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来週は説教者にゲストをお迎えします。
今回の聖書箇所は「バベルの塔」で有名ですね。「価値観が多様である社会や組織は安定し発展する」との教えによく引用される箇所でもあります。ゲストの後藤司祭さんは、この方面に高い関心をお持ちの方なので、きっと楽しくてためになるお話が伺えることと思います。ご期待ください!

●説教のテーマ:バラバラの祝福
●説教者:後藤 香織 司祭(名古屋聖マルコ教会牧師、柳城幼稚園チャプレン)
●聖書箇所:創世記11章1~9節
11:1 世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。
11:2 東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。
11:3 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。
11:4 彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。
11:5 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、
11:6 言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。
11:7 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」
11:8 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。
11:9 こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。

●日付:9月20日(水) 13:10~ 対象:保育科1年生・保育科2年生・専攻科学生・教職員
●礼拝形態:合同礼拝
●場所:チャペル

○次回予告
9/27(水) 合同礼拝(体育館) 13:10~ ★礼拝後、奉仕活動(学生生活委員会企画)
10/4(水) 合同礼拝(体育館) 13:10~ ★礼拝後、新生病院リトリート報告会

【テサロニケの信徒への手紙一 5:16-18】
5:16 いつも喜んでいなさい。
5:17 絶えず祈りなさい。
5:18 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです

今読みました聖書は、みんなに親しまれている聖書の言葉が載っているところで、教会の日曜学校の生徒や、付属の幼稚園、保育園の子どもたちもこの聖句が大好きです。

テサロニケの信徒への手紙1は新約聖書の中で最初に、パウロによって紀元50年ごろに書かれました。イエスは十字架の死を遂げ、三日目におよみがえりになり、40日間にわたって弟子たちに現れ、再びこの地上に来られること(再臨)を約束された後、天に昇られました。パウロをはじめイエスを信じる人々は、再び来ると約束なさったイエス・キリストを熱い思いで待ち望んでいました。パウロはテサロニケの信徒たちに、イエス・キリストがいつおいでになってもいいように準備するため、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」という言葉を書き送りました。 この言葉は復活されたイエスをキリスト(救い主)と信じる信仰に立ち、神の愛と希望に裏打ちされたもので、喜びと祈りと感謝が一つになって、今を生きる人々に力を与えています。

さて第1の「いつも喜んでいなさい。」の聖句で思い出すのは、わたしが園長をしていた幼稚園でのことです。園児のOちゃんがN先生に「先生、わたしのお母さんは毎日お仕事でお出かけなの。先生は毎日遊んでばかりで、お仕事しないの?」と語りかけていました。それに対してN先生はちょっぴり複雑な表情でした。わたしはN先生に言いました。「毎日遊んでばかりで、お仕事しないの?」って言われたことは、素晴らしいことだよ。もし反対に「毎日、お仕事ばかりしていて遊ばないの?」って言われたなら、それは保育者として失格かもしれないよ」と。子どもと一緒になって遊ぶ保育者の姿の中に、いつも喜んで保育者として過ごしている日々を垣間見る思いがしました。

第2は「絶えず祈りなさい。」です。祈りは神様との対話です。わたしの心の思いを神様に語り掛け、時には訴え、ぶつけます。そして神様からの返事を待ちます。神様からの返事は、わたしの思いどおりであるとは限りません。むしろ思いとは別の、あるいは反対のものであるかもしれません。しかしその返事をじっくりと時間をかけて思いめぐらすとき、必ずそこに何かが見えてきます。

祈りに課題があると、その祈りはさらに大きく広がっていきます。例えばあなたが思いを寄せている人と仲良くなりたいと願って祈るとき、その祈りはその人のことだけではなく、自ずからその人の両親、兄弟姉妹、友人のことへと広がっていきます。他の人のために祈るとき心が豊かになり、祈ることが喜びとなり、また他の人にも喜びを与えます。そしてこのわたしが祈られていることを知ったとき、喜びは倍増します。

さて第3は「どんなことにも感謝しなさい。」という聖句です。感謝・ありがとうはわたしたちの生活の土台になるものです。しかし、それをなかなか素直に言葉と態度に表わすことができません。Thank youはThink youからきていると聞いたことがあります。「あなたのことを考えること、思うこと」すなわち「神様のことを考えること、思うこと」が感謝の土台にあるのです。天地万物をお造りになった神様に思いを寄せ、感謝すること、ことに神様はわたしたち人間一人一人にかけがえのない尊い命を与えてくださっていることを覚えましょう。次に衣食住が与えられていること(ただし、富める人間の貪欲な罪のため、世界中の多くの国の人々の必要を満たすことができません。日本でも現在、衣食住にこと欠いている人々がいることを忘れてはなりません。)、わたしたちは多くの人々との緊密な交わりの中にあって生かされていることも心に留めたいものです。現代ほど、物の豊かな時代はこれまでになかったと言われています。確かに欲しいものは、少し余分にお金さえ出せば手に入る時代です。簡単に思いが叶うなら、心も満たされているかと言えば、そうでもありません。物の豊かさと心の豊かさは比例しないようです。ひょっとしたら、物の豊かさが心の豊かさを奪い取っているのではないかとさえ感じます。本当の感謝は有り難い(ありがたい)ところに見られるのかもしれません。それはわたしたちの目には見えにくくされ、隠され、見過ごしにされている人々や、弱く、小さくされた人々の中に見られるのではないかと思います。

わたしたちがやりたくない、したくない仕事を担っている人々、その人々のご苦労によってわたしたちがどれは多くの恩恵を受けているか、そのことに気づき、どれほど感謝しているでしょうか、そんな自分自身の態度をふり返ってみたいものです。

「どんなことにも感謝しなさい」、そんなこと無理、無理と思っているわたしたち。でも感謝できないと思える事柄に、素直に感謝の思いを抱いて「ありがとう」と言ってみると、自分が今ここに生かされている意味、そして意外と自分にも優しい心が与えられていることに気づかされるに違いありません。(チャプレン大西 修 主教)

ポーチュラカ

ビッグスマイルの花が終わって1か月が経ちました。

種がしっかりできるようにと願いながら追肥や水やりに気を使ってきましたが、その甲斐あってか、何とか採種できましたよ (^^♪

写真に撮った種がその全部です。たくさん花がついた割には少ない気がしますが、それでも嬉しいです  )^o^(  種蒔きから始めて、結構な時間をかけてここまでたどり着いたのですから。私たちの汗の結晶です(笑)

これで、あとは、ボランティア活動の際にお世話になったふじ幼稚園さんに、この4か月間の活動記録を報告して、このコーナーは終了となります。

次回の最終回をお楽しみに (^O^) (加藤)

「また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」(マルコ4:8)

【コロサイの信徒への手紙3:12-17】
3:12 あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
3:13 互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。
3:14 これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。
3:15 また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。
3:16 キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。
3:17 そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。

今年も8月を迎えました。8月は平和を願う熱い祈りと思いと行動の月として過ごしていきたいものです。

第2次世界大戦後72年が経過しました。1945(昭和20)年8月6日には広島、9日には長崎に原爆が投下され、そして8月15日には敗戦の日を迎えました。今ではこの戦争を知らない人々が大半を占めるようになりました。このような現実の中で、戦争は世界をどのように変えてしまうものか、戦跡を訪ね、戦争がもたらす悲惨な現実の一端を見、数少ない体験者の方からお話をお聞きし、戦争を追体験することは大変意義あることだと思います。そして、平和がいかに大切であるか、真の平和とは何かを考える時が持てたらいいなと思います。

機会があれば、沖縄、広島、長崎などを是非訪ねて行ってほしいと思います。

長野市の松代というところを知っていますか。真田幸村の兄信之が最初藩主となった松代藩の城下町です。有名な佐久間象山、松井須磨子(新劇女優、カチューシャの唄 1919没38歳)、草川 信(ゆりかごの歌、夕焼け小焼け、緑のそよ風、どこかで春が、などの作曲者)の出身地でもあります。

この松代の町にワゴン車が楽に通れるような地下壕が三ケ所、硬い岩盤を縫って碁盤の目状に総延長13キロにわたって掘られています。1944(昭和19)年11月11日、午前11時に開始されたこの工事は9ケ月間、延べ300万人とも言われる人々(その中には朝鮮半島から強制連行されてきた約7,000人の人々も含まれます)によって進められ、たくさんの犠牲者を出しました。 敗色の濃くなった日本軍はこの地下壕に、大本営と天皇の御座所を東京の皇居から移す計画を立てていましたが、8月15日の敗戦を迎え、工事は計画半ばで終結し、皇居を移すことはありませんでした。松代の地下壕は「松代大本営の保存をすすめる会」によって保存運動が推進され、現在、見学することもできます。長野へ行った折には是非立ち寄って見学してきてください。戦争がもたらす過酷な状況を垣間見ることができます。戦争は戦地で戦う人たちだけではなく、一般の人々にも銃後の戦いと言われる厳しい深刻な状況をもたらすことが手に取るようにわかります。

今日でもなお続いている中東の戦争などは、平和からはほど遠いものがあります。現実に戦争によって心身に被害を受け、苦しんでいる人々、弱い立場にいる老人、子ども、障害を持っている人々、婦人たちの窮状は大変深刻です。

パウロはローマの獄中から書いたコロサイの教会の信徒への手紙の中で、「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。」と言っています。また主イエスは「平和を実現する人々は、幸いである」(マタイ5:9)と言っておられます。

主イエスやパウロが語る「平和」とは一体どのようなものなのでしょうか。

聖書では「平和」を静かで、平穏で、落ち着いた変わらない状態、あるいは、じっと待っていればやがてやって来るものとしてとらえてはいません。「平和」は既に出来上がっているものではなく、実現するもの、作り出すもの、動的なものとしてとらえられています。

ギリシャ語で「平和」を「エイレイネー」と言います。神学校の時に勉強したギリシャ語は大半忘れてしまいましたが、不思議に今も覚えている単語の一つが「エイレイネー」(平和)です。なーんでか?と言いますと、「エイレイネー」を「えーれーねー」、(豪いねー、大変だねー)とこじつけて覚えていたからです。平和を実現することは、エイレイネー、大変だねー、しんどいことだねーと覚えたわけです。

パウロはキリストの平和を実現するために、ローマで獄中生活を送りました。獄中の日々は本当に大変だったと想像しますが、彼は喜びをもって獄中から教会へ手紙を書いています。それは彼の心をキリストの平和が支配していたからに他なりません。キリストの平和はわたしたちを新しい第一歩へと導いてくれます。

復活された主イエスは、弟子たちのいる家の中にその姿を現され、「あなたがたに平和があるように!」と言われました(ヨハネ20:19)。この平和は「キリストの平和」です。家の戸に鍵をかけ、中にいた弟子たちを外へ連れ出し、勇気をもって新たな行動へと導いていく力が「キリストの平和」です。

カトリックの塩田 泉神父が作詞作曲された聖歌、「キリストの平和がわたしたちの心の、すみずみにまで行き渡りますように」を後で歌います。この聖歌を歌うたびに、アッシジの聖フランシスの祈りの一節「主よ、あなたの平和を人々にもたらす器として、わたしをお使いください。」を思い出します。キリストの平和を人々にもたらす器として、働いてきた多くの人々(シュヴァイツアー博士、マルチン・ルーサー・キング牧師、シスター・マザーテレサなど)は、苦難や困難の多い、厳しく険しい道(人生)を、喜びのうちに選び取っていきました。キリストの平和は忍耐をもって勝ち取るもの、臆病で自信のないわたしに勇気を与え、困難だと思われる道へとわたしを押し出して行きます。神によって与えられている尊い人々の命を奪おうとする悪の力に対して、勝利を信じ、勇気をもって立ち向かっていくことこそ、平和を実現する初めの一歩です。

この夏休み、どんな小さなことでもいいです、平和を実現するための働きを考え、実行してみましょう。(チャプレン大西 修 主教)

★本日は聖歌伴奏に管楽器が初参加です!
フルート(2)・クラリネット(1)(以上、保育科1年生の皆さん)・ホルン(1)(奏楽担当の柴田先生)の四重奏。やんわりとした雰囲気がチャペルいっぱいに漂いました。礼拝参加者も新鮮な気分でお祈りできたことでしょう。このチャレンジ、大切に大切にしていきたいです(^o^)/

 

2017年度前期、最後の礼拝となります。
キリストの平和を思う時、イエスの十字架がいつも頭をよぎります。平和って何だ…。平和は微笑みから始まるとマザー・テレサは言いました。しかめ面で平和について考えることのないように、楽しい礼拝で前期を締めくくりたいですね。ご期待ください!

●説教のテーマ:キリストの平和
●説教者:大西チャプレン
●聖書箇所:コロサイの信徒への手紙3:12-15
3:12 あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
3:13 互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。
3:14 これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。
3:15 また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。

●日付:8月2日(水) 13:10~ 対象:保育科1年生・保育科2年生・専攻科学生・教職員
●礼拝形態:合同礼拝
●場所:チャペル

○次回予告
9/6(水) 合同礼拝(チャペル) 13:10~対象:保育科1年生・保育科2年生・専攻科学生・教職員

ビッグスマイルの花も終わり、種を実らせる段階へと入りました。周囲の夏の花々にバトンタッチです。

ビッグスマイルの販売元に種について問い合わせたところ「ヒマワリのビッグスマイルは普通に花粉がでますので採種が可能です。採種される場合は、他の品種の花粉が混じらないよう注意してください。」との丁重な回答でした。

最後まで大切に育ててみたいと思います(^^♪

To be continued.(加藤)

【ローマの信徒への手紙12:9-15】

12:9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、
12:10 兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。
12:11 怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。
12:12 希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。
12:13 聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。
12:14 あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。
12:15 喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。

「平和を守る」というテーマでお話をします。

今日のテーマを選んだわけは、元沖縄県知事の大田昌秀(おおたまさひで)さんがこの6月に、そして、中国の民主活動家の劉暁波(りゅうぎょうは)さんが7月にそれぞれ亡くなられたからです。どちらも非暴力運動を通して自由とか人権を守るために身をささげた方です。劉さんは服役中の刑務所の病院で亡くなっています。

人が愛をもって上下関係に関わりなく平等に付き合えば、世の中は平和になります。大切なことは、「私たちは誰でも平等であるべきだ」という気持ちを持ち続けることです。その例がアメリカにあります。

50年前にマーティン・ルーサー・キング牧師がアメリカの黒人差別に反対して公民権運動を起こしました。彼は途中で暗殺されてしまいましたが、彼の非暴力運動はその後も長く受け継がれ、ついには、黒人系のオバマ前大統領が誕生するに至ったのです。「人は誰でも平等だ、正しいことは正しい」と多くの国民が言い続けたからこそ、アメリカの社会は変わったのです。

自由にものが言える社会は日本では当たり前かもしれませんが、世界には、そういうことができない国もまだあります。でも、そんな国にも周囲の国々からの影響を受けて、いつかは平等な社会が実現するかもしれません。

こういった意識を持って本日の聖書箇所を読んでみるといいでしょう。皆さんが平等への強い関心を持ち続けてくれることに期待したいです。(田中 誠 司祭:名古屋聖マタイ教会)

【ガラテヤの信徒への手紙 6:1-4】

6:1 兄弟たち、万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、“霊”に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい。
6:2 互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。
6:3 実際には何者でもないのに、自分をひとかどの者だと思う人がいるなら、その人は自分自身を欺いています。
6:4 各自で、自分の行いを吟味してみなさい。そうすれば、自分に対してだけは誇れるとしても、他人に対しては誇ることができないでしょう。

みなさん、こんにちは

今日は「人の心と心理学」というテーマでお話をさせていただきます。

人の心は移り変わるものですが、その時々の心の状態がその人の言動から分かる場合があります。それをいくつかご紹介しましょう。

①癖で髪とか指をいじる人を見かけますが、これは自分の不安を解消したいために、自分自身の体に触れて緊張感を和らげたいという行為です。こういった癖を代償行為と言います。体に触れることで子どもを落ち着かせるのも、こういった心理を使う点では同じです。

②「楽しい」と口では言いながら貧乏ゆすりをしている人がいますが、本当は、関心がないというサインなのです。他にも、ボールペンをカチカチさせる、腕を組む、頬杖をつく、居眠りするなども同じです。

③自慢話が好きな人がいます。度々だと避けたくなりますね。こういう人には切れ易いタイプが多いです。他には、立場の弱い人には威圧的だが目上には低姿勢、人前でクレームを言う、好印象を与える行動を取るなんていうもの自慢話が好きな人に多いです。元々、強い劣等感があるために自分を誇示するわけです。それを知ると、自慢する相手を許す気にもなりませんか?

④私たちの好きな噂話。「誰にも言わないでね」とささやかれると余計に言いたくなりますよね。でも結果は悲惨で、どんどん尾ひれが付いて周囲に伝わっていきます。その点では伝言遊びと全く同じです。ちなみに、噂話で人を褒めることは稀ですね。

人間は不思議です。人のある特定の評価を何度も繰り返し聞いていると、そのうちに、それが正しいと思えてきます。でも、それが本当どうかは、自分自身の目と耳で正確な情報を得て判断するまでは分かりません。

今日、こういった話を皆さんと共有できたことを神様に感謝します。(本学教員 山脇眞弓)

●説教者:田中 誠 司祭(名古屋聖マタイ教会 元本学チャプレン)
●日付:7月26日(水) 13:10~13:50 対象:保育科1年生・保育科2年生・専攻科学生・教職員
●礼拝形態:合同礼拝
●場所:体育館
●その他:
13:55~14:05 学食アンケート結果報告(キャンパス整備委員会主催)
14:10~14:40 奉仕活動(学生生活委員会主催)
※ 礼拝が延長した場合、結果報告を割愛する場合があります。

〇予告
8/2(水) 合同礼拝(チャペル) 13:10~対象:保育科1年生・保育科2年生・専攻科学生・教職員

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