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6月10日の礼拝では、本学の元就職課長で野生動物の写真家として活躍されている宮嶋英一(みやじまひでかず)氏をお迎えしての講演会をもちました。講演のテーマは、「命のつながり―サバンナの環境と野生動物の親子愛―」

長らく本学の就職課長として学生たちと一番近い位置から就職支援を行ってこられた宮嶋氏は、定年後も顧問として本学に深く関わってこられましたが、今は、一般社団法人サバンナクラブの幹事として環境問題への取り組みや野生動物の保護活動を行っておられます。特に、アフリカのサバンナに生きる野生動物の素晴らしい写真が知られていますが、今日の講演では、宮嶋氏はその魅力あふれる動物写真をスライドを使ってふんだんに披露してくださいました。そして、お話の中で、宮嶋氏がこれまでサバンナに関わってこられた活動のより一層深いところを語ってくださいました。サバンナの急激な環境変化と動物種の激減という問題です。

太古から、親から子へと受け継がれてきた命のつながりの中で、今の私たちは生きています。野生動物の母子や仲間のあいだには、深く細やかな愛情が見られます。しかし、その母性愛は、本能ではなく、自らが愛され育まれた経験を通じて学ぶものなのです。野生の動物たちは深く細やかな愛を学び、自分たちの子どもを愛情深く育てていくのです。そして、そうした一つ一つの懸命な命の営みを通じて、この地球の命の営みは世代から世代へと受け継がれていくのです。子どもを守るコビトマングースのお母さんや子どもに狩りのしかたを教える母チーター、深い愛情で子どもに寄り添う母ゾウと、その親子ゾウを守るゾウの仲間のあいだの濃密な愛情…… 動物の写真が映されるたびに「かわいい!」という声が上がっていた会場が、次第に打たれたように静かになっていきました。

太古から受け継がれてきた壮大な生命史の一コマ一コマは、このような親から子への命のつながりです。その結果として、現在の多様な生命の営みがあるのです。しかし、今のこの生命多様性は、大きな危機にさらされています。この「生命史上の大事件」は、「第六次大量絶滅」と呼ばれているそうです。その大きな原因になっているのが、自然環境の急激な変化であり、それを引き起こしているのが人間です。象牙を求めての密猟が絶えないために虐殺されるゾウは年間20,000頭を超え、森林の伐採などによる自然環境の破壊は深刻化しつつあります。

地球の生命史を貫く壮大な命のつながりが危機にさらされているなかで、その一コマ一コマのなかにある深い親子の愛情を、宮嶋氏は見せてくださいました。それを破壊しつつあるのが私たち人間であることも。そして、子どもに関わる仕事としての保育者を目指す学生たちに、最後に、宮嶋氏は、大切な問いかけを残してくださいました。今、私たちにできることは何か? 祈りとともに、深く考えさせられる時間となりました。(村田)

神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。神はそれらのものを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」(創世記1:21-22)

 

 

 

 

 

 

 

毎週水曜日の大学礼拝は、学生の皆さんの奉仕がないと成り立ちません。

今日の礼拝では、保育科の1年生4人が、入学して初めてのサーバー役にチャレンジしてくれました。
サーバーとは礼拝司式者(チャプレン)の補佐をする人のことで、聖歌の朗読、ろうそくの点火、聖歌番号の読み上げなどを担当します。

白い衣装(サープリスと言います)を身につけたこの美しい姿。いい感じですね。
貴重な体験ができるところにも、本学の特徴が出ています。
多くの学生さんに着て欲しいです。(加藤)

 

 

定例の大学礼拝の直後に「ボランティア報告会」を行いました。
正式には「2014年度 東日本大震災復興支援ボランティア活動 報告会」です。震災直後からボランティアの場を与えられて4年目の報告会です。
詳しい内容はここを是非ご覧ください。

昨年、保育科1年生として参加した5人の有志によって報告がされました。スライド72枚の大作を簡潔に分かり易く。短い発表時間でしたが、被災された方々に対する熱い思いを礼拝参加者全員で共有できたような気がしました。ボランティアに参加できた学生さんらの貴重な体験は本学の大切な宝物です。

復興が未完のまま年月が過ぎようとしています。被災された方々や復興に関わるすべて皆さんのご苦労は察するに余りあるものだと思います。神のお恵みが豊かに注がれますよう、お祈りをしたいです。(加藤)

悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。
(マタイによる福音書 5:4)

 

2015年度のセンター活動が始まりました。

毎週の大学礼拝は学生さんの応援がないと成り立ちませんが、本学では各クラス毎に宗教委員を選出して様々なお手伝いをお願いしています。また、サーバー(礼拝司式者の補佐役)とオルガン奏楽者をボランティアで募っています。これらの皆さんが快く引き受けてくださるお陰で、本学の伝統は見事に守られています。

今日の昼休み、その学生さんらに集合してもらい、カレーパーティーを兼ねて連絡会を開きました。 ちょっとご飯が固めでしたが、じっくり煮込まれた美味なカレールウに助けられ、チャプレンや教職員と一緒に楽しい時間を持つことができました。柳城っていいなあ、と感じられるひと時だったと思います。(加藤)

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。」
【マタイによる福音書11:28】

必要なときにいつも開かれているチャペル――

今年度の年間聖句は、そうした思いを込めて、新約聖書の「マタイによる福音書」(11:28)から、この聖句を選びました。

名古屋柳城短期大学では、学期中の毎週水曜日13時から14時40分まで、比較的長い礼拝の時間をもっています。学生のみなさんが誰でも礼拝に出席できるよう、その時間はどの学年も授業が入っていません。そのため礼拝時間はゆっくりと昼食をとったり、友人たちと過ごしたりする貴重な時間にもなっているようです。また、この時間を使って制作などの課題やピアノの練習に取り組んだり、レポートを書いたり、授業の予習や復習に励んでいる人もたくさんいるようですね。
そういう時間は、短大での忙しい日々のなかで、とても大切なものです。キリスト教センターとチャペルは、礼拝出席を義務づけたり強制したりはしていません。

それでも、チャペルでは毎週の礼拝をもちながら、みなさんが来られるのを待っています。そして、来ることのできないすべての人たちを覚えて祈っています。短大生活の中では、ときに乗り越えられないように思える壁にぶつかったり、すぐには解決できそうもないような困難に直面したりすることもあるでしょう。自分でやれることは精いっぱいやったけれども、それでも解決できないような問題が生じることもあるかもしれません。
たとえばそのようなとき、悩みや苦しい思いを神様の前で分かちあい、共に祈って、固くなった心と体を休ませるような場としても、チャペルは開かれています。

静かに自分自身と向き合い、大いなる存在と向き合う時間の中で、気持ちがほぐれて、落ち着きをとりもどしてふたたび日々の生活に戻っていくことができる。そんな時間が、チャペルでの礼拝です。

あなたが本当に必要としているときに、いつも、チャペルは開かれています。 (村田)

 

入学式 2015

カテゴリー:入学式

2015年度の入学式は、4月2日、「菜種梅雨」(春の長雨)の合間を縫うような晴れ間に行われました。今回は、柳城の入学式の特徴をいくつかご紹介します。

 

 

 

 

 

 

 

 

式は礼拝形式で行われますが、壇上には学生サーバーが司式者の補佐役としてお手伝いに当ります。

 

 

 

 

 

 

入学生全員の名前が、クラス担当教員によって読み上げられます。本学の大切な入学認証手続きです。

学生席は、在学生と新入生とが交互になるように配列されます。もちろん、これは新入生を温かく迎え入れる気持ちを込めた配慮ですが、もうひとつ、礼拝の最中に「平和の挨拶」を交わす場面があり、その際に隣同士で「主の平和」と唱えながら握手をかわして、同じ気持ちが表現されるようになっています。

 

今年度の最初の礼拝では、新海英行学長より、保育と介護福祉を学ぶ学生たちに向けて、建学の精神「愛をもって仕えよ」にもとづく実践と理念のあり方が、糸賀一雄の言葉を引きながら丁寧に語られました。
【2015年度 第1回大学礼拝 4月8日(一年生) 3月26日(二年生)】


この子らを世の光に ― 糸賀一雄(1914~1968)に学ぶ ―

1 障がいを持つ子どもたちのために尽くした生涯とその働き

戦後における「障がい児・者の福祉と教育」のパイオニア、糸賀の足跡に学んでみよう。

彼は、1946年11月、「近江学園」(知的障害児の教育・医療施設、孤児の養護施設)を創設し、その後、いくつかの施設を設立した。代表的なものは、「びわこ学園」(重度障がい児施設)(1963年)、「第二びわこ学園」(1966年)である。(これらの施設を建設した経緯と実践を貫く教育観は、著書A『この子らを世の光に―近江学園二十年の願い―』1965年、B『福祉の思想』1967年、C『愛と共感の教育』1972年に詳しい。)

2 人として生き、人らしく発達することはすべての子どもの権利

糸賀はこう述べている。「この世の役に立ちそうもない重度や重症の子どもたちも、ひとりひとりがかけがいのない生命をもっている存在であって、この子の生命はほんとうに大切なものだということであった・・・「この子」という生きた生命、個性のあるこの子の生きる姿のなかに共感や共鳴を感ずる」(B)子どもたちのいのちの尊さこそ彼の教育観の基本中の基本であった。

糸賀は、生命への畏敬を基本におき、生存権(憲法25条)と教育権(26条)を結びつけ、生きる権利と発達する権利を統一的にとらえ、療育・治療教育・養護・保育に取り組んだ(A)(B)。その際、生存権と教育権を保障し、実現するのは国家・社会の義務(=義務教育)(B)とし、それゆえ、国家による就学の猶予・免除(貧困や疾病のゆえに)を拒否した(B)。さらに「働く母親をまもり、子ども自身をまもる」ために、「保育所の適正配置とか集団保育の新しい教育的意味を強調した(B)。

3 「この子らに世の光を」ではなく、「この子らを世の光に」

子どもたちが自らの人生と社会の主役に成長することをことのほか重視した糸賀は、聖書(マタイ5章13節~16節)に学んでこう述べている。「「この子らに世の光を」あててやろうという憐み」ではなく「この子らが自ら輝く素材そのものであるから、いよいよみがきをかけて輝かそう」「「この子らを世の光に」である」「この子らが生まれながらにもっている人格発達の権利を徹底的に保障せねばならぬ」(B)「本来一人ひとりが光り輝く存在であり、障害をかかえた人たちも分けへだてなく共に生きることのできる社会こそが“豊かな社会”である」(A)「自己と他者の共同(まじわり)が人格の本質であること、又かかる共同を成立せしむるものが“愛”に外ならない」(C)

要するに、「この子らを世の光に」する教育を実現するのは、「共に生きることのできる社会」「自己と他者の共同」であり、こうした社会や共同を実現するものが愛である。これこそキリスト者糸賀の生涯にわたる実践を動かした究極の考えであった。

 

 

 

卒業式 2014

カテゴリー:卒業式

正式には「卒業証書・修了証書 授与式」と呼びます。保育科の学生さんには卒業証書が、専攻科の学生さんには修了証書がそれぞれ渡されます。

3月17日に行われた本学の卒業式の特徴をいくつかまとめてみました。

 


式は、キリスト教の礼拝形式に従って行われます。壇上には、式を司る司式者団が並びます。
【左より、理事長(主教)、学長、チャプレン(司祭)】

 

 

 

 

 

 

 

クラス毎に、卒業/修了の認証を行います。学生全員の名前が、クラス担当教員から丁寧に読み上げられます。

 

 

 

 

 

 

 

送辞/答辞は演台で堂々と行われます。参列者全員からシッカリ見えるようにとの配慮です。

 

 

 

 

 

 

 

卒業記念品が、在学生代表者から卒業生代表者へと手渡されます。

 

 

 

 

 

 

 

教職員から卒業生へ聖歌のプレゼントがされます。

 

 

 

 

 

 

 

本学では伝統的にアカデミック・ドレス(ガウン&キャップ)が式の最中は用いられます。式が終了すれば、このように、ごく普通の風景に変わります。

 


卒業式の直後に、体育館で卒業パーティーが行われます。ケータリング業者が入りますので、お腹はもちろん大満足。2年間(介護福祉専攻科は3年、保育専攻科は4年)、苦楽を共にしてきた教職員も加わり、柳城らしい手作り感のある至福のひと時でした。(加藤)

 

 

 

クリスマス礼拝に合わせて、学内で献金を募りました。
総額218,980円が集まり、主にお捧げした後、下記の各団体へ送金をさせていただきました。
主に感謝。

<献金をお送りした団体>

被災者支援センターしんち
アジア保健研修財団
笹島キリスト教連絡会
岐阜アソシア
キリスト教保育連盟
日本聖公会保育連盟
エリザベス・サンダース・ホーム
聖ステパノ学園
聖ヨハネ学園
博愛社
滝乃川学園
ひだまりの里
中部教区センター
国際子ども学校

●各団体よりお返事やお礼をいただきましたので、一部抜粋してご紹介します。

・皆さまからのご寄付をこれからの福祉に役立てるよう職員一同励んでいく所存でおります。【滝乃川学園】

・いただきましたご厚志は施設・設備の充実やご利用者へのより多彩なサービスの実現のために、有効に用いさせていただきます。【聖ヨハネ学園】

・毎年皆様の温かいお志に心より感謝申し上げます。【ひだまりの里】

【岐阜アソシア】                 【聖ステパノ学園 】

 

12月17日(水)16時30分より体育館で行われたクリスマス礼拝の様子をお伝えします。(加藤)

・式の開始前にクリスマス献金をお捧げします。

・前奏の後、点火の祈りが捧げられ、聖歌と共に司式者団が入場して通路のロウソクに火が灯されます。

・聖歌隊の調べにのせてキリスト降誕劇が始まります。

・マリア(左)が天使ガブリエルから受胎告知を受けました。

・ヨセフとマリアがベツレヘムに向けて旅立ちます。

・イエスの誕生が、天使によって羊飼いらに告げられました。

・2匹の羊の正体は「我が子」でした(特別出演)!

・羊飼いらがイエスを拝みに来ました。

・続いて、3人の博士らが捧げ物を持ってイエスのもとに登場です。

・出演者全員で「きよしこのよる」を歌い、めでたくフィナーレです。

・降誕劇に続き、聖歌が朗読され、チャプレンがクリスマスメッセージを行います。
【ヨハネによる福音書 1:1-5、14】
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

・名古屋柳城短期大学ハンドベルクワイアによる「きよしこのよる」の演奏です。

・介護福祉専攻科の学生さんが手話を使いながら「Smile ~君は一人じゃない~ 」を歌いました。

・奉献の祈りの後、全員のローソクに火が灯され、祈りが捧げられます。
【アッシジの聖フランシスの祈り】
主よ、
あなたの平和を人々にもたらす道具として、
わたしをお使いください。
憎(にく)しみのあるところに愛を、
不当な扱いのあるところにはゆるしを、
分裂のあるところには一致を、
疑惑のあるところには信仰を、
誤っているところには真理を、
絶望のあるところには希望を、

暗闇(くらやみ)には光を、
悲しみのあるところには喜びを、
もっていくことができますように。
慰(なぐさ)められることを求めるよりは慰めることを、
理解されることよりは理解することを、
愛されることよりは愛することを、
求める心をお与えください。
私たちは自分に死ぬことによって自分を見いだし、
自分自身に死ぬことによって
永遠のいのちをいただくのですから。

・司式者団らが退場して礼拝は終了です。

・最後に、クリスマスプレゼントが全員に渡されました(プレゼントの内容はこちら)。

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