を強く保つようにということです。また、一生のうち、好きなことに費やせる時間には限りがあるので、今のうちに思いついたことを行動に移しておくのも必要だという、経験者ならではのアドバイスも送られました。

 

 

 

 

 

 

●同窓会会長 挨拶

ご自分の柳城時代を振り返りながら様々な体験談が語られました。
聖書研究会(聖マーガレット会)に入ったことがきっかけで、それまで嫌いだった柳城が段々と好きになり、ついには、「イエス・キリストを知らなかったら、保育士の資格も、趣味のゴスペルもなかった」と思えるようなったということです。そして、「良い保育者/介護者になるためにも、色々なことにチャレンジをして、失敗もして下さい。何をやっても無駄にはなりません。」との力強い励ましのメッセージが場内に響き渡りました。

 

 

 

 

 

 

●送辞
「先輩は目標、心の支え。努力する先輩の姿を見てきた私たちは、それらを継承していきます。」

 

 

 

 

 

 

●答辞
「次の世代を育てる仕事に向けて、家族が私たちを育ててくれたように、そして建学の精神を忘れずに励みます。」

 

 

 

 

 

 

●記念品贈呈
デジタルピアノ1台の目録が披露されました。体育館での授業や諸行事で大いに利用されることでしょう。感謝です。

 

 

 

 

 

 

●来賓紹介/祝電披露

●教職員による聖歌 第476番「暗闇行くときには」

ここから、卒業式のクライマックスに入ります。まずは、教職員全員で卒業生に向けて聖歌を贈ります。

「暗闇行くときには 主イエスが示された 輝く星をもとめ 光に顔むけよう。
光は闇を照らし 昼は夜をつつむ とりまく影をぬぐいて 光を仰ぎ見よう」

このシーンにグッとくる卒業生も多いとか。

 

 

 

 

 

 

●卒業生・修了生による聖歌 第417番「あなたの平和の」 英語版はこちら

柳城生の一番人気の聖歌が高らかに歌い上げられます。

「あなたの平和の器にしてください 主よ わたしをあなたの 平和の器に
憎しみのあるところに あなたの愛があるように
悲しみがあるところに よろこびが あるように」

今度は、教職員側がグッとくる番です。

 

 

 

 

 

 

●平和の挨拶
お互いに「主の平和」と唱えながら握手を交わします。卒業礼拝が潤います。

 

 

 

 

 

 

●主の祈り

●名古屋柳城短期大学のための祈り

大学礼拝で繰り返してきた祈りです。

「全能の神よ、わたしたちはただ主の賜物によってまことの知恵を得ることができます。どうか、み名によって建てられた名古屋柳城短期大学に恵みを下し、教える者と学ぶ者を祝福して、共に知識を深め、主の真理を悟り、愛をもって互いに仕え、謙虚な心で唯一の神を仰ぐことができるようにしてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン」

●派遣の祈り

「神よ、今、新しい道に歩み出そうとしているこの一人一人を祝福し、お守りください。これからもあなたに与えられたそれぞれの賜物を豊かに用いることができますように。そのために必要なものを必要なときに備え、共に道を歩む友を与え、あなたがこの一人一人を呼び出しておられる道をお示しくださいますように。これからの一人一人の歩みの上に、あなたの聖なる霊を共に臨ませてください。そして、まことの道であり、真理であり、命である主イエス・キリストと共に旅する者として、この一人一人をあなたの愛するこの世界に遣わしてください。わたしたちの主、イエス・キリストのみ名によって。」

●祝祷

「主があなたがたを祝福し、あなたがたを守られるように。主がみ顔をもってあなたがたを照らし、あなたがたを恵まれるように。主がみ顔をあなたがたに向け、あなたがたに平安を賜るように。父と子と聖霊なる全能の神の恵みが、常に皆さんとともにありますように。」

 

 

 

 

 

 

●校歌

「おさなきものは かみのまなごぞ
ひなぎくさゆり いろとりどりに
においさく」

 

 

 

 

 

 

●後奏
伴奏に合わせて、司式者団が退場します。

 

 

 

 

 

 

●卒業生 退場

聖歌 第522番のBGMとともに退場です。

「神ともにいまして 行く道を守り
あめ(天)のみ糧もて 力をあたえませ
また会う日まで また会う日まで
神の守り なが身をはなれざれ」

 

 

 

 

 

 

●(おまけ)卒業パーティー
式後、体育館での恒例の催しです。学生会の皆さんが一生懸命に場を盛り上げてくれました。

卒業生も料理もすばらしくカラフルでした。
皆さんのこれからの長い人生、ずっと、色とりどりに豊かでありますように。お祈りします。(加藤)

2月3日、2年生だけが集まって行う最後のケーキボランティア。

実習中の1年生の分も、2年分の思いも込めて、福島県新地町で開かれる茶話会に届けるケーキを焼きました。今日は、きなこの香りの和風パウンドケーキに、柳城卒業生のイラストレーターの方が描いた絵葉書のメッセージを添えました。

東北の方々に笑顔を届けたい、そんな想いを持ったメンバーが集まって今まで活動を行ってきました。

お礼のお手紙を頂いたり、実際に現地でお礼の言葉を頂いたり、ケーキボランティアを通して東北の方と関わり、私たちもたくさんの笑顔を頂きました。この想いを後輩たちにたくし、これからも東北の方々との繋がりを大切にしていきたいです。(廣瀬)

 

【ローマの信徒への手紙 15:1-2】
わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。
おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです。

いよいよ学年末です。テストや実習を控えて多忙な日々を送っていることと思いますが、一つ一つを確実にこなしてから次のステップに進んでいって下さい。頭は一つ、手足は二本ずつです。つまり一度にできることには限りがあるということ。あれもこれもと考えだすと焦るだけです。

テストの点数は心配でしょうが、皆さんは良い保育者、良い介護者になるために努力してきたはずです。これらの分野は、自信とか経験がものをいう世界です。新年度が始まる前に70日もあるので、今までの経験を振り返ってみることをお勧めします。実習等で、相手との接し方や心の配り方を学んではいませんか。キャンパス生活やアルバイト先などで、新しい友人との交わりを通して今までにない体験をしてはいないでしょうか。自分が成長したどうかを見つめ直すことはとても大切です。社会に出るとその機会は少なくなっていきます。

テストだけではなしに、経験した内容で自分自身を測ってみてはどうでしょう。(チャプレン)

ヒナギク

12月21日に行われた礼拝の模様を、式次第の順にお届けします。
(インフルエンザ流行の心配があったため、当日は、礼拝参加者全員にマスク着用を呼びかけています)

●前奏
保育専攻1年生(野々垣先生クラス)によるハンドベル演奏
「きよしこの夜」 編曲:野々垣 文成(本学特任教授)
演奏者が少なかったので、一人が複数のパートをかけもちしたそうです。でも、テキパキとしたその身のこなしぶりは、見ていて気持ちが良かったです。

 

 

 

 

 

 

●点火の祈り
●聖歌 第69番「もろびとこぞりて」
点火の祈りの後、聖歌が歌われる間に司式者団が入場します。そして、通路に並べられたロウソクにサーバーが火を入れていきます。

●ページェント (イエス・キリスト降誕劇)
「キリスト教保育」受講生、有志学生
演技と聖歌隊の音とが見事に融合した内容だったと思います。毎年のことですが練習時間に限りがあったため、参加者には集中力が養われたことでしょう。本番直前まで工夫を絶やさなかった学生さん、愛をもって指導された柴田智世先生にそれぞれ感謝です。

●福音書 「ヨハネによる福音書 1:1-5、14」
●クリスマスメッセージ (一同着席)
チャプレン 司祭 田中 誠
内容はこちらでご覧ください。

●手話コーラス
介護福祉専攻科学生
「スマイル」 「にじいろ」
柔らかな 手さばきと豊な表情。手話の醍醐味みたいなものが伝わってきました。「一糸乱れぬ」という感じではなかったですが、そんなのは、手話には必要のない要素ですね。

●ハンドベル演奏
扶瀬ゼミ学生
「いのちの奇跡」 編曲:扶瀬 絵梨奈(本学助教)
直前練習の時のことです。満足のいく演奏ができなかった時、指導担当の扶瀬先生が「仲間を信頼して」とアドバイスされていました。たとえ誰かが音を外しても、決して動じずに仲間を信頼して演奏を続ける。このような貴重な経験が学生さんを成長させるのでしょうね。

●聖歌 第76番「かいばおけの干し草に」
●奉献の祈り
聖歌の間に、事前に集められた献金がステージに運ばれます。献金の報告はこちらです。

●聖歌 第91番「荒野のはてに」
●聖歌 「おほしがひかる」
これら聖歌の間に、各自の手持ちローソクに火が回されて、 闇に輝く柔らかな光が会場を美しく包み込みました。準備の苦労が報われる瞬間です。

 

 

 

 

 

 

●主の祈り
●諸祈祷
・名古屋柳城短期大学のための祈り
・東日本大震災と熊本地震を受けて~祈りをともに~
・アッシジの聖フランシスの祈り

 

 

 

 

 

 

●祝祷
●聖歌 第81番「神には栄え」
●後奏

聖歌の間に司式者団が退場し、その後、後奏の音を聞きながら黙想をします。
こうして、晴れ晴れとした気分の中、クリスマスプレゼントが配られて礼拝が終了となります。
今年もクリスマス礼拝を皆で分かち合える機会が与えられました。反省点も含めて、すべてを益に導いてくださる主に感謝します。(加藤)

 

 

クリスマスプレゼントは、本学の恒例イベントの一つです。クリスマス礼拝に参加する学生さん、教職員の皆さん、来賓の皆さんらに全員お配りしているものです。過去の記事はこちらで。

毎年、選定に時間を費やしていますが、2年前からは愛知県セルプセンターのご協力を得て、地域の社会福祉施設の商品を購入するようになってからは準備がスムーズに進むようになりました。お手ごろな値段で本学の要望を盛り込めるし、ささやかながら地域貢献にも加われるということで、担当者としては、大変喜んでいるところです。

今年は、2年前にお世話になった「たかぎ作業所」さんに、再びご厄介になりました。「ミニハンカチ2枚組」第2弾ということで、写真にあるように、本学の建学の精神(By Love Serve  愛をもって仕えなさい)をあしらったものです。

皆さんに、せいぜい使って頂ければ嬉しいです。(加藤)


本学では、年賀状代わりにクリスマスカードを各方面へお届けしていて、その表紙の写真を「今年一年のベストショット」として学内から募集しています。通常のクリスマスカードとは随分と趣が異なりますが、本学の日頃の諸活動が神のご計画に適うものであって欲しいとの願いから、喜びに満ちたクリスマスにふさわしい一枚を選ぶようにしています。

今年のクリスマスカードのコメント部分は以下の通りです。

写真は、本学のボランティアサークル「チーム・パティシエ」の活動のワンシーンです。東日本大震災復興支援活動の一環として、被災地の仮設住宅の皆さんにケーキを届ける活動を4年近く続けています。場所は離れていても心が繋がることを願いながら、皆で楽しんでいますよ。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」(ヨハネ15:5)     (加藤)

【ヨハネによる福音書 1:1-5、14】

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

今、私たちは、福音書からクリスマスの意味を学び、降誕劇からクリスマスの出来事を振り返ることができました。

そのイエスの誕生から今日までの2000年間で、社会は大きく進歩しました。人間の探究心は、目に見えない宇宙の果てやミクロの世界にまで及び、高度に発達した通信網によって情報を瞬時に得られるようになりました。それなのに、このような社会が人間の悩み/苦しみを解放/解決してくれているかというと、そうとは言えないようです。むしろ、地球全体として捉える時、さすがに、大昔のような身分差別制度はなくなったにせよ、貧富の格差が、それに取って代るほどの規模で拡大しています。毎日、どこかで戦争も続いています。2000年前と較べて、本当の意味で、私たちは進歩しているのでしょうか。

皆さんも日頃から色々な悩み/苦しみを抱えていることと思います。それが生きている証かもしれませんが、ただ、それらを解決する努力が不足しているのではないでしょうか。多忙な日々に追われて、考え方が短絡的になり、物事を我慢強く考え抜こうとするのではなしに、手っ取り早く決めてしまおうとする傾向にあるようです。

先日も、いわゆるカジノ法案の強行採決の一件が話題になっていました。この法案の大きな狙いは経済の活性化でしょうが、儲かる人より損をする人の方が多いがカジノでして、ある人は、人の不幸を踏み台にして小さな幸福を得るのがカジノだと語っています。もっとしっかり議論して欲しいと思いますが、特に、先の東日本大震災の際の放射能汚染の影響で今なお避難生活を余儀なくされている方々のことを思うと、カジノ云々で議論し合っている場合なのか、と感じてしまいます。その放射能汚染問題をよそにして、日本の原発も、結局、再稼働が始まってしまいました。生きている間には自宅に戻れない福島の人々はもちろんですが、「避難」できないまま、現地で生き続けている動植物のことも考える必要があります。

都合の悪い放射能汚染には目をつむる一方で、利益に結びつくカジノの件はドンドンと話を進めるということでしょうか。キリスト教カトリック司教団は「私たち人間だけのことではなく、動植物との共存を認識しなさい」とのメッセージを発して、万物が神によって造られたことを心に留めるように促しています。

さて、クリスマスは、イエスが普通の人として生まれたことを記念するものです。イエスは私たちと同じ悩み/苦しみを経験した方なのです。だからこそ、信仰心でイエスを迎え入れた時に、彼を自分の助け主だと、身近に感じられるわけです。今日の福音書には「光と闇」とが語られていますが、「闇」が私たちの悩み/苦しみだとすると、「光」とは、イエスが側にいてくれて何か解決の道があるのではと希望が感じられるような安心感だと言えます。

今日の福音書と降誕劇を心に留めることで、すばらしいクリスマスを迎えて欲しいと思います。(チャプレン)

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