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少し早いですけれど、皆さんクリスマスおめでとうございます。

皆さんと共にこうしてクリスマスをお迎えできますことをとても嬉しく思います。

クリスマスは大きな喜びの嬉しい知らせ、良い知らせ、Goodnews(福音)が伝えられる時です。子供たちだけでなく、多くの人々にとって昨今のクリスマスは、11月初旬から巷に流れるクリスマスソングに始まり、クリスマスツリー、目を見張るばかりの華やかなイルミネーション、サンタクロースの到来、クリスマスセール、プレゼント、ケーキ、ディナーショー等々がその主役を務めているようです。本来これらのものは、クリスマスが大きな喜びの嬉しい知らせ、良い知らせであることを知った人々が、その喜びを表すために始めたものだったのでしょう。

さて、クリスマスは神さまの御子であるイエスさまが肉体をとって、人間としてこの世にお生まれになったことをお祝いする時です。では、なぜイエスさまはこの世においでくださったのでしょうか? なぜ薄暗く、じめじめした、糞尿の臭気漂う家畜小屋にお生まれになったのでしょうか? まさにその出来事の中に神さまの深く、計り知れない御計画が隠されているのです。

それは神さまの愛の働きであり、人間の思いをはるかに超えた想定外のことでした。人間が神さまになりたいという願望はあっても、神さまになることはできません。そこで神さまが人間となってこの世に来てくださり、人々に寄り添い、その思いを理解して助けてくださったのです。神さまは、そのような貧乏くじを引くことをイエスさまを通してなさいました。

イエスさまは貧しい人、苦しみ悩む人、病気の人、社会の中で弱い立場にある人と共に歩まれるお方です。徹底的にご自分を低くなさること(フィリピ2:6-11)によって、神さまの愛とは何であるかを人々にお示しになりました。イエスさまがこの世においでくださったのは、罪と悪とにがんじ絡めになっている人々と共に歩んでくださることを通して、人々をその悲惨な状況から解放してくださるためだったのです。

イエスさまは自らが傷つけられ、あざけられ、鞭うたれ、十字架につけられ、殺されることによって、神さまがどんなに深く、激しく、わたしたちを愛してくださっているかをお示しになりました。自らの死をさえ惜しまずに、他の人々を生かそうとする愛こそ、神さまの愛であり、わたしたちを本当の悔い改めへと誘う愛なのです。

クリスマスの出来事は他の人々を傷つけ、その痛みに気づくことに鈍感なわたしたちに、神さまが家畜小屋のイエスさまを通して、砕かれた心を持ち、悔い改めによる真実の愛に生きるよう呼び掛けておられます。自分には寛大でありながら、他の人に対しては、なかなか寛大な思いを持てないばかりでなく、多くの欠け(欠点)を持つわたしたちが、神さまの絶大な愛と赦しを信じることによって、はじめて、他の人を受け入れ、赦していくことが出来るように変えられていきます。

その意味で、クリスマスの出来事を、イエスさまがこの世に来られた家畜小屋でのお姿の中に見ることができます。ひょっとしたら見落としてしまいそうな、あるいは無視してしまいそうな人々のところに、そしてわたしたち一人ひとりの醜い、人に見せたくないそんなところに、イエスさまはそっと来られ、優しく寄り添って励まし支えてくださるのです。

ですから、クリスマスは、かけがえのない感謝と喜びにあふれた出来事としてわたしたちに迫ってくるのです。

今年のクリスマスが真実なクリスマスとして、あらゆる国々、人種、立場、性別、年齢の差などを越えてお祝いできますように、ご一緒に祈り求めていきましょう。(チャプレン 大西 修)

福音書に語られているイエスは、見た目よりも心を大切にされる方です。その徹底ぶりが当時の宗教指導者らには非常に目障りだったために、イエスは彼らから大変な嫉妬を買って、最終的には十字架刑を受ける羽目になったというのがイエスの生涯の重要な一面です。ですから、福音書は、現代はもとより未来永劫に至るまで人類に大きな警鐘を鳴らし続けるのです。

以上のような背景を知って今回の聖書箇所を眺めると、極めて美しいストーリーに仕上がっていることが分かります。

イエスの心を深く知る機会です。
礼拝、お待ちしています(^o^)/

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●テーマ:「真心からの行い」
●聖書箇所:マルコによる福音書12:41-44
12:41 イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。

12:42 ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。
12:43 イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。
12:44 皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」

●司式:大西チャプレン
●日時:1月9日(水) 14:50~
●礼拝形態:合同礼拝
●場所:体育館
1,2月誕生日の祈りを行います。
礼拝後に特別活動奨励奨学生表彰式、学生会新役員紹介があります。

●次回以降の予定
・3/15(金)卒業/修了礼拝、終業礼拝(体育館) 説教:大西チャプレン
3月誕生日の祈り
・3/16(土)卒業証書・修了証書 授与式(体育館)
・3/22(金)2019年度 始業礼拝(新2年生)

今回心に響いた御言葉は…
「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。」(マルコによる福音書13:32〜33)

前回に引き続き、イエスは弟子たちに終末の徴(しるし)についてお話になられました。

イエスは終末の時に備えるよう強く警告なさり、その上で、御心に従う覚悟ある者を旅に出た主人を待つ僕や門番になぞらえて「主人はいつ戻って来るのか分からないのだから、主人がいつ戻ってきてもよいように心を主人に向け、準備を怠らず日々過ごしていなさい」と諭されました。

ところでイエスが再臨する「その日、その時」とはどのような時なのでしょうか。

これを考えるヒントを、今回、私はマザー・テレサの姿から与えられました。

マザー・テレサは死を待つような弱く小さな人々の中に、常にイエスの姿を重ねて接していました。それはイエスの再臨を待つだけの受身の姿勢ではありません。弱い立場の人々をイエスだと思って、イエスのために愛の奉仕を積極的に行なうということなのでしょう。

「ひょっとすると、イエスはすでに現れているのかもしれないし、もしかしたら、昨日出会ったあの人だったのかもしれない」と思うことは、信仰を深める意味で重要ではないでしょうか。

私は真の目覚めのない信仰は自分勝手であり、虚しいものに終わってしまうのではないかと感じました。

常にイエスを感じて目を覚ましていることは、油断してすぐに怠けがちになる私たち人間には厳しい教えかもしれません。

しかし一方で、真の目覚めとは内と外よりイエスをいつも感じるアンテナであり、イエスとともに歩み続ける「喜び」の根であると感じました。

私は今回、マザー・テレサの視点から、常にイエスを感じ弱い立場の人々には愛を、自身には揺るぎない信仰の深さを求めて生きる姿勢を学びました。

イエスは今も「目を覚ましていなさい。私はいつもあなたがたと共にいる。」
そのように私たちに語られています。

次回もイエスのお姿を通して御心を学んでいきます。


出来上がった干し柿

【マタイによる福音書1:18-25】
1:18 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。

1:19 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。
1:20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
1:21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
1:22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
1:23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
1:24 ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、
1:25 男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。

イエス・キリストの誕生の出来事はマタイとルカによる福音書に記されています。

マタイによる福音書ではヨセフに、ルカによる福音書ではマリアに焦点が当てられています。マタイはイエス・キリストの生まれ育ったユダヤの人でしたので、ユダヤの人々にイエス・キリストを分かりやすく伝えました。一方、ルカはギリシャ・ローマの世界の人でしたので、その国の人々にマリアという女性を通して、イエス・キリストの誕生を伝えました。

その当時のユダヤでは、植民地の重圧から人々を開放し、国家独立を樹立してくれる王・メシアの到来を、今や遅しと待望する空気が充満していました。イエス・キリストの誕生はこのような時代背景のもとでの出来事でした。

当時のユダヤは男性が圧倒的に優位な社会でした。メシアは千年前の偉大なダビデ王の家系から出現すると信じられていました。ヨセフはダビデ王の末裔にあたる人でした。

天使は夢でヨセフに現れ、マリアの妊娠を告げます。いわゆる受胎告知がヨセフになされます。ルカによる福音書では天使ガブリエルによってマリアに受胎告知がなされます。わたしたちがよく目にする受胎告知の聖画は、天使ガブリエルがマリアのもとに現れる情景です。

ヨセフとマリアは婚約していました。その当時の婚約は現代の結婚に等しい意味を持ち、一緒に住むことによって結婚が成立しました。夢で天使はヨセフに聖霊(神の力)によってマリアが妊娠したことを告げます。一緒になる前にマリアの妊娠が明らかになったのです。一緒になる前に妊娠することが何ら不思議でない今の時代とは、全く状況が違います。ヨセフにとっては全く身に覚えのない出来事が起こったのです。彼は「正しい人」であったので深刻に悩みます。聖書が示す「正しい人」とは神の律法を忠実に従う人のことです。その当時のユダヤの律法では、結婚している女が夫以外の男との子を身ごもったなら、石で打ち殺されねばならないことになっていました。「正しい人」とは苦しみ悩みを持つ人に対して、憐れみや親切な心を持つ人のことでもあります。ヨセフにとってはマリアに密かに離縁状を渡すだけで、婚約を破棄しようとしたことが神の律法を守ることであり、さらに彼女への憐れみと親切な心を表わすものでした。神の全能の力を信じながらも彼は悩みます。しかし、天使は恐れずにマリアを迎え入れるようにと勧告します。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったこと、やがて男の子を産むがその子を「イエス」と名付けなさいとも告げます。

イエスという名は「神は救い」の意味で、人々を罪から救う存在であることを示す名です。預言者イザヤによって「インマヌエル」と呼ばれた名は、「神は我々と共におられる」という意味で、イエスは「神は我々と共におられる」というインマヌエルとしてこの世に来られ、わたしたちの間に生きておられると告げられたのです。

ヨセフは天使の言葉に聴き従い、聖霊によって生まれた幼子イエスの父としての重要な役目を担いました。ダビデ家の家系にメシアとしてイエスがお生まれになったことを証ししたのです。

神を信じて生きることは、どのような試練や苦難があっても、それを通して神は必ず大きな喜びを与えてくださることを教えています。

数々の苦難を背負いながら、神を信じ、神の言葉に徹底的に従い、イエス・キリストの誕生に関わったヨセフの生き方は、クリスマスを迎えようとするわたしたちに多くのことを黙想させ、学ばせてくれるのではないでしょうか。(チャプレン 主教 大西 修)


クリスマスツリー点灯式

この日のために、多くの学生さんや教職員が献身的に準備を積み重ねています。そういう「見えない働き」を心で感じ取ることも、この礼拝の意義の一つではないでしょうか。そんな人間味あふれる想像力が保育や介護の現場で役に立つことでしょう。

キリスト教の精神に基づく」本学は、心の問題を最優先にする教育機関です。
そのような心構えで、ぜひご参加ください!

お待ちしています(^o^)/

しかし、主はサムエルに言われた。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」(サムエル記上16:7)

(過去の礼拝の様子はこちらで)

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●司式:大西チャプレン
●日時:12月19日(水) 15:10~
●場所:体育館

●次回以降の予定
・1/9(水)合同礼拝(体育館)14:50~ 説教:大西チャプレン
1,2月誕生日の祈り 特別活動奨励奨学生表彰式
・3/15(金)卒業/修了礼拝、終業礼拝(体育館) 説教:大西チャプレン
3月誕生日の祈り
・3/16(土)卒業証書・修了証書 授与式(体育館)

今回心に響いた御言葉は…
そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『見よ、あそこだ』と言う者がいても、信じてはならない。 偽メシアや偽預言者が現れて、しるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちを惑わそうとするからである。だから、あなたがたは気をつけていなさい。一切の事を前もって言っておく。」(マルコによる福音書13:21〜23)

前回イエスは、弟子たちへ向け終末の徴(しるし)について話されました。そこでは人間同士の争いや天変地異が起こり、そして、それらの結果、数多くの人間が災難に遭い死に至るということでした。

そこでイエスは弟子たちに、これから彼らの身に起こることを預言されました。しかし、たとえ患難があろうと、信仰をもって「最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」(13:13)との御言葉も授けられました。

また、イエスは旧約聖書のマカバイ記にある「憎むべき破壊者」という言葉をお使いになり、苦難を引き起こす破壊者の存在についてお話になりました。

今回私は、イエスのお姿を簡潔に書き記そうとするマルコには珍しく、リアルな終末の惨劇が描写されていることに注目しました。これはイエスの終末の御言葉にある「憎むべき破壊者」の存在を知らしめて、それに打ち克つ信仰の厚さを常に心に留めておきなさいという強いメッセージであると思いました。

しかし、たとえ厚い信仰心をもっていたとしても、それを揺るがす偽メシアや偽預言者が現れるとイエスは警告します。

それは現代社会の中にも存在します。甘い言葉や共感を売り物にして、個性を活かすことよりも仲間作りに励む今時の流れに惑わされないよう、私は学びをとおし、イエスの言葉だけを頼りに歩み続けたいと思います。


学食の風景

今回心に響いた御言葉は…
イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」 イエスは言われた。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」 (マルコによる福音書13:2〜3)

説教を終えられたイエスは弟子たちと共に神殿から出てこられました。神殿は当時の王が建てさせた力の象徴です。その姿は、「お上りさん」的な弟子たちにとって威厳に満ち溢れていたのでしょう。思わず弟子の一人が神殿をほめ称え、師イエスに伝えました。

ところがイエスはそんな弟子の浅い視点を「こんな派手な上辺だけの建物など、いつか簡単に壊されてしまうよ」と一蹴なさったのでした。

その通り、数十年の後にローマによって神殿は破壊されて、その預言は的中します。しかし、弟子たちに預言を話される事をイエスは重要としたのではありません。

イエスはあくまでも一般的なたとえとして「形あるもの(派手な神殿)ではなく魂(信仰)の部分を見なさいよ」と諭されました。

現代においても、私たちは莫大なお金をかけて建てられたタワーや豪華な装飾で飾られた美しい教会などに目を奪われる時があります。その見せかけの雰囲気に心が一瞬同化してしまうからです。

しかし落ち着いてよく見てみると…その姿は虚勢や人を集める事だけを目的に建てられた安易さが感じられます。私たちはよく見ることで感じ、何故そのように見せかけをとりつくろうとするのか考え、その結果、真実を知るのではないでしょうか。

イエスはその私にも語られます。

「気をつけなさい。心の目を常に研ぎ澄まし、きらびやかな物欲ではなく、確かな魂の真実を見よ」と。

次回はこの御言葉の内容が詳しく明かされます。
引く続き、心で感じながら学びます。


スイートアリッサム

16:30から1号館事務室前で厳かに行われました。

裏番組で就職オリエンテーションが行われていたためか、参加人数は少なめでしたが、ロウソクの灯とツリーのイルミネーションとがとてもキレイで、人数のことなど、どうでもよしって感じ(^_^;) 

式中、クリスマスツリーに関して、大西チャプレンがステキなお話しをしてくださいました。

①ドイツでの話。
伝説によると、幼児を巨木のための生け贄(え)にしていた人々に向かって、キリスト教のある宣教師が「神は生け贄など必要としない。むしろ、神が私たちのために救い主である御子をくださったのだ。」というようなことを語ったのがツリーの起源だという。


・クリスマスツリーに用いる木は常緑樹。つまり「いつも緑色」だから「永遠の命」を表す。
・ロウソク(LED電球)は世を照らす光、イエス・キリストへの「信仰」の表現。
・てっぺんの星はベツレヘムの星、つまり、人々を幼子イエスの居場所に導いた「希望」の星
・赤いリンゴ(オーナメントボール)の赤色はイエス・キリストが十字架で流した血、つまり「」を表す。

お祈りの後はコーヒータイム。喜びを分かち合いました。
いつもながらの柳城らしい和やかで楽しい点灯式。
イエスも喜んでくれたでしょうね(^o^)/

【ルカによる福音書】
5:33 人々はイエスに言った。「ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています。」
5:34 そこで、イエスは言われた。「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食させることがあなたがたにできようか。

今回、心に響いた御言葉は…
イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」(マルコによる福音書12:43〜44)

イエスは賽銭箱の前に座り、人々がお金を入れているのを見ておられました。その賽銭箱はラッパ状で、お金を入れるたびに大きな響きが回廊に轟き、それが裕福さをあらわす一つのステイタスとなっていました。

次々に身なりの良い人々が沢山のお金を投げ入れる中、イエスは1人のやもめの姿に目を止められたのです。

やもめが捧げたお金は、当時のユダヤの最小通貨であった1レプトン銀貨2枚。1日の労働賃金分と言われる1デナリオンの64分の1というわずかな額でした。

やもめを食いものしていた律法学者とは対照的なその姿は、世間では「少数で弱い立場」そのものです。しかし彼女には世間の人々が持つことが出来ないものを持っていました。それは、ただひたすらに神を頼りに生きる彼女の信仰の厚さです。そこにイエスは目を止められ、彼女の神への献身、献げる感謝の思いを感じたのです。

1人のやもめは痛いまでに神への献身をあらわしました。

見せかけの祈り、身なり、行動をしていた律法学者たちはイエスの御言葉をどうように聞いたでしょう。

いつもイエスは「見かけ」ではなく「心」を問題にされます。そこには信仰と愛に繋がる献身の思いが頂点にあるのです。そのイエスを、神を、ただひとつ拠り所として生きる。それは失ったものを知っている人間が得られる賜物だと私は思います。イエスはその弱い立場の人間の思いを知っておられます。

次回も学びは続きます。
これからも与えていただけることに感謝し、続けていきます!


ワイルドフラワー

イエス・キリストの誕生日(教会用語では降誕日)がいつなのかを記した記録は残っていません。それでもイエスの誕生をお祝いすることは必要なので、それで12/25がその日に当てられています。詳しくはウィキペディア(^_^;)

わが子の誕生を祝うのと同様に、人類の救い主であるイエスの誕生を祝うことは当然なのですが、問題はその「祝い方」にあります。その人の信仰の在り方がそこに示されるからです。教会で礼拝、家族で団らん、ド派手なパーティーと様々ですが、日常、イエスのことをいつも心に留めている人にとっては、12/25を特別な日とする必要などないかもしれませんね。

あなたはクリスマスをどう備えますか?
礼拝、お待ちしています(^o^)/

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●テーマ:「クリスマスに備える」
●説教:大西チャプレン
●聖書箇所:マタイによる福音書1:18-25
1:18 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。

1:19 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。
1:20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
1:21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
1:22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
1:23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
1:24 ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、
1:25 男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。

●日時:12月12日(水) 14:50~ 全学年、教職員
●礼拝形態:合同礼拝
●場所:チャペル
礼拝後15:30頃から聖書を学ぶ時間を設けていますので、興味がある方はご参加下さい。

●次回以降の予定
・12/19(水)クリスマス礼拝(体育館)14:50~
・1/9(水)合同礼拝(体育館)14:50~ 説教:大西チャプレン
1,2月誕生日の祈り 特別活動奨励奨学生表彰式
・3/15(水)卒業/修了礼拝、終業礼拝(体育館) 説教:大西チャプレン
3月誕生日の祈り

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