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本学では、年賀状代わりにクリスマスカードを各方面へお届けしていて、その表紙の写真を「今年一年のベストショット」として学内から募集しています。通常のクリスマスカードとは随分と趣が異なりますが、本学の日頃の諸活動が神のご計画に適うものであって欲しいとの願いから、喜びに満ちたクリスマスにふさわしい一枚を選ぶようにしています。

今年のクリスマスカードのコメント部分は以下の通りです。

写真は、本学のボランティアサークル「チーム・パティシエ」の活動のワンシーンです。東日本大震災復興支援活動の一環として、被災地の仮設住宅の皆さんにケーキを届ける活動を4年近く続けています。場所は離れていても心が繋がることを願いながら、皆で楽しんでいますよ。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」(ヨハネ15:5)     (加藤)

【ヨハネによる福音書 1:1-5、14】

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

今、私たちは、福音書からクリスマスの意味を学び、降誕劇からクリスマスの出来事を振り返ることができました。

そのイエスの誕生から今日までの2000年間で、社会は大きく進歩しました。人間の探究心は、目に見えない宇宙の果てやミクロの世界にまで及び、高度に発達した通信網によって情報を瞬時に得られるようになりました。それなのに、このような社会が人間の悩み/苦しみを解放/解決してくれているかというと、そうとは言えないようです。むしろ、地球全体として捉える時、さすがに、大昔のような身分差別制度はなくなったにせよ、貧富の格差が、それに取って代るほどの規模で拡大しています。毎日、どこかで戦争も続いています。2000年前と較べて、本当の意味で、私たちは進歩しているのでしょうか。

皆さんも日頃から色々な悩み/苦しみを抱えていることと思います。それが生きている証かもしれませんが、ただ、それらを解決する努力が不足しているのではないでしょうか。多忙な日々に追われて、考え方が短絡的になり、物事を我慢強く考え抜こうとするのではなしに、手っ取り早く決めてしまおうとする傾向にあるようです。

先日も、いわゆるカジノ法案の強行採決の一件が話題になっていました。この法案の大きな狙いは経済の活性化でしょうが、儲かる人より損をする人の方が多いがカジノでして、ある人は、人の不幸を踏み台にして小さな幸福を得るのがカジノだと語っています。もっとしっかり議論して欲しいと思いますが、特に、先の東日本大震災の際の放射能汚染の影響で今なお避難生活を余儀なくされている方々のことを思うと、カジノ云々で議論し合っている場合なのか、と感じてしまいます。その放射能汚染問題をよそにして、日本の原発も、結局、再稼働が始まってしまいました。生きている間には自宅に戻れない福島の人々はもちろんですが、「避難」できないまま、現地で生き続けている動植物のことも考える必要があります。

都合の悪い放射能汚染には目をつむる一方で、利益に結びつくカジノの件はドンドンと話を進めるということでしょうか。キリスト教カトリック司教団は「私たち人間だけのことではなく、動植物との共存を認識しなさい」とのメッセージを発して、万物が神によって造られたことを心に留めるように促しています。

さて、クリスマスは、イエスが普通の人として生まれたことを記念するものです。イエスは私たちと同じ悩み/苦しみを経験した方なのです。だからこそ、信仰心でイエスを迎え入れた時に、彼を自分の助け主だと、身近に感じられるわけです。今日の福音書には「光と闇」とが語られていますが、「闇」が私たちの悩み/苦しみだとすると、「光」とは、イエスが側にいてくれて何か解決の道があるのではと希望が感じられるような安心感だと言えます。

今日の福音書と降誕劇を心に留めることで、すばらしいクリスマスを迎えて欲しいと思います。(チャプレン)

【コロサイの信徒への手紙 3:15-16】

また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。
キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。

明けましておめでとうございます。

新しい年が始まり、「気分も一新」という感じかと思います。教会でも、1/1を主イエス命名の日、1/6は顕現日、つまり3人の博士がイエスを訪れた日、そして1/8を主イエス洗礼の日というようにそれぞれ定めて、新しい一年をスタートさせています。

新年に何を期待するかはそれぞれで違うでしょうが、全世界的な視点でいえば、やはり、世界平和ということになるでしょう。難民問題等のニュースからは、他国民との共存の難しさが浮き彫りになっていますが、日本の社会ではどうでしょうか。

日本に住む外国人が200万人を超えています。地域による偏りが大きく、愛知県ではいえば、自動車工場がある地域に外国人の方が多いようです。介護福祉の仕事の担い手として、外国人の方に期待が寄せられてもいますが、そういった「役に立つ外国人」という視点よりも、地域の中で外国人と共存していけるかどうかに関心を寄せたいものです。日本の習慣に慣れない外国人を受け入れる気持ちを高めると共に、ヘイトスピーチ等で語られている情報がはたして正しいかどうかを自分自身で判断することも大切です。

いずれにしても、イエスが語った隣人愛、他人を自分のように愛する気持ちが、皆の心の中心にあってはじめて平和は実現するのだと思います。(チャプレン)


プリムラ

●次回礼拝予定:1/18(水)13:10  合同礼拝(体育館)

【コリントの信徒への手紙一3:6-7】

わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。
ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。

本日の聖書個所から、人の成長について考えてみます。

実習先でも気づくことでしょうが、子どもの行動は年齢相応に変化するものです。幼稚園に入ったばかりの子は、親元を離れて生活するという初体験にとまどう毎日でしょうが、年中さんになると、園生活に慣れてきて、自分勝手な面が出始めます。でも、それが年長さんになると、お兄さんお姉さんと呼ばれ、小学校に向けての心の準備も重なって、緊張感を持って生活できるようになります。中学校でも同じで、入学したての頃は、教科別に教員が変わるという学習環境に新鮮味を感じますが、2年生にもなると、いわゆる反抗期を迎えて、心が不安定になることもあります。でも、それが3年生なると、先輩と呼ばれるようになり、高校受験を控えることから、だんだんと落ち着いてくるものです。

このように人は、ある程度の決まった段階を踏んで成長するものですが、ときどき、ある特定の段階を飛び越えてしまうことがあります。いわゆる「幼児返り」の原因もそこにあると言われています。

私が中高一貫校の教員をしていた時の話ですが、職員室によく遊びに来る女子生徒がいて、それがいつの間にか、ある女性教員の膝の上に毎日座りに来るようになったのです。これが職員会でも話題になったのですが、養護教諭の方が「これは子どもの時に、親の膝の上で遊んだ経験がなかったために起こる幼児返りで、そのうち、しなくなりますよ」とアドバイスしたために、その女性教員は安心したうえ、女子生徒も一ヶ月もしないうちに、その行動を止めたのです。

また、荒れた中学校の話ですが、廊下を自転車で走り回るような中学生が、ある時、三輪車を見つけて、それを大変楽しそうに乗り回していたということです。これも「幼児返り」の事例かもしれません。

いわゆる「お受験」などという環境で育つ子どもも多い今の時代、親に甘えて育つ時期を経験できなかった子もたくさんいるでしょう。豊かな幼児体験を経験させることが親の大切な務めです。保育の仕事を目指す多くの皆さんには、親と話し合えて指導もできるような人になって欲しいと思います。(チャプレン)

ポインセチア

●次回の礼拝:クリスマス礼拝 12/21(水)16:30- (体育館)

 


昨年に引き続き、Ontoh(オントー)の皆さんをお招きできました。

チャペルでの出演がたいへん楽しみだったようで、その気持ちが演奏と響き合い、聴衆側へも十分に伝わったような感じがしました。開演時間が5時限後だったため、教員の皆さんが、暗くて寒い中、帰宅しようとする学生さんをチャペルに誘導すべく必死で声かけをして下さいました。結局、大入りとはいきませんでしたが、暖かいチャペルの中で皆の温かい気持ちが一つになったようです。

曲目はクリスマスソングを中心に様々なジャンルの曲が組み合わされ、さらに曲間に入る若々しいウンチクトークが結構為になって、ヤングな演奏家をお招きする狙い通りの展開になったと思います。極めつけはアンコール曲が中島みゆきの『糸』であったこと。「縦の糸はあなた  横の糸は私  逢うべき糸に  出逢えることを  人は仕合わせと呼びます」と結ばれるこの曲に込められたOntohの皆さんの思いはいかばかりか。その気持ちをそっちのけに、「糸」を十字架の「木」に読み替えて、思いつきのクリスマスメッセージをしてしまい、少々反省しています。

神は、その愛を、太陽の光のごとく、すべての人に降り注ぎ、私たちを招いておられます。それに気づくか気づかないかが運命の分かれ道。神の道に入るのに苦行/修行みたいなものは必要ないと思います。今日のコンサートのように、チャペルに集った全員を楽しい気分でさせてくれたのも神のお恵みです。感謝しつつ、このような楽しいミニ企画がたくさん私たちに与えられ、神の愛の光が名古屋柳城短期大学の隅々にまで照らされることを祈りたいと思います。(加藤)

イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」
【ヨハネによる福音書8:12】

名古屋柳城短期大学のクリスマスシーズン到来を告げる恒例の行事が行われました。

点灯式は毎年と同じパターンでしたが、忙しいスケジュールの合間を縫って駆けつけてくれる学生さんが本当に素敵でした。今年は、式の後にコーヒータイムが設けられて、ホッと一息。参加者が一つになってクリスマスの温かみを共有できたような気がします。

本学には、大きなツリーやまばゆいばかりのイルミネーションもありません。それに代わる何かが与えられることを祈りつつ、神の御心に適う範囲で名古屋柳城短期大学らしいミッションが展開していけたらと思います。(加藤)

イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」イエスは言われた。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」

【マルコによる福音書13:1-2】

○本日は、通常礼拝の直後に、本学の附属柳城幼稚園の青組さん34名による特別賛美が披露されました。

1年に1回きりの恒例行事ですが、園児さんたちは一生懸命に練習を重ねてきてくれています。そのおかげで、チャペルは実に和やかで爽やかな雰囲気に包まれました。胸に十字架を付けた子どもたちを見るたびに、短大保育科としての社会的使命を感じずにはおられない、と書くと大げさかもしれませんが、イエス・キリストが「天の国はこのような者たちのものである。(マタイ19:14)」と語る通りです。小さくて何の力もない子どもたちですが、その将来は無限に広がっています。神の見守りの中、よい保育者に囲まれて大きく成長していって欲しいですね。(加藤)
【子どもたちの詳しい様子については、名古屋柳城短期大学附属柳城幼稚園のブログページでご覧ください】

○なお、教話の内容は以下の通りです。

【マタイによる福音書3:1-6】

そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、
「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。
これは預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」
ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。
そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、
罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。

12月最初の礼拝です。キリスト教の暦では降臨節という期間に入っていて、教会はクリスマスの準備の真最中です。世間でもクリスマスに向けてお祭りムードですが、キリスト教の信徒は、イエス・キリストの誕生のお祝いに向けて心の準備をしています。どういった準備かというと、それは、今日の福音書の箇所から読み取れます。

洗礼者ヨハネは、荒れ野でらくだの毛衣を着て、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていました。つまり、町を離れ、貧しい姿で質素な生活をしていたということです。当時の人々は、このヨハネの姿に魅了されたということでしょうが、今の私たちにはとても真似はできません。それでも、日々の慌ただしい生活や色々な欲望から少し距離を置いて、自分自身を振り返り、何か特別なことに集中することで、心を研ぎ澄ますことはできるでしょう。仏教でいうところの座禅の境地といいましょうか、邪念から離れるといった感じです。

そもそも教会とは神と向き合って自分自身を振り返る場所です。クリスマスに向けて、皆さんが心を研ぎ澄ます、その助けとなるような教会でありたいと願います。(チャプレン)

●次回の大学礼拝 12/14(水)13:10~(体育館)
【学生生活員会による特別企画が礼拝後に用意されています】

【ローマの信徒への手紙5:1-4】
このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。
そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。

聖公会の暦では、12月25日のクリスマス直前の4週間、すなわち今年でいうと11月27日から12月24日までを降臨節と呼んでいます。イエス・キリストの誕生を祝う日を迎えるために、この期間、皆で心の準備をしましょうということです。世間ではクリスマスの飾り付けが盛んですが、救い主であるイエス・キリストを迎え入れるに相応しいかどうかを自分自身に問うことが本来の目的で、悪い考えから遠ざかる努力をするとか、信仰を深めたりすることが大切になります。国によっては、この間、断食をしたり、肉だけを絶ったりすることもあるようで、欲望を絶つという点では意味のある行為かもしれませんし、少し断食をしただけでも集中力が増して、心と体のバランスが整うといいます。

さて、皆さんは来週から実習が始まります。期間中、普段の生活のリズムが大きく変わるので、ギリギリまで寝ていて、授業は受身状態、というような日常から離れて、今から早起きをし、朝一番から意欲的に行動できるようにしておくとよいでしょう。

園長をした経験から言うと、実習の成果は現場経験の活かし方、特に、失敗の経験にどう対処したかに左右されます。もちろん、失敗などしたくはないでしょうが、もし失敗したとしても、それは決して悪いことではありません。それを次に活かせればよいのです。指導する側もそう考えています。だから、実習日誌には、失敗したことを正直に書いて、それを自分自身で評価し、次にどう対処するかなどをキチンと記録するとよいでしょう。私も大学時代に教育実習を受けましたが、「話をする際に、語尾が聞き取りにくい」と指導されたことを今でも覚えています。

二週間の実習期間、失敗を恐れずに、普段やりたいと思っていることがあれば積極的にトライしてみてください。頑張ってください。(チャプレン)

●次回の大学礼拝 12/7(水)13:10~
【名古屋柳城短期大学附属 柳城幼稚園の園児さんらによるキャロリングが披露されます】

ランタナ

 

昨年に引き続き、今年も鶴舞公園で行われた昭和区民祭に有志10名が参加しました。今回は聖歌隊と、学内の音楽サークルの2つが一緒になってチームを作り、「By Love Serve」というグループ名での参加です。これは、本学の建学の精神である聖書の言葉に由来しています。

曲目は、「聖歌482番 いつくしみ深き」「糸」「上を向いて歩こう」「ドレミの歌」の4曲です。当日は8:30に集合し、発声練習と打ち合わせ、リハーサルと続き、本番へと進んでいきました。

私たちは、普段は短大で、保育や介護を勉強しているため、子どもさんからご年配の方まで幅広い方々に聴いて頂けたことを大変喜んでいます。そして、お客様はもちろん、このステージのために企画や準備をして下さったスタッフの皆様に心より御礼申し上げます。(柴田)

 

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