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ネキリムシの被害の後、粒状の薬剤を使って再発に努めました。

結果、定植後3週間でここまで大きくなりました(^^♪

植えた時はまだ冬の花が残っていましたが、今は、夏の花にすっかり変わっているのが分かりますか?

ウチの花壇では位置的には脇役でも、花の存在感としては主役のヒマワリです。

他の花たちと仲良くスクスク育って欲しいです  )^o^(

To be continued.(加藤)

【ヨハネによる福音書15:12-13】
15:12 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。15:13 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。

人間が生きていくとき、そこにはいつも愛の関係が生まれます。人間は夫婦、親子、兄弟姉妹、友人、知人はもとより、多くの人々との出会いの中で、愛し合い、助け合い、支え合い、励まし合いながら生きていると言っていいのではないかと思います。

特にそんな中で、一人の男性と一人の女性が愛のうちに結ばれ、結婚を通して新たな命をこの世に生み出していくといった営みは、これからもずっと続いていくことでしょう。

けれども他方では、人間が生きていくとき必ずと言っていいほど愛せない悩みや、愛されていない苦しみのために、自ら傷つき、また他者を傷つけるという悲しい現実があることも見過ごすことができません。むしろ、このために悩み、苦しんでいる人々の多いことが現実の姿といえるかもしれません。

では、わたしたちが考えている愛、信じている愛は本当の愛なのでしょうか。本当の愛とはどのようなものなのでしょうか? 聖書では「神は愛です」(ヨハネの手紙1 4:16)、また「わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです」(同4:19)、

「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました」(同3:16) 「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハネ15:12-13)と教えています。

愛された経験のない人は愛することができません。どうすることが愛することなのかがわからないからです。暴言を吐かれ、殴られ、たたかれるような生活環境の中で、成長してきた子供が、親になったとき、同じような形で自分の子供に接するケースが多いと言われます。愛情表現がそのような歪んだ形でしか表せないのです。

人間の愛は自己中心的なものであり、自己愛がその根底にあります。「隣人を自分のように愛しなさい。」(マタイ22:39)という愛の戒めの中で、「自分のように」とは、人間のうちにある強い自己愛への思い、そのような思いをもって隣人を愛していくことが、神に愛されている者の生き方であるとされています。またそれは、ただ単に自己愛への思いという面だけではなく、神に愛され、受け入れられている自分を大切にすることによって、隣人のために自分を与えていくことにも繋がっていきています。

神の愛は隣人愛、他者志向の愛、与える愛です。自分の命を投げ出してまでも、他者を愛し、さらに敵をも愛し、無価値と思われている者、弱くて小さい者をも愛し抜いていきます。神の子であるイエス・キリストが十字架の上で、自己中心的で高慢な罪深い人間の身代わりとなり、犠牲の死を遂げられたことによって、神の愛がどれほど深く人間に注がれていたかを知ることができます。そこまで、愛を注いでくださったお方がほかにおられるでしょうか。このお方に愛されていることに気づき、このお方を愛し信頼して生きていくとき、神の愛をわたしたちも実践していくことができるようになります。人を愛せないこのわたしが、神に愛されていることに気づき、愛する喜びに生かされるように、造り変えられていくからです。(チャプレン 大西 修 主教)

●本日は礼拝後に、和気あいあいとした雰囲気の中、奨励奨学生表彰式が行なわれました。柳城の学生さんは頑張っています。

本日は園芸サークル♥マーガレットのメンバーの学生を中心に、いつも賛美歌タイムでギターを伴奏してくださる加藤さんの「誕生日会」を内緒で計画していました。

ところが当日は加藤さんの振替休日と分かり、急遽計画を変更し、サプライズでハッピーバースデーを歌い、その様子を動画にし誕生日プレゼントとして加藤さんに贈ろう~ということになったのです。

「動画を撮って早く喜んでもらいたい」そんな、はやる気持ちをおさえつつ、私たち学生は加藤さん不在の中でも讃美歌集を頼りに歌い始めました。

すると、なんとその時、お休みと聞いていた加藤さんが、突然現れたではないですか!

それにはメンバー全員びっくり\(◎o◎)/!

しかし、すぐに気を取り直し「ハッピーバースデー」を歌い、お祈りをした後は、加藤さんのギター伴奏に合わせて、オルガン、タンバリン、鈴を奏でながらパーティータイムさながらの賛美歌タイムが始まりました。

「賛美歌タイムはパーティータイム?」

これからも…楽しく爽やかに。

祈りとともに、賛美歌タイムを大学生活の価値ある場として、楽しんでいきたいと思います(^o^)/ (岩付)

「忙しいから休めない」と言っている人でも、インフルエンザにかかれば必ず休みますよね。視点を変えるだけで、私たちの日常の忙しさなど、実は消え去ってしまうのかも・・・。ゆとりを生み出すには、人間関係に縛られない柔軟な発想が必要です。次回の礼拝は、そんなことを考えさせてくれる場になると思います。ぜひご参加を。心よりお待ちしています。

●説教のテーマ:忙しいわたしたち
●説教者:大西チャプレン
●聖書箇所:ルカによる福音書10:38-42
10:38 一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。
10:39 彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。
10:40 マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」
10:41 主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。10:42 しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

●日時:6月14日(水)
13:10~13:40 対象:保育科1年生・専攻科学生・教職員
14:00~14:40  対象:保育科2年生
●礼拝形態:通常礼拝
●場所:チャペル

○予告
6/21
・合同礼拝(体育館)13:10~14:40  対象:2年生・教職員 礼拝後に同窓会企画 劇団うりんこ公演「ともだちや」
・通常礼拝(チャペル)14:00~14:40  対象:1年生・専攻科学生

日曜出勤の振り替えで、今日はお休みを取りました。それで、お昼の賛美歌タイムもお休み・・・、と思いきや、Iさんが教会のギターを使って、Yさんと二人で自主的に賛美の時間を守ってくれました。後から聞いて、びっくりする暇のないほど嬉しくなりました。主に感謝です(*^▽^*)

このように気軽で、かつ楽しい、それでいて中身も濃い「祈り/賛美の時間」がもっともっと学内に増えるといいですね(*^_^*)

主におねだりします。お望みならば、かなえてください。(加藤)

今日の賛美歌タイムに大西チャプレンが初登場! 賛美歌はたいへんお好きなようです。

年寄りの男二人が子ども賛美歌を仲良く歌う姿、想像できますか?
これがキリスト教の奥義の一つなんです(笑)

学生さんが一緒の時にいらした際には、皆で大歓迎しましょう! (加藤)

【テモテへの手紙二 3:15-16】
3:15 また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。
3:16 聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。

聖書はキリスト教の正典であり、世界のベストセラーです。世界中で毎年3,400万冊以上が出版され(日本では21万冊)、2,500以上の言語に翻訳されています。まさに驚くべき数字です。わたしたちはその中の日本聖書協会発行の「新共同訳」(カトリックと共同)を用いています。新共同訳は発行されてから30年になります。

聖書はラテン語で「ビブリア」といい、英語の「バイブル」の語源です。ラテン語の「ビブリア」はギリシャ語の「ビブリオン」(紙の原料のパピルスの髄)からきており、何巻もの書物を表す言葉でしたが、それがラテン語に転化するとき単数形となって、「書物の中の書物」「すべての本の中で最も優れた本」と呼ばれるようになりました。The Bookと英語の大文字で書くと、それは「聖書」を指しています。

さて聖書はヘブル語で書かれた「旧約聖書」39巻とギリシャ語で書かれた「新約聖書」27巻、合わせて66巻から成り立っています。(それに旧約聖書続編[外典]13巻もあります。)これらは1,000年以上の長い歳月を経て、いろいろな時代に、多くの異なった人々によって書かれたにもかかわらず、全体を通してみると、そこには多様性の中にも統一性があり、一貫した流れがあります。ここに聖書の不思議な点があります。

最初に引用したみ言葉のように、聖書の著者たちが神の霊を受けて、(神の霊に動かされて)書いたもの、神が彼らの人格に働きかけ、その言葉を通してわたしたちに語りかけておられます。ですから、聖書のもともとの著者は神ご自身であるのです。(旧約聖書の預言者の書では「主はこう言われる。」という言葉がよく出てきます。わたしが言っているのでは神様がおっしゃっているのだよというわけです。

聖書が「神の言葉」であると言われ、権威あるものとされるのは、神ご自身が聖書を通してご自身を現わして(啓示して)おられるからにほかなりません。

旧約聖書は、主イエス以前の時代に神が人類に対してなさったみ業(出来事)が、イスラエル民族の歴史を通して記されています。それは神が人類を救済される壮大なドラマです。

旧約の「約」は「契約」のことで、神様と人類との古い契約、一言でいえばそれは神からモーセを通して与えられた「十戒」を守ることによって人類が救われるという契約でしたが、人類はこの契約を守れませんでした。

新約聖書にはイエス・キリストのご生涯と教えとみ業~それは神の約束に従って、この世に来られ、十字架上で死なれ、復活され、天に昇られた後、聖霊(神の見えない大きな力)を送ってくださり、救いを完成させてくださったこと~、さらに使徒たち(イエス・キリストの弟子たち)の働きを通して教会が世界に広まっていったことが記されています。

古い契約に対して、新しい契約としてイエス・キリストがその死と復活によって、愛の契約を成就し完成させてくださいました。新約聖書ではイエスこそ救い主キリストであり、救世主(メシア、メサイア)であると証言されています。

宗教改革者ルターはこう言っています。聖書は「キリストがその中に包まれている産着であり、寝かされている馬槽(うまぶね、飼い葉おけ、ベビーベッド)である。」

また聖書は神からわたしたちへのラブレターだとも言われます。心を静めて、愛する人がわたしに向かって何を語りかけているのかを、じっくり聞きとってみたいものです。 聖書が証ししているイエスというお方を、救い主キリストとして信じて受け入れるとき、聖書が人生にとって不可欠の案内書となり、心の食物となり、さらに日々の生活のうちにあって、希望と安らぎと癒しを与えてくれるものになります。

聖書に出てくる有名な言葉を皆さんも知っていることと思います。それがどこに載っているか、探してみてください。そんな時に、また心に残る新しいみ言葉に出会うかもしれません。(チャプレン 大西 修 主教)

一般的に私たちは、日常、あまり「愛」という言葉は使いませんし、ましてや、その定義なんぞに興味を持つ機会もほとんどないです。何かしら恥ずかしくて「好き」とか「恋」で代用してしまいます。でもこれでは、キング牧師の「私は彼らが好きにはなれないが、愛することはできる」という旨の言葉を正確に理解することは難しいかも。また、昔の宣教師は「愛」の原語を「ご大切」という日本語に訳したといいます。そのココロは?

これらの答えが次回の礼拝で明らかになるかも。「愛の宗教」といわれるキリスト教の本質があなたのものになるチャンスです。心よりお待ちしています。

●説教のテーマ:愛することについて
●説教者:大西チャプレン
●聖書箇所:ヨハネによる福音書15:12-13
15:12 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。15:13 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。

●日付:6月7日(水) 13:10~13:40 対象:保育科1年生・保育科2年生・専攻科学生・教職員
●礼拝形態:合同礼拝
●場所:体育館
●その他:礼拝後に奨励奨学生表彰式と奉仕活動(学生生活委員会企画)

○予告
6/14  通常礼拝(チャペル)13:10~1年生 14:00~2年生
6/21
・合同礼拝(体育館) 13:10~14:40  2年生対象 礼拝後に同窓会企画 劇団うりんこ公演 「ともだちや」
・通常礼拝(チャペル)14:00~14:40  1年生・専攻科対象

丁寧に育てたヒマワリの苗がネキリムシに食われてしまいました。
植えた本人、園芸サークル・マーガレットのYさんもガッカリ・・・。かわいそうなくらいに。

これで二株目です。

東日本大震災の被災地から受け継いでいるヒマワリの大切な命でしたが。でも、ネキリムシにだって命がある。

次の被害を避けようと、このネキリムシの命を奪いながら、考え込んでしまいました。

感情に傾き過ぎると、私たちは自己中心的になりがちです。理性、理性・・・。

いろいろと教えられます。

To be continued.(加藤)

今日の賛美歌タイムはサプライズでした!

私が1人、チャペルで歌っていると、突然、下のホールで練習中だった聖歌隊のお二人(顧問の柴田先生とメンバーのYさん)がやってきて、「『私をお使い下さい』をギターで伴奏して下さいませんか」と嬉しい注文をしてくださったのです。早速、アルペジオでポロンと弾きだすと、さすが、聖歌隊! その美しい声を邪魔してはいけないと、私は声を相当控え目にしました(笑)。

この曲、あのマザーテレサの祈りを歌にしたもので、そのメロディーの美しさと歌詞のすばらしさに、誰もが圧倒されることでしょう。「お昼の賛美歌タイム」で歌っていた時に聖歌隊のメンバーが参加してくれていて、それを聖歌隊の方へ紹介してくれたというわけなんです。良いものは、すぐに周囲へ伝わるものですね。

歌い終わった後、「この曲を柳城のテーマソングの一つにしたいくらい」との私の提案に、お2人も納得顔でした。本学の「愛をもって仕えなさい」という建学の精神を、この歌が見事に具現化してくれているからです。まったく、主に感謝です。(加藤)

(祭司長たちや、律法学者たちは)イエスに言った。「子供たちが何と言っているか、聞こえるか。」イエスは言われた。「聞こえる。あなたたちこそ、『幼子や乳飲み子の口に、あなたは賛美を歌わせた』という言葉をまだ読んだことがないのか。」(マタイによる福音書21:16)

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